レイヴン戦記

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王国動乱

占領統治下にて

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 オトリシュに駐屯し、最後の詰めのためのピースが揃うのを待つ状態であったが、想定数までもう間もなく集まりそうな状況になっていた。
 大軍の維持についてはヴァレンティンが主となって仕切っていたが、テオドールを常に傍らに置き、仕事を覚えさせる事に余念がなかった、小規模な軍を率いた経験しかなく、万を超える軍の維持、管理など一生やる気がなかっただけに、面倒以外の何ものでもなかったが、グリュックが即位するとなると、面倒だと言って他人に丸投げして行くわけにもいかなくなることは十分に理解できていた。
 頭を悩ます事は他にもあった論功行賞である、戦功に合わせて報奨を与えるのだが、どの程度が適正であるのかさっぱり分からなかった、しかも現在占領しているガリシの土地や解体が決定している公爵領も大盤振る舞いに分け与えるわけにもいかず、王家の力を維持するためにも、その分配には神経をすり減らす必要性があった。
 現状では草案であり、帰国後フリートヘルムとも協議する必要はあったが、現場としての判断も出しておく必要があった、たしかに活躍を全く評価されなければ反乱したくなる気持ちも分らなくないだけに、慎重さを要するのは理解できた、しかし全員納得させる公平な論功行賞などできるはずもなく、思わず愚痴が洩れる。

「侯爵はいつもこんな面倒な事をやってらしたのですか?」

「少しは苦労が分ったかね?」

 本気で村に逃げ帰って反乱を起こしたくなってきていた、国のトップに立つことの面倒さを考えたら何故こんな面倒な位置に好き好んで立ちたがるのか本気で理解できなかった。
 ゲルトラウデにしてもヨナタンにしても、まるで経験のない規模の仕事であり、時々愚痴が洩れていた。

「これだけの規模の都市を版図に組み込むとなると反発や逃亡、移住でかなり面倒そうですね」

 考えただけでうんざりとした、テオドールも村に大打撃を喰らい多くの移住者を受け入れた事や、新たな村を開拓し住人を受け入れた経験があったから分るが大都市といえるクラスの町でそれをやるとなると、どれだけの労力がかかるのか見当もつかなかった、行政官としてのテオドールの能力を見ると完全なキャパオーバーとしか言いようのない話であった。
 ヴァレンティンにしても正直テオドールの能力にはそこまでの期待はしていなかった、どう考えても外交官、行政官に向いている人物には見えず、むしろその方面に才能を示すようであればフェルディナントが警戒したようにヴァレンティンも油断ならぬ人物として警戒したかもしれない、しかし統治や法についてまったく無知では今後が思いやられるが故の措置であった。

「逆だな、都市部の方が大きいが故に人の出入りは激しい、下手に小さな村より統治システムとして確立されているだけに占領し版図に組み込んでからはわりと楽に行くケースが多い、最もここまでの大きい都市を陥落させるケースは珍しいがな」

 ヴァレンティンの長い戦歴においても敵国の第二都市を陥落させたことなどなく、今までで陥落させた都市では最も大きな物であった。

「現段階で注意する事は兵士の暴行、略奪、敵の間諜による破壊工作、暗殺、扇動、などですかね?」

「そうなるな」

 まずは基本であったが、どこにでも法を犯す者はおり、すでに何件もの懲罰人事は発生していた、選りすぐりの人材や信頼のおける子飼い、そういった部下のみの手綱を握っていればよかった時に比べ大軍ともなればゴロツキ、喰いあぶれ、ならず者、そういった者もどうしても混じってしまい、しかもかなり血なまぐさい戦闘の後ではその昂りを抑えきれなくなっているケースも多く指揮官としては頭の痛い問題に直面していた。

「とっとと村に帰りたいと思っていたのではないかね?」

 図星であった、苦笑いをしているテオドールにヴァレンティンは続ける。

「儂もだよ、こんな行政官じみた事は全部フリートヘルムに投げ出して、とっとと国許に帰りたくて仕方ないよ」

 意外な発言だったが、元々軍務経験の方が多く、こういった雑事を好まぬ気質であるとは聞いていただけに、少し親近感を持てる会話であった。



 身内のみでゆっくり食事を摂っている時が一番落ち着く気がした、総大将はヴァレンティンだが副将という肩書もつく以上、どうしても見慣れない人物達と多く会い、親睦を深めるといった名目での会食の機会も多く設けられた、しかし人が多すぎて混乱する事も多く間違えれば不快感を与えるだけに、神経をすり減らしまともに食事を摂るどころの騒ぎではなかった。

「みんなはどう?」

 テオドールの言葉に皆苦笑いを浮かべるしかなかった、忙しいという言葉で片づける事が出来ないくらいの煩わしさを感じる事が多かったのだ。ヨナタンは特にその傾向が強かったかもしれない、従士長という肩書からテオドールに接近を試みる者は彼に取次ぎを求めるケースが頻発した、賄賂まで持ち出し接近を試みる者もいたが、強く断り過ぎると禍根を残しかねないだけにそこは細心の注意が必要となり、そこまで社交性の高くないヨナタンの苦労は戦闘の方がよほどマシと思えるほどであった。
 無言で食事を摂っているアストリッドにしても困惑を通り越して迷惑な状況が発生していた、求婚や縁談が殺到していたのだ。世の中には彼女はテオドールの側近剣士でありその剣の腕前は国でも指折りの腕という評判も広がり始めており、しかも男女の仲ではなく主従としての絆で結ばれており、ベタベタとした関係のない理想の主従と言った風説も流布していた、どこでどう捻じれたのか分からないが、そんな噂が主流であるからこそ、テオドールに取り入ろうとする者にとっていい搦め手からの縁組と考える者も少なくなかった、もちろん彼女の実年齢以上に若く見える、凛とした美貌も大きく作用しての事であったのだろうが。
 ゲルトラウデが一番不貞腐れた顔をしていたかもしれない、盛んに文句を言い出していた、彼女の噂は完全な戦場まで連れ歩くお気に入りの愛妾というものであった、そこまでならまだよかったのだが、彼女は非常に物欲旺盛であり、彼女に金品を贈る事がテオドールに近づく最も早いルートであると言ったう噂がまことしやかに流布していた。占領下に置かれた商人達もがこぞって彼女に贈り物攻勢を仕掛け辟易とさせていた、その光景を見ると『彼女にはチョコレートケーキが最も効果的ですよ』と冗談を言いたくなったが、冗談にならず、翌日にはチョコレートの山が届きそうだったのでギリギリのところで我慢した。

「理想の主とはなんなのでしょうね?」

 ポツリとアストリッドが尋ねた、その声には反発の色はなく、どちらかと言えば迷いの色が浮かんでいるように思われた。彼女も権力に取り入ろうとするやからの露骨なアピールに触れ辟易としてしまっていたのだった。しかし刃傷沙汰はよほどのことがない限り絶対に厳禁であると厳命されていたため、非常に我慢を強いられていた、『私に勝てたら求婚を受けてやろう』そう言いたかったのだが、そうやって一々決闘紛いの事を占領下の町で行えるはずもなく、なるべく丁寧な言葉で断る事が理論で考えるより直感や感性での行動で生きてきたような彼女には大きなストレスとなっていた。

「物語の中にしかいないんじゃないの?ちなみに実際にそんな人に会ったことあるの?」

 言われて思い返してみても、これぞ理想の主君だと思える人物など見当たらない気がした。

「物語に誇張はつきものですしね」

 ヨナタンが少し苦笑いを浮かべながら付け加える、物語と現実の乖離が非常に激しい人物が現在の主であるだけに、ゲルトラウデもテオドールもその言葉には苦笑いを浮かべるしかなかった。

「誇張で少し思い出したのですが、戦術の事で少しよろしいでしょうか?」

 ヨナタンが少し聞きずらそうではあるが、質問を求めてきた、「いいよ」と軽く応じると質問を開始しだしたが、その内容にアストリッドが少し不愉快そうに眉をひそめた。

「五か村を陥落させた時に鴉の旗を掲げておくものと思っていたのですが、特にそういったことはせず、敵に対しての恣意行動であれば、誇張された噂の下、より効果を上げる事も可能だったのでは?と少し疑問に感じたのです」

「ああ、同じ事をゲルトラウデも最初言ってたんだよ、それは効果を産むけど、最後の戦いで不利になる可能性が高いから却下したんだよね」

 ヨナタンの質問にほぼノータイムで返答した、ゲルトラウデに同じ問い掛けを受けた事があるだけに、その回答はスムーズなものであった。

「うちの軍の弱点ってなんだと思う?」

 少しはぐらかすように問いかけると、ヨナタンは少し考えた上で少し躊躇うようにしながら回答した。

「白兵戦能力でしょうか?白兵戦能力に関しては世の中に流布する噂と違いそれほど高くないように感じています」

 そんなヨナタンの回答に少し苦笑いしながら回答を始める。

「それもあるね、ただ今回のケースで最も問題なのは数だと思うんだよ、どのくらいの兵が救援軍として向かうか未定だったけど万を超す大軍に対してうちの兵だけではどうしても戦力不足に陥る、だから奇襲攻撃を行っているのがうちだってバレると少数だから粘れば撤退するって気付く指揮官も出てくる可能性が高くなったと思ったんだよね」

 世の中に流布している噂話では死神に引き入られた悪鬼の集団のように語られることが多いが、実際に山のなかで半農半猟の生活を送るが故に体力や弓術は皆それなり以上のレベルに達しているが正面からぶつかれば、普通の兵とさして変わらぬという程度であった。
 援軍撃退の成功も正に紙一重であり、もう少し粘られていたら、撤退命令が出されていただけに、少数部隊であるという事実は今回はなるべく伏せたい事実であった。

「情報漏洩を完全封鎖するための虐殺だったのですね」

 ポツリというアストリッドの言葉に嫌味や非難の色は感じられず、自分に言い聞かせるかのようであった。

「そうだね」

 答えが必要だとも思わなかったが、一応回答は出しておいた。アストリッドが掲げる理想は現実とはかけ離れており、そんな理想が存在しない事も頭で理解するが故に苦悩している事は理解できた、理解できたがどうする事も出来なかった。

「失礼を覚悟でお聞きします、でしたら赤子まで殺す必要性があったのでしょうか?正確な人数、軍の規模などまったく語れない者を殺す必要性は感じられません」

 その言葉にはゲルトラウデも嫌な顔をした、作戦立案に際し同様の指摘をしており、その気持ちは十分に理解できたからだ、そして以前指摘したが故にそれが避けられなかった事も知ってしまっていたからだった。

「村が壊滅し、村人が全員殺されてる中を放置されて、その後訪れた商人とか旅人とか派遣された軍隊とかに発見されて保護されて生き延びられる可能性がどのくらいあると思う?衰弱しながら餓えの苦しみを味わい死んでいくのと痛いと思う間もなく絶命させるのと、どちらがいいと思う?これだけは言葉で答えてくれないかな?」

 しばらく黙ってしまった後、一瞬で殺すのがいいかもしれません、と小声で呟いた。ゲルトラウデに指摘された際はそこまで強く回答を求める事はしなかったが、アストリッドには言語化が必要だと思ったが故の対応であった。

「結局、自分の手で殺したのではない、もしかしたら運よく生き延びることに成功したかもしれないって思う事で免罪符が欲しいだけなんじゃないかな?命令を出した以上そんな免罪符はいらない、素直に審判を受けるよ」

 アストリッドにも生き延びる事がいかに低確率で起きる奇跡なのかは理解できた、軍の襲撃を受けた後の村などそのおこぼれを狙った野盗の格好の襲撃対象になるのが通例であり、そんな物騒な所に立ち寄りたがる一般人は絶対と言っていいほどいない事は分り切っていたのだから。ましてお人好しの野盗が気まぐれに育ててくれる可能性などさらに低いとしか思えなかった、自分達が保護して連れて行くというのも、一瞬考えたが、隠密行動中に赤子を連れて行くなど冗談にしか聞こえず、それが不可能であることくらい一瞬で理解できてしまう。結局はテオドールの言う通り、自分の手を汚したくない言い訳を欲しているに過ぎない事を指摘されれば気付いてしまう。

「ついでに言うと、向かってくる敵兵だって好きでやってるわけじゃなく、徴兵されて仕方なくやってるケースがほとんどだし、しかも殺されれば後に残された家族は路頭迷い、妻や娘が街角で客を取る事になるなんてケースも少なくないんだからね」

 アストリッドもその事は理解していた、しかし考えないようにしていた側面があった、そんな事を一々考えていたら、人を斬る事などできなくなるのが目に見えているのだから。
 以前に比べかなり正義、倫理、正道、といった固定観念的な価値観を前面に押し出して文句を言うのとは違い若干現実に寄った発言が多くみられるようになった事は感じられたが、まだ思考を纏め客観的に物事を考え総合的に判断するといったことまで思考を進める作業はできていないように思われた。

「別に強制はしないけど、日記とか書いてみたら?僕や先代も書いてるけど、時々立ち止まって振り返ってみたり、自分の考えをまとめるのに役立つ事があるからね」

 そんなテオドールの提案に「考慮します」とだけ答えていた。そんな彼女の様子を見ながら、求婚が大量に来てるみたいだし、夫や子供でもできれんばもう少し変わるのだろうか?そんな事を考えずにはおられなかった。
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