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1人って楽

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「あ~腹筋死んだ」

「酷いです健二さん。俺は頭のおかしい子供って役に必死だったんですよ」

「うん、凄かった。葵は凄いよ」

褒められても嬉しく無い。

またブッっとぶり返した健二はもう放置する。
ここは事務所の中だ、窒息死するならどうぞご勝手にして頂けば結構。

生きるのがとても楽しそうな健二は置いといて、色々整理しなければならないけど考える事が多過ぎる。

実は困った事になっているのだ。

丸顔の不動産屋によると野田弁護士がグランメゾン誠の102号室に入居を決めたのは2日の午後7時21分だった。
契約内容を入力した時間がパソコンに出ていたからこれは間違いないと思う。

そして、赤城さんが今のアパートを決めたのは3日の午前中だ。
しかも最寄りの駅が別になる他の候補もあった。

つまり、野田が赤城さんより先に住む所を決めた事になる。

怪しさは90%以上、しかしストーキングをしていると確定に至る物証は何も無い。

取り敢えず問題点を書き出してみる。

通勤が異常に不便。
アパートの場所やクオリティが収入に合わない。
ニアミスのあった自動販売機はもっと最寄りに同じ物が買える場所がある。

それぐらい。

他に何か出来る事はあるだろうかと考えていると、健二はソファの上で眠り込んでしまった。

「困ったな……」


「何が困ったの?」

………この人には仕事というものは無いのであろうかと思う。
いつもブラブラしているようにしか見えない。
ヒョイと頭の真上から顔を出した椎名が、長い腕を伸ばしてローテーブルに置いた報告書を取り上げた。

「部外者は見ないでください」
「部外者じゃ無いよ、従業員じゃ無いだけだ」
「それはどういう意味ですか?」
「うん、社長と呼んで貰おうか」

「え?……」

そうかなって思ってたけどそうだった。
口は出すけど手は貸さないって……仕事はしないけど儲かる人種………何だか椎名にはピッタリだ。

「社長……」
「おお、早速社長呼びか、何だかエロいな」

「………一ミリもエロくないです、そして社長と呼ぶのは嫌です」
「ハハ、まあ呼ばなくていいよ………それより……確かにこれは困ったね、その後の様子を見極めて対応していくって事になるけど、どうしても駄目なら直接アターックって手しか無いな」

「やっぱり……そう思いますか?」
「うん、まあ、何とかなるよ、それよりも健二はどうしたの?服に血がついてるけど、まさか誰かとバトルしたんじゃ無いよね?」
「え?あ……これは…」

椎名に指摘されて「しまった」と焦った。
笑いの発作に犯されている中でも、煩いから椎名には事故の事を言うなと健二から注意を受けていたのだ。

怪我の手当てもせず、着替えもせずゴロゴロと転がり回り、挙げ句の果てに疲れて寝てしまう健二も悪いが、タオル一枚でも掛けておけば椎名にはバレなかった。

「バトルじゃ無いです。どちらかと言えば自損事故です、それに健二さんは簡単にキレるような人じゃないでしょう」

「それホント?健二に脅されたりしてないよね?自損事故って何?」

「いや…それは……」

またしくじった。
転んだだけだと言えばよかったのに、事故事故と何回も聞いたせいで思わず交通事故の風味を出してしまった。

ここは惚ける。誤魔化す。無かった事にする。

「お……脅したりするのは椎名さん達の専売特許でしょう、健二さんは笑いの病気にかかって今危篤状態なんです。そうっと寝かせなきゃ死にます」

「………葵くん」

ヒョイっと両手で釣り上げられ「ヒャア」って変な悲鳴が出た。
また脇の下を支えられての子供抱きだ。

「下ろしてください、子供扱いはやめてください、嫌です、恥ずかしいです」
「じゃあ吐いて」
「昼前にパンケーキを食べたっきりだから吐けません、胃に何も入ってないんです」

何?!と椎名の口から飛び出たデカい声にこっちの方がビックリした。
どうしてそこまで人の食事に拘るのか……もう意味不明だ。

ヌイグルミを抱っこするように抱えられるのはもう定番らしい。
誰か知り合いにでも見られたら舌を噛み切りたくなるようなポーズで外に連れ出され、2回目の焼肉を補給された。

六人掛けのテーブルなのに横並びで座るのは何でだ。しかも席の奥に追いやられてる。
焼肉屋の席に座るまで抱っこが解けなかったからされるがままのお任せになったのは仕方ないけどね。

焼けた肉の自動配給は前と同じ。
そして食べるのが追いつかない。

そろそろ満腹で肉の顔はもう見たくないって頃に「そろそろいいだろ」って気持ち悪いくらいのいい笑顔が襲って来た。

狭いのに…逃げ場所は塞がれてるのに。
ドシッと壁に手が付いて、ズイっと顔が寄ってきた。

「で?……」って……近い。

健二が怪我をしたのは大変申し訳ないけど………言っちゃ何だがあんまり悪いと思ってないと言うかまだ許してないって言うか、何にしても命に別状は無い。
事実、痛がったりしてないし、必要以上に元気だし、粛々と窒息を楽しんでいた。
もう別にいいんじゃないかと思う。

「………何ですか」

「吐いて貰うよ」

「肉の入っていたお皿の上でいいですか?それともおしぼりで受けるとか」

「葵くん………」

うん。無理。

だって相手はヤクザだもん。
白状する、せざるを得ない。

「つまり」
「つまり?」

「俺が健二さんを殺そうとしたんです」
「………どういう事?」

「お………」
「お?」

「一々復唱しないでください、健二さんが俺の事を女みたいって言うから……車道に突き飛ばしたんです」

どんなに脅されても、拷問されても、意地でも「女」の後に「子」は付けない。

「なあんだ、そうか~」って……。

椎名の怒るポイントが見えない。
いつもの通り柔らかい笑顔は張り付けているが、微妙に真剣だった目がほわッと緩んだ。

俺は確かに「健二を車道に向かって突き飛ばした」そして「殺そうと思った」。

そう言った筈だ。

今、何か言い間違えた?
それとも言い回しがおかしかった?

「あの、椎名さん?、俺の話を聞いてました?車が走ってる車道に「死ね」と言って突き飛ばしたんですよ?走って来た車は目の前だったし、ちょっとだけ足の横が車に擦れたくらいギリギリだったんです」

足が車に当たっていたのかは本当のところはわからないが、サァッと風のような物が擦ったのは間違いない。

ここ。……と右足の踝を、指で指すと椎名の顔から笑顔が消えた。

今度は何だ。

波長の合わない人って難しい。
何を考えているのか本当に謎だ。
どちらかと言えば健二の方が分かり易くて楽だ。

「葵くんも危なかったの?」

そこ?

まあ……椎名の言いたい事はわかる。

俺は600万円分の人質なのだから当たり前なのだ。椎名はヤクザなのだから利権の為以外に動いたりしないのだと思う。


「健二さんを突き飛ばした時には勢いが着き過ぎてタックルになっちゃっただけです。咄嗟に健二さんが反対車線まで飛んでくれたから二人共助かりました。」
「それで健二は背中と肩から血がでていたのか……葵くんは?怪我をしてない?」

「俺は無傷です」

「それは良かった」

フイ~と長い息を吐いた椎名は、囲い込むように俺の背中の壁に付いていた腕をやっとの事で引っ込めてくれた。

その後は、杏仁豆腐を食べながら、警察と救急車が来てしまった事、身分証明書が何も無かったのをいい事に、警察の聞き取りには嘘を並べた事を全部綺麗に吐き戻してしまった。





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