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懐柔

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エレンディアが目覚めて数日後のことだった。

何かが割れた音と金切声が屋敷内に響いた、居室に籠って生活していたエレンディアの所にもそれは届いた。
「義母殿は朝から不機嫌全開ね、元気なことだわ」
生来の性格なのか義母ベラリアはとてもヒステリックな人だ、些細な事で怒り使用人を怒鳴りつけていた。耳障りな騒音にエレンディアは耳を塞ぎたくなる。



「癇癪持ちの夫人にやられたのね」
「……どうでもいでしょう」
世話に訪れて、ぎこちない動作をする侍女カルメの様子を見てエレンディアは鎌をかけた、やはりなにかされたようだ。彼女は侍女の袖口を捲り上げ、さらにはお仕着せの裾を持ち上げて太腿を確認する。ミミズ腫れの痛々しい痕と古傷による変色が何カ所も発見できた。

「な、なにをなさるんですか!」
傷痕をくまなく視認されてしまったカルメはあんまりだと涙ぐんで抗議の声を上げる。その食って掛かる気概があるならば夫人にも抵抗したら良いのにと部屋の主は肩を竦めた。

「貴女は貴族子女よね、ここまでされて辛抱するなんて行儀見習いのようには見えないけど爵位は?」
「それを聞いてどうするのですか、貧乏男爵家の話を聞いて優位に浸りたいので?」
彼女の質問が皮肉に聞こえたらしい侍女は不機嫌そうに返してきた。

「ねぇ、お金に困っているのなら私と契約しないこと?直接の雇用主である侯爵からの給金とは別に報酬を与えるわよ、働き次第では上乗せするわ」
「え……」
警戒の色を見せた侍女にエレンディアは「くふふ」と含み笑いをしてから金貨入りの革袋をテーブルに置いた。言葉ではなく形あるもので知らしめれば心が揺れるだろうと考えたのだ。彼女は侍女を買収にかかったのだ。
予想は的中して、侍女は食いついたのがわかる。テーブル中央に置かれた金に釘付けの様子を確認した彼女は満足げに頷く。

「別に忠誠を誓わせたいわけじゃないわ、監視が厳しいこの屋敷から自由に出られない私の手足となって情報を集めて欲しいの、たまには買い物などの雑務も頼むわ」
「それは侍女の仕事とほぼ同じですよ、私は間諜の真似事などできるとは……」
「いいのよ、プロのような仕事は期待してない、それほど難しいことを頼むわけではないわ。こちらに不都合な事は侯爵に告げ口をしない事、そして場合によっては嘘の報告を頼みたいのどうかしら?」
侍女は少しばかり考えてから「了承しました」と答えた。


一番身近にいるカルメが己の手駒となったなら好都合というものだ。今はまだ信頼など微塵もない主従関係だが何れは懐柔してやろうとエレンディアは微笑んだ。


***

早速カルメに侯爵家の内部事情を探らせた彼女はメモを潰して暖炉にくべた。
「ご苦労様、有益とはいかないけれど情報をありがとう。でもね今後はメモを取ってはいけないわ。誰かに読まれたら困るでしょ?なるべく記憶して口頭でのみ伝えて頂戴」
「……わかりました、ですが分厚い文書などや隠語など解読しきれない場合はどうします?」
「そうね、それは……あぁ!だったら私の目になってくれれば解決だわ」

エレンディアは良いものがあったと嬉々として装飾品のボックスを漁り、小粒の石がついたブローチを取り出した。黒い石がついたそれは華やかさは皆無な品である。
「これを常に身に着けて頂戴、もちろん仕事中だけでかまわない」
「これは一体?」
「うふ、私の目よ。私と同じ瞳の色そっくりの黒い目だわ」
「はあ?よくわかりませんが、これさえあればメモの必要がないのですね」
彼女が言いたい事をなんとなく理解したカルメは胸元にそれを付けて主に確認を求めた。

するとエレンディアはブローチの石に指を当てると呪文を唱えた、聞いたことのない複雑な言語に侍女は首を傾ぐ。聞き取ろうとしている侍女を見て主は「やめておきなさい」と笑う。
「私が唱える呪文は危険よ、精神を病んでも責任はとれないわ」
「ひっ!?」


その後、侍女の行動が手に取るように把握できたエレンディアは良い手駒に育ちそうだと満足に頷いた。
次々と瞼の奥へ届く映像の中に一応夫であるジャルドと愛人の姿が映った。
「なるほど……彼女がアマーダ・ハインドラね。見事な金髪美女……なるほど私とは容姿が真逆だわ」
夫の女の趣味を見た彼女はくつくつと笑う、男好きそうな豊満美女は絵に描いたようだと思ったのだ。
「セオリー通りの御趣味ですこと」

エレンディアは遠隔操作で視点を切り替え話し声を拾う機能を展開させた。魔力を多く使う技だが惜しむところではないと思った。

『……はどうなの?怒り狂ってこちらへ乱入しやしないか気が気ではないわ、とっても嫉妬深そうだもの』
妻の目を盗んで侯爵邸で茶会を開いているらしい彼らはベッタリと引っ付いていた。
『それはだいじょうぶさ、まるで人が変わったかのようなんだ』
『ふぅん。寝込んでいた間に豹変ねぇ……演技ということも捨てきれなくてよ』

会話から察するに妻エレンディアの話のようだ、面白いと思った彼女は話し声を最大限にして聞き耳を立てる。
『ねぇ……だったら建国祭の夜会は私を連れて行ってよ、奥様が遠慮深くなったのなら良いでしょ?猫を被っているのかもわかるわよ』
甘えるように夫にしな垂れかかるその女の瞳はギラギラで口元はニタリと弧を描いていた。決して本性は見せまいと巧みに体を捩ってジャルドに接している。
「失礼ね!猫を被っているのは貴女のほうでしょうに……」

「でも建国祭か、結婚後の社交界の変化を見るチャンスだわね」
記憶のすり合わせをしたいエレンディアはなんとしても参加しなければと考えた。

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