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第二章
31.彼女の口から聞きたくなかった言葉
しおりを挟むーーとある日の夕方。
神社の池の前で浮かない表情をしてしゃがんでいる翔の隣におじいさんはやって来て声をかけた。
「最近、愛里紗ちゃんはめっきり遊びに来なくなったのぅ」
翔は愛里紗の話題に触れて欲しくなくて、聞こえないフリをして池を見つめた。
池の中の鯉は心情とは対照的で、穏やかにスイスイと泳いでいる。
おじいさんは翔の気持ちを察しながらも、返事を待つ事なく話を続けた。
「ほぼ毎日ここへ来ていたから、パッタリ来なくなると寂しいのぅ」
「……」
「愛里紗ちゃんは君以外友達がいないのかい?」
翔はおじいさんの問いに耳がピクリと反応する。
江東は俺以外友達がいない?
そんな訳ない。
学校で見ている限りでは、いつも友達に囲まれている。
おじいさんは江東の事をよく知らないから勝手にそう思ってるのだろう。
翔はおじいさんの一方的な見解にムッとして言い返そうとしたが、おじいさんは隙を与えない。
「それともお友達の誘いを断ってまで君に会いに来ていたのかな。神社は用がない限り小学生が来るような場所じゃないからのぉ」
「用がない限り……?」
「少しばかし余計な事を言ったかもしれん」
おじいさんは気になる言葉を言い残すと砂利を踏みしめながら本殿へと戻って行った。
俺は自分の事で精一杯だった。
だから、毎日神社に来ていた江東の気持ちまで考えが行き届かなかった。
彼女が毎日ここへ来ていた理由。
それは、単に池の鯉に餌やりをしに来ていた訳じゃない。
神社に用があった訳でもない。
きっと、俺に会いに来てくれていたんだ。
待ち合わせをしているかのように毎日神社で会って、当たり前のように鯉の餌やり。
作業が終わったら少し暗くなるまでベンチでたわいもない話をしたり、追いかけっこしたり。
時にはおじいさんの家にお邪魔して宿題のわからないところを教えあったり。
いや、それだけじゃない。
学校を休んだ時には荷物を家まで届けてくれたし、昼食が用意されていない俺の為におにぎりを握ってくれたり、誕生会に呼んでくれたり、学校でも積極的に話しかけてくれた。
笑顔を生み出してくれたのはいつも江東だったのに、あの日怒鳴ってしまった。
思い返せばあの日は最悪な一日だった。
いや、最悪なのはその前日から訪れていた。
前日は久しぶりに父さんが家に帰って来た。
前回はいつ帰ってきたか思い出せないほど。
昔は父さんが好きだった。
週末は色んな場所へ遊びに連れて行ってくれたし、肩車をしてくれたり、キャッチボールもしてくれた。
身体を張った遊びを教えてくれたのはいつも父さん。
俺には兄妹がいないから、同性の父さんが一番の理解者だった。
修学旅行から戻ってからの翌々日。
確か、あの日は日曜日。
自宅に戻って来た父さんに笑顔はない。
玄関で俺の肩をポンと叩くと、険しい顔つきで母さんの方へと向かった。
父さんの表情を見た瞬間、母さんと話し合う為だけに帰って来たんだと。
……いや、正しくはケンカ。
俺は怒鳴り散らす声が聞こえないように、自分の部屋で両手で耳を塞いで身体を小さく丸めた。
大人には大人の事情があるかもしれないけど、両親がケンカしている姿を目にしても涙しか生まれない。
父さんは荷物を持って不機嫌な足取りで出ていき……。
いつも勝気な母さんは手で顔を押さえて台所で泣いていた。
ただですら家庭事情で胸を痛めてるのに、翌日の学校では修学旅行時の告白話がクラスメイトに知れ渡っていて、男子にしつこく冷やかされた。
ミクは真剣な気持ちを伝えてくれたから、断る側だって結構辛かったのに……。
俺は辛い事が重なってストレスが溜まっていた。
少し気分転換になるかと思って神社を訪れると、そこにはクラスで噂が広がってしまった日以来会話を交わさなかった江東の姿が……。
彼女はめっきり神社から遠退いていたせいか、思わぬ出現に驚きを隠せなかった。
だが、久しぶりに言葉を交わしてみると、最初に口から出てきたのは他の奴らと同じ。
学校で散々冷やかされたから精神的に参っていたのに。
勿論泣かせるつもりはなかったけど、彼女の口から一番聞きたくない言葉だった。
だけど、おじいさんは自分の事しか頭になかった俺に彼女が傍にいてくれた大切さに気付かせてくれた。
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