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ゲーセンに行こう
第12話
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「またボクの勝ちだね」
自分の腕前を見せびらかすようにコントローラーを持った手を掲げると、流歌はすまし顔で言った。誠は思わず悔しさを声ににじませながら唸ると、同時に彼のゲームの腕前とその上達速度に舌を巻いた。
「もう俺じゃ相手にならないかもな」
もう一勝負と行きたいところだが、結果は見えているのでここで引き下がっておく。ヒモ時代はゲームセンターに通っていた時期もあり、格闘ゲームに関してはそこそこ自信があったのだが―――流歌にはあっさりとそれを打ち砕かれてしまった。
「そうだお嬢、ネット対戦とかしねーの」
ふと思い出したように、誠がそう尋ねてみる。今時の家庭用ゲームはゲーセンにあるものにもクオリティの面では引けを取らないし、インターネットを通じて自宅に居ながら対戦だってできる。
「強いやつだってきっとそこら中にいるし、俺とやるより楽しいかもよ」
他人を引き合いに出すのは少々負け惜しみが過ぎるかと思ったが、これは事実でもある。それに、今の流歌に必要なのは交流だ。それがどんな形であれ。
「えー、マコちゃんと遊ぶ方が楽しいよ」
「そう言ってもらえるのは嬉しいがね」
せめてサンドバッグ役を他に用意してもらいたいものだ。しかし、それを赤の他人に任せるというのも今の流歌には少し難しいのかもしれない。
「アクション系は得意だろ。ネットで遊び相手見つけるのもいいと思うけどな」
流歌には抜群のゲームセンスがあり、尚且つモラトリアム真っ只中の彼には遊ぶ時間も十分にある。自分の将来に悩むのもいいが、息抜きの仕方だって覚える必要があるだろう。それが青春時代を自由奔放に生きてきた誠の持論であり、教育方針だ。流歌の姉である恵麻からも「ほどほどに」と釘を刺されはしたものの、彼女らの両親ともども流歌への接し方としては認められている。
「んー、どうしよっかな」
快活な流歌にしては歯切れの悪い答えだった。
ある日を境に、流歌は友人というものを持たなくなってしまった。というより、必要以上に他者と深く関わることに明らかに抵抗を覚えている。そのせいか、誠の提案にも少々及び腰になっているようだ。
「ま、考えといてくれよ」
強制することはしないが、誠の言うことであれば大抵は大人しく従うのが流歌の常だった。現にゲーム機やパソコンなどを買い与えた見返りに、将来的に撮影モデルとしての仕事を引き受けてくれている。その準備としてジム通いまでさせているくらいだ。
「もう帰っちゃうの」
「悪いな。また来るからさ」
折角なので、ここいらで彼に一人の時間を作ることにした。遊ぶ時間と同じくらい、青春には悩む時間も必要だ。そう考えると、我ながら世話役も板についてきた気がする。
「いい子にしてろよ、お嬢」
*
ぴしゃりと閉じられた引き戸の向こうに誠の姿が隠れると、流歌は畳にごろんと横になって天井を見上げた。この目に何度も映した光景だ。以前から心にもやもやしたものを感じると、度々こうすることがあった。学校に馴染めなくなって、進学を諦めた頃からその頻度も多くなってきた気がする。
高校を卒業したら働くつもりだった。しかし、進学を勧める両親に「しばらくは好きに過ごしていいから」と説得された結果、就職もせずに形ばかりの浪人生という身分に収まっているのが現状だ。目の前にはいたずらに消費される時間だけがあって、上がるのはゲームの腕前だけ。それだって情熱を費やしてるわけじゃない。他にすることがないだけだ。
しばらく途方に暮れていると、ふと、誠の言葉が脳裏をよぎった。
彼のような幼馴染ならともかく、顔も知らない相手とゲームをするだなんて―――お互いに楽しめなかったときのことを考えると、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような苦しさを覚える。
とてもじゃないが、自分には無理だ。
クラスメイト相手にもできる限り表面上の付き合いだけに徹し、誰とも深く関わろうとしなかった高校時代を思い出す。あの頃から少しでも変わることができただろうか。いや、それどころか人見知りな性格が悪化する一途を辿っているのは気のせいではあるまい。
自分が関わることで、相手にどれだけの影響を及ぼしてしまうのか―――実際に痛い目を見てからというもの、そのことにばかり考えが及ぶようになってしまっていた。実際に顔を合わせているか、インターネット回線を通じているかなんてほんの些細な差でしかない。そんな自分の考えの方が世間一般からずれているのかもしれないが。
誠は自分と外界との接点をどうにかして作ろうとしてくれている。それを未だに受け入れられないのは、ただの我儘でしかない。そんなことは自分でもわかっていた。
点けっ放しにしていたパソコンの画面に目をやると、以前から気になっていたゲームのPVが映されたタブがブラウザにいつまでも残されていたのを思い出した。多数のプレイヤーと協力して遊べるロボットアクションゲーム。より競技性の高い対戦モードも実装予定らしい。仲間との連携が必須となるジャンルに違いなかった。
もし、それが上手くいかなかったら。
想像しただけで額に脂汗が滲んでしまいそうだ。所詮はゲームなのだからと、気軽に構えて遊ぶ人々が大多数なのだろう。しかし、画面の向こうには自分と同じ人間が、確かな意識を持った人々が、ゲームの結果に一喜一憂しているのだ。
彼らと友達になりたい。同じゲームを楽しむ感覚を共有したい。そんな欲求が心の奥底から湧き上がるのと同時に、それが破綻してしまったときのことを想像して不安に圧し潰されそうになってしまう。その結果、いつまで経っても行動に移すことができないでいた。しかし、こうして自分を甘やかしてばかりではいられない。周囲の反応を気にしてばかりいるのは、自分の身を守りたい一心で必要以上に憶病になっているだけなのだから。
流歌は起き上がると、予めインストールしていた『アースバウンド』を起動した。後は一緒に遊ぶ仲間を探すだけ。
「うわあ・・・・・・」
我知らず呻き声を上げながら、流歌はゲームを始めた。チュートリアル画面を眺めているうち、半ば捨て鉢になりながら説明をスキップしていく。プレイヤーキャラクターがロボットに乗り込むと、自分まで戦場にやってきたかのように意気込んだ。ゲーミングマウスを握る手に力がこもる。
こうなったら、とことんやってやる。
*
後部座席でぴったりと肩を寄せ合いながら寝息を立てている流歌と千歳の二人をバックミラー越しに見て、誠は懐かしむように彼との過去を思い出していた。
あれから一年以上が経った。もう成人したとはいえ、流歌にもまだまだ青春を満喫するだけの権利があるはずだ。彼が失ったものを取り戻すには長い時間が必要だったろう。その道のりは今も続いているに違いないが、それが今日まで途切れることなく続いたのには理由がある。
「すみません。急に呼び出してしまって」
大きな身体を助手席で縮こまらせながら、優雨が申し訳なさそうに言った。
「いいんだよ。そんなの気にしなくて」
自分が「稲荷くん」と呼ぶ彼こそが、流歌に努力を惜しませなかったその道の立役者だった。この二人が出会った幸運を思うと、感謝の念を抱かずにはいられない。
「こちらこそ悪かったね。お嬢がここまで酔うなんて」
正直、予想もしていなかった。流歌が二十歳になってからというもの、彼に色々と試し飲みさせていたが酔っぱらう気配など微塵も見せなかったのだ。一体全体、今夜はどんな飲み方をしていたのか。
「その、『お嬢』って呼び方、」
「あれ、もしかしてバレちゃった?」
否定も肯定もしないが、まったく動じている様子もない。どうやら、彼は流歌の性別をはっきりと認識しているようだ。会った当初はもしやと思っていたのだが、流歌の方からちゃんと説明したのだろうか。
「むかーし、ごっこ遊びでお嬢様扱いしたことがあってな。それが定着した。あー、ハンネも『オジョ』にしてたっけか」
発端は子供の頃に付き合ってやった、恵麻とのおままごとだった。当時から彼女らはまるで姉妹のようだったが、それが大人になった今も変わらずとは。
「な、なるほど」
「家族ぐるみで娘みたいに扱ってたからな。今にして思うと、情操教育上よろしくなかったのかもしれんな。あれは」
流歌の性自認が男であることは疑いようもないのだが、一般的な性の垣根の意識に戸惑っている節はあった。彼自身、その境界が曖昧であったままに思春期を迎えたのが、過去にあった悲劇の引き金ともなったのだ。
「まあ、可愛いですし」
「だよな」
流歌の美貌とは、まったくもって魔性のそれだ。そのせいで周囲から腫れ物のように扱われることもしばしばあった。一過性のものだったとはいえ、当時まだ中学生だった彼に乳房ができたときは担任の先生が大騒ぎしたものだった。
「そんなことがあったんですか」
「嘘みたいだろ。その時にお世話になった医者先生が言うにはさ、ホルモンバランスが崩れやすいのかもって」
そのせいで情緒不安定な状態に陥ることもあったのだが、当時はまだ健在だった流歌の祖母に慰められて、問題に直面してもすぐに立ち直っていったものだ。
「悪く思わないでくれな」
「えっ」
優雨が思わずといった様子で聞き返した。話に脈絡を覚えなかったか、そもそも悪気に思っていなかったのか。そんな彼を微笑ましく思いながら、誠は続けた。
「お嬢の格好だよ。女だと思ったろ」
「ああ・・・・・・」
流石の優雨にも思うところがあったらしい。いくら可愛いからといって、成人男性が白昼堂々と女装を嗜んでいるとは。
「あれな、仕事の一環なんだよ。モデルの」
迎えの車を運転しながら、誠がちらと横目に彼の顔を覗き見る。すると、ぽかんと大口を開けている彼の表情が見えた。思わず口元を綻ばせると、誠は説明した。
「お嬢の姉ちゃん、恵麻っていうんだけどな。まあ、俺の嫁さんなんだけど。自前のブランドを持っててさ」
呉服屋の娘でありながら、流行の最先端に立ったのが彼女である。意外だったのは、彼女の両親もそれを後押ししたことだ。その甲斐あってか、花開いた恵麻の才能が一つのブランドを生み出した。
「お嬢はその広告塔ってわけ。姉の会社の製品を着て歩くのが仕事。ついでにそれを撮るのが俺の仕事」
「マジですか」
「マジなんだなこれが」
話しているうちに、優雨の口調も少しは砕けたものになってきた。そこで誠が悪友と秘密を共有したかのように笑ってみせる。
「これからもお嬢のこと、よろしく頼むぜ」
車の進行方向を見据えながら誠が言った。本人は意図していなかったのだが、その言葉は真剣な響きを伴っていた。
「承知しました」
見るまでもなく重々しく頷きながら答えたであろう優雨の声を聞くと、すっかり安心した誠が大笑した。
*
「さてと、後は小娘どもだな」
優雨を自宅そばまで送り届けると、誠は急に気が重くなったように言った。
「やっぱり自分も同行した方が、」
「いやいや、それには及ばないよ」
今は流歌の肩を枕にして眠っている千歳だが、門限を破って夜まで出歩いていたせいか自宅に戻ることをえらく躊躇していた。若い娘のいる家庭なら当然だろうが、このまま帰れば厳しいお叱りが待っているに違いない。誠は流歌の保護者として、彼の友人の為に弁明と謝罪をするのだという。
「またお嬢と遊んでやってくれ」
誠の言葉にしっかり頷いて応える。彼の運転する乗用車が見えなくなるまで目で追ってから、優雨は帰路についた。
駅で騒ぎを起こされたときはどうなることかと思ったが、流歌が誠を呼んだことで今度こそ無事に帰りつくことができた。波乱の一日はようやく終わりを迎えたが、夏休みはまだまだこれからだ。
散々汗をかいたせいか、夏の蒸し暑さを忘れるようなひんやりとした夜気が優雨を包んでいた。
「またボクの勝ちだね」
自分の腕前を見せびらかすようにコントローラーを持った手を掲げると、流歌はすまし顔で言った。誠は思わず悔しさを声ににじませながら唸ると、同時に彼のゲームの腕前とその上達速度に舌を巻いた。
「もう俺じゃ相手にならないかもな」
もう一勝負と行きたいところだが、結果は見えているのでここで引き下がっておく。ヒモ時代はゲームセンターに通っていた時期もあり、格闘ゲームに関してはそこそこ自信があったのだが―――流歌にはあっさりとそれを打ち砕かれてしまった。
「そうだお嬢、ネット対戦とかしねーの」
ふと思い出したように、誠がそう尋ねてみる。今時の家庭用ゲームはゲーセンにあるものにもクオリティの面では引けを取らないし、インターネットを通じて自宅に居ながら対戦だってできる。
「強いやつだってきっとそこら中にいるし、俺とやるより楽しいかもよ」
他人を引き合いに出すのは少々負け惜しみが過ぎるかと思ったが、これは事実でもある。それに、今の流歌に必要なのは交流だ。それがどんな形であれ。
「えー、マコちゃんと遊ぶ方が楽しいよ」
「そう言ってもらえるのは嬉しいがね」
せめてサンドバッグ役を他に用意してもらいたいものだ。しかし、それを赤の他人に任せるというのも今の流歌には少し難しいのかもしれない。
「アクション系は得意だろ。ネットで遊び相手見つけるのもいいと思うけどな」
流歌には抜群のゲームセンスがあり、尚且つモラトリアム真っ只中の彼には遊ぶ時間も十分にある。自分の将来に悩むのもいいが、息抜きの仕方だって覚える必要があるだろう。それが青春時代を自由奔放に生きてきた誠の持論であり、教育方針だ。流歌の姉である恵麻からも「ほどほどに」と釘を刺されはしたものの、彼女らの両親ともども流歌への接し方としては認められている。
「んー、どうしよっかな」
快活な流歌にしては歯切れの悪い答えだった。
ある日を境に、流歌は友人というものを持たなくなってしまった。というより、必要以上に他者と深く関わることに明らかに抵抗を覚えている。そのせいか、誠の提案にも少々及び腰になっているようだ。
「ま、考えといてくれよ」
強制することはしないが、誠の言うことであれば大抵は大人しく従うのが流歌の常だった。現にゲーム機やパソコンなどを買い与えた見返りに、将来的に撮影モデルとしての仕事を引き受けてくれている。その準備としてジム通いまでさせているくらいだ。
「もう帰っちゃうの」
「悪いな。また来るからさ」
折角なので、ここいらで彼に一人の時間を作ることにした。遊ぶ時間と同じくらい、青春には悩む時間も必要だ。そう考えると、我ながら世話役も板についてきた気がする。
「いい子にしてろよ、お嬢」
*
ぴしゃりと閉じられた引き戸の向こうに誠の姿が隠れると、流歌は畳にごろんと横になって天井を見上げた。この目に何度も映した光景だ。以前から心にもやもやしたものを感じると、度々こうすることがあった。学校に馴染めなくなって、進学を諦めた頃からその頻度も多くなってきた気がする。
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しばらく途方に暮れていると、ふと、誠の言葉が脳裏をよぎった。
彼のような幼馴染ならともかく、顔も知らない相手とゲームをするだなんて―――お互いに楽しめなかったときのことを考えると、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような苦しさを覚える。
とてもじゃないが、自分には無理だ。
クラスメイト相手にもできる限り表面上の付き合いだけに徹し、誰とも深く関わろうとしなかった高校時代を思い出す。あの頃から少しでも変わることができただろうか。いや、それどころか人見知りな性格が悪化する一途を辿っているのは気のせいではあるまい。
自分が関わることで、相手にどれだけの影響を及ぼしてしまうのか―――実際に痛い目を見てからというもの、そのことにばかり考えが及ぶようになってしまっていた。実際に顔を合わせているか、インターネット回線を通じているかなんてほんの些細な差でしかない。そんな自分の考えの方が世間一般からずれているのかもしれないが。
誠は自分と外界との接点をどうにかして作ろうとしてくれている。それを未だに受け入れられないのは、ただの我儘でしかない。そんなことは自分でもわかっていた。
点けっ放しにしていたパソコンの画面に目をやると、以前から気になっていたゲームのPVが映されたタブがブラウザにいつまでも残されていたのを思い出した。多数のプレイヤーと協力して遊べるロボットアクションゲーム。より競技性の高い対戦モードも実装予定らしい。仲間との連携が必須となるジャンルに違いなかった。
もし、それが上手くいかなかったら。
想像しただけで額に脂汗が滲んでしまいそうだ。所詮はゲームなのだからと、気軽に構えて遊ぶ人々が大多数なのだろう。しかし、画面の向こうには自分と同じ人間が、確かな意識を持った人々が、ゲームの結果に一喜一憂しているのだ。
彼らと友達になりたい。同じゲームを楽しむ感覚を共有したい。そんな欲求が心の奥底から湧き上がるのと同時に、それが破綻してしまったときのことを想像して不安に圧し潰されそうになってしまう。その結果、いつまで経っても行動に移すことができないでいた。しかし、こうして自分を甘やかしてばかりではいられない。周囲の反応を気にしてばかりいるのは、自分の身を守りたい一心で必要以上に憶病になっているだけなのだから。
流歌は起き上がると、予めインストールしていた『アースバウンド』を起動した。後は一緒に遊ぶ仲間を探すだけ。
「うわあ・・・・・・」
我知らず呻き声を上げながら、流歌はゲームを始めた。チュートリアル画面を眺めているうち、半ば捨て鉢になりながら説明をスキップしていく。プレイヤーキャラクターがロボットに乗り込むと、自分まで戦場にやってきたかのように意気込んだ。ゲーミングマウスを握る手に力がこもる。
こうなったら、とことんやってやる。
*
後部座席でぴったりと肩を寄せ合いながら寝息を立てている流歌と千歳の二人をバックミラー越しに見て、誠は懐かしむように彼との過去を思い出していた。
あれから一年以上が経った。もう成人したとはいえ、流歌にもまだまだ青春を満喫するだけの権利があるはずだ。彼が失ったものを取り戻すには長い時間が必要だったろう。その道のりは今も続いているに違いないが、それが今日まで途切れることなく続いたのには理由がある。
「すみません。急に呼び出してしまって」
大きな身体を助手席で縮こまらせながら、優雨が申し訳なさそうに言った。
「いいんだよ。そんなの気にしなくて」
自分が「稲荷くん」と呼ぶ彼こそが、流歌に努力を惜しませなかったその道の立役者だった。この二人が出会った幸運を思うと、感謝の念を抱かずにはいられない。
「こちらこそ悪かったね。お嬢がここまで酔うなんて」
正直、予想もしていなかった。流歌が二十歳になってからというもの、彼に色々と試し飲みさせていたが酔っぱらう気配など微塵も見せなかったのだ。一体全体、今夜はどんな飲み方をしていたのか。
「その、『お嬢』って呼び方、」
「あれ、もしかしてバレちゃった?」
否定も肯定もしないが、まったく動じている様子もない。どうやら、彼は流歌の性別をはっきりと認識しているようだ。会った当初はもしやと思っていたのだが、流歌の方からちゃんと説明したのだろうか。
「むかーし、ごっこ遊びでお嬢様扱いしたことがあってな。それが定着した。あー、ハンネも『オジョ』にしてたっけか」
発端は子供の頃に付き合ってやった、恵麻とのおままごとだった。当時から彼女らはまるで姉妹のようだったが、それが大人になった今も変わらずとは。
「な、なるほど」
「家族ぐるみで娘みたいに扱ってたからな。今にして思うと、情操教育上よろしくなかったのかもしれんな。あれは」
流歌の性自認が男であることは疑いようもないのだが、一般的な性の垣根の意識に戸惑っている節はあった。彼自身、その境界が曖昧であったままに思春期を迎えたのが、過去にあった悲劇の引き金ともなったのだ。
「まあ、可愛いですし」
「だよな」
流歌の美貌とは、まったくもって魔性のそれだ。そのせいで周囲から腫れ物のように扱われることもしばしばあった。一過性のものだったとはいえ、当時まだ中学生だった彼に乳房ができたときは担任の先生が大騒ぎしたものだった。
「そんなことがあったんですか」
「嘘みたいだろ。その時にお世話になった医者先生が言うにはさ、ホルモンバランスが崩れやすいのかもって」
そのせいで情緒不安定な状態に陥ることもあったのだが、当時はまだ健在だった流歌の祖母に慰められて、問題に直面してもすぐに立ち直っていったものだ。
「悪く思わないでくれな」
「えっ」
優雨が思わずといった様子で聞き返した。話に脈絡を覚えなかったか、そもそも悪気に思っていなかったのか。そんな彼を微笑ましく思いながら、誠は続けた。
「お嬢の格好だよ。女だと思ったろ」
「ああ・・・・・・」
流石の優雨にも思うところがあったらしい。いくら可愛いからといって、成人男性が白昼堂々と女装を嗜んでいるとは。
「あれな、仕事の一環なんだよ。モデルの」
迎えの車を運転しながら、誠がちらと横目に彼の顔を覗き見る。すると、ぽかんと大口を開けている彼の表情が見えた。思わず口元を綻ばせると、誠は説明した。
「お嬢の姉ちゃん、恵麻っていうんだけどな。まあ、俺の嫁さんなんだけど。自前のブランドを持っててさ」
呉服屋の娘でありながら、流行の最先端に立ったのが彼女である。意外だったのは、彼女の両親もそれを後押ししたことだ。その甲斐あってか、花開いた恵麻の才能が一つのブランドを生み出した。
「お嬢はその広告塔ってわけ。姉の会社の製品を着て歩くのが仕事。ついでにそれを撮るのが俺の仕事」
「マジですか」
「マジなんだなこれが」
話しているうちに、優雨の口調も少しは砕けたものになってきた。そこで誠が悪友と秘密を共有したかのように笑ってみせる。
「これからもお嬢のこと、よろしく頼むぜ」
車の進行方向を見据えながら誠が言った。本人は意図していなかったのだが、その言葉は真剣な響きを伴っていた。
「承知しました」
見るまでもなく重々しく頷きながら答えたであろう優雨の声を聞くと、すっかり安心した誠が大笑した。
*
「さてと、後は小娘どもだな」
優雨を自宅そばまで送り届けると、誠は急に気が重くなったように言った。
「やっぱり自分も同行した方が、」
「いやいや、それには及ばないよ」
今は流歌の肩を枕にして眠っている千歳だが、門限を破って夜まで出歩いていたせいか自宅に戻ることをえらく躊躇していた。若い娘のいる家庭なら当然だろうが、このまま帰れば厳しいお叱りが待っているに違いない。誠は流歌の保護者として、彼の友人の為に弁明と謝罪をするのだという。
「またお嬢と遊んでやってくれ」
誠の言葉にしっかり頷いて応える。彼の運転する乗用車が見えなくなるまで目で追ってから、優雨は帰路についた。
駅で騒ぎを起こされたときはどうなることかと思ったが、流歌が誠を呼んだことで今度こそ無事に帰りつくことができた。波乱の一日はようやく終わりを迎えたが、夏休みはまだまだこれからだ。
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