38 / 60
第六章
37.心の傷
しおりを挟む涙を拭いながら視聴覚室を出て行った紗南は、同校舎内の2階の教室へ向かった。
別れたくない。
離れたくない。
私だってセイくんが好きなのに。
歌が上手く歌えない私に飴を渡してくれたあの時から、無理に想いを引き離さなければいけないこの瞬間まで、ずっとずっと……。
涙を流すセイの姿が幻影のように目に焼き付き、ヒクヒクと咽び泣きながら1階の廊下の左側にある階段へと曲がった。
すると、階段の2段目に足をかけたその時。
「それでいいのよ、ご苦労様」
精神的に追い込まれている紗南の背後から労いの言葉が届いた。
それは、聞き覚えのある淡々とした語り方。
紗南は声の主が冴木だと確信すると、涙を飛び散らせながらキッと睨みつける。
すると、冴木は階段の角に背中を持たれさせながら腕組みをしていた。
このタイミングでの出現は、萎びた花に命の追い打ちをかけるかのようだった。
別れの現場を一部始終見ていたかのような口っぷりに違和感を覚える。
紗南は冴木の顔を見た途端、ポケットに手を突っ込んで勇気の飴を握りしめた。
意思を伝えきれなかった情けない自分の殻を破って、濁り濁った胸の内を曝け出したかった。
「冴木さんの願い通り別れました。これで充分ですよね。……でも、こんな残酷な別れ方をしなきゃいけない理由がわかりません」
紗南は冴木に怒りの矛先を向けた。
だが、冴木は表情を変えぬまま首を横に振る。
「いいえ、 まだ充分じゃないわ」
「えっ……」
「セイが日本を発つまで油断はしない。最後まで何が起こるかわからないから」
「……っ」
「因みに先程の視聴覚室での様子は一部始終ビデオに撮らせてもらったから」
全身の血の気が引いた。
何故ならビデオに収められているのは、話し合いの一部始終どころか、彼が二度に渡って抱きしめてきたシーンも録画されていると思ったから。
「なぜ、そんな酷い事を……」
「何度も警告したでしょ。ビデオを回したのは、貴方が裏切った時の保険よ」
「それはどーゆー意味ですか?」
「出国まで残り1日。万が一、貴方達が復縁してしまったら、今日の話し合いはチャラになってしまう。セイは貴方が絡むとまた問題を起こすわ」
「セイくんは、問題ばかり起こすような人じゃありません!」
「もし、留学延期になった理由が世間に知れ渡ったらセイのイメージダウンに繋がる。もしそうなった場合、スポンサー契約の解除が相次ぎ、多額の違約金が発生する。だから、いざという時の為にビデオを回したの。私達も商売人だから、被害を被った場合はセイのスキャンダル情報をマスコミに売って、事務所のマイナス計上分を補填するつもりよ」
冴木は強気な姿勢を崩さず、紗南の気持ちを逆撫でする。
「セイくんは身内じゃないんですか」
紗南は次の一手に恐怖を覚える。
問題を起こしたら身内でも簡単に切り捨てるという残酷な考え方がどうも腑に落ちない。
「そうね。でも、あの子は人というより会社の商品なの。市場価値が下がれば手元に置いておいても意味がないの」
「そんな……」
「芸能界はそんなに甘くない。小さなかすり傷が致命傷になる場合もある。私達はこれが商売だから貴方が理解してね」
「じゃあ、市場価値が下がったらセイくんはどうなっちゃうんですか? まさか、切り捨てたりしないですよね。幼少期から人一倍頑張ってここまで上り詰めてきたのに……」
紗南はビルの非常階段で1人で歌の練習をしていた小学生の頃のセイの姿を思い描くと、不安の色が隠せなくなった。
「敢えて返事はしないわ。因みにジュンも巻き添いを食らう事を忘れないでね」
冴木は紗南の気持ちなど御構いなしにそう告げると、髪を揺らしながら立ち去った。
学校を後にすると、西門側の駐車場に停めていた社用車に乗り込み、運転席に腰を下ろして両手でハンドルにしがみつく。
車内の香りに包まれて張り詰めていた気が緩んだ瞬間、右目から一粒涙が溢れた。
そして、紗南の前で吐き出せなかった本音をハンドル相手に呟く。
「……ごめんなさい、福嶋 紗南さん。そして、セイ。ビデオを撮ったなんて嘘。こんな卑怯なやり方は自分でも間違ってると思う。でも、こうでもしないとセイはアメリカでダンスに没頭出来ないし、貴方達の未来が今以上に傷付いてしまうと思ったの。
福嶋 紗南さんは10年前の私。青蘭高校の普通科に通ってた当時、私は学校中を巻き込む大きなトラブルを起こしたの。ブレザーの色を変更させてしまった元凶は私。
その先に想像を遥かに超えた苦しい未来が待ち受けてるのを誰よりもよく知ってるから、いま貴方達が我慢するべきだと思った。私の二の舞にはさせたくない、残酷な想いをさせて本当にごめんなさい……」
過去に深い傷を抱えていた冴木は、鉄仮面が剥がれたと同時に、ぐしゃぐしゃになるほど泣き崩れた。
誰にも明かされる事のなかった、過去の苦悩。
厳しい現実を身を持って知っているからこそ、まだ引き返せる段階にある2人を引き離そうと思った。
0
あなたにおすすめの小説
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
隣人はクールな同期でした。
氷萌
恋愛
それなりに有名な出版会社に入社して早6年。
30歳を前にして
未婚で恋人もいないけれど。
マンションの隣に住む同期の男と
酒を酌み交わす日々。
心許すアイツとは
”同期以上、恋人未満―――”
1度は愛した元カレと再会し心を搔き乱され
恋敵の幼馴染には刃を向けられる。
広報部所属
●七星 セツナ●-Setuna Nanase-(29歳)
編集部所属 副編集長
●煌月 ジン●-Jin Kouduki-(29歳)
本当に好きな人は…誰?
己の気持ちに向き合う最後の恋。
“ただの恋愛物語”ってだけじゃない
命と、人との
向き合うという事。
現実に、なさそうな
だけどちょっとあり得るかもしれない
複雑に絡み合う人間模様を描いた
等身大のラブストーリー。
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
【完結】イケメンが邪魔して本命に告白できません
竹柏凪紗
青春
高校の入学式、芸能コースに通うアイドルでイケメンの如月風磨が普通科で目立たない最上碧衣の教室にやってきた。女子たちがキャーキャー騒ぐなか、風磨は碧衣の肩を抱き寄せ「お前、今日から俺の女な」と宣言する。その真意とウソつきたちによって複雑になっていく2人の結末とは──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる