異世界勘違い日和

秋山龍央

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第28話

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「――勝ってしまったではないか!」

カイゼル獣王が唾と共に飛ばした怒声に、謁見室に膝をついて並んだ役人たちは皆、恐怖に顔をひきつらせ首をすくめた。
その並んだ役人たちの中の先頭で膝をついている、痩せぎすの豹族の役人は顔から血の気がすっかり引いており、もはや唇さえも青ざめている。小刻みに震える身体は、今にも卒倒しそうなほどであった。

「……よもや、まさかレッドドラゴンを討伐せしめるとは……!」

誰も返答をせず、獣王宮にはしんとした沈黙だけが立ち込めている。
その静けさに身を浸すように、カイゼル獣王は怒りをなんとか心の奥底に押し込めて、どさりと朱塗りの玉座へと腰を下ろした。
いくばくか冷静になることができたおかげか、ふと、居並ぶ役人たちの中に見慣れた男の姿がないことに気がついた。前回、帝国の新型オートマタへの策を提案してきた、灰色の体毛を持つ狼族の男である。

「……あれは今日は宮登りしておらぬのか?」
「はッ……そ、その。狼族の彼は……今回の作戦の結果を自宅で聞いた直後に倒れてしまったそうでございまして……今は自宅療養中とのことでございます……」

その報告に、再びカイゼル獣王の頭の中でブチリと音を立てて切れた。

「このッ……!」

馬鹿者共が、と怒声を投げつける一歩手前で――どうにかカイゼル獣王は持ち前の自制心で自分を律することに成功した。
だが、それでも怒りは収まらず、ふーふーと鼻息を荒く、顔を真っ赤にしてどうにか罵声を飲み込む。
その様子に、居並ぶ役人たちは再び身をすくませた。
どうにか言葉を発することが出来たのは、たった一人。
眼鏡をかけた豹族の痩せぎすの役人である先ほどの男である。彼は恐る恐るといった様子で、甲高い声をさらに上ずらせて発言をした。

「し、しかしカイゼル獣王……その恐れながら申し上げます。この度の作戦、あながち失敗というわけでもございますまい」
「……何だと?」
「元々、レッドドラゴンを帝国の新型オートマタにぶつけるのは……我々の損耗なしに帝国の新型オートマタの力を計るためでありました。であれば、本来の目的は達成できたと言えましょう」
「……ふむ」
「結果として、狼族の彼の案を採用したことは正解でありました。こちらの被害なしで、帝国の最新オートマタの力量を知ることが出来たわけですから」

 聞きようによっては、眼鏡の豹族の役人の言葉は、狼族の役人をかばうようであった。これは恐らくは彼の一族の立場を案じてのことであろう。
 今回の作戦の結果が「失敗」であったとカイゼル獣王が判断をすれば――灰色の狼族の彼の役人としての立場は危うくなるどころか、血縁の狼族すべてが取り潰しとなる可能性もあるのだ。狼族の彼やその家族は極刑となるほどの可能性もある。狼族の彼が自宅で卒倒したというのも、それが理由であった。
 見れば、居並ぶ役人の中には、血縁者であろう狼族の者たちが2、3名ほどちらほらといるようであった。狼族特有の耳と尻尾の形での判断でもあったが、その顔色が他の者たちよりもひときわ真っ青になっている。

「……であるな。今回の作戦においてあやつや一族への刑罰を求めることはせん」

カイゼル獣王がそう言葉を呟くと、謁見室にようやく安堵した空気が流れた。
先頭で膝をつく眼鏡の豹族の役人も、ほっと息をついている。

「――だが、あやつ自身には今回の作戦立案の責任がある。それとしてこれより一年間、奉禄から二割を差し引くものとする。異論はあるか?」
「ございません」

カイゼル獣王の発言に否を唱える者はいなかった。カイゼル獣王の決定を否定することなど余程のことをおいて他にはないことであるが、今回はその決定が妥当なところであると皆が感じていた。

「……となると。最初に話が戻ることになるわけだな」

だが、弛緩した空気は再びぴんと張り詰めることになった。
それもそのはず――今回の作戦が決行されたのは、そもそも「帝国が秘密裏に新型オートマタを開発したというのは現実的ではない」という判断を皆が下したからである。
その考えには、この獣王宮に集まった皆自身が同意したことなのだ。
なのに――結果はこれだ。

……今回の作戦はまず、獣王国が水面下で小国郡にあるモルスト国と取引を行い、モルスト国が帝国へ指名依頼を出すことによって始まった。
その後、獣王国は『迷いの大森林』に入り、休眠期の前のために食いだめをしているレッドドラゴンを探す。
そして森の浅部に住むギガント・タランチュラたちに、レッドドラゴンが好む匂いづけをした果物を渡し、後は獣王国の戦闘騎士部隊がレッドドラゴンを誘導して森の浅部に来るように仕向け……その後は、ギガント・タランチュラの巣から発する匂いに引き寄せられたレッドドラゴンが、帝国の戦闘騎士部隊にかち合い、匂いの移った帝国戦闘騎士部隊を襲撃する……そういった手はずであったのだ。

「……よもや、レッドドラゴンに対してオートマタ一機とマニュアル部隊の援護だけて勝利するとはな……」」

自分の言葉に対して、ふと、前方に膝をついている男が肩をびくりと震わせたのが見えた。
男は役人ではなく、諜報機関の者であった。常ならば諜報機関の者をこの謁見の場に登らせることはないのだが、今回はレッドドラゴン戦を監視させていた者を特別に登らせていたのであった。

「その者、一体どうした?」

カイゼル獣王が話を振ると、諜報機関の男は驚いたように目を見張った。
言葉を発していいものかどうか迷っていたが、謁見の場中の視線が自分に注がれていることに気が付き、ようやくその唇を開く。

「その、帝国の新型オートマタとレッドドラゴンの戦いなのですが……。帝国が国際諸国へと交付した正式発表では、ギガント・タランチュラの討伐に向かった戦闘騎士部隊がレッドドラゴンと遭遇しこれを討伐したという内容でございました」
「ふむ、そうであるな」
「……皆様も揃っておりますので、今、ご報告させて頂きます。帝国のレッドドラゴン戦でございますが……確かに記録上では帝国のオートマタとマニュアル部隊での討伐に成功となっておりますが、それは正確な所ではございません。実質的に戦ったのはオートマタ一機のみでございます。他のマニュアル部隊は一機を除いて皆、大森林の外へ避難しておりました。また、残った一機についても、攻撃は一切行っておりません。武器を使用したのは新型オートマタのみでございました」

その報告に――謁見の場にいる者全てが目を見張った。

「しかも、我々の機関の者が見たところ――帝国の新型オートマタに一切の損耗はございません。たったの一射でございました。太陽の輝きよりも鮮やかな閃光を、長大で奇怪な格好の銃器から打ち出したかと思うと、それでレッドドラゴンの首から頭を瞬時に焼き切ったのでございます」

 嘘をつけ、と言えたのならば、どれほど幸せなことだっただろうか。
だが、それは出来なかった。
 そう報告をする諜報機関の男の額からは滝のような汗が流れ落ち、顔は蒼白であったからである。その様を見て、諜報機関の男の言葉が虚偽であると嗤える者は誰もいなかったのだった。それは無論、カイゼル獣王も同様である。

カイゼル獣王は、思わず額を片手で覆い、顔を俯かせる。
なぜだ。一体、どうして。
疑問は尽きない。なのに、その答えも、答えの糸口すらもまったく見えない。

「……いったい帝国は……いつ、どこであのような機体を開発したのだ? 帝国だけであのような機体が開発できるとは思えぬ」
「そもそも、帝国の思惑は一体何なのでしょうか? 今回の正式発表にしても、なぜそこまでの成果を上げてなお新型オートマタのことを大々的に発表しないのでしょうか? わざわざ『戦闘騎士部隊がレッドドラゴンを討伐』したという内容にしたのは何故……?」
「そこまで高性能の新型オートマタを開発してなお、それを誇示しない理由がまったく不明だ」
「ホワイト・リリィとの戦闘で、新型オートマタの存在が判明していることは、帝国にも分かっているはず。この状況でもまだひた隠しにしようとする理由がまったく分からん……」

役人たちにも困惑の色ばかりが顔に浮かぶ。
今回はここにはいないが、灰色の狼族の言っていた話だって的は射ているのだ。それほどの新型オートマタを開発しようと思えば、長期間に渡って税収率が上がっていたはず。だが、帝国にその様子は一切なかった。

「カイゼル獣王……もしかすると、我々は思い違いをしていたのやもしれません」
「なに?」
「我々は、帝国の税収率や物価の流通変動がなかった点を見て、帝国での新型オートマタ開発はあり得ないと結論づけていました。ですが、例えばあれが他国との共同開発だったとしたらどうでしょうか?」

眼鏡の豹族の役人の言葉に、まさか、と一同が固まった。

他国との共同開発とは言っても、帝国以外にオートマタを開発と維持できる国力があるのは、たった三国しかない。そして、その内の一国は獣王国であるのだから、必然と相手はたった一国だけに限られる。

「ま、まさか――精霊国が、帝国と手を結んだというのか!?」
「馬鹿な! 精霊国はエルフ族とドワーフ族が住む、一部をのぞいて鎖国状態の国だぞ!?」
「帝国は……過去に精霊国に特別留学者として戦闘騎士研究者が招かれたという実績がございます。ならば、その時の繋がりを元にして、秘密裏に精霊国と条約を結んだのかもしれません」
「条約、だと?」
「たとえば……この獣王国をせめ滅ぼした暁には、この獣王国の領土の半分を精霊国に譲り渡す、という密約を結んだとしたら、いかがでしょうか?」
「せっ、精霊国と帝国が手を組み、我らの敵に回ったというのか!?」

静まりかえっていた謁見の場は、一気に騒然とした。
そんなことはあり得ない。あり得るはずがない。あのエルフ族がよもや獣族を差し置いてニンゲンなどと手を結ぶなどと。

だが――その可能性を否定しきれる材料は、誰も持ち得ていなかった。
それどころか、それ以外の可能性を誰も提示することはできなかった。むしろ、心の中で自分の冷静な部分がそれこそが真実なのだと、現実を見つめなければいけないと訴えかけてくるようでもあった。

「…………」

騒然としきっていた場は、次第に、どんどんと口を閉じていく者のほうが多くなり、最後には再びしんとした沈黙が満ちていた。
どれほどの時間、獣王宮は静まり返っていたであろうか。
その静けさを打ち破ったのは、カイゼル獣王の厳かな声であった。だが、その表情は苦々しさに満たされ、無念さを抑えるように歯噛みをしている。
それでもなお、カイゼル獣王は苦虫を噛み潰すようにして、どうにか言葉を紡いだ。

「……帝国に早急に使者を送るのだ。一刻も早く、まだ帝国と獣王国の立場が対等な内に和平の申し入れを行う必要がある」
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