転生先は猫でした。

秋山龍央

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変身

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それにしても、コリン君がおれの変身を見て、驚きのあまり叫びださなくて良かった。
もしも叫んでいたら、その時はまたすぐに猫の姿に戻るつもりだったけれどね。

「しー」

おれは人差し指を口元に当てて、静かにするように促す。
コリン君はまだ顔を真っ赤にして目を白黒させていたものの、今のこの誘拐されている状況を思い出してくれたようで、こくりと頷いた。

おれは古びたシーツの山の上に座るコリン君の隣に移動すると、自分もそこの隣にあぐらで座った。

「えーっと……もうおれの名前は知ってるよね? クロでーす」
「は、はい……ぼ、僕はコリン・ロットワンダです」

まだコリン君は混乱状態が収まらないようで、ぎくしゃくとしたロボットみたいな動きでおれに自己紹介をしてくれた。

「自己紹介しなくても、おれはずっとコリン君のこと知ってるぞ。っていうか、もしかして、まだ分かってないかな。おれ、さっきまでここにいた黒いフワフワの猫型モンスターなんだけど」
「そ、それは……まだ信じがたいですけど。でも、目の前で貴方に変わるのを見たので頭では分かっています」

ぎこちない様子で、おれの身体をじっと見つめてくるコリン君。
その視線が主におれの胸元や股間に注がれてるのを見て、ちょっとコリン君をからかいたくなった。

「コリン君のえっち」
「へっ!?」
「さっきからどこ見てるんだよー。なに、おにーさんの身体に興味津々?」
「す、すみません! いえ、その、クロさんのことそんな目で見てたわけじゃなくてですね、いや、クロさんは綺麗な人だと思いますがっ!」

燃え上がりそうなぐらいに顔を真っ赤にしたコリン君が、わたわたと手を振って姿おれから顔をそらす様子に、思わず笑いそうになるがなんとか堪える。

「ごめんごめん、ちょっとからかいすぎた。見苦しいものを見せて悪いね」
「い、いえ……クロさんはすらりとしていてすごく綺麗な身体ですし、見苦しいなんてことはありません」

そういえば、前にロディにもそんなことを言われたな。
余分な筋肉がついてなくて綺麗な身体……とかなんとか。おれとしては、男としては筋肉逞しい身体の方が憧れるし綺麗だと思うんだけど。ロディとか、ロディとか。

「それってなんか流行りなの? おれとしては、ロディみたいな筋肉質な身体の方がかっこいいと思うんだけど」
「ロディ……? ああ、ロデリックさんですね。そうですね……クロさんのような、その、モンスターの方々から見るとそういう価値観なのでしょうか? 僕らにとっては、筋骨隆々とした身体というのは、いわば農民や冒険者などの平民の身体つきなんです。商人や貴族ほど余分な筋肉がなく、スマートな身体つきになっていきますから中流階級以上の証であるというわけですね」
「階級……つまり、おれは人間で言うなら、中流階級以上に見えるってこと?」

コリン君は、おれの質問を『モンスターだから人間と価値観が違うのだろう』と解釈してくれたようだった。
そのため、むしろロディよりも気兼ねなく質問しやすくなったので、ここぞとばかりに聞いておく。

「ええ。だから僕らの認識では、余分な筋肉のない身体という方が美しいという価値観なんですよ。それで言えば、クロさんの身体はすらりとしていながらも、痩せ過ぎておらず、また適度に鍛えた身体つきですから。僕の感覚で言えば、美しい身体という部類に入りますね」
「へぇ、そうなんだ……」

なるほどー。異世界の価値観ならでは、という感じだな。

日本でも昔は、ぽっちゃりした女性ほど裕福な証であるから美しい、という価値観だったらしいしな。それと似通った感覚なんだろう。

「教えてくれてありがとう。でも、おれとしてはロディみたいな人間の方が格好いいと思うんだけどなー。価値観って色々だね」
「……先程から思っていましたが、ロデリックさんのことを愛称で呼ばれるんですね?」
「そうだぞ。ロディはおれのご主人様だからな」
「な、なるほど……そうでしたね。クロさんはロデリックさんの従魔、ですもんね」

そこでコリン君は、赤みが引きかけていた頬をなぜか再び赤くした。そして小さな声でぶつぶつと何事かをひとりごちるように呟く。
内容は断片的にしか聞き取れなかったが、「知性が高いとは思っていたけど、まさか完全な知性持ちの、しかも人間に変身可能なモンスターを従魔にしているなんて……一体どこでこんな希少種を。これはなんとしてもロデリックさんをうちの商会に囲いこんでおかないと」とか「それにしてもモンスターとはいえ、こんな綺麗な人にご主人様って呼ばせてるなんて……ロデリックさんって意外とやり手? でも、この前の女性の話ではそんな印象は受けなかったんだけど……いや、むしろその反動で?」などと言っていた。

……あっ。そういえばロディに、外ではペットとかご主人様って言うなよって言われてたんだった……。

ほ、ほら。今は緊急事態だし?
おれとロディの関係性を手っ取り早く示すには、ペットとご主人様っていうのが一番わかりやすいじゃん? ね?

「まぁ、おれとロディの馴れ初めとかはさておきさ。とりあえず、おれはロディの忠実な従魔で、人間に変身が可能ってことだけ理解してくれればこの場はオッケーだから」
「は、はい」
「ただ悪いんだけど、おれは人間に変身できるだけで戦闘能力はからっきしなんだ。だから、外の奴らと戦うことはできない」
「いえ……大丈夫です。これはロットワンダ商会の問題ですから。ロデリックさんの大事な従魔を戦わせようとは僕も思っていません」

コリン君はおれを一言も責めずに、逆にかすかに微笑んでおれに頷いてみせた。

……コリン君は、本当にいい子だなぁ。金目当てだかなんだか知らないが、こんな子どもを誘拐するなんて、本当にあの誘拐犯たちはくずの中のくずだ。つくづく、あの三途の川の事務員さんに『ささくれが永遠に止まらなくさせるスキル』とかを貰っておかなかったことが悔やまれるな……。

「まぁ、待てって。おれは戦うことはできないけどさ、コリン君をここから逃がすことは出来るんじゃないかと思ってるんだよ」
「逃げる……?」
「あそこの窓があるだろ? 木箱に乗ったおれを、さらにコリン君が踏み台にすれば行けるんじゃないか? コリン君ならなんとか通れるだろ」

コリン君はおれの指し示した窓を見て、それから口元に手を当てて考え込む。

「ですが……それだとクロさんを置いていくことになりますよね」
「おれ一匹ならなんとかなるでしょ。部屋の隅にでもこっそり隠れて、隙を見て逃げ出すよ」
「で、でも、あの外にも見張りがいないとは限りません。それに、冒険者ギルドから馬車でだいぶ遠く離れた所にきました。この部屋を運良く逃げ出せたとしても、ここがどこか分からないのに……」

コリン君はなかなか踏ん切りがつかないようだ。無理もないか。

「それに僕の身代金だって、そこまで非現実的な金額を提示してくることはないと思います。相手は僕の家のことをずいぶん調べ上げていたようですから。彼らの思惑通りになるのはしゃくですが、ここは大人しく身代金が支払われて取引が完了するのを待つのも手かと……」
「でも、多分あいつら、身代金が払われたらコリン君を殺すと思うんだけど。それでもいいの?」
「え?」
「え?」

コリン君がおれの言葉に硬直する。
おれもまた、そんなコリン君に対して首を傾げた。

「い……いや、でも……ぼ、僕を殺すメリットはありませんよね? だって、それならとっくに僕を殺しているはずです。ここで大人しく自由にさせている意味は……ないはずです」
「自由にはしてないだろ。だって、コリン君一人ならこの地下室で座りこんでることしかできないし」
「そ、それは、そうですけれど……でも、大人しくしていたら解放するって」

……人間の心理というのは不思議なもので、絶えず不安に苛まれる状況下に置かれた時、自分は大丈夫だ、ここなら大丈夫だと思い始める働きがあるらしい。精神の安寧を保つためにはそれも必要な作用なのだろうけれど、今は残念ながら、一刻を争う状況だ。

「コリン君。酷なことを言うけどさ、誘拐犯たちは確かに『五体満足で帰す』『大人しくしていれば解放する』って言ってたけど、でも、生きて帰すとは一言も言ってないんだよね」
「あ……」

おれの言葉に、あのウェーブ髪の男との会話を思い出したのだろう。コリン君は見る見る内に顔を青ざめさせた。

「それに、もしもコリン君を生きて帰すつもりがあるなら、自分たちの顔は明かさないようにしていたと思う。でも、あいつらは覆面もしてなかったし、コリン君に目隠しなんかもしなかっただろ?」
「っ……」
「下っ端は切り捨てる算段なのかとも思ったけれど、どうも、コリン君に声をかけてきた男がリーダー格みたいだし。だから……」
「……事が終われば僕を殺すつもりでいる、ってことですよね」

コリン君は顔をすっかり青ざめさせながらも、パニックにはならず、冷静さを保ったままでいてくれた。でも、やはり本当はすごく怖いのだろう。握りしめた拳が、小刻みに震えていた。

おれは手を伸ばして、コリン君の拳に触れた。
そして、包み込むようにして彼の手を握る。

「確かに、外がどうなっているかは分からない。でも、外からは女性っぽい声も聞こえたから、市街地ではなくても倉庫街のような場所なんだと思う。でも、それなら窓の外にまで見張りはいないはずだ」
「クロさん……」
「……それとも、おれのことは信じられないかな?」

コリン君は、いえ、と首を横に振った。

「クロさんの言うこと、信じます。それに、クロさんがここに一人で残るとまで言ってくれているのに、僕がここでうだうだとしているわけにはいきませんよね」

まだ顔からは血の気がないものの、それでもコリン君はなんとか笑顔を作ってそう言ってくれた。

「じゃあさっそくやろうぜ。あいつらがまた来ないとも限らないしな」
「あ、あの、その前に……!」
「うん?」
「な、何か羽織ってもらってもいいですかね……?」

善は急げと立ち上がったおれに対し、コリン君が顔をそむけ壁の方を見ながらそう言った。見れば、コリン君の耳や首は真っ赤だ。

……そうだった。おれ、全裸もといフルチンでしたね。

おれは足元にあったシーツの内一枚を手に取ると、適当な大きさにビリビリと裂いてから自分の腰に巻き付けた。うむ、表を歩けない格好なのに変わりはないが、これならなんぼかマシだろう。

「これでいいかな?」

コリン君に声をかけると、恐る恐るといった様子で彼がこちらに振り向く。そして、おれがシーツでできた腰蓑もどきをまとっている姿を見て、コリン君はホッとしたような顔になった。よかった、ひとまず及第点のようだ。

「そういえばさ、コリン君はなんでおれに敬語なの?」
「え? 何か問題でしたか……?」

おれは部屋の真ん中にいって、転がっている木箱を窓辺に運びながら、気になっていたことをコリン君に質問してみた。もちろん、外に漏れないように声はひそめている。

本来ならあまり会話自体しない方がいいかもしれないのだけれど、コリン君の顔色はまだよくないし、このまま無言でいるのも精神的によくないだろう。あまり肩に力が入りすぎているのは良くない。リラックスとまではいかなくとも、少しくらいはゆとりがあった方がいい。

「だって、今までは敬語じゃなかっただろ。それに、おれのことだってクロ君って読んでたのに」
「そ、それは貴方が小さい生き物だったから、こんな風に変身できるなんて知らなかったからです! 今の貴方に、クロ君、なんて言えるわけないじゃないですか……」
「そうなんだ? 残念だな。おれ、コリン君に『クロ君』って呼ばれるの、けっこう好きだったのになぁ」
「っ……!」

おれがそう言ってコリン君の顔を覗き込むと、彼は顔を再び真っ赤にして、ぱくぱくと口を開閉させた。
うーん、可愛い。コリン君は、ロディとはまた違った純粋さがある。

「は、早く出ましょう。こうしている間にも身代金の受け渡しが進んでいるかもしれませんから」

真っ赤になったコリン君は、おれから逃げるようにして距離をとると、履いていた靴を脱ごうとする。

「靴は脱がなくていいよ。外にこれから逃げるんだし」
「え……でも、靴でクロさんを、踏みつけることになってしまいますが」
「へーきへーき。おれ、頑丈だからさ」

おれはつとめて明るく笑ってみせながら、木箱を窓辺の下に持ってくると、試しに箱の上に乗ってみた。箱はおれが乗った瞬間、ぎしりと音を立てたが、まだ壊れるような様子は見せない。よし、これならいけそうだ。

「大丈夫そうだな……よし! コリン君、おれの背中の上によじ登れる?」

おれは木箱の上に乗ったまま、壁に手をつくと、頭を下げて前かがみの状態になる。

「……すみません、ちょっとこの体勢だと難しいですね。木箱がそんなに大きくないので……」
「じゃあやっぱり、初めは肩車の状態にしようか」

おれはいったん木箱から下りると、コリン君がのりやすいようにしゃがみこんだ。そして、おれの両肩にコリン君が足をかけて肩車の状態になる。

「よっと……うわっ」
「だ、大丈夫ですか?」

コリン君を肩車の状態にして立ち上がった瞬間、予想以上の重さにぐらりと足がふらついた。あわてて壁に手をつき、なんとかバランスを立て直す。

「んっ……大丈夫」

そのまま、壁に手をついた状態でおれはゆっくりと木箱の上に上がった。よし、まずは第一関門クリアだ。

「コリン君、窓に手とか届きそう?」
「ええ、なんとか……」

コリン君にそう尋ねた、その時だった。地下室の扉の向こうから、ガタンッ、と大きな物音が上がったのだ。

「……ッ!」

おれとコリン君は硬直して、思わず扉を見つめる。

しばらく扉を注視していたものの、幸い、扉の錠が回るようなことはなく、扉が開かれることはなかった。おれとコリン君はほうっと息をつく。

「よし、さっさと行っちゃおう」
「は、はいっ。それでは、失礼します」

コリン君とおれは先程よりも焦りを覚えつつ、迅速に行動に移った。おれは片手だけ壁に手をついた状態にして、もう一方の手でコリン君の足を支える。

なんとか、肩車の状態でも窓枠に手をかけることができたようだ。だが、身体を引き上げるにはまだ膂力が足りないようだった。

「っ……すみません、あともうちょっとなんですが……」
「コリン君、おれの手を思いっきり蹴っていいから。身体を引き上げられる?」
「……でも、それは……」
「いいから。今頃、リリちゃんだってコリン君が帰ってこなくてすごく心配してるだろうし、早く帰」
「はい! 速攻で帰ります!」
「あ、うん」

リリちゃんの名前を出した途端、コリン君はほとんど人が変わったように勢いづいた。
窓枠に手をかけた指先に力を込めると、おれの手のひらを足で思いっきり踏みしめることも厭わない。もっと早くリリちゃんの名前を出しておけばよかったかなと思ってしまった。

「じゃあ、せーので行こう」
「はい……せーのっ!」

コリン君は掛け声と同時に、おれの手と肩を足で蹴りつけるようにして身体を引き上げた。
勢い余って、コリン君のつま先がおれの額にがつりとぶつかり、ぱっと赤いものが散る。

「っ……!」

それでも、おれは顔を上げて上を見る――コリン君は、見事に窓枠に取り付くことに成功していた。
そして、腕の力で身体を引き上げ、窓の向こうへと消えていく。途中、腰がつっかえていたものの、身体をねじることでどうにか出ることに成功していた。

見えなくなる姿に、ホッと安堵の息をつく。

だが、あまり安心してもいられなかった。
おれの状況はコリン君とは反対だ。なにせ、コリン君が勢いよくおれを蹴りつけて窓に上がっていったのだ。その反動をもろに食らったおれは、身体がぐらりと傾いだ。

さらに悪いことに、どうやらそこで木箱の寿命が来たようで、おれの足元の板がバキィッと音を立てて見事に割れたのだ。

―――結果。ガッシャーンと大きな音を見事に立てて、したたかに床に身体を打ち付ける羽目になった。

「なんだ、何の音だ?」
「おい、何してるんだ小僧っ!」

そんな大きな音が立てば、誘拐犯たちも様子を見に来ないわけがない。
いや、おれとしては、別に見に来てくれなくても良かったし、部屋の外でまったりお茶でもしてくれてても良かったんだけどね。 

そして、扉の鍵を開くと、二人の男が勢いよく部屋の中に飛び込んできて――床で転んでいるおれと、ばっちりと目が合ったのだった。
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