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生態記録 序章
記録No.3
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天井に突き刺さる大蛇を後にして、おっさんは食糧を調達しに行くことにした。
このあと大蛇をどうするのかとか、ぽっかり開いた天井の穴が地上の人間の築く精強な帝国領に繋がっているとか、洗濯をはじめとする家事がまるまる残っているとか、そういうことは全て後回し。
おっさんは短絡的な発想しかしないのだ。
「夜まで帰って来ないって、言ってたしなぁ」
実のところ、おっさんには奥さんがいる。
いるのだが、家事に関してはほとんどノータッチ。もちろん、おっさんが家事を率先してやるわけがないから、この家庭は誰も家事をしようとしない。
奥さんは専ら洞窟の外に出ていることが多く、誰もしないから、結局は洞窟に引きこもっているおっさんがどうにかすることになる。
とはいえ、食糧調達は簡単なことだ。
こう見えておっさんは強いのだ。
「そろそろ疲れてきたな……」
強いので、食糧になるような魔物を狩るのは全く問題ないが、ここでやる気のなさが足を引っ張る。
本当にどうしようもない男だ。
狩り場への移動は困難を極めた。
主にやる気の問題で。
最初の一歩にして、最大の壁と言っていい。
なにしろ今もこうして洞窟をのっしり歩いているのはいいが、目的地まであと少しというところでペースが落ちてきている。
おっさんはなんでもかんでも、ゴールが近づいている頃に疲れてやめてしまうのだ。
別に体力的に問題があるという事は、まったくない。かつて最強と言われていた頃は、一か月間ぶっ通しで戦い続けてもまったく戦闘力が落ちないという驚異の継戦能力を誇っていた。
これは体質的な、完全に才能によるものなので、いくらだらけた生活をしていても衰えることはない。
しかしそれは肉体的な話。
気力はすっかり衰えて、今では一日に一つの行動が限界。
今日も食糧を調達したら、あとはそれをつまんで終わりだろう。
「ふう、こりゃ参るなあ」
下り坂をゆっくりゆっくり降りていくおっさんの眼前に、光が見えた。
洞窟の中とは思えない、ほどよく乾いた、爽やかな空気が流れてくる。
到着だ。
今日の狩場、《ぽかぽか大空洞》である。
☆
《ぽかぽか大空洞》。
魔界一間抜けなこの大きな空間は、地底に広がる地下世界にも関わらず陽光があり、闘争を繰り広げる魔物達の住処にも関わらず穏やかな気配で満たされている。
早い話、ここに食う者と食われる者の関係はない。
壁面の中腹の穴から見下ろすおっさんの視線の先。
長く細い草の海で、まさにそれを示す光景があった。
鹿が、頭を垂れ、拡がった枝のような角を何者かに差し出している。
相手は草よりも、そして鹿よりも背丈のある熊だ。
鹿の胴体に美しい群青の毛が生えていることや、熊の手先に爪がなくまんまるに太っていることも奇妙といえば奇妙だが、彼らの行動はさらに奇妙だった。
熊が鹿に襲い掛からないどころか、ぺこりと初々しくお辞儀したのだ。
鹿が急かすように角を揺らす。
熊はーー否、くまさんは、可愛らしいまんまるの指で鹿の角をかかえて、ぺろぺろと舐めだした。幸せそうな顔で舌を動かすくまさんに、鹿も心なしか気を緩めているようだ。
周囲一帯の空気が張り詰める。どうやら、見た目に反して緊張感ある儀式的な意味合いがあるようだ。じっと動かない鹿と、その角をぺろぺろぺろぺろ舐め続ける熊。理由はわからないが、邪魔してはならない真剣さがそこにはあった。
しばらくして、くまさんが角を舐め終わった。
鹿が凛と立ち上がり、角を誇る。
角は、ぴかぴかに輝いていた。
どうやら、くまさんの舌が研磨剤になっていたようだ。
周囲の魔物たちが、感嘆の声をあげる。
一方くまさんは、だらりと背を丸めて座り、満足げな顔をしている。
まるでおっさんのようだ。
「今日も平和だねえ」
ぼやいたおっさんは、下に降りることにした。
しかし切り立った断崖とも呼べる壁面に、下へ降りる道などない。
仕方ないので、おっさんはそのまま断崖を飛び降りることにした。
このあと大蛇をどうするのかとか、ぽっかり開いた天井の穴が地上の人間の築く精強な帝国領に繋がっているとか、洗濯をはじめとする家事がまるまる残っているとか、そういうことは全て後回し。
おっさんは短絡的な発想しかしないのだ。
「夜まで帰って来ないって、言ってたしなぁ」
実のところ、おっさんには奥さんがいる。
いるのだが、家事に関してはほとんどノータッチ。もちろん、おっさんが家事を率先してやるわけがないから、この家庭は誰も家事をしようとしない。
奥さんは専ら洞窟の外に出ていることが多く、誰もしないから、結局は洞窟に引きこもっているおっさんがどうにかすることになる。
とはいえ、食糧調達は簡単なことだ。
こう見えておっさんは強いのだ。
「そろそろ疲れてきたな……」
強いので、食糧になるような魔物を狩るのは全く問題ないが、ここでやる気のなさが足を引っ張る。
本当にどうしようもない男だ。
狩り場への移動は困難を極めた。
主にやる気の問題で。
最初の一歩にして、最大の壁と言っていい。
なにしろ今もこうして洞窟をのっしり歩いているのはいいが、目的地まであと少しというところでペースが落ちてきている。
おっさんはなんでもかんでも、ゴールが近づいている頃に疲れてやめてしまうのだ。
別に体力的に問題があるという事は、まったくない。かつて最強と言われていた頃は、一か月間ぶっ通しで戦い続けてもまったく戦闘力が落ちないという驚異の継戦能力を誇っていた。
これは体質的な、完全に才能によるものなので、いくらだらけた生活をしていても衰えることはない。
しかしそれは肉体的な話。
気力はすっかり衰えて、今では一日に一つの行動が限界。
今日も食糧を調達したら、あとはそれをつまんで終わりだろう。
「ふう、こりゃ参るなあ」
下り坂をゆっくりゆっくり降りていくおっさんの眼前に、光が見えた。
洞窟の中とは思えない、ほどよく乾いた、爽やかな空気が流れてくる。
到着だ。
今日の狩場、《ぽかぽか大空洞》である。
☆
《ぽかぽか大空洞》。
魔界一間抜けなこの大きな空間は、地底に広がる地下世界にも関わらず陽光があり、闘争を繰り広げる魔物達の住処にも関わらず穏やかな気配で満たされている。
早い話、ここに食う者と食われる者の関係はない。
壁面の中腹の穴から見下ろすおっさんの視線の先。
長く細い草の海で、まさにそれを示す光景があった。
鹿が、頭を垂れ、拡がった枝のような角を何者かに差し出している。
相手は草よりも、そして鹿よりも背丈のある熊だ。
鹿の胴体に美しい群青の毛が生えていることや、熊の手先に爪がなくまんまるに太っていることも奇妙といえば奇妙だが、彼らの行動はさらに奇妙だった。
熊が鹿に襲い掛からないどころか、ぺこりと初々しくお辞儀したのだ。
鹿が急かすように角を揺らす。
熊はーー否、くまさんは、可愛らしいまんまるの指で鹿の角をかかえて、ぺろぺろと舐めだした。幸せそうな顔で舌を動かすくまさんに、鹿も心なしか気を緩めているようだ。
周囲一帯の空気が張り詰める。どうやら、見た目に反して緊張感ある儀式的な意味合いがあるようだ。じっと動かない鹿と、その角をぺろぺろぺろぺろ舐め続ける熊。理由はわからないが、邪魔してはならない真剣さがそこにはあった。
しばらくして、くまさんが角を舐め終わった。
鹿が凛と立ち上がり、角を誇る。
角は、ぴかぴかに輝いていた。
どうやら、くまさんの舌が研磨剤になっていたようだ。
周囲の魔物たちが、感嘆の声をあげる。
一方くまさんは、だらりと背を丸めて座り、満足げな顔をしている。
まるでおっさんのようだ。
「今日も平和だねえ」
ぼやいたおっさんは、下に降りることにした。
しかし切り立った断崖とも呼べる壁面に、下へ降りる道などない。
仕方ないので、おっさんはそのまま断崖を飛び降りることにした。
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