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第27話
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さほど時間が経たない内に、グレアムさんは苦々しい顔で舞踏会の会場へと戻ってきた。
「すまない、取り逃がした。追いかけている途中で市街に入られて、そのまま姿を見失ってしまった」
「そうでしたか……グレアムさん、どうやら相手は変装魔法というのを使って外見を変えることができるようです。多分、その魔法で再び姿を変えるか、元の姿に戻るかして逃げたんじゃないでしょうか」
「変装魔法だと?」
舞踏会の会場の外で落ちあったおれとグレアムさんは、ひとまずは二人で建物の陰に隠れながら、お互いに得られた情報を交換し合うことにした。
なぜ建物の中ではなく、外でこんなことを話し合っているのかというと――先ほどの指輪盗難事件は、多くの人々が目撃していた。
彼らは「盗人が魔法で姿を変えてラグラン侯爵に近づいて眠り薬を仕込み、聖白銀の指輪を盗もうとした。それを間一髪のところでグレアム・バランが取り戻した」という顛末をばっちりと目撃している。
そんなセンセーショナルな事件に立ち会った舞踏会の人々は、今やかなりの興奮状態なのだ。
あの会場にグレアムさんが戻ったら、注目の的になるどころか、舞踏会の会場を大混乱に陥れること間違いなし。貴族社会のマナーなぞ関係なしのヒーローインタビューが始まるであろうことは想像に難くない。
そういうわけで、グレアムさんとおれは建物の陰に隠れてこっそりと話し合いをしているのだった。
なお、先ほど男から取り返した聖白銀の指輪は、司祭様にお渡ししておいた。
司祭様いわく
『聖白銀の指輪は私が責任をもってラグラン侯爵に返しておこう。もちろん、君たちの働きもラグラン侯爵には伝えておくから安心してくれたまえ』
とのこと。
なので、ありがたくその提案に乗っからせていただいたのである。
今日一日だけで、司祭様にはすごくお世話になりっぱなしだ。あらためて今度、お礼とご挨拶に伺わなくてはいけないだろう。なんなら、お礼にオイルマッサージをして差し上げてもいいかもしれない。
それはさておき――先ほどの金髪の青年についてだ。
「――と、司祭様はこういう風におっしゃってました。グレアムさんは、ルクサール伯爵とお知り合いだと聞いたのですが、なにかご存じですか?」
「…………」
「あの、グレアムさん……?」
おれが得た情報を伝えた後――グレアムさんは、目を見開いたまま固まってしまった。
とりわけ、ルクサール伯爵の名前が出た時の反応が顕著だった。その名前を出した瞬間に、グレアムさんの纏う空気がどす黒く淀んだものへと変わったのがありありと分かった。
しばらくしてグレアムさんは、獣が唸るような低い声でおれに告げた。
「――今すぐ行くぞ」
「えっ? どこへですか?」
「ルクサール伯爵家の屋敷だ、きっとあの盗人もそこに逃げ込んだに違いない」
「い、今からですか!?」
グレアムさんは何も答えないまま、さっさと歩き出してしまう。
おれは慌てて彼の後を小走りで追いかける。
「グレアムさん、もう夜になりますよ!? こんな時間にいきなりルクサール伯爵家に行っても、門前払いをされて終わりなんじゃないですか?」
「問題ない、奴とは知らぬ仲じゃないからな」
「それにしたって……今のおれたちは物的証拠は何も持っていません。ただ、おれが目撃した盗人の人相が、ルクサール伯爵のお抱えの魔法剣士の容姿とやらに瓜二つだったというだけです。向こうがしらを切ったらどうするつもりなんですか?」
「証拠なんていらない。君の力を使えばいいだろう」
ようやくグレアムさんは足を止めて、おれの方を振り返ってくれた。
しかし、投げつけられた言葉はぞっとするほど冷たい響きを帯びていた。
「グレアムさん……?」
「以前、君の力でやってほしいことがあると言っただろう。あの時の約束を果たしてもらうぞ」
ただならぬグレアムさんの様子に、思わずおれは言葉を失ってしまった。
彼が放つオーラには、その道の素人であるおれでも分かるくらいには殺気が入り混じっている。
ルクサール伯爵――それがどんな人物であるのか、おれはさっぱり分からない。
司祭様は「グレアム殿とは旧知の仲」だなんて仰っていたけれど……お二人が和やかな関係性でないのは火を見るよりも明らかだ。
「どうした、今さら怖気づいたのか? だが、約束は約束だ。それに君だって早くエルトンを助けに行きたいんじゃないのか?」
「それはもちろんです。神父様がルクサール伯爵の元にいるなら、おれだって今すぐ行きたいです。でも――」
「なら何を躊躇う必要がある? いいから黙って俺に従え」
おれを見下ろして、グレアムさんが苛ついた口調で吐き捨てる。
……やっぱりおかしい。
いつもなら、こんな風に居丈高な物言いをする人ではないのに。
「……すみません。今のグレアムさんにご協力することはできないです」
「なに!?」
グレアムさんがカッと目を見開く。彼はそのまま、腰に帯びていた剣を引き抜いた。そして、なんの躊躇いもなく切っ先をおれの首へと突きつける。
「どういうことだ!? 俺を裏切るつもりか?」
おれはかすかに首を横に振った。そして、彼の瞳をひたと見据える。
「違います、グレアムさんを裏切るつもりなんてありません」
「じゃあ、どういう――」
「だって……今のグレアムさんはいつものグレアムさんじゃないですよ。いつもだったら、おれが力を使うことにいい顔をしないじゃないですか……?」
「……っ、それは……」
今度はグレアムさんが鼻白んだように押し黙った。
おれは一歩を踏み出した。剣を突きつけられた首の皮膚に切っ先が食い込み、赤い血が滲みだす。グレアムさんが目を見開いて「おい!」と声を張り上げたが、それには構わず唇を開く。
「グレアムさんが望むならいつだって力を貸します。でも、それはあなたとの約束したからってわけじゃなくて……おれがグレアムさんを好きだから、そうしたいと思うんです!」
「……好き?」
「そうです!」
グレアムさんが空色の瞳をぱちぱちと瞬かせた。
そして、おれに突きつけていた剣の切っ先を下げる。なぜかその頬はわずかに赤く染まっていた。
「え……いや、その……い、いきなりそんなことを言われてもだな。俺にも心の準備というものが……」
……んん?
どうしたんだろう、いきなりグレアムさんの怒りがおさまったぞ。
今おれが言った、グレアムさんのことが人として好きだから助けになりたいという言葉が、彼の心を落ち着かせる一助になったということだろうか?
困惑するおれをよそに、グレアムさんはしどろもどろに独り言のような言葉を続けている。
「そ、それにだな、俺と君は男同士だし、年も離れているし……いや、君の気持が嬉しくないというわけではないんだ。だが、あまりにも突然すぎてまだ事態が呑み込めていなくてだな」
よく分からないが、グレアムさんが落ち着いてくれたなら今のうちだ!
おれは彼の目の前に近づくと、その右手をとって両手でぎゅうっと握りしめた。
「グレアムさん!」
「なっ、なんだ?」
「おれはグレアムさんからの頼みだったら、どんなことだって全力でお手伝いしたいと思っています。でも……今のグレアムさんは、らしくないです。いつものあなたなら、おれが力を濫用しすぎないようにちゃんと叱ってくれるじゃないですか?」
「……それは……」
「ルクサール伯爵は――グレアムさんにとってどういう人なんですか? その人との間に何があったんですか?」
グレアムさんはおれの言葉を噛みしめるようにして、しばらくの間、険しい表情で黙り込んだ。体感的にはとてつもなく長い時間に感じたが、実際にはそうではなかったかもしれない。
重苦しい沈黙の後、唇を開いたのはグレアムさんだった。おれの顔を正面から見返す彼は、しかし、先ほどまで纏っていた殺気交じりの空気はすっかりとなりを潜めていた。
「すまない。君の言う通り、いささか頭に血が上っていたようだ」
グレアムさんは右手を伸ばすと、おれの首筋にそっと指の腹でやさしく触れた。
「悪かったな……痛むか?」
「これくらい、ぜんぜん大丈夫ですよ」
グレアムさんが首筋から指を離すと、その皮膚には赤い血がわずかに付着していた。とはいえ、もうほとんど血は止まっているようだ。
グレアムさんはそのまま指の腹についた血をぺろりと舐めとる。唇からわずかに覗く赤い舌先が指の腹を舐める仕草に、今までになく視線が吸い寄せられてしまった。
というか、てっきり布か服で拭うのかと思っていたから、思いがけないグレアムさんの行動にびっくりだ。でも、心臓がどきどきしているのは驚きのためだけじゃない。
思わず自分の胸を服の上から抑えながら、おそるおそるグレアムさんへ声をかける。
「あ、あの、グレアムさん……? えっと、とりあえず、これからどうします?」
「……ああ、そうだな。先ほどの話は後にして、ルクサール伯爵の件に話を戻そう」
唇から指を話した時には、いつもの冷静沈着なグレアムさんがいた。
彼は平時と変わらぬ仏頂面のまま、さらに言葉を続ける。
「ただ、さっきも言った通り、今からルクサール伯爵の屋敷に向かうという考えは変わらない」
「…………」
「そんな顔をするな、もう頭は冷えたさ」
グレアムさんは苦笑いを浮かべながら肩をすくめた。
「何も殴りこみにいくわけじゃない。あの盗人がルクサール伯爵のところに出入りしていたのは間違いないのだから、事情聴取として奴を訪ねてエルトンの情報を集める。これなら君も文句はないだろう?」
「そうですね……でも、今からだとけっこう遅い時間になりますよ? こんな時間にお訪ねしても大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫だ。言っただろう? 俺と奴は古くからの知り合いでな、これくらいの時間なら別に問題はないさ」
……知り合いというわりには、グレアムさんの口調からはルクサール伯爵への親しみを一切感じさせない。
確かにグレアムさんは冷静になってくれたみたいだけれど……本当に、彼をこのままルクサール伯爵のお屋敷に行かせて大丈夫なんだろうか?
そんなおれの不安が顔に出ていたのだろう。
おれを安心させるように、グレアムさんがおれの肩に手を置いた。その掌から、じんわりと温もりが伝わってくる。
「安心してくれ、俺と奴のこともきちんと説明する。なにせ……君に王都で頼みたい仕事があるといったのは、もともとルクサール伯爵のことなんだからな」
そういえば、さっきグレアムさんが冷静さを失っていた時も、そんなことを言っていたっけ。
かつてグレアムさんに脅迫された時のことを思い出しながら尋ねる。
「じゃあつまり……グレアムさんはもともとルクサール伯爵に催眠を使ってほしくて、おれを王都に連れてくるつもりだったんですか?」
「ああ、そうだ。ルクサール伯爵――いや、リンド・ルクサール」
グレアムさんは吐き捨てるように告げた。
「――俺から誓約竜を奪い取った男だ」
「すまない、取り逃がした。追いかけている途中で市街に入られて、そのまま姿を見失ってしまった」
「そうでしたか……グレアムさん、どうやら相手は変装魔法というのを使って外見を変えることができるようです。多分、その魔法で再び姿を変えるか、元の姿に戻るかして逃げたんじゃないでしょうか」
「変装魔法だと?」
舞踏会の会場の外で落ちあったおれとグレアムさんは、ひとまずは二人で建物の陰に隠れながら、お互いに得られた情報を交換し合うことにした。
なぜ建物の中ではなく、外でこんなことを話し合っているのかというと――先ほどの指輪盗難事件は、多くの人々が目撃していた。
彼らは「盗人が魔法で姿を変えてラグラン侯爵に近づいて眠り薬を仕込み、聖白銀の指輪を盗もうとした。それを間一髪のところでグレアム・バランが取り戻した」という顛末をばっちりと目撃している。
そんなセンセーショナルな事件に立ち会った舞踏会の人々は、今やかなりの興奮状態なのだ。
あの会場にグレアムさんが戻ったら、注目の的になるどころか、舞踏会の会場を大混乱に陥れること間違いなし。貴族社会のマナーなぞ関係なしのヒーローインタビューが始まるであろうことは想像に難くない。
そういうわけで、グレアムさんとおれは建物の陰に隠れてこっそりと話し合いをしているのだった。
なお、先ほど男から取り返した聖白銀の指輪は、司祭様にお渡ししておいた。
司祭様いわく
『聖白銀の指輪は私が責任をもってラグラン侯爵に返しておこう。もちろん、君たちの働きもラグラン侯爵には伝えておくから安心してくれたまえ』
とのこと。
なので、ありがたくその提案に乗っからせていただいたのである。
今日一日だけで、司祭様にはすごくお世話になりっぱなしだ。あらためて今度、お礼とご挨拶に伺わなくてはいけないだろう。なんなら、お礼にオイルマッサージをして差し上げてもいいかもしれない。
それはさておき――先ほどの金髪の青年についてだ。
「――と、司祭様はこういう風におっしゃってました。グレアムさんは、ルクサール伯爵とお知り合いだと聞いたのですが、なにかご存じですか?」
「…………」
「あの、グレアムさん……?」
おれが得た情報を伝えた後――グレアムさんは、目を見開いたまま固まってしまった。
とりわけ、ルクサール伯爵の名前が出た時の反応が顕著だった。その名前を出した瞬間に、グレアムさんの纏う空気がどす黒く淀んだものへと変わったのがありありと分かった。
しばらくしてグレアムさんは、獣が唸るような低い声でおれに告げた。
「――今すぐ行くぞ」
「えっ? どこへですか?」
「ルクサール伯爵家の屋敷だ、きっとあの盗人もそこに逃げ込んだに違いない」
「い、今からですか!?」
グレアムさんは何も答えないまま、さっさと歩き出してしまう。
おれは慌てて彼の後を小走りで追いかける。
「グレアムさん、もう夜になりますよ!? こんな時間にいきなりルクサール伯爵家に行っても、門前払いをされて終わりなんじゃないですか?」
「問題ない、奴とは知らぬ仲じゃないからな」
「それにしたって……今のおれたちは物的証拠は何も持っていません。ただ、おれが目撃した盗人の人相が、ルクサール伯爵のお抱えの魔法剣士の容姿とやらに瓜二つだったというだけです。向こうがしらを切ったらどうするつもりなんですか?」
「証拠なんていらない。君の力を使えばいいだろう」
ようやくグレアムさんは足を止めて、おれの方を振り返ってくれた。
しかし、投げつけられた言葉はぞっとするほど冷たい響きを帯びていた。
「グレアムさん……?」
「以前、君の力でやってほしいことがあると言っただろう。あの時の約束を果たしてもらうぞ」
ただならぬグレアムさんの様子に、思わずおれは言葉を失ってしまった。
彼が放つオーラには、その道の素人であるおれでも分かるくらいには殺気が入り混じっている。
ルクサール伯爵――それがどんな人物であるのか、おれはさっぱり分からない。
司祭様は「グレアム殿とは旧知の仲」だなんて仰っていたけれど……お二人が和やかな関係性でないのは火を見るよりも明らかだ。
「どうした、今さら怖気づいたのか? だが、約束は約束だ。それに君だって早くエルトンを助けに行きたいんじゃないのか?」
「それはもちろんです。神父様がルクサール伯爵の元にいるなら、おれだって今すぐ行きたいです。でも――」
「なら何を躊躇う必要がある? いいから黙って俺に従え」
おれを見下ろして、グレアムさんが苛ついた口調で吐き捨てる。
……やっぱりおかしい。
いつもなら、こんな風に居丈高な物言いをする人ではないのに。
「……すみません。今のグレアムさんにご協力することはできないです」
「なに!?」
グレアムさんがカッと目を見開く。彼はそのまま、腰に帯びていた剣を引き抜いた。そして、なんの躊躇いもなく切っ先をおれの首へと突きつける。
「どういうことだ!? 俺を裏切るつもりか?」
おれはかすかに首を横に振った。そして、彼の瞳をひたと見据える。
「違います、グレアムさんを裏切るつもりなんてありません」
「じゃあ、どういう――」
「だって……今のグレアムさんはいつものグレアムさんじゃないですよ。いつもだったら、おれが力を使うことにいい顔をしないじゃないですか……?」
「……っ、それは……」
今度はグレアムさんが鼻白んだように押し黙った。
おれは一歩を踏み出した。剣を突きつけられた首の皮膚に切っ先が食い込み、赤い血が滲みだす。グレアムさんが目を見開いて「おい!」と声を張り上げたが、それには構わず唇を開く。
「グレアムさんが望むならいつだって力を貸します。でも、それはあなたとの約束したからってわけじゃなくて……おれがグレアムさんを好きだから、そうしたいと思うんです!」
「……好き?」
「そうです!」
グレアムさんが空色の瞳をぱちぱちと瞬かせた。
そして、おれに突きつけていた剣の切っ先を下げる。なぜかその頬はわずかに赤く染まっていた。
「え……いや、その……い、いきなりそんなことを言われてもだな。俺にも心の準備というものが……」
……んん?
どうしたんだろう、いきなりグレアムさんの怒りがおさまったぞ。
今おれが言った、グレアムさんのことが人として好きだから助けになりたいという言葉が、彼の心を落ち着かせる一助になったということだろうか?
困惑するおれをよそに、グレアムさんはしどろもどろに独り言のような言葉を続けている。
「そ、それにだな、俺と君は男同士だし、年も離れているし……いや、君の気持が嬉しくないというわけではないんだ。だが、あまりにも突然すぎてまだ事態が呑み込めていなくてだな」
よく分からないが、グレアムさんが落ち着いてくれたなら今のうちだ!
おれは彼の目の前に近づくと、その右手をとって両手でぎゅうっと握りしめた。
「グレアムさん!」
「なっ、なんだ?」
「おれはグレアムさんからの頼みだったら、どんなことだって全力でお手伝いしたいと思っています。でも……今のグレアムさんは、らしくないです。いつものあなたなら、おれが力を濫用しすぎないようにちゃんと叱ってくれるじゃないですか?」
「……それは……」
「ルクサール伯爵は――グレアムさんにとってどういう人なんですか? その人との間に何があったんですか?」
グレアムさんはおれの言葉を噛みしめるようにして、しばらくの間、険しい表情で黙り込んだ。体感的にはとてつもなく長い時間に感じたが、実際にはそうではなかったかもしれない。
重苦しい沈黙の後、唇を開いたのはグレアムさんだった。おれの顔を正面から見返す彼は、しかし、先ほどまで纏っていた殺気交じりの空気はすっかりとなりを潜めていた。
「すまない。君の言う通り、いささか頭に血が上っていたようだ」
グレアムさんは右手を伸ばすと、おれの首筋にそっと指の腹でやさしく触れた。
「悪かったな……痛むか?」
「これくらい、ぜんぜん大丈夫ですよ」
グレアムさんが首筋から指を離すと、その皮膚には赤い血がわずかに付着していた。とはいえ、もうほとんど血は止まっているようだ。
グレアムさんはそのまま指の腹についた血をぺろりと舐めとる。唇からわずかに覗く赤い舌先が指の腹を舐める仕草に、今までになく視線が吸い寄せられてしまった。
というか、てっきり布か服で拭うのかと思っていたから、思いがけないグレアムさんの行動にびっくりだ。でも、心臓がどきどきしているのは驚きのためだけじゃない。
思わず自分の胸を服の上から抑えながら、おそるおそるグレアムさんへ声をかける。
「あ、あの、グレアムさん……? えっと、とりあえず、これからどうします?」
「……ああ、そうだな。先ほどの話は後にして、ルクサール伯爵の件に話を戻そう」
唇から指を話した時には、いつもの冷静沈着なグレアムさんがいた。
彼は平時と変わらぬ仏頂面のまま、さらに言葉を続ける。
「ただ、さっきも言った通り、今からルクサール伯爵の屋敷に向かうという考えは変わらない」
「…………」
「そんな顔をするな、もう頭は冷えたさ」
グレアムさんは苦笑いを浮かべながら肩をすくめた。
「何も殴りこみにいくわけじゃない。あの盗人がルクサール伯爵のところに出入りしていたのは間違いないのだから、事情聴取として奴を訪ねてエルトンの情報を集める。これなら君も文句はないだろう?」
「そうですね……でも、今からだとけっこう遅い時間になりますよ? こんな時間にお訪ねしても大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫だ。言っただろう? 俺と奴は古くからの知り合いでな、これくらいの時間なら別に問題はないさ」
……知り合いというわりには、グレアムさんの口調からはルクサール伯爵への親しみを一切感じさせない。
確かにグレアムさんは冷静になってくれたみたいだけれど……本当に、彼をこのままルクサール伯爵のお屋敷に行かせて大丈夫なんだろうか?
そんなおれの不安が顔に出ていたのだろう。
おれを安心させるように、グレアムさんがおれの肩に手を置いた。その掌から、じんわりと温もりが伝わってくる。
「安心してくれ、俺と奴のこともきちんと説明する。なにせ……君に王都で頼みたい仕事があるといったのは、もともとルクサール伯爵のことなんだからな」
そういえば、さっきグレアムさんが冷静さを失っていた時も、そんなことを言っていたっけ。
かつてグレアムさんに脅迫された時のことを思い出しながら尋ねる。
「じゃあつまり……グレアムさんはもともとルクサール伯爵に催眠を使ってほしくて、おれを王都に連れてくるつもりだったんですか?」
「ああ、そうだ。ルクサール伯爵――いや、リンド・ルクサール」
グレアムさんは吐き捨てるように告げた。
「――俺から誓約竜を奪い取った男だ」
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