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ゲーセンに行こう
第11話
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15
木造の広い浴槽の中で足を伸ばし(自宅の風呂では無理だ)立ち上った湯気を肺一杯吸い込むと、ほのかな檜の香りが鼻腔をくすぐった。浴室の天井を仰ぎながら息をつくと、つい先程までの過酷な現実がまるで嘘のように感じられた。
しかし、首筋の火傷がひりひりと痛むのを感じると、悪夢のように思われた記憶が確かな現実だったと思い知らされる。こうして疲れ切った身体を湯船に沈めていられることがまさに「奇跡」と呼ぶに相応しい巡り合わせの上に成り立っているというのに、まるで実感がなかった。
夜道を彷徨っていたところ、そこで偶然にもクラスメイトの深雪に拾われたのだ。もう遅い時間だったこともあり、こうして彼女の祖父母が暮らす家に一晩だけ厄介になることになった―――そんなわけで夕食の準備が整うまでの間、彼女らにすすめられるまま風呂場を借りていた。全ては三人の厚意の賜物だ。
そんなこんなで九死に一生を得てすっかり脱力していると、ふと、ここなら肩まで湯に浸かっても窮屈な思いをせずに済むだろうかと思い立った。いざ実践しようと優雨が浴槽の縁に放っていた腕をその内側にしまおうとしたとき、
「お邪魔するっす」
突然の闖入者に彼の一時の安寧はあっさりと破られた。
「うわっ」
驚いた拍子に風呂の底で尻を滑らせた優雨が、体勢を崩して頭の先まで湯船に浸かった。すぐさま身体を起こして声のした方を向くと、そこには素肌にバスタオルを巻いただけの深雪がいた。
彼女のあられもない姿に動揺を隠せない優雨だったが、肝心の深雪はさして気に留めていない様子だった。平然とこちらまで歩み寄ってくるとバスタブの縁に腕組みした肘を乗せてこちらをじっと見つめてくる。
「さあ言うっす」
ほんのりと頬を上気させた深雪の顔がすぐそこまで迫る。それに優雨は顔ごと目を逸らしながら答えた。
「ばっ、なんだよ急に」
「言うっす」
「だから、何、」
彼女が何を知りたいのか本当はわかっていたのだが、その答えを優雨は持ち合わせていなかった。どうして自分があの場にいたのか、推測はできても確証はなかった。
「一人であんなとこふらふらして。どう考えてもおかしいっす」
それは重々承知している。しかし彼女に返す言葉がなかなか見つからない。
「どうしても言えないんすか」
そう言いながら、深雪が目を伏せる気配を感じ取る。優雨がちらと彼女の方を見ると、拗ねたように組んだ腕に頬を乗せて口を尖らせていた。
「いいから出てけよ。後で話すから」
「なんすかもう、折角二人きりになってあげたのに」
彼女の祖父母がいる前では話しにくい事情があると思ったのか、深雪なりに気を利かせたつもりらしい。それにしても手段が強引すぎると思うのだが。
「そっちがその気なら、」
そう言って深雪はすっくと立ち上がると、湯船にバスタオルの裾から伸びた程よく肉付きのいい足を湯船に突っ込んだ。
「ちょ、おいっ」
優雨の制止も聞かず、深雪はもう片方の足まで運ぶと、ざぶんと湯の中に肩まで浸かった。その勢いで浴槽から大量の湯が溢れ出る。
「こっから出してあげないっす」
浴槽で前傾姿勢になった深雪がこちらを睨んだ。湯を吸ったバスタオル一枚張り付けただけの女体を目前にした優雨は、彼の人生で今までに感じたことのない緊張を肉体の一部に感じていた。
「マジかよ」
「まじっす」
半目のままこちらを見やる彼女に気圧されてか、たじたじになった優雨が浴槽に背中をぴったりとくっつけるまで後退した。湯船を共有した二人の間でただひたすらに沈黙が続くが、深雪は尚も動かない。
このままでは二人してのぼせてしまう―――彼女を安心させるような答えを用意したいのは山々だったが、この状況で頭を働かせろというのも流石に無理がある。
「しょうがないっすね」
しばらくして、この状況にうんざりした様子の深雪が浴槽で膝立ちになった。すると、濡れたタオル越しに露わとなった彼女の胸の起伏が優雨の目の前に現れる。
「タオル取っちゃってもいいんすか」
どんな脅し文句だ。
そう思いながらも、ごくりと生唾を飲み込むと言葉まで喉の奥に引っ込んでしまった優雨は、深雪がタオルを留めた部分に指を掛けるところを黙って見ていることしかできなかった。
「まあ、水着なんすけど」
自分の言っていることに恥ずかしくなったのか、あっさりとネタばらしをした深雪がバスタオルを巻いた胸元をはだけさせる。深雪が自分をからかっていただけだとわかると優雨の緊張が多少は和らいだものの、布面積が小さめな彼女のビキニ姿を前に、目のやり場に困る状況は尚も続いていた。
「おじいちゃんち来るついでに買ってもらったんすけど」
バスタブの縁に腰掛けながら、深雪が少し照れくさそうに言った。どうやら評価を求めているらしい。
「似合ってんじゃね」
湯船の水位が下がって余計なものが目立たないように優雨は僅かに身を屈めながら、彼女の水着姿を褒めた。
「いやあ、それほどでも」
深雪はまんざらでもない様子だ。しかし、
「どうしても話してくれないんすか」
彼女の表情がまた不満げなものに戻った。話題が逸れかけたものの、やはり優雨の身に何が起こったのかは気になるらしい。
「別に、お前を信頼してないってわけじゃないよ」
友人がこれ以上心を痛めないように、慎重に言葉を選ぶ。少しずつ冷静さを取り戻すにつれて、自分が素っ裸であることに馬鹿馬鹿しさも感じてくるが、今だけは忘れることにした。
「俺も、何が起こったかよくわかってないんだよ」
この答えも、半分は嘘だ。真相は未だに不明だが、心当たりはある。
「そうじゃなくてっ」
深雪が珍しく声を張り上げた。それが浴室に反響すると、優雨は思わず仰天した。彼の驚いた顔を見て、深雪も自分が叫んだことに気がついて少し戸惑った。
「秋山さんは、ほら、辛いとか、しんどい、とか、全然言わないじゃないっすか」
聞きながら、優雨には初め彼女が何を言いたいのかよくわからなかった。
「我慢してないっすか。そういうの。ていうかなんで平気なんすかそれで」
見ているこちらが気の毒になるほど、深雪の表情が悲しみに翳った。太陽のような眩しさに満ちている彼女の笑顔を知っていた優雨にとって、思わず目を逸らしたくなるような辛さを覚える。
「ありがとな、浅野」
しかし、同時に感謝もしていた。彼女の本音を聞けたことに。
「お前のそういうところ、ほんと助かってるよ」
それだけ言うと、二人はまた黙り込んだ。しかし、先程のような息苦しさは彼らの間にはもうない。すると、
「あーもう、身体洗いたいんでさっさと出てってくださいよ」
そう言って深雪が湯船から足を抜いた。どうやらこれ以上の追及は諦めたらしい。
「わかったわかった」
彼女が背を向けた隙に、優雨は浴室からそそくさと抜け出していった。
*
「でかいっす」
優雨が脱衣所の方に入っていったのを横目に見送ってから、深雪が呟いた。
よく年の離れた弟と一緒に風呂に入っていたせいか、異性である優雨と同じ湯船に入ることに抵抗は覚えなかった―――が、成熟した男性の裸体をここまで間近にしたのは彼女にとっても初めてのことだった。
「また失敗っす」
千歳に続いて、優雨までも自分に心を開いてはくれなかった。そう容易くできることでもないだろうが、前向きに捉えれば、彼らとは仲を深める余地がまだまだあるということでもある。
「まだチャンスはあるっす」
今晩のことを考えて意義込みながら、深雪は念入りに自分の身体を洗い始めた。
再び湯船に入ると、思い出されるのは先程まで同じ湯に浸かっていた優雨のことだ。天井を見上げながら、いつ頃から彼のことを意識していたのか思い出そうとする。
*
まるでプロの選手みたいだ。
高校に入学したばかりの頃、クラスメイトになった優雨を初めて見かけたときの印象がそれだった。新入生にして校内一の巨漢。つい先日まで中学生だったとは思えないほどの貫禄がある強面。皆圧倒されていた。
体育の授業で運動能力のテストがあれば、様々な種目で校内記録を軒並み塗り替えてみせるほどの驚愕の肉体の持ち主―――彼の筋肉がコートの上でしなやかに躍動する様を思い浮かべるだけで、深雪は胸を高鳴らせたものだった。
そんな彼に話しかける人といえば、その立派な体格を見込んで「是非とも我が部へ」と口々に勧誘してくる運動部の先輩ばかり。肝心の同級生は優雨のことを親しみやすい人物だとは見做していなかったらしい。
深雪が通っていた中学校は、バスケットボールの強豪校だった。何を隠そう、彼女もそのレギュラーメンバーの一人だったのである。そこが旧態依然とした縦社会だったせいか、おかしな丁寧語を身に着けてしまったばかりか、厳しいトレーニングの毎日に深雪はすっかり辟易してしまったが―――それでも部活を辞めなかったのは、途中で何かを投げだすことが自分の中で心にしこりを残すのではないかと疑っていたからに過ぎない。その証拠に高校でもバスケを続けようなどとは微塵も思っていなかった。
深雪の出身校の評判を知ってか、放課後になるとバスケ部に所属する先輩がしょっちゅう勧誘にきた。すぐそばには、自分と同じ理由で先輩方に捕まっている優雨もいる。彼らが諦めるのを待ってから帰り支度をすると、二人の下校時刻はぴったりと重なった。そこで同様の苦労を分かち合うように、どちらともなく会話を始めるのがそれからのお決まりになった。
成績優秀、品行方正。柔らかな物腰も含めて、勉強に熱意のない自分とはまるで正反対。それが秋山優雨だった。しかし、悲しいかな天は二物を与えず―――彼の人を寄せ付けない雰囲気は如何ともしがたかった。加えて、優雨には何処となく人を遠ざけようとしている節があった。自分がそういった感情の機微に鈍感だったせいか、しつこく話しかけるものだから彼の方も邪険にはできなかったのだろう。その理由を知ったのはゴシップ好きの友人伝いだった。
曰く、中学時代に付き合っていた彼女が自殺した。曰く、その現場にいた。
つまり、目の前で恋人が死んだ。
過去に辛い思い出があったことなど、優雨はおくびにも出さなかった。間接的にとはいえ彼の秘め事を知ってしまったことに罪悪感を覚えたものの、彼の後ろ向きな性格をなんとかしたいとも深雪は考えた。それが余計なお世話だったとしても。
とはいえ、その方法もてんで思いつかないまま時間だけが過ぎ、二人は進級して現在に至るというわけだ。今年度も同じクラスになれたのは僥倖だったが。
「んー」
深雪が湯船の中で抱えた膝の間に顔を埋めながら、考えを巡らせる。優雨を夢中にさせるような、都合の良い殺し文句はないものだろうか。考えれば考えるほど、堅物の彼が自分に振り向くとは到底思えなかった。それでも、次の策は用意してある。しかも今度は祖母のお膳立て付きだ。今更引き下がることなどできない。
「今度こそ撃ち抜いてみせるっす」
天井に向けて人差し指を立てると、ばあん、と呟きながら銃を撃つ真似をする。その後で少し気恥しくなったのを、口笛を吹いて誤魔化した。
木造の広い浴槽の中で足を伸ばし(自宅の風呂では無理だ)立ち上った湯気を肺一杯吸い込むと、ほのかな檜の香りが鼻腔をくすぐった。浴室の天井を仰ぎながら息をつくと、つい先程までの過酷な現実がまるで嘘のように感じられた。
しかし、首筋の火傷がひりひりと痛むのを感じると、悪夢のように思われた記憶が確かな現実だったと思い知らされる。こうして疲れ切った身体を湯船に沈めていられることがまさに「奇跡」と呼ぶに相応しい巡り合わせの上に成り立っているというのに、まるで実感がなかった。
夜道を彷徨っていたところ、そこで偶然にもクラスメイトの深雪に拾われたのだ。もう遅い時間だったこともあり、こうして彼女の祖父母が暮らす家に一晩だけ厄介になることになった―――そんなわけで夕食の準備が整うまでの間、彼女らにすすめられるまま風呂場を借りていた。全ては三人の厚意の賜物だ。
そんなこんなで九死に一生を得てすっかり脱力していると、ふと、ここなら肩まで湯に浸かっても窮屈な思いをせずに済むだろうかと思い立った。いざ実践しようと優雨が浴槽の縁に放っていた腕をその内側にしまおうとしたとき、
「お邪魔するっす」
突然の闖入者に彼の一時の安寧はあっさりと破られた。
「うわっ」
驚いた拍子に風呂の底で尻を滑らせた優雨が、体勢を崩して頭の先まで湯船に浸かった。すぐさま身体を起こして声のした方を向くと、そこには素肌にバスタオルを巻いただけの深雪がいた。
彼女のあられもない姿に動揺を隠せない優雨だったが、肝心の深雪はさして気に留めていない様子だった。平然とこちらまで歩み寄ってくるとバスタブの縁に腕組みした肘を乗せてこちらをじっと見つめてくる。
「さあ言うっす」
ほんのりと頬を上気させた深雪の顔がすぐそこまで迫る。それに優雨は顔ごと目を逸らしながら答えた。
「ばっ、なんだよ急に」
「言うっす」
「だから、何、」
彼女が何を知りたいのか本当はわかっていたのだが、その答えを優雨は持ち合わせていなかった。どうして自分があの場にいたのか、推測はできても確証はなかった。
「一人であんなとこふらふらして。どう考えてもおかしいっす」
それは重々承知している。しかし彼女に返す言葉がなかなか見つからない。
「どうしても言えないんすか」
そう言いながら、深雪が目を伏せる気配を感じ取る。優雨がちらと彼女の方を見ると、拗ねたように組んだ腕に頬を乗せて口を尖らせていた。
「いいから出てけよ。後で話すから」
「なんすかもう、折角二人きりになってあげたのに」
彼女の祖父母がいる前では話しにくい事情があると思ったのか、深雪なりに気を利かせたつもりらしい。それにしても手段が強引すぎると思うのだが。
「そっちがその気なら、」
そう言って深雪はすっくと立ち上がると、湯船にバスタオルの裾から伸びた程よく肉付きのいい足を湯船に突っ込んだ。
「ちょ、おいっ」
優雨の制止も聞かず、深雪はもう片方の足まで運ぶと、ざぶんと湯の中に肩まで浸かった。その勢いで浴槽から大量の湯が溢れ出る。
「こっから出してあげないっす」
浴槽で前傾姿勢になった深雪がこちらを睨んだ。湯を吸ったバスタオル一枚張り付けただけの女体を目前にした優雨は、彼の人生で今までに感じたことのない緊張を肉体の一部に感じていた。
「マジかよ」
「まじっす」
半目のままこちらを見やる彼女に気圧されてか、たじたじになった優雨が浴槽に背中をぴったりとくっつけるまで後退した。湯船を共有した二人の間でただひたすらに沈黙が続くが、深雪は尚も動かない。
このままでは二人してのぼせてしまう―――彼女を安心させるような答えを用意したいのは山々だったが、この状況で頭を働かせろというのも流石に無理がある。
「しょうがないっすね」
しばらくして、この状況にうんざりした様子の深雪が浴槽で膝立ちになった。すると、濡れたタオル越しに露わとなった彼女の胸の起伏が優雨の目の前に現れる。
「タオル取っちゃってもいいんすか」
どんな脅し文句だ。
そう思いながらも、ごくりと生唾を飲み込むと言葉まで喉の奥に引っ込んでしまった優雨は、深雪がタオルを留めた部分に指を掛けるところを黙って見ていることしかできなかった。
「まあ、水着なんすけど」
自分の言っていることに恥ずかしくなったのか、あっさりとネタばらしをした深雪がバスタオルを巻いた胸元をはだけさせる。深雪が自分をからかっていただけだとわかると優雨の緊張が多少は和らいだものの、布面積が小さめな彼女のビキニ姿を前に、目のやり場に困る状況は尚も続いていた。
「おじいちゃんち来るついでに買ってもらったんすけど」
バスタブの縁に腰掛けながら、深雪が少し照れくさそうに言った。どうやら評価を求めているらしい。
「似合ってんじゃね」
湯船の水位が下がって余計なものが目立たないように優雨は僅かに身を屈めながら、彼女の水着姿を褒めた。
「いやあ、それほどでも」
深雪はまんざらでもない様子だ。しかし、
「どうしても話してくれないんすか」
彼女の表情がまた不満げなものに戻った。話題が逸れかけたものの、やはり優雨の身に何が起こったのかは気になるらしい。
「別に、お前を信頼してないってわけじゃないよ」
友人がこれ以上心を痛めないように、慎重に言葉を選ぶ。少しずつ冷静さを取り戻すにつれて、自分が素っ裸であることに馬鹿馬鹿しさも感じてくるが、今だけは忘れることにした。
「俺も、何が起こったかよくわかってないんだよ」
この答えも、半分は嘘だ。真相は未だに不明だが、心当たりはある。
「そうじゃなくてっ」
深雪が珍しく声を張り上げた。それが浴室に反響すると、優雨は思わず仰天した。彼の驚いた顔を見て、深雪も自分が叫んだことに気がついて少し戸惑った。
「秋山さんは、ほら、辛いとか、しんどい、とか、全然言わないじゃないっすか」
聞きながら、優雨には初め彼女が何を言いたいのかよくわからなかった。
「我慢してないっすか。そういうの。ていうかなんで平気なんすかそれで」
見ているこちらが気の毒になるほど、深雪の表情が悲しみに翳った。太陽のような眩しさに満ちている彼女の笑顔を知っていた優雨にとって、思わず目を逸らしたくなるような辛さを覚える。
「ありがとな、浅野」
しかし、同時に感謝もしていた。彼女の本音を聞けたことに。
「お前のそういうところ、ほんと助かってるよ」
それだけ言うと、二人はまた黙り込んだ。しかし、先程のような息苦しさは彼らの間にはもうない。すると、
「あーもう、身体洗いたいんでさっさと出てってくださいよ」
そう言って深雪が湯船から足を抜いた。どうやらこれ以上の追及は諦めたらしい。
「わかったわかった」
彼女が背を向けた隙に、優雨は浴室からそそくさと抜け出していった。
*
「でかいっす」
優雨が脱衣所の方に入っていったのを横目に見送ってから、深雪が呟いた。
よく年の離れた弟と一緒に風呂に入っていたせいか、異性である優雨と同じ湯船に入ることに抵抗は覚えなかった―――が、成熟した男性の裸体をここまで間近にしたのは彼女にとっても初めてのことだった。
「また失敗っす」
千歳に続いて、優雨までも自分に心を開いてはくれなかった。そう容易くできることでもないだろうが、前向きに捉えれば、彼らとは仲を深める余地がまだまだあるということでもある。
「まだチャンスはあるっす」
今晩のことを考えて意義込みながら、深雪は念入りに自分の身体を洗い始めた。
再び湯船に入ると、思い出されるのは先程まで同じ湯に浸かっていた優雨のことだ。天井を見上げながら、いつ頃から彼のことを意識していたのか思い出そうとする。
*
まるでプロの選手みたいだ。
高校に入学したばかりの頃、クラスメイトになった優雨を初めて見かけたときの印象がそれだった。新入生にして校内一の巨漢。つい先日まで中学生だったとは思えないほどの貫禄がある強面。皆圧倒されていた。
体育の授業で運動能力のテストがあれば、様々な種目で校内記録を軒並み塗り替えてみせるほどの驚愕の肉体の持ち主―――彼の筋肉がコートの上でしなやかに躍動する様を思い浮かべるだけで、深雪は胸を高鳴らせたものだった。
そんな彼に話しかける人といえば、その立派な体格を見込んで「是非とも我が部へ」と口々に勧誘してくる運動部の先輩ばかり。肝心の同級生は優雨のことを親しみやすい人物だとは見做していなかったらしい。
深雪が通っていた中学校は、バスケットボールの強豪校だった。何を隠そう、彼女もそのレギュラーメンバーの一人だったのである。そこが旧態依然とした縦社会だったせいか、おかしな丁寧語を身に着けてしまったばかりか、厳しいトレーニングの毎日に深雪はすっかり辟易してしまったが―――それでも部活を辞めなかったのは、途中で何かを投げだすことが自分の中で心にしこりを残すのではないかと疑っていたからに過ぎない。その証拠に高校でもバスケを続けようなどとは微塵も思っていなかった。
深雪の出身校の評判を知ってか、放課後になるとバスケ部に所属する先輩がしょっちゅう勧誘にきた。すぐそばには、自分と同じ理由で先輩方に捕まっている優雨もいる。彼らが諦めるのを待ってから帰り支度をすると、二人の下校時刻はぴったりと重なった。そこで同様の苦労を分かち合うように、どちらともなく会話を始めるのがそれからのお決まりになった。
成績優秀、品行方正。柔らかな物腰も含めて、勉強に熱意のない自分とはまるで正反対。それが秋山優雨だった。しかし、悲しいかな天は二物を与えず―――彼の人を寄せ付けない雰囲気は如何ともしがたかった。加えて、優雨には何処となく人を遠ざけようとしている節があった。自分がそういった感情の機微に鈍感だったせいか、しつこく話しかけるものだから彼の方も邪険にはできなかったのだろう。その理由を知ったのはゴシップ好きの友人伝いだった。
曰く、中学時代に付き合っていた彼女が自殺した。曰く、その現場にいた。
つまり、目の前で恋人が死んだ。
過去に辛い思い出があったことなど、優雨はおくびにも出さなかった。間接的にとはいえ彼の秘め事を知ってしまったことに罪悪感を覚えたものの、彼の後ろ向きな性格をなんとかしたいとも深雪は考えた。それが余計なお世話だったとしても。
とはいえ、その方法もてんで思いつかないまま時間だけが過ぎ、二人は進級して現在に至るというわけだ。今年度も同じクラスになれたのは僥倖だったが。
「んー」
深雪が湯船の中で抱えた膝の間に顔を埋めながら、考えを巡らせる。優雨を夢中にさせるような、都合の良い殺し文句はないものだろうか。考えれば考えるほど、堅物の彼が自分に振り向くとは到底思えなかった。それでも、次の策は用意してある。しかも今度は祖母のお膳立て付きだ。今更引き下がることなどできない。
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