君と過ごす残りの日

ナナホシ

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君と過ごす残りの日

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夏の夜空の下、二人はただ星を見ていた。風以外の音は一切なく、ゆっくり流れる様で早い時が流れる。何かを考えるわけでもなく、特に意味のない時を過ごす少年と少女。
ふと、少年は口を開き言葉を発する。

 「綺麗だな」

 少女が頷きで答えると、また静寂の時が訪れる。こんな意味のないことでも、続くのならばいい...少年は強くそう思った。



 夏のある日、俺はいつもと違う靴箱を見て、疑問を抱いていた。
 普段は靴が入っているだけなのだが、今日は封筒が一緒に入っていた。

手に取ってみると『中村悠斗様』表に俺の名前があった。どうやら、間違えて入れてしまったわけではないらしい。
 俺は壁際によって、封筒の中身を出してみた。
中に入っていたのは、一枚の原稿用紙に、びっしりと文字が書かれたものだった。
内容に目を通してみると、放課後屋上に来てほしいということが、回りくどく書かれていた。しかし、差出人の名前や、それを思わせることはどこにも書かれていなかった。

この手紙から分かることは、女の子であるということだけだ。字の形、言葉の言い回しから、そこだけは確信が持てる。
ただ、女の子だと分かっても、誰からのものなのかという肝心な部分は分からないのである。

俺は、記憶をたどってみる。過去に、このような手紙を受け取るような事が、女の子との間にあったか...あるはずがなかった。
だからこそ、疑問に思っているのだ。どのような目的があって、俺にこのような手紙を出したのか。

考え込んでいると、学校中に響き渡るほどの音で流れるチャイムが、俺の耳に伝わる。
...この瞬間、俺の遅刻が確定した。

「入室許可書を取りにいかないといけないな」

誰にも聞こえないであろう声で俺はつぶやき、職員室へと向かった。



「それはラッキーだったな」
「そう思えるのは凄いと思う」

 午前授業が終わり、俺は友人の”大上段武夫だいじょうだんたけお”と、朝の話をしていた。
相手のことを考えて、手紙の内容は伏せているのだが、普段遅刻をしない俺が遅刻したということもあって、必要以上に武夫に迫られたため、手紙をもらったということだけ話した。
話を聞くなりラッキーだったな、と言われたのが今というわけだ。

「行ってみるのか?」
「気になるし、行くしかないだろう」

俺の返しに、目を丸くする武夫。その顔はまるで、鳩が豆鉄砲を食ったようだった。ここまで驚くようなことを言ったつもりはないのだが、何か変だったのだろうか。

「何をそんなに驚いてんだよ」

俺の問いかけに対し、武夫はさらに驚きの表情を見せ、挙句は呆れかえっていた。数秒後、ぱっと顔を上げた武夫は、呆れ顔のまま言った。

「お前、女子から手紙もらって呼び出されたんだろうが。なんで乗り気じゃないんだよ」
「手紙を貰ったからって、乗り気にはならないと思うが」
「態々手紙を入れてんだ。これは告白しかないと思うぞ。だから喜ぶところだろう、男なら」

『女の子からの手紙』確かにうれしいと思うが、それ以上に疑問が大きいのだ。手紙を貰うような間柄の人間は、一人もいないのだから。

「俺にそんなことするような関係の女の子がいないことは、お前が一番よく知ってると思うんだが」
「じゃあ他に何かるってのかよ。それに、世の中には一目惚れってのもあるじゃねえか」

武夫の言う通り、俺に思い当たる節は無い。つまり、告白の可能性は高いわけだ。それも一目惚れという。

「そうだな。だといいかもな」
「だろ?分かったなら元気に行ってこいよ」

そう言って、武夫は自分の席に帰っていった。俺も自分の席に座り、武夫に言われたことを思い出す。もし、告白だった場合、俺はどうするのだろうか。
午後の授業はこのことで頭がいっぱいだった。



「じゃあ行ってくる」
「いい報告を期待しているさ」

一日の授業をすべて終え、熱い視線を送ってくる武夫に一声かける。すると武夫は、自分のことかの様に屈託のない笑みを浮かべていた。いつも武夫は笑顔の絶えない人間だが、今日はそれ以上の笑顔を見た。

武夫に見送られる形で、俺は教室の扉を開けた。


屋上へと繋がる階段を上りながら、これから自分は告白されるのではないか、そんな風に考えてしまい、今更ではあるが緊張し始めた。そもそも、女の子と一対一で話すなど、俺には無縁のことである。
この事実が、余計に緊張を招いているのだ。

自分の中の感情が、緊張に支配されるのと同時に、屋上にたどり着いていた。
心臓に手を当てながら顔を上げると、ガラス越しに人の姿が見てとれた。はっきりとしたことは何一つ分からないが、肩のあたりまで髪があるのは分かった。
俺は体育でやるよりも深い深呼吸をして、扉を開ける。すると、物々しい音を立てながら扉は開いた。

その瞬間、視界いっぱいの光と共に、振り返る女の子が映った。その女の子を見た俺は、自然に言葉を漏らす。

「綺麗だ」

振り返った女の子...嫌、女性は、とても整った顔をしていて、清楚という言葉が誰よりも合う、そんな女性だった。
手紙の内容から、勝手に女の子だと思い込んでいたが、ここまで想像と違うとは。

「え?」

口から無意識に漏れた言葉は、しっかりと相手の耳まで届いていた。届けるつもりはなかったのだが、俺からの唐突な一言に、女性は困惑してしまっていた。

「あ、いや。なんでもないです」

俺は自分の口にしてしまった言葉を思いだし、急に恥ずかしくなり顔を赤くしてしまった。
そんな俺を前に、目の前の女性は優しい笑顔を浮かべて、何事もなかったかのように話し始めた。まるで、心を見透かしているような行動ではあるが、その行動に深く感謝した。

「突然呼び出したりしてごめんなさい。驚かせちゃったよね」
「えーと...驚きましたし、意図が読めなくて、正直ちょっと怖かったです」
「要件も名前も書いていなかったから当然だよね。まずはごめんなさい」

暗い声で謝罪をして、深々と頭を下げる女性。声と態度から、本当に申し訳ないと思っていることが伝わってきた。

「ああ、待ってください。俺の言い方がアレでした。女の人から手紙をもらったことがなかったので不安だったんです。貴女が謝るようなことありませんよ」

女性の方が謝ることなんて何もない、そう思い、咄嗟に落ち込む女性に言った。
同時に、自分の言葉選びによる態度の悪さを恥じた。そして、初対面の人と話すのが苦手な自分を、不甲斐ないと思った。

「最低限名前は書くべきだったし、そこは謝罪させてください」

先程までの暗さこそ消えたものの、そこだけは譲れないという姿勢を見せる女性。俺も譲らないべきなのだろうが、これ以上は話が進まなくなると判断したため、俺は『はい』と答えた。
すると女性は、嬉しそうに笑った。その笑顔を見た俺の胸は、ギュと締め付けられるような感覚に襲われた。経験したことのない感覚に、俺は驚きを覚えた。

「じゃあ、まずは自己紹介をさせてもらうね。私の名前は島崎優梨しまざきゆうり、2年の3組。よろしくお願いします」
「俺の名前は...って、知ってるみたいですね。けど一応、1年の4組 中村悠斗です」

手紙を出すぐらいなのだから、向こうがこちらのことを知っているのは当然だ。こんな根本的なことを失念していたのだ。
けれど今は、そんな些細なことよりも、目の前にいる女性の名前がわかったことが嬉しかった。

「早速だけど中村君、こんなところに呼び出した理由を説明するね」
「は、はい」

初めから今に至るまで情けない声を上げ続ける俺だが、今の言葉が一番情けなかった。

「数日前の放課後、私が帰ってるときに偶然見えた一年の教室で、熱心に勉強してる男の子がいてね」

説明と称して始められたのは、島崎さんがみたという男の子の話だった。尤も、その男が誰なのかは概ね理解できた。
学校の放課後という場に於いて、教室で勉強に興じる人間など限られるのだ。詰まる所、俺を措いて他にいないのである。
俺は数学が好きで、教室で内容を確認して楽しんでいることが多く、それをみられてしまったということだ。

あまり見られたくはない場面を見られ、顔にこそ出していないものの焦る俺を他所に、島崎さんの話は続く。

「その熱心に勉強してる横顔を見てたら、上手く言葉にできない感覚になって...。その姿が忘れられなくなっちゃったの。私その子に一目惚れしちゃった」

そういうと、こちらを見て頬を赤らめる島崎さん。その顔を見て、自分の中で確信が生まれた。俺は、島崎さんを好きになっているのだと。
考えるたびに心臓は激しく鼓動を刻み、呼吸が乱される。

「気になっていろんな人に聞いてたら名前が分かったの。それで、迷惑かと思ったけど手紙を出させてもらっちゃった」
「...。」
「中村悠斗君、話が急で混乱させちゃうと思う。けど、自分の気持ちには正直でいたいから言うね。私と付き合ってください」

過去に面と向かって言われたことのない言葉に、彼女の表情も相まって、強く胸を締め付けた。答えはとうに決まっているはずなのだが、すぐに声が出ない。
 目の前で答えを待つように手を伸ばしている女性を、このまま待たせるのはあってはならない事だ。心では理解していても、体は動いてくれない。
このままではダメだと自分に強く言い聞かせ、深呼吸をして心を落ち着けた。そうして俺は、腹をくくった。

「話してみてもその気持ちは変わりませんでしたか」

邪推だということは十分に理解しているし、失礼な質問だが、こんな失礼極まりない俺でも...良いのだろうか。

「うん、むしろ話したらもっと好きになっちゃったぐらいだよ」
「変なこと聞いちゃって申し訳ないです。実は、俺も話しているうちに気づいたんです。島崎先輩の事が好きだって」

俺が最後まで言うと、島崎さんはとても驚いた様子だった。告白はしたものの、こうなるとは思っていなかったのだろう。反応はまさしくそういうものだった。

「そ、それじゃあ」
「はい。先輩、これからよろしくお願いします」

俺は迷い事なく、言い切った。すると、武夫を思わせる様な満面の笑みを浮かべ、島崎さんは俺に言った。

「これからよろしくね...悠斗」

急に名前を呼ばれたことで、俺はまさに恍惚としていた。
この笑顔をずっと見ていたい、こんな風にずっと一緒にいたい、そう強く思った。

─緩やかに吹く夏の風は、屋上にいる2人の少年と少女の思いを乗せる。喜びに満ちた少年の思いも、不安に満ちた少女の思いも、全ては夏の風の先。


告白を受けた日から1日、俺はこれから優梨さんとデートをすることになっていた。少し早いのではないかと思ったが、今日が土曜日ということもあり、このように決まったのだ。
だが、やはり急に決まったことであるため、失敗があったり、迷惑をかけてしまうかもしれないと思うと気が気でない。
上と下、力の入った服を着て、気持ちまで作って来ているが、不安は募るばかりだ。

まるで、地球の終わりが近いことを知ったかのような顔で待っていると、後ろから彼女の声が聞こえて来た。

「悠斗、まった?」
「いえ、今来たところです」

こういった場面ならば恒例、とも言われるやり取りを終えた。憧れる人も多いこのシチュエーションを迎えることができたことは、素直に嬉しかった。
 
「それじゃあ行こっか」

先輩の言葉に頷きで答え、さりげなく差し出された先輩の手を握った。すると、先輩は俺をリードする形で歩き始めた。
リードされているのは情けないのだが、仕方ないことなのだ。なぜなら、行先を知らないからだ。
流石に気になった俺は、歩いている最中、今日の行先について尋ねた。

「今日はどこに行くんですか」
「公園でゆっくりお話しするなんてどうかなと思って」
「いいですね。俺もゆっくり話したいと思っていました」

こういった場面でないと話せないことだってあるし、もっと先輩のことを知りたいと思っていた。
俺は先輩のことをほとんど何も知らない、今日は色々なことを聞こう。
まだ着いてはいないが、折角の機会なので公園に行くまでの間も色々な話をしよう...そう思った。


島崎さんに連れられてやってきた公園は、風の通りもよく、緑が多い上に人が少ない、そんな公園の一角にあるベンチに腰を掛けた。
ふぅっと一息ついたところで、優梨さんの方から話を始めた。

「悠斗は好きな物とかある?」
「今までは特になかったんですけど、昨日できました。好きな人が」
「ずるいよ...」

真剣な表情で言い切った。すると優梨さんは、昨日も垣間見えたとても可愛らしい笑顔を見せた。この笑顔は何度見ても動揺する。

「えーと、すいません」
「謝るようなことじゃないよ。ただ、私のことばかり話して、悠斗のこと聞けてなかったから。こうやって聞けて嬉しんだけど、恥ずかしくなっちゃった」

ここに来るまでの間、優梨さんのことを色々聞いた。けれど、俺のことはほとんど何も話していなかった。優梨さんの話を聞けるのが嬉しくて、自分のことを忘れていた。

「なら、今から色々教えちゃいますよ」
「うん、お願い」

それから俺と優梨さんは、お互いのことについて話した。趣味の話、好きなテレビ番組の話、他にも色々な話をした。話に区切りがついたところで、連絡先を交換した。メッセージを送りあって、届くことを確認した後、ご飯を食べに行った。

今日はとても充実した1日だった。今までにない、それはもう大切な時間だった。


優梨さんとメッセージでやりとりをしながら過ごしていると、日曜日が終わっていた。

優梨さんと話をする間に、武夫にもメッセージを送った。今回の件、あいつかなり楽しんでいたから報告してやったんだが、返信が返ってこなかった。何か用事でもあったのだろう。そう思うことで、その場は納得した。ここで返信がこなくとも、学校に行けば話はいくらでもできるのだから。


コーンと響くチャイムの音で、俺は目を覚ました。気づけばもう、1日の授業は終わっていた。朝から根を詰めすぎてしまった所為か、午後の授業は殆ど入ってこなかった。というのも、武夫と話をするために彼の席まで向かったのだが、いつもの武夫からは考えられないほどの暗いオーラを発していたのだ。だから、今は話すべきではないとその場を後にした。けれど、どれだけ待てどその表情は一向に変わらなかった。故に、俺は朝からずっと武夫のことを考え続けていたのだ。

とは言え、こんならしくない武夫をこのまま見ているだけなんて、できるはずがなかった。少し不安もあるが、意を決して武夫に話しかけた。

「武夫、朝から何か考え事か」
「悠斗か。いや、大したことじゃないんだ」

そう言って、いつも俺に向ける笑顔を作った。しかし、嘘であることは顔を見ればすぐに分かった。
そんな武夫を見かねた俺は、何があったのかを聞こうと思った。だが、急に武夫は真剣な顔になり、俺に言った。

「お前に手紙を書いた女子、島崎さんと言ったな」
「その通りだけど」
「何か聞いていないか」

武夫の口から出た言葉は、全く想像と違うものだった。
どういっ た旨の話なのか、俺には武夫の求める答えは見当もつかなかった。

「どういう事なんだ」
「いや、俺からいう事でもないか。きっと、教えてもらえるはずさ」

はじめの言葉以外は聞き取ることが出来なかった。けど、その言葉を境に、何かが吹っ切れたように晴れやかな顔になり、大きめの声で言った。

「まあなんだ。せっかく彼女ができたんだから、幸せにな」

言い終わった途端に武夫は、バッグを片手に教室を後にした。
結局、武夫の言いたかったことは、俺には分からなかった。けど、最後の言葉だけはよく分かった。武夫に言われなくたって、俺は最初からそのつもりだ。
俺も机の横に掛けてあるバッグを取り、優梨さんの待つ靴箱へと向かった。


それから、特に何事もなく平穏な日は続き、数週間が過ぎた。今日に至るまで、優梨さんとはほとんど毎日デートをした。遊園地に行ったり、家に呼んだりしたこともあった。
2人きりの時は名前で呼ぶようになり、初めて会った時よりも確実に仲は深まっていた。

武夫についてだけど、あの日以来、特に変わったところはない。いつも通りの笑顔に、いつも通りの会話。あの日が少し特殊なだけだったのだ。そう、きっとあの日は何かが違ったんだ。

「悠斗、もしかして体調悪い」
「あ、いや。ごめん、ぼーとしてた」

俺は今、優梨と一緒にデパートに来ていた。考え込んでいる俺の顔を見て、きっと体調の心配をしてくれたのだろう。デート中に下手に違うことを考えると相手を心配にさせてしまう。だから今は、考えるのをやめて笑顔を向けた。
すると優梨は、俺の手を握り言った。

「無理はしないでね」

病人を気遣う時に出るものとは、似て非なるものだった。どこか重みがあるというか、軽く心配しているだけではないことが分かった。

「別に無理はしてないよ。夜遅くまで本を読んでいたから、寝不足気味なんだと思う」

こう言った時、なんと返せばいいのか未だに分からない。ただ、こうして嘘を返すのは間違っているということは分かる。嘘なんて、気持ちの良いものではないしな。
こんな嘘吐きの言葉でも優梨は、何も言わずに納得したように頷いて、信じてくれた。

暗くなった場の空気を少しでも変えようと、次に向かう場所についての話を振った。

「デパートでやることも終わったし、他に行きたいところとかあるかな」
「初めてのデートで行った公園に行きたいな。ゆっくり話したいことがあるから」

話がしたいなんて、急に改まっていうことでもないだろう。余程重要な話なのか、或いはあの場所であの時のように話がしたいだけかもしれない。優梨の真意は分からないが、公園に行きたいというのであれば行こう。俺に拒む理由はない。

「分かった。じゃあ公園に行こうか」

俺は優梨の手を握り、ゆっくりと歩き始めた。

公園までの道、俺と優梨は一言も話さなかった。日頃から話さない訳でも、仲が悪い訳でもなく、単純に話のできる雰囲気ではなかったのだ。けれど、そうな状態でも、手だけは離すことがなかった。


公園に着いた。初めて来た時よりも人は多く、騒がしい。それでも、この場所は何故か落ち着いた。
俺は、先にベンチに座っている優梨に、飲み物を買ってベンチへと向かった。

「優梨、お茶でよかったよね」
「うん、ありがとう」

お茶を手渡して、優梨の横に座った。その刹那、彼女は言った。

「私、もうすぐ死んじゃうみたいなの」
「え...」

冗談を言っている訳ではなく、表情は至って真剣だった。さりとて、意味はわからない。
優梨が死ぬなんて、そんなことがあるのか。いつも明るくて元気だったし、毎日のように出かけていたのに、死ぬなんて。

「いつからなんだ」

優梨は口籠もり、下を向いた。俺から目をそらしているのだ。ということは、きっと俺には言いにくい時から、そう、例えば告白の前から分かっていた。そう考える他なかった。

「告白する前から、分かっていたんだな」
「うん」

弱々しく頷き、俺の発言を肯定した。つまり、優梨はそんな状態にあると分かっていながら、俺に告白をしたという訳だ。俺は最初から、遊ばれていたんだ。
そう思うと無性に腹が立って、自分が自分じゃなくなるような感覚に襲われた。

「少し、時間をください」

まるで初めてあった時のような口調で、俺は優梨に言った。それと同時に立ち上がり、全速力で走った。後ろから声が聞こえたような気がしたが、声に耳を傾ける余裕などなかった。

─彼の走り去った公園には、少女がぽつんと座っていた。こうなることは分かっていたはずなのに、少女は耐えきれなくなり涙を浮かべる。
「悠斗、ごめんね」
少女の謝罪は、誰の耳にも届くことはない。
それでも、少女は何度もそう繰り返す。意味のない行為だと分かっているのに。


家に帰ってから一睡もできないままに、俺は学校に来ていた。眠気はあるものの、眠れなかった。昨日のことについて、ずっと考えていたからだ。そうしている間に、優梨からメールが届いていたが、開く勇気がなかった。
あそこで踏みとどまって話をしていれば、また違っていたのかもしれない。けど、優梨が勇気を出して話をしてくれたのに、俺は逃げたのだ。そんな情けない俺が、今更優梨に関わるなんて、できるはずがなかった。

今日も授業を終え、バッグに荷物を詰めて帰ろうかという時に、武夫が複雑そうな顔で話しかけてきた。

「お前、今日はずっと元気なかったな」
「ああ」

武夫も俺も、考え事をするとすぐに顔に出てしまうみたいだ。俺が何か考え事をしていると分かって、話しかけてくれたんだな。

「でも仕方ないよな。お前、今から病院に行くんだろ」
「え、なんで」

予想外の質問に、間抜けな声が出てしまった。まさか病院に向かうと思われる程に、考え込んでいる時の顔はひどかったのだろうか。理解に苦しんでいると、耳を疑いたくなるようなことを武夫が言った。

「なんでって。悠斗、島崎さんが学校に来てないのは知ってるのか」
「いや...知らない」
「知らないってどういうことだよ。お前ら昨日もデートに行ったんだよな」

確かに昨日もデートには行った。しかし、昨日のデートで彼女から聞いたのは、もうすぐ死んでしまうということだけだった。今日、学校に来ていない理由については何も...。
自分の中で断言しようとしたその時、脳裏に昨日の記憶が蘇った。
『時間をください』そう言って、その場を離れようと走り出した時、彼女は言っていた。『学校にはもう行けないの』力一杯叫んだ彼女の声は、俺の耳に届いていた。けれど、あの時は余裕がなかった。聞こえていても、聞こえないふりをしていたのだ。

「確かにデートをしたよ。公園で、学校には行けないって言われてた」
「そのデートの時に言われたんだな。自分の持つ病気について」

俺は驚愕した。武夫には優梨のことを殆ど話していない。況して、昨日の出来事など一つとして教えていない。それなのになぜ、武夫はあの事についてを知っているのだろう。

「なんで武夫がそれを知ってるんだよ」
「あの人、一部では有名なんだよ。お前には情報を得る手段が殆どないから、知らなかっただろうが」
「なら、お前も最初から知ってたってことかよ」

武夫は浅く頷いた。こいつは、俺がメールをした時から分かっていたのだ。島崎優梨という人間について。それなのに、黙っていたのだ。いくらでもいう機会はあったはずなのに、信頼して話をしていたのに。なんだか全てがどうでもよく思えた。怒りより先に、脱力感が俺を支配する。俺の脱力しきった問いかけに、武夫は強めに答える。

「いいか、よく聞け。俺も悩んだんだよ。お前はあの時点では、島崎さんについて知らなかった。こういうことって本人の口から言うべきことだし、島崎さんもそうしたかったはずだ。だから、俺は悩んだ末に言わない事にしたんだ。それだけじゃない。島崎さんの置かれている状況を考えるとな、お前にはどうしても言えなかったんだよ」

武夫の言うことに、何一つ口を出すことはできなかった。なぜなら、その通りだからである。武夫だって悩んでいるし、島崎さんだって苦渋の決断だったはずだ。それなのに、逆上してし待った自分が、情けないと思った。

「俺、自分のことしか見えてなかった。ありがとう、武夫」

武夫にお礼を言い、さっとポケットからスマートフォンを取り出して、昨日届いていた優梨からのメールの中身を確認した。
そこに書かれていたのは、昨日のことについての謝罪と病院の場所だった。
前半部分は少し長めに謝罪文があり、最後に一行、病院の住所があった。
前半の謝罪文を見て、俺は思った。俺は行ってもいいのだろうか、行くべきなのだろうかと。考えるために、一瞬だけ動きを止めた。すると、まるで心を読んでいるかのように、武夫は俺に聞いてきた。

「病院の場所、分かったんだろ。行ってやらないのか」
「俺には、行けないよ。資格がないんだ。優梨の話を最後まで聞かずに、帰ったんだ。そんな俺が」

俺には分かっていた。優梨がそんなことを気にしていないことを。気にしているのならば、態々メールに病院の場所を書きはしないからだ。むしろ優梨は、こんなに書き綴るほどに、責任を感じているのだ。
ここまで優梨を追い詰めた俺が、行くのは良くないのではないか。そんなふうに考えてしまい、結果として、行けないと言った。
情けないことを言う俺に、武夫は一喝する。

「馬鹿野郎、お前は本当に馬鹿だ」
「...え」
「お前の気持ちはどうなんだ。島崎さんのところに行きたいのか」

本気で怒る武夫を初めて見た。それも、俺のために怒ってくれているのだ。今の武夫からは、怒りより先に、俺に対する優しさが感じられた。

「行きたい。けど、迷惑じゃないかな」
「こういう時、そばにいないと行けないのはな、家族だけじゃない。お前もだ。だから、迷惑とか考えるんじゃねぇよ」

その言葉を聞いて、俺は最高の友人を持ったなと思った。

「行ってくる。本当、ありがとう」
「ああ、行ってこい」

武夫に背中を押され、勢いよく教室を飛び出した俺は、改めて住所を確認するために画面を開く。マップで検索にかけると、家に帰るより直接行った方が早いことが分かった。
道も分かったところで、マップを頼りにしながら、最短の道を通って病院に走るのだった。


病院にたどり着いた俺は、メールにあった部屋の前まで来ていた。壁には優梨の名前札が貼られているので、ここまで間違いはないはずだ。いざ入ろうという時に少し、扉を開けようとする手には迷いがあった。けれど、武夫の言葉を思い出し、勇気をもらった。2回ほどノックをして、相手の返事を確認したところで、ゆっくりと扉を開けた。すると、扉はガラガラと音をたてながら開いた。

病室に入ると、こちらを見て涙ぐむ優梨と、優梨の母親らしき女性がいた。

「きてくれたんだ」
「当たり前...とは言えないか」

なんとも締まらない返しだが、当たり前とは言えなかった。友人の助けがなければきっと、ここにはいなかったと思うからである。
それでも、優梨は嬉しそうに笑ってくれた。
横に目をやると、優梨の母親らしき女性は、俺に頭を下げた。

「悠斗くん、迷惑かけてごめんなさいね。辛い思いをさせてしまったよね」
「そうですね。すごく辛かったです。けど、迷惑なんかじゃありませんよ」

色々あったけど、優梨からもらったものは多かった。迷惑なんてことあるはずがない。

「ありがとう。娘の好きになった相手が貴方みたいな人でよかった」
「そう言っていただけるのは嬉しいですけど、僕は娘さんにひどいことをしてしまいました」
「私には、今に至るまでのことは分からない。けれど、今こうしてここにいる。それで十分よ」

優梨のお母さんからの言葉は、とても心に響いた。俺は小さな声だが強く『はい』と答えた。そしてもう一度、優梨の方に目をやると、何かを言いたげな顔でこちらを見ていた。

「あの、優梨って出歩くことはできるんでしょうか」
「外出はできないけど、病院内なら」
「なるほど」

どの程度の場所ならば行けるのか、それを確認したところで、一呼吸置いて言った。

「優梨、中庭に星でも見に行こう」
「そうね。行って来なさい、優梨」

とても優しい声で優梨に言うお母さん。薄っすらと浮かべていた涙を拭い、優梨はゆっくりとベットから降りた。

「悠斗」
「今は何も言わなくていい。まずは中庭に行こ」

優梨の表情と声のトーンから、謝ろうとしていることは容易に想像できた。だから今は、今だけは優梨を止めた。
そして、優梨のペースに合わせて中庭に歩き始めた。


数十分が経過したころ、ようやく中庭についた。俺は優梨の手を引き、近くにあったベンチに腰掛けた。
つと、空を見上げてみると、まだ少し明るい空にいくつかの星が瞬いていた。
柔らかな風が吹き付ける中、俺と優梨はしばらくの間、何も言わずに星を見ていた。

「綺麗だな」

無意識に俺はそう言っていた。急に言葉を発した俺に多少驚いていたものの、優梨は頷いた。そしてまた、静寂の時が訪れた。ゆっくり流れるようで、早い時間が流れていく。
こんな時間をいつまでも一緒に過ごしたい、一緒に生きたい、そんな風に思った。

辺りが更に暗くなり始めた頃に、優梨が口を開いた。

「私ね、自分は死ぬんだって分かってから悠斗に出会うまで、何もなかったの。けど、ある日悠斗を見かけてから私は変わった。
ゆっくりと死を待つだけだったのが、少しでも長く悠斗を見ていたいと思うようになったの」

初めて聞く優梨の一目惚れの裏側に、むず痒いものを感じた。あの告白の裏には、こんなにも強い思いがあったのだ。
単純に、この事実が嬉しくてたまらなっかった。

「だから、ダメだって分かってはいたけど、悠斗に告白したの。はじめは断られると思っていたから、受けてもらえてすごく嬉しかった。私の我が儘で悠斗には嫌な思いをさせたよね」
「いいや、優梨のおかげでいろいろな経験ができたよ。俺、友達とかほとんどいなくてさ、況して異性との交流なんてほとんどなかったんだ。そんな俺が、恋を経験させてもらえたんだ。優梨には感謝してる」

武夫以外には話したことのない、というより武夫以外に話す相手もなく、話すことのなかった俺のことを優梨に話した。
自分の彼女に向って友達がいないというのは、些か悲しいものを感じたが。

「本当に、もう怒ってないの。私酷いことしたんだよ」
「夕方ぐらいまでは複雑だった。俺一人だったらここにいなかったかもしれない。けど、俺の数少ない最高の友人に言われてさ、
気づかされたよ。俺は間違っていたんだって」
「こんな愚か者わたしだけど、嫌いにならないでくれるの」

深く何度も何度もうなずいて答えた。返答を聞いた優梨は、まるで子供かの様に泣き始めた。両手を使って必死に涙を拭っているが、それを上回る涙が零れ落ちていた。
俺はハンカチをポケットから取り出し、そっと渡した。
ハンカチを受け取った優梨は、目の周りを覆うようにハンカチを広げた。
今だ声を出しながらなく彼女を、強く抱きしめた。時々かすれ気味な声で、ありがとうと聞こえてきた気がした。
優梨の涙が収まるまでの間、ぎゅっと抱きしめ続けた。


幾ばくかの時間が過ぎ、大分落ち着いた。頭を軽くなでてやると、少し笑顔になってくれた。

「優梨、入院したってことはもう長くないのか」
「最近、体の調子が悪い日が多くてね。日に日に悪くなってるの。今日は中でも酷くて...だから、明日かもしれないって」
「急、だな」

もう長くないとは聞いたが、明日かもしれないとは。急すぎてまったく整理ができない。
優梨はなんで明日死ぬかもっていうのに、ここまで強くいられるんだろう。

「怖くないのか」
「すごく怖い。けど、悠斗のおかげで和らいだ」

俺も心の準備をしておかなくてはいけない、そう思った。俺の方が弱いなんてこと、あってわならないからな。

「俺、明日も絶対来るから。絶対元気な姿を見せてよ」

時間はもう7時過ぎ、本当はもう少し居たいが、これ以上は流石にまずいので今日は引き上げることにした。
明日も元気な姿を見たい、とても強くそう思い、俺は優梨に言った。

けれどそれは、無情にも叶うことはなかった。

翌日の朝、俺は目覚ましではなく、メールのバイブ音で目が覚めた。
何事かと画面を見ると、優梨のお母さんからのメールだった。きっと優梨がお母さんに教えておいたのだろう。
メールを開くと、緊急の文字が目に入った。嫌な予感が俺の頭の中を埋め尽くした。
スマートフォンを急いでしまい、自転車の鍵だけをもって家を出た。学校に連絡するよりも先に、病院を目指した。


病院着いた俺は、もう一度スマートフォンを取り出した。画面を見るとそこには、もう一件メールが来ていた。
恐る恐る開いてみると、昨日とは別の部屋の番号が書かれていた。大丈夫、そう言い聞かせながら走った。

部屋に着いた。扉を見ると、すべてが理解できた。記されていた部屋は、病室ではなかったのだ。
つまり、優梨はもういないのである。溢れそうになる涙を堪えながら、扉を開いた。

「悠斗君...」

ガラガラに枯れた声で俺の名前を呼ぶ優梨のお母さん。その隣で涙をぬぐっている男性がお父さんなのだろう。
俺は何も言えず、その場に崩れ落ちた。

「悠斗君、来てくれたのか」

優梨のお父さんは俺のほうを見て、そう言った。

「はい、あの娘さんは」
「察しの通りだ」

悲しみをこらえ気丈に振る舞ってくれているが、その様が余計に心へ刺さった。
昨日のあれが最後だったなんて、もっと話したかった、もっともっと。
等々耐え切れなくなり、俺も泣いた。それはもう激しく。
それから、涙が出なくなるまでひたすらに泣き続けた。

─病室には、鳴き声が響き渡っていた。少女に先立たれた少年の、行き場のない気持ちが部屋に満ちた。
薄暗い部屋が、さらに暗く映る。そんな少年を見た少女は『だめだよ、泣かないで』そう言う。けれどその言葉は、少年の耳には届かない。
届くことはない。それでも少女は、願うのだった。『笑って。笑ってる顔が大好きだったよ』

優梨の両親に連れられてやってきたのは、優梨の入院していた病室だった。

「優梨から、悠斗君にと預かっていたんだ」

差し出されたのは靴箱に入っていたのとまったく同じ封筒だった。表には『中村悠斗様』俺の名前があった。
何から何まで、あの時の手紙と同じだった。

「これは」
「優梨が昨日書いた手紙だよ。悠斗君が来たら渡してほしいといわれてね」

昨日、ということは俺が帰った後のことか。態々こんな風にしなくてもいいのに、そう思った。
最後の最後まで俺のために。俺は最高の女性と付き合えたのだということを、改めて実感した。

「開いてもいいですか」
「もちろんだよ」

ゆっくりと中身を取り出し、広げてみた。そこにはびっしりと文字が綴られていた。その文を見て俺は─
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