宵どれ月衛の事件帖

Jem

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第14章

ふくごの郷14サンカの郷へ

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 月衛が瞳を開けると、そこは、ただただ白い空間だった。一様な薄い光に包まれ、上下左右も分からない。目の前には、女が胡座をかいていた。月衛と同じように艶やかな長い黒髪を緩くまとめ、簡素な貫頭衣に五色の裳を身につけている。白い頬に薄い唇は、一瞬、母かと身構えたが、母の放つ空虚とは全く違う光を発していた。昏い穴の底で明滅する、燐光のような光。それに、剥き出しの左腕には、うねる蛇のごとき真っ赤な入墨。口角から頬にも入墨が伸びていた。

 「…はぁ…また男子おのこか…」

 女が失望したように、手元の酒を注ぐ。大祭で月衛が飲んだ、菊花が浸された酒だ。

 「男で悪いか!お前は誰だ!?」

 月衛がいささかムッとして叫ぶ。

 「ふむ…妾のことは、ミノと呼べ。男で悪いということはないが、少々、保ちがな」

 ミノは、自分の菊酒をもう1つの杯に注いで、月衛の前に押し出した。酒の味は嫌いじゃない月衛が、両手で持ってそっと口をつける。

 「幼子や、お前は“視える”ようじゃの」

 「視える…光や陰や黒いもやのことか?」

 稚児姿の月衛が、杯からちらと目を上げた。

 「そう、それだ。それらが何なのか、知っておるかェ」

 んー…と月衛が大きな瞳をくるりと動かす。

 「もやがまとわりついてきたら、月衛は苦しくなって倒れる。光はそれを治してくれて気持ちいい。これ以上は知らない」

 「…はぁ~あ…。我が一族の娘達がもっとしっかりしておれば、当主亡き後の教育もできるんじゃがの。お前は何も教わらないまま、1人で怯えてきたね」

 ミノが痛ましげに微笑んで、月衛の頭を撫でた。月衛がポカンと目を見開く。今まで光や陰やもやの話をしても、誰もまともに取り合ってくれなかったのだ。自分の手脚に絡まって体内を犯すもやをどうすることもできず、倒れては、よくわからない薬湯を飲まされるばかり。特に効いている気もしなかった。一番効いたのは、烈生が頭からぶっかけた井戸水である。

 「あれらはな、気涸けがれだ。人の魂の振動を鈍らせる」

 「魂…振動…?」

 ぱちぱちと月衛が瞬きをする。呑むかェ、と銚子を持ち上げられたので、コクンと頷いて空いた杯を差し出した。なんだかホワホワして、身が清くなったように軽い。

 「全ての生き物は、魂を振動させている。それが、命を繋いでいく力の源…」

 ミノもするりと酒を啜った。

 「そして、地上の生き物を振動させる大きな力…これは天地を巡るもの。地に流れ、木に吹き上げ、天を巡る。それを、地上の生き物が共振し、増幅させる。そうやって、上手く循環している場は栄え、良い循環の断たれた場は滅び行く」

 「おカネの話か?」

 月衛がムッと眉をひそめた。母や叔母、姉達といった女親族の業突く張りを、月衛は胸焼けするような思いで見ていたのだ。ミノが、カラカラと笑った。

 「まァ、金儲けにも応用はできるがの。要は、力の循環が上手くいっていると、そこに共振する人々は健康で思慮深く、愛情深くなる。そういう人柄で商売をすれば、真心が通じて客や卸との関係も上手くいく。その円満が富をもたらす。…が、幼子よ。お前の言いたいことは他にあるね?」

 「ああ。氏子から巻き上げた祈祷料や上納金で贅沢三昧、島の人達も納得いってないから“蛇憑きの家”なんて罵るんだろう…。これじゃ摩訶不思議をネタにした強盗だ」

 自分で言っていても情けなくて、つい、ぐいと菊酒を煽る。その「強盗」に飯をもらって生きているのだ、自分は。

 「ふむ。ならば、幼子や。自分が、己が命と引き換えに他人の気涸れを祓い、邪な気を断つ力を手にしたらどうする?」

 ――あの、おぞましいもやを祓える…?自分が…?

 考えたこともなかった。ずっと「身体が弱い」と言い聞かされ、外にも出るな、何もするなと抑え込まれてきた。「お前は他の子と違って、何もできないのだから」と。その自分が、散々苦しめられてきた、あのもやから人を守れるなんて!

 「困っている人の気涸れを祓いたい!邪な気と戦う!!」

 びっくりするほど大きな声が出た。どこかに、自分のように孤独なまま苦しんでいる人がいるのなら、駆け寄って助けてやりたい。自分が望んだように。烈生がしてくれたように。

 「自分の命と引き換えに?」

 ミノの冷徹な声が響いた。

 「女は、気涸れや邪気を受けてもある程度自分で回復できるし、男とまぐわって“陽”の力を受け取ることもできる。そうやって、我が一族の巫女は生き残ってきたのじゃ。しかし、男の身体ではそれができぬ。当主に男を立てるようになってからは、誰一人長持ちせん。…それでも戦うか」

 「…もちろんだ」

 自分は、屠られるためだけに生かされる、空虚な存在だと思っていた。死期が早いことには、ある種の諦めもあったし、人の苦しみを解いて死ぬのなら本望だ。
 ミノが哀しげに微笑んで、月衛の小さな顎をつかんだ。

 「幼子や、名を何という?」

 つぅ、とミノの指先が月衛の口角から頬までをなぞった。赤い痣が走る。

 「月衛」

 ミノを射貫く、鋭い眼光。

 「そうか。然れば、月衛。お前の命、妾がもらい受けた!!」



 月衛がガバリと飛び起きる。十二の大祭で、宮の中に入り御神酒を飲んだ後の記憶。当時は目が覚めた後はさっぱり何も憶えていなくて、怯えるばかりだったが、その後、徐々に思い出すようになった。

 「ミノ様が来た…ということは」

 ぐ…と布団の上で拳を握る。

 ――この、麻田村の事件。この世の道理だけでは済まん、ということだな…。

 下腹に力を込めて、フーッと息を吐いた。



 「月衛!今日はハイキングに行かないか!?」

 井戸の前で顔を洗っている最中、突然、背中を叩かれてむせた。朝からこんなに元気な奴は1人しかいない。

 「烈生…ハイキングって」

 顔を拭うと、烈生が満面の笑みを浮かべて、月衛の耳元に口を近付ける。

 「村内で探れないなら、外から探ればいい…。そうだろう?」

 なるほど、実地検分しながら探すのであれば地形も掴めるし、鎮守の森を通らずにケシ畑に回り込めるかもしれない。

 「しかし、怪しまれないか?」

 月衛と烈生は、すでに目をつけられている。

 「うむ、名目は、巫女となって森奥に籠もる前に、お菊に楽しい想い出を作ってやりたいということでな。お目付役にシヅがついてくるが、途中から村田やお菊と“はぐれて”別行動を取る算段だ」

 村長側としては、村田がお菊を東京に掠ってしまうのではと気を揉んでいるようだ。ならば、シヅは“はぐれた”2人を追うよりも、村田とお菊に張り付くだろう。いわば囮だ。
 グッと、月衛が西洋式に親指を立てた。烈生もにんまり笑って、親指を立て、拳をぶつけた。良い考えだ。



 「おべんとー…もった!すいとうー…もった!」

 お菊が、何度も自分の持ち物を確認してはニコニコと飛び跳ねる。

 「よーし、それなら出発だ!」

 村田がにこやかに宣言し、お菊の手を繋いで峠への道を歩き出した。後をシヅが、最後尾から月衛と烈生がついていく。

 「行き先は決まっているのか、村田」

 後ろから、烈生がのんびりと声をかける。

 「そうだなぁ…お菊は、どこに行きたい?」

 お菊の顔がパッと輝いた。

 「おはな!すみれとれんげで、くびかざり、つくるの!」

 「スミレも蓮華草も季節的に無理じゃないか?」

 すっぱり言い切る月衛を、キシャー!!と村田が威嚇する。

 「いいんだよ。スミレじゃなくても。花の咲いてるところに行ければ」

 ねー、とお菊の顔を覗き込む。兄バカも板についてきたようだ。
 瑞穂町から来る時に通った獣道を降りてゆく。来る時には気付かなかったが、獣道は途中で枝分かれしていた。村を出るのが目的ではないので、そこで曲がって山頂に向けて登っていく。月衛と烈生は、だんだんに口数を少なくしていった。黙々と歩くこと15分。す…と2人が足を止める。シヅは、気づく様子もない。女には慣れない山道でフゥフゥと、村田とお菊を追うのに夢中だ。しばらく先へ行かせてから、月衛と烈生は極力音を立てないように獣道を外れて、山中に分け入った。そのまま、元来た獣道を横目に沿うようにして戻り、峠の場所を確認する。

 「ここから山腹を回り込んでいけば、鎮守の森の裏手に出られそうだな」

 月衛が地図に印をつけながら呟く。

 「わかった。月衛、足元が悪いから気をつけろ」

 烈生が手を差し出す。いらん、とぶった斬るのも気が引けて、月衛は、そのしなやかな手を烈生の手に載せた。

 「…君、何か俺を勘違いしてないか?」

 これでは姫である。

 「む?何も間違えてはいないと思うが」

 烈生がニヤッと片目をつぶった。

 「華奢で繊細、ワガママの気分屋で、手を離すとどこかへ消えてしまいそうな精霊だ」

 「…そんな訳ないだろう…」

 月衛が額を抱える。こんなことを真顔で言える日本男児は、そうそういない。

 しばらく、村を横目に見るように進んで行ったのだが、あまり山の浅い所を歩くと、どうしても薪拾いや山菜採りをする村人と鉢合わせしそうになる。それを避けて奥へ奥へと入っていくうちに、ものの見事に迷子になった。

 「参ったな…」

 月衛が、地図と方位磁石を覗き込む。

 「山頂に近づいている…のだろうが…」

 見渡しても、延々と森が広がるばかりで、さっぱり手がかりがない。

 「これ、獣道じゃないか?」

 烈生が、ふと脇を指さす。見れば、草木が踏み均されたような筋が1本。猪や鹿などが使うような大きさだ。

 「…辿ってみるか」

 人里に辿り着けるとは限らないが、手がかりがないよりマシだ。最悪、水場に出られれば良い。水さえあれば1週間ぐらいは生きていけるらしいし。烈生と月衛が、下る方へ獣道を辿っていく。
 人などいないだろうと思い込んで歩いていたので、獣道でしゃがみ込んでいる人の子を見た時は口から心臓が飛び出るかと思った。思わず、妖怪?なんて思ってしまう。

 「君!どうした?具合が悪いのか!?」

 先に解凍して動いたのは、烈生だった。子供が、涙でくしゃくしゃになった顔をあげる。

 「痛い…痛い…」

 子供の指す足元を見ると、猪や鹿狩りに使う罠に足を挟まれていた。釘が打たれており、それが脹脛に何本も食い込んでいる。

 「トラバサミか…酷いな」

 覗き込んだ月衛がため息をつく。

 「よし、君は手前の板を引け。俺はあっち側の板を引こう」

 烈生が板に手をかけた。大の男が2人がかりでようやくトラバサミを開く。この威力では、子供の骨は複雑骨折しているかもしれない。それでも彼は歯を食いしばって挟まれた脚を引き上げ、這いずってトラバサミから離れた。

 「よく頑張ったな!!強い子だ!」

 烈生が子供を支え起こし、月衛が救急箱を開ける。

 「沁みるが、我慢しろ」

 オキシドールを出して、子供の脹脛に振りかける。子供は涙ぐんで耐えた。消毒した後、包帯で巻いて傷口を保護する。骨折については2人とも医者ではないのでわからないが、とても歩ける状態ではないだろう。月衛が子供を抱き上げ、烈生の背にのせた。

 「少年!ご両親はどこだ!?送るぞ!」

 烈生が闊達に尋ねた。

 「あ…あのね、オイラ、狐の子なの」

 コーン。

 「…そんな訳ないだろう。名前は何だ」

 月衛が溜息混じりに尋ねる。

 「ゴン」

 響きは狐っぽいが、どう見ても人の子だ。

 「それじゃぁ、ゴン、取引だ。俺達は今、道に迷っている。君がどこにも案内してくれないと、ここに君と座り込んで野垂れ死するしかない。川でも街への出口でもいいから、君が一番生き残れそうなところに案内してほしい。俺達もついて行く」

 月衛が、じっとゴンの瞳を覗き込む。

 「兄ちゃん達、迷子なの?誰か追いかけてるんじゃなくて?」

 「いや、全く誰も追いかけていない。できれば山から出たいくらいだ」

 子供相手に、切実に訴える。

 「じゃぁ、いいよ。オイラのセブリバに連れて行ってあげる」

 ゴンの案内で、獣道を下る。

 「…ゴン、やっぱり人の子だろう?なぜ嘘なんかついたんだ」

 月衛が説教を始めた。

 「だって…父ちゃんが、街の人に見つかったら、そう言えって…。ジンタを守るために1人で死ねって。ホントはセブリバも街の人に教えちゃいけないんだ」

 日本語…ではあるのだが、所々、聞き慣れない単語が混じっている。

 「君、もしかして、サンカの子か?蓑や竹籠を作っている」

 月衛が問う。仲間のことは“ジンタ“、居留地は“セブリバ“。謎の多いサンカだが、いくつかの単語が民俗学の論文で報告されているのを読んだことがある。私的所有権の考え方がなく、街から他人の物を持ち帰ってしまうことがあるという。街の人々にとっては泥棒なので、それで追いかけられるのを警戒しているのだろう。

 「サンカ…?知らない…。竹籠は作るけど」

 それもそうだ。“サンカ”は、街の人々がつけた呼び名である。

 「そこ、その笹林の向こう」

 どうやらセブリバに着いたようだ。烈生がゴソゴソと笹をくぐった瞬間、クナイが飛んで来た。間一髪、木刀で受ける。

 「俺達は敵じゃない!この村のゴン少年を送ってきた!」

 「ゴン!」

 飛び出そうとした女を、鉈を持った男が後方へ突き飛ばした。

 「…ゴン…!お前、街の人間を連れてきたな!?」

 油断なく鉈を構える眼光。

 ――できる…!

 烈生がゴンを下ろし、注意深く木刀を構える。

 「父ちゃん!この人達、違うんだ!オイラをトラバサミから助けてくれて、手当もしてくれた!!」

 ゴンが叫ぶ。

 「俺は神之屋、木刀のは穂村だ。お近づきの印だ。ゴンに使った薬をやろう。傷口が腫れず綺麗に治る」

 月衛が自己紹介しながら、救急箱から、オキシドールを取り出した。

 男の様子が、少し変わった。

 「側に行ってもいいかな?」

 月衛が一歩踏み出す。二歩、三歩。ジリジリと距離を詰めていく。月衛が小柄な分、少し警戒感も薄らいだようだ。男の前にオキシドールを差し出すと、男は引ったくって、中を確かめた。

 「ああ、ちなみにアルコールとは違うから、飲んじゃいけない。皮膚に塗るだけだ」

 月衛がネチっこく注意する。

 「…なら、見逃してやる。ゴンを置いて、とっとと帰れ」

 「ゴンは大事な子供だろう?礼代わりに山を案内してくれないか?ケシ畑を探している」

 月衛が艶やかな笑みを浮かべた。
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