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第三十四話

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「今日は楽しかったです、リオくん。良ければまたお話させてください」

「おれもとても楽しかったです。また妖精鳥で連絡させてもらいますね。ただ、あの、見ての通りおれの妖精鳥はすごく派手なので……せめて、なるべく昼間に飛ばすようにします……」

 口ごもりながらそう言うと、サクラさんは口元に手を当てておかしそうに笑った。

「ふふっ、大丈夫ですよ。それより、リオくんの鳥さんに余分に往復してもらうことになってすみません。僕も妖精鳥が欲しいとは思っているんですが……」

 その言葉通り、サクラさんは妖精鳥を持っていない。そのため、今日の待ち合わせはおれの妖精鳥を何度か往復させて、手紙をやり取りすることとなった。

 サクラさんが妖精鳥を持っていない理由は、あえて尋ねることもないので聞いていないが、おそらくは金銭的な理由からだろう。妖精鳥は高価な魔術道具だから、中流階級の家が一羽から二羽を所有している程度で、本来はおれやレックスのように一人で一羽を所有している方が珍しいのだ。

 それに個人で買わずとも、必要な時は郵便局へ行けば、郵便局の妖精鳥で手紙を出すことが出来る。なので、サクラさんのような一人暮らしの男性は、無理に妖精鳥を揃える必要もないのだ。

「おれは別にかまいませんよ。それに、こいつもたくさん飛べる方が嬉しいみたいですから」

「ふふ、ありがとうございます」

 そうして、なごやかな空気でおれとサクラさんは別れた。彼と別れたおれは、歩いて学院の学生寮へと向かった。今回は学院に近いレストランで待ち合わせをしたので、馬車を呼ばずとも歩いてすぐに帰れる距離だ。

 サクラさんはおれよりも年上の男性だが、まとっている空気がすごく柔らかいためか、お世辞抜きにとても楽しく過ごせた。それに、最近の<アピシウス>の状況を教えてもらえたのも助かった。今回の件で店に迷惑がかかっていないか心配だったのだが、今のところはそういったことがないようで何よりだ。

 そんなことを考えて歩いていると、すぐに学院へと到着した。
 正門にいる守衛さんに学生証を見せて中へ入ると、まっすぐに学生寮へと向かう。あまりぐずぐずしていると、魔法薬学科の学生たちに見つかりかねない。そうなったら、また囲まれて面倒なことになる。

 なるべく学生がたむろしていそうな場所は避けて、こっそりと自分の部屋へと向かう。しかし、その途中で、おれははっと息を呑んで足を止めた。寮の玄関に入る直前、中庭へ続く小道の方向に、見慣れた後ろ姿を見かけたからだ。

 少しおさまりの悪い銀色の髪と、長い手足の学生服の男子――間違いない、あれはレックスだ。

 声をかけようかどうしようか迷ったものの、おれは勇気を出して、彼に近づいていった。小走りに駆け寄って「レックス」と名前を呼ぶ。

 すぐに彼は気がついて、ぱっとこちらを振り返った。だが、おれの顔を見ると、いささか気まずそうな表情を浮かべる。

「あ、先輩……どっか行ってたんだ? こんな時間にここにいるなんて、珍しいじゃん」

「ああ、サクラさんに会いに行ってたんだ。ほら、お前も知ってるだろう? この前の〈アピシウス〉の受付をしてた彼だよ」

「ふーん、そうなんだ」

 しかし、彼との会話はそこでぱたりと止まってしまった。
 おれとしても、初めから目的があって声をかけたわけじゃない。レックスを見かけたから、少し話でもしようかと思ったのだ。でも、こうして対面すると、何を言えばいいのか分からなくなってしまい、言葉がちっとも出てこない。

 あれ、おかしいな。いつもどうしてたっけ?

 ……あ、そうか。いつもはおれが黙っていても、こいつのほうがべらべらと休みなしに話しかけてくるから、そこまで話題に困らなかったのか。
 ど、どうしよう。こういう時、なんて話し始めたらいいんだ?

 ……新聞記事が出てからここ三日間、おれのところに会いにこないのはなんでなんだとか、そんなに忙しかったのかとか、聞いてみるか? い、いや、待て待て。それじゃあレックスを責めてるみたいだ。彼だって忙しい身なんだし、おれにばかりかまけてはいられないだろ。
 えっと、他の話題、他の話題……!

「え、えっと、その……レックス。お前の方は大丈夫か? うちの学科の生徒たちから、おれについていろいろ聞かれたりしてないか?」

「まあ、多少はな。でも、俺はそういうの慣れてるし、適当にかわせるからぜんぜんへーき。先輩こそ大丈夫?」

「あ、ああ。おれは大丈夫だ」

「なら良かった。ま、困ったことがあったら言ってよ」

 ようやく笑顔を見せてくれたレックスに、おれは内心でものすごくほっとした。
 だが、なんというか……笑顔ではあるものの、まとっている雰囲気にいつもの軽妙さや親しみやすさがないように感じる。
 なんだろう。すごく、胸がざわざわする。

「あの、レックス……」

「あー、ごめん、先輩。俺、友達とちょっと約束しててさ。悪いけど、そろそろ行かねぇと」

 こちらの言葉を遮って、レックスは一歩下がって距離をあけた。
 すまなさそうな表情を浮かべているが、それでも分かった。彼のまとう雰囲気は「この場から早く移動したい」とありありと語っていた。

「あ――そ、そうだったのか。悪かったな、呼び止めて」

「いや、全然大丈夫。ごめんな、また今度こっちから会いに行くからさ」

 そうしてレックスはおれに頭を下げてから、足早に小道の先へ向かっていった。
 おれはしばしの間、そこに呆然と立ちすくんでいた。しばらくすると、彼が駆けていった方向から楽しそうな声が響いてきた。多分、レックスが友人と合流したのだろう。

「……戻るか」

 足を引きずるようにして部屋へと向かう。
 先ほどまで充足感にあふれていた胸の内は、今や締め付けられるような苦しさばかりが満ちていた。溜め息を吐いても、この胸のつかえは全然とれそうにない。

 やっぱりだ、間違いない。
 この前からずっと、レックスとの間に壁が聳えているように感じていたのは、錯覚ではなかったらしい。

 具体的に言えば――おれはレックスから避けられているのだ。

「…………」

 鋭い胸の痛みに、思わず服の上からぎゅうっと心臓を抑える。だが、そうしたところで、痛みはちっとも収まらなかった。

「……レックスの様子が変わったのは、両親が王都に来た日からだったよな……」

 思い返すに、レックスの態度が変わったのはあの日からだった。

 だが、それでも原因がさっぱり分からない。おれが語った過去の話に対して、不快感を覚えたのか?
 確かに、発情状態になったアルファの女の子に怪我をさせられた、なんていう話は、同じアルファであるレックスからしたら面白いものではなかったかもしれない。

 でも、おれはあの女の子を恨んだりなんかしていない。あの出来事は不幸な事故だ。誰かが責任を問われて糾弾されるようなものではない。レックスにも、それをきちんと伝えたつもりだが……それでも、おれの話し方にまずいところがあったのだろうか。

 いや、それとも――

「単純に、おれのことが好きではなくなったから――とか?」

 ……正直、それが一番あり得る。

 レックスから好きだと告白されたけれど、でも、おれはその返事を保留にした。だからおれとレックスは正式に付き合っているわけではない。それに、あの時は待つと言ってくれたけれど、内心では返事を濁されたことを不快に思っていたのかもしれない。

 そう考えると、だんだんと今までのあれやこれやが蘇り、不安な気持ちが膨れ上がってくる。

「おれは今まで、レックスの善意に甘えすぎていたのかもしれない……」

 思えば、レックスはせっかく学院交流会の代表生徒に選ばれたのに、おれのせいで途中で退席するはめになってしまった。その挙げ句、当のおれは告白の返事を保留にする始末だ。
 しかもその上で、ルーカスとの婚約破棄をするため彼の妖精鳥を借りて――そして、いまだに返せていないという事実。

 い、いや、でもそれは妖精鳥から映像が分離できなかったせいなんだ!
 ルーカスの発言を学院や交流会の管理委員会の皆さんに見てもらうためには、レックスの妖精鳥ごと提出しないといけなかったから……!

「……こう考えると、おれは彼に甘えすぎだな……レックスが愛想を尽かすのも分かる」

 がっくりと肩を落とす。なんというか……こうして思い返すと、おれは彼に甘えてばかりではないだろうか。そのくせ、先輩らしいことを何一つしてやれていない。

 ……そういえば、そもそもレックスはおれなんかのどこを好きになったのだろう。
 告白はされたけれど……彼がいつからおれのことを好きだったのかとか、どうして好きになってくれたのかとか、そんなことは教えてもらっていない。

 おれがあのミレイ嬢のようなうるわしい容姿や、サクラさんみたいに可憐な外見を持っていたのなら、一目惚れとかそういう話もありえただろうが……おれの容姿じゃ、それもないよなぁ。平々凡々というか、どう見てもモブの外見だしな。

 ただ……おれはレックスにうなじを噛まれた。聞いたところによると、番となった者同士の間には特別な愛情や信頼感が芽生えるというが……もしかすると、番の成立がうまくいっていなかったのだろうか。
 番については、前世でプレイしたゲームの知識と、この世界の文献や資料から読んだ知識の二つを持っているが、それでもまだおれの知らない何かがあるのかもしれない。一度うなじを噛むだけでは、番にはならなかった可能性もある。
 そういえば以前、レックスがもう一度うなじを噛ませてくれないかと、何度かねだってきたっけ……

「……レックスに言われた時に、噛んでもらっておけば良かったかな……」

 ぽつりと呟きながら、寮の自室へと入る。そして、扉を締めて鍵をかけた時だった。
 部屋の窓を、コンコンとなにかが叩く音がしたのだ。反射的に顔をそちらへ向けるも、窓にはカーテンがかかっており、音の主は見えない。
 持っていた荷物をおろしてから窓へ近づき、カーテンをあける。だが、視界に入ったものに、おれは思わず顔を引きつらせた。

 掌より小さい、明るい空色の小鳥。
 そう。おれの部屋の窓を叩いていたのは、ルーカスの妖精鳥だった。
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