転生勇者はマルベリーと共に。

秋夜【あきよる】

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0章 プロローグ後編

「嚆矢」

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——暗い。

 まるで地面をすり抜けて、この空間の奥底まで永久に落ちていきそうだ。腰のあたりがふわっとするような、ずっとフリーフォールをし続けているようなこの気味の悪さは、自分の意識が生とは違う方向に連れ去られていく感覚と似ていた。

 ——俺は、あの後どうなったのだろうか?

 「勇者」? 「憎き 世界の反逆者」?

 あいつら、何のことを言ってたんだ......?

 俺は......死んだ......のか?

 暗闇にじんわり溶け込んでいってしまうような、朦朧とした意識の中で、あやふやな思考を重ねる。でも思考をしっかり行えるということは、まだ死んではいないらしい。そもそも、あれは「夢」だったのか?それにしては、あの感覚のリアルさと恐怖は——

 そう思い返していると、あの凄惨な記憶が鮮烈に呼び起こされる。

 19年間、ずっと暮らしてきたあの現実の世界とは違う、異様な世界。慣れ親しんだ自分の肉体を貫いた、あの刃の苦痛。畏怖。

 そして——

 必死に何かを訴え続けていた、あの儚い声の女性。

 初めて聞いた声だった。そのはずなのに、「どこかで聞いたことがある」と記憶を掘り起こす自分がいた。

 自分の全てを満たしてくれるような、愛しさ。安心感。胸の奥に鋭く突き刺さり、呼吸の仕方を忘れてしまうような悲嘆。そんな、正反対にも感ぜられる感情を、内部の一番深いところから激しく掘り起こされるような声だった。

 どこかで会ったことがあっただろうか? それとも、これから出会う......運命の人のようなものなのか?

 運命の人。その響きは青臭さというか、考えていてものすごく恥ずかしくなってしまう言葉だ。

 ——考えを巡らせている間にも、意識が、全身の末端にまで散り散りにばらけていくように空間と同化してゆく。

 くそ、あんまりじゃないか。
 
 訳の分からないまま変な世界に連れてこられて。

 ——勝手に世界の敵にされて。

 怒りや絶望よりも先に、自分に起きた非現実的な出来事に対する困惑が思考の大半を占領していた。そうする間にも、かろうじて形が保たれていた意識がゆっくりと消えてゆく。

 このまま永遠に、考えるという概念すらない場所に向かうのだろう。

 無になる......か。

 そう考えた瞬間、全身から力が抜け、体のあちこちから冷や汗が噴き出るような感覚が雪崩のように押し寄せる。

 
 ——死にたくない。


 ——怖い。


 



 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い—— 


 
 感じたこともないほどの焦燥、そして恐怖。

 抉るような圧迫感、押しつぶすような絶望。
 
 圧倒的なまでのその感情は、息の乱れと共に頭の中を支配した。
 
 暗闇の中で、必死に目の前にある「絶対的なモノ」から逃れようと足掻き続けるも、足掻く体がそもそもないらしく、その抵抗は届かない。これまで、自分の死など微塵も考えもしなかった19歳の青年は、初めてその残酷さと理不尽さを味わうこととなった。

 

 必死に繋ぎ止めていた意識がついに、この深い闇の世界に溶け込もうとその輪郭を薄める。

 その時だった。


 バチッッッ!!!!!!

 
 雷撃のような音と速度で、情報が一気に頭の中を埋め尽くした。

 フラッシュバックのように、あの凄惨な「夢」が鮮烈に甦ってくる。

 「なん......だ!?」
 

 そしてその莫大な情報量に、複雑に絡み合った誰かの感情が上乗せされて襲いかかってくる。

 まるで、世界全体の負の感情を一気に背負い込んでいるように。

 人間一人のものとは到底思えない憤怒や後悔、憎しみなどの負の感情。どんな劇薬よりも効き目のあるその「毒」は、ここに無いはずの肉体と今にもその形を留められなくなっている意識を同時に蝕んできているようだった。

 
 ——天使のお迎えにしては、随分手痛い歓迎だな。

 全身に止めどなく流れ込んでくる負の感情に意識が持っていかれそうになりながら、自嘲気味に呟いた。

 痛みと恐怖は、なぜだかもう感じなくなっている。確か死の直前は恐怖の感情を抑制しようと脳が必死にホルモンを分泌するらしいが、いよいよ死んでしまうらしい。

 結局あの「夢」の正体はわからなかったが、今にも自分を飲み込もうとする死は紛れもなく「現実」であった。
 
 そして蓮も、すぐ目の前に鎮座するこの避けられない事象を受け入れようとした。

 ——その覚悟は、闇の中で響き渡るある音によって一瞬揺らぐこととなった。

 

 「......また、会える」



 消えかけていた意識を、一つの声が閃光の如く貫いた。
 
 
 音も、そして光も存在しなかったこの暗闇に、突然はっきりと声が響き渡った。全身のあらゆる感覚が失われていく中で、気づくと何度も、何度もその声を咀嚼していた。
 
 声は、どこかで聞き覚えがあった。それがどこかを明確に説明することはできないが、ぼんやりと「聞いたことがある」という確信があった。

 不思議と驚きはなかった。

 なぜかその不可思議な現象が妙に懐かしく、まるで——

 
 その言葉の続きを紡ごうとしたところで、今まで確かに存在したはずの何かが、暗闇の奥底に飲み込まれていった。









—————————————————————————————————————



 ——6月1日、午前10時過ぎ。


 

 40型くらいの液晶テレビ、サラリーマンが使っていそうなガラスのテーブル、そして近年放送された異世界転生系のアニメポスターが無造作に並べられた壁。参考書などではなく漫画やラノベが丁寧に差し込まれた本棚。

 住み始めて1年近く経過しただろうか。もう引っ越した直後の新鮮な香りが懐かしさすら感じるほどに馴染み深くなった、6畳半のアパート。


 そこに、俺はいた。

 ベッドへ向かう前に力尽きたのか、灰色のカーペットの上で横になってしまっていたらしい。体のあちこちが、硬いものを長時間押し付けられたように鈍く痛む。下敷きになっていた箇所は赤く跡がついている。

 痛みがなるべく息を吹き返す前にゆっくり起き上がると、リビングの扉を開けてすぐの所にある洗面所に向かった。

 朝のルーティンとなっているのか、すでに意識しなくとも洗面所にたどり着くことができていた。

 ——鏡の前に立ち、19年間見続けて飽きすら感じる自分の顔をぼんやり眺める。寝起きでどこか抜けたようなその顔は、なぜかお化け屋敷を乗り切った後のようにやつれていた。

 「......なんとも、ブサイクだよなあ」

 「寝たのに疲れきった顔してるなんて、よほど寝足りないとみえる」

 「いやあ、それにしてもひっでぇ顔なこって」

 自分の顔に懸命にケチをつける彼は、客観的に見るとブサイクどころか、むしろ完璧なほどに整った顔立ちをしている。その眼は遺伝なのか、星空が散らばる夜空のように深い藍色を宿していた。

 ——昔は、近所のおばちゃんたちからモデルみたいと、日課のように煽てられてたっけな。

 しかし、今では髪を伸びるがままに放置し、藍色の眼も、跳ね返す光すら失っていた。

 ハイライトがない、とはこういう目を指すのだろう。

 そんな他愛もない昔の記憶を少し呼び起こした後で、もう一度冴えないツラを拝んでやろうと、鏡を見つめた。

 ふと、その藍色に鈍く光る眼を覗き込んだ瞬間——

 
 バチッッッ!!!!!!

 
 二度寝に入りかけていた脳も飛び起きるような衝撃が、頭を貫いた。

 「いっっっ......てええええええええええええ!?」

 「なんだよ突然......」

 これまで体験したことがないはずの衝撃にも、なぜか妙に体が覚えているようだった。

 眉間に皺を寄せながら降って湧いた一つの違和感の正体を探りながら、再度鏡で現状を確認しようとした。

 すると——
 
 彼の頬を、一筋の涙が寂しげに伝っていった。




 
 彼はその涙を不思議そうに、そしてどこか名残惜しそうに拭い去ると、いつものように歯を磨き始める。右手を忙しく横に動かしながら、昨日(正しくは今朝、の方が正しいが)のゲーム戦績をぼんやり思い返していた。

 
 「結局何だったんださっきの......病院、行っといた方いいかもしれないな」

 「昨日は時間やった割に全然数倒せてなかったな......立ち回りも単純になってたし」

 「それにしても、めちゃめちゃ顔やつれてるなあ。遅くまでやるのも考えものだよな」

 「......ま、多分やめられないんだけど」

 自虐気味に自分のゲーム依存ぶりを思い返す。

 ......これでもまだ、「中毒」まではいってないと思うのだが。

 
 「そういえば、俺はいつ寝たんだろう」

 「気づいたら意識吹っ飛んでて......流石に6時間ぶっ続けが効いたなあ」
 
 ——おかしなことを言っている自覚はない。もはや当たり前になってしまっていることに誇りすら覚えるようになってしまった。

 「でも、寝落ちして一回も起きなかったって、どんだけ疲れてたんだよ......」

 元々寝付きがいい方ではないのだが、基本的に生活習慣に致命的な欠陥があるので、2、3回は起きてしまうことが普通だった。

 「久しぶりにこんな寝れたのに、全然体の疲れが取れてねえな。」

 「安物マットレスも、そろそろお役御免ってことか」

 大学の4年間しか使わないから、ということで近所のホームセンターで適当に買ってしまったポケットコイルマットレス。税込2480円(セール価格)。寝れればなんでもいいと考えた彼の薄い希望は、腰骨を必要以上に圧迫するバネの主張によって尽く砕け散ってしまっていた。

 「なんか損した気分だよなあ。せっかく一度も起きずに朝を迎えられたのに」

 「しかも——」



 「夢すら一度も見なかったんだから」


 
 ——————————————————————
 

 
 ——6月1日、午後1時44分。

 蓮は3限の講義、「教育史概論」に出席するため、最低限の準備のみを整えていた。この講義は最終レポートのみならず、まさかの出席がかなりの重要項目であった。

 そのため、嫌でも行かざるを得なかったのである。

 寝る前にこの講義の小レポートに取り掛かる覚悟を決めたような気がしたが......もはや悟りを開きかけているほどに諦めている。


 髪の毛はかなりあちこちに暴走しているので、テーブルに置かれていたヘアゴムでまとめ上げることでなんとか抑えることにした。

 予想以上の寝癖の頑固さに、ヘアゴムは時折キシッと音を立てている。どちらかというと抑えるより縛り付けている、と言った方が適切だろうが。

 そして、ヘアゴムがあった場所の横に無造作に置かれていた財布をズボンに入れようとすると、一枚のカードが床にひらひらと落ちていってしまった。

 「やべ、ポイントカードでも落としちゃったか......?」

 床にへばりついていたそのカードを爪で引っ掛けながら拾い上げると、そのカードの正体がポイントカードではないことがよく分かった。拾い上げたカードの面には、何やら古代エジプトの壁画に描かれていそうな絵がプリントされている。

 「なんだこれ、トランプのカードか?」

 手に取ったカードの正体は、100円均一ショップで購入し、1週間ほど前に箱ごとぶち撒けてしまって行方がわからなくなっていたトランプだった。

 カードの端は何かに踏まれたように折れ、シャッフルしてもこのカードだと分かるようになってしまっている。

 「このタイミングで見つかるって......ラッキー、なのか?」

 「スペードのジャック、ね」

 「これで一人トランプゲームに終止符だな」

 ——ま、やる相手いないけど。


 回収したカードを元の住処に帰してあげると、再び外出の準備に取り掛かる。

 何度も繰り返してきた、ごく当たり前の光景。

 そんな「当たり前」を噛み締める暇もなく、靴を履きながら二回リズム良く床を鳴らした。



 アパートの扉をゆっくりと開け、手すりの間から見える景色を慣れたように味わう。

 空は今にも泣き出しそうなほど黒ずんでおり、ツバメも建物の間を縫うように飛び交っている。きっとそろそろ降り出してしまいそうだなと思い、スマートフォンの天気アプリでそれを確信に変える。

 無造作に壁に立てかけられている傘を握りしめ、少し歩いた先の大学へと歩を進めた。

 少し凸凹になっている歩道を進んでいくと、古い学生アパートの隙間から目的地が顔を覗かせた。ガラス張りになっている、というか最近になって改修された大学の建物に目をやると、まるで「お待ちしております」と言わんばかりにこちらを威圧してくる。

 「なんか、余計行きたくなくなるなあ......」

 勝手な妄想を広げながら、重い両足を無理やり大学へ運んでゆく。

 
 
 その時、鼻の先を冷たい液体が落ちていくのを感じて、ハッと我に返る。

 やはり最近の天気予報はかなりの確率で当たるんだなあと関心しながら、急いで握っていた折りたたみ傘を広げた。

 ポツ、ポツと、一つづつ雨の粒がコンクリートに跡を残し始める中で、雨の日特有のあの香りが鼻腔を滑らかに刺激していた。

 雨粒は道路脇の雑草を煌びやかに彩り始め、リズミカルに跳ねている。

 本降りになる前に、と無意識に急ぎ足になっているのを他所に、交差点はここで止まるように指示を下した。

 「ここまでするする行けてたのに......普段の行いってこういう時に出ますよね......」
 
 いつもの自虐をかましている合間にも、信号の赤色がアスファルトに反射され始めるほどに雨脚はより強くなってゆく。

 雨で少しぼやけ気味の目は、早く、早くと青色の光への変化を求めている。


 待ちに待った「進め」の信号を受け、止まっていた足を再び前へ進める。

 その時——


 「進むな!!!!止まれええええええええええええええええッッ!!!!!!!!」


 久しく聞いたこともない怒号にも似た男の叫び声が、突然意識を奪ってゆく。

 「え......!?」

 「な、なんだ......!?止まれって......何が?」

 突然の出来事に心臓は飛び跳ね、声の主を探し当てることに夢中になってしまっている。

 頭が真っ白になる。首を忙しなく回転させ、今自分が置かれている状況を確認しようとした。

 だが、声の主はすぐに見つかった。交差点の対角線上に、何かを警告するような、必死に訴えるような顔でこちらを見ている。


 「一体なんなんだよ......」

  と悪態をつこうとしたその時、死角からとてつもない破壊音が迫ってきているのを感じ取った。


 ソレは、道端の街路樹やコンクリートを吹き飛ばしながら、時速80キロもあろうスピードで日常を根こそぎ削り取っていく。

 道端を沿うように建てられたレンガの壁も、丁寧に塗装されたアスファルトの道路も、その猛スピードで進撃する鉄塊にはあまりにも無力であった。
 
 泡立つような焦燥と身に迫る危険を感じ取り、急いで顔をその「非日常」が迫る方向に向けた。


 ——2トントラック。


 破壊の衝撃で運転手の様子は詳しく見れなかったが、異常事態であることには変わりはなかった。その鉄の塊は速度をさらに上げ、今にも命を奪おうとするような殺気すら覚える程にこちらに向かってくる。

 
 「おにいちゃん、どうしてあおなのにすすまないの?」

 突然後ろで聞こえたその「日常」に、思わず振り向いてしまった。

 そこには、そんな恐ろしい事態に陥っているとは知らない、黄色い帽子を被った幼稚園くらいの少女がこちらに近づいていた。

 無邪気に疑問をぶつける少女は、目の前に迫る「死」の危険に一切気がついていない。

 「お、おい!ちょっと——」

 「おにいちゃんいかないなら、さきにいっちゃうからね、ふふ」

 悪戯な笑顔を浮かべ、可愛らしく蓮を避けながら横断歩道に進んでゆく。

 「まっ......!」

 手を伸ばそうとする。

 だが、「間に合わない」という諦めがその行動を鈍らせる。

 これから数え切れないほどの幸せと苦悩を経験することになる小さな希望が、今にも失われようとしている。

 きっと彼女は、たくさんの人に愛されているのだろう。綺麗に編まれた髪の毛、混じり気のない笑顔はそのことにより説得力を与えている。

 
 
 ......それでも、結局は赤の他人なんだ。

 わざわざ一つしかない自分の命を賭けてまで、この子を救うことに意味があるのか?

 人間の命にはコンティニューが無い。一度心臓が止まって仕舞えば、それで終わり。


 二度と俺は、俺として生きることを許されない。

 ここで、保身に逃げてしまっても、何食わぬ顔で生活してしまえばいいのだ。

 「見捨てた」という罪悪感は、時間がすべて流し去ってくれるだろう。

 誰でも自分が一番可愛い。この逃走に文句をいう資格なぞ、誰も持ち合わせていないはずだ。

 
 でも、あの子は——


 
 逃げてしまいたい。自分だけでも助かりたい。

 目の前で今にも消えようとしている命の灯火を、他人事のようにただ見ていることだってできる。

 
 俺の本質は、部屋に篭って顔の見えない誰かに暴言を吐くような、そんな男だ。

 他の誰かを救えるなんて、思いあがってんじゃねぇ。


 でも、あの子は、


 愛されている。

 
 俺と違って。

 これから、溢れんばかりの愛情と希望を紡いでゆく「未来」だから。

 綺麗事だっていい。見返り欲しさ、なんて心無い言葉を叩きつけられたっていい。


 俺には無いものを持っている彼女を、見捨てることはできない。

 
 溢れ出す恐怖と逃避の気持ちは、目の前の「愛されている」少女を救わなければいけない、という義務感と心の奥にしまわれていた自己犠牲と入れ代わっていた。

 

 体は、引っ張られるように、信じられないほど衝動的に、少女の元に向かっていた。


 「くっっ......そぉぉぉっっ......!!」

 「と......どけ......!」

 これまで出したことがないほど心から、魂から、全てを絞り出すように。

 逃げるという選択肢を入れていたのが嘘のように、「未来」に向かって走り出す。


 ハハ、なんて気持ち悪い走り方してんだ。ピンチに駆けつけるヒーローにしちゃあ決まらないな。


 それでも。

 俺は——

 
 「届ッ......けええええええぇえええぇええええぇええっっ!!!!」


 腕でがむしゃらに少女を抱えると、鉄塊の衝撃が及ばない向こう側へ投げ飛ばした。

 少し乱暴な形にはなってしまったが、まだまだ生まれたての生命を失うよりは到底ましだろう。

 そう自らで合理化し、着々と迫る危険に退治する。明確に、分かりやすく「死」が近づいているせいか、とても時間がゆっくり進んでいるように感じる。

 ......実際に目の前の鉄塊が体当たりしてくるまで0.1秒もかからないはずなのに。

 それでも、肉片になるまでの猶予をここまで享受できているのは、脳が目の前に迫る死を回避しようと極度の集中状態に入っているせいだろうか。

 そう勝手な予測をたて、与えられた時間でこれからのことをひとまず考えることにした。
 
 
 ——気になるのは、今日出会ったばかりのあの少女のことだ。

 少女は、無事助かっただろうか......?


 横断歩道の向こう側を見ると、送り出した少女は、何が起こったか分からないといった顔で倒れ込んでいる。しかし、トラックの進行方向からはどうにか遠ざけることができたようだ。

 ——これで、ひとまずあの子は安心かな。俺は無駄死にじゃあ無くなったわけか。

 
 これから俺は、きっとトラックと正面衝突してバラバラになっちまうだろう。

 死ぬのは、正直怖い。痛いのか、怖いのか分からないことだらけだからこそかもしれないが、それでもこの世から離れるというのはものすごく怖い。

 考えるという概念すらない、そんな世界。「世界」という言葉すら不的確であるほど何も無い場所。

 けど、これで少しは誰かのためになれただろうか。

 無難に、無難に人とも最低限しか関わらずに生きてきた、これまでの人生で。


 ——ただ一つだけ。

 一つだけ何かを望んでもいいとするなら。

 起きるはずがない奇跡を、見出せるはずのない希望を。

 確実に死へ向かうであろう俺が、最期に望んでもいいなら。


 誰かに——


 
 彼が人生で初めて心から願った奇跡は、響き渡る轟音と赤黒くコンクリートを濡らす鮮血で無慈悲にすり潰されていった。


 絶え間なく雨音と混ざり合う叫び声は、つい数秒前まで命を持っていたはずの肉塊に注がれ、その「非日常」をより引き立たせている。


 むせるような鉄の香り。

 
 交差点に集う傘の群れと、明らかな異常事態にもかかわらず一定の間隔で惨状を照らす信号機。

 そして奇跡的にこの世に生まれ落ちた輝かしい命が、今にも燃え尽きようとしている。

 これから「死」を背負って生き続ける小さな命は、交差点で起きた「非日常」をようやく認識し始める。

 
 そこには——


 血溜まりによって赤く染められた黄色の水仙が、一つの「終わり」を彩るように散りばめられていた。




——————————————————————



 
 ——眩しい。

 光が、瞼を包み込むように注がれている。

 これが、「死後の世界」ってやつなのか。

 ......でも、死んだなら何で考えることができてるんだ?


 あるはずがない、起こるはずがない現象を目の前に、思考を放棄しようとすら思えてしまう。

 ——オイオイ。ついさっきカッコ悪く人生の幕を下ろしたばっかだろ。

 いい加減ゆっくり、寝かせてくれ......


 
 そんな小さな期待すら押し潰さんとばかりに、光はその強さを増していく。

 感覚すらそこに存在しないはずの嗅覚は、草や花の爽やかな香りを感じ取っていた。


 一体、何が起きてる。

 俺は、死んだんだぞ。光も匂いも。感じれるわけが——


 当然の疑問を空中に投げかけたその時、光に包まれた瞼が開けることに気がついた。

 死んだのだから視界なんてそもそもないだろ、と諦めと一握りの希望を胸に、目を大きく見開く。


 そこに、確かにそこにあったのは。


 
 見渡す限りの草原、そこらじゅうを埋め尽くす花の香り。


 そして——
 
 
 渺々たる地平の先に見える、巨大な空中都市。


 
 ......?

 ......??


 くうちゅう......と......し???


 明らかにこれまで慣れ親しんできたあの世界とは全く様子が違う。

 日本でここまで広大な草原とか花畑なんて見たことないが、地球上のどこかにはきっとあるだろう。


 ——でも。

 
 都市は、空を飛ばない。

 どう話が転がったとしても、現代の地球でそんな技術は見られない。


 もし見られるとするなら、それこそ転生モノのラノベとかRPGゲームの中でしか......

 目の前の謎すぎる状況に、フィクションでしかありえない話だと自己解決を図る。


 ん......?転生モノ?RPG......ゲーム??

 心臓の鼓動と呼吸が、何かに気づいてしまったようにみるみる加速していく。

 胸には何個も錘を乗せられたようにズンと重く、鼓動の高鳴りとともに呼吸が苦しくなっていく。


 まるで視界いっぱいに満ちた異常を、体全体で無理矢理肯定するみたいに。

 

 まさか......俺......


 
 「転生した......のか......!?」


 「うそだろおおおおぉおおおおぉおおおおぉおおおおぉおおお!?!?」



 悲痛な死を味わったごく普通の青年、その心からの叫びは、瞬く間に広大な大地を駆け巡っていった。
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