3級神エリカの成り上がり~打倒オーディン! 冤罪で死刑⁉ 最下級の女神エリカの成り上がり物語~

法王院 優希

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正史ルート

第3話  スクルド先生との交流

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私の家にて。

 木製のテーブルを挟んで、スクルドと向かい合って座っている。

 窓から差し込む朝の光が、埃とともにゆっくりと動いていた。家の中は静まり返っているが、この空気はすぐに重たくなるだろう。なぜなら、今日はスクルドの説教まじりの授業があるからだ。


「エリカ、女神の心得その1は?」


「優しさは自分のためじゃない、とかだったかしら」


 私が面倒くさそうに答えると、スクルドが腕を組んで苛立ちを見せる。


「あんたが生まれた後すぐに教えてあげたでしょうが! なんで、その1から忘れてるのよ?」


 どうでもいいから、忘れただけ。私にとっては必要性を感じないから仕方ない。


「もう一度教えてあげるから、今度こそ心に刻み込みなさいよ!」


「はいはい」


「はいは1回でいいでしょ!」


 すぐ感情的になるのはスクルドの悪い癖だ。朝から大きな声を出さなくてもいいのに、と私は心の中で思う。


 スクルドが息を整えると、少し気を取り直すように声を上げた。


『女神の心得

 1、慈愛を持って他者と接すべし

 2、殺生を避けるべし

 3、正義を持って行動すべし』


 スクルドがわざわざ声を張って説明してくるのを、私は薄く笑いながら聞き流す。何度も聞いた言葉だが、全く興味ない。


「あんたにもう一度教えておけって、ヴェル姉様に言われたのよ」


 ヴェル姉様――ヴェルザンディのことだ。あいつが、こんな地味な説教まで指示しているかと思うと、うんざりする。


「あんた、また町で絡んできた3級神たちを殺そうとしたでしょ?」


「あれは、あいつらが悪いのよ」


 以前に、町で絡まれて斬ろうとした記憶が蘇る。正直、私はやる気になれば一瞬で斬れる。それだけの実力はあるし、彼らも私を見下していたから。


「絡んできたからって、斬り殺そうとする女神がどこにいるのよ!」


「ほら、ここに」


 自分を指さして言う。スクルドは苛立ちを込めて深く息を吐く。


「あんたって、本当に反省しない性格よね。はあ」


「まあね」


「褒めてるわけじゃないわよ!」


 スクルドの声はまた大きくなった。


「女神の心得その1は?」


「自愛を持って征すべし」


 そう口にすると、スクルドは頭を抱え込んだ。


「なんで、また最初から間違えるのよ? 教えたばかりでしょうが!」


「いや、響かなくて」


 どうでもいいことって、覚えられない。スクルドは相変わらず許す気配はなく、険しい顔をしている。


「きちんと覚えるまで終わらないからね」


「ちょっと、勘弁してよ」


「絶対にダメ! ヴェル姉様に言われてるんだから」


 彼女の真剣な声音に、私は心底うんざりする。外は白い空が広がっているというのに、この部屋の空気だけが妙に息苦しい。スクルド先生の口頭授業は、こうして今日も続くのだった。




---




 次の日。

 

 昼過ぎ、私は城下町へ出かけることにした。


「早く行きましょ」


 なぜかスクルドもついてくる。


 私は内心、辟易している。昨日、一日中付き合わされたばかりなのに、また顔を合わせるのは鬱陶しい。


「そんなに嫌がらないでよ。あんたが悪いんでしょ」


 スクルドがそんな事をいっていたが、どう反応しても怒られるから黙っておこう。 私は無言のまま、城下町への道を歩く。




---




 城下町に着いた。


 主神の城に近い区画から1級神、2級神、3級神の居住区が広がる。私のような3級神は、城から遠い区画に縁があるが、スクルドと一緒なら2級神の区画にも行ける。もっとも、今日は用もないし、のんびり研究素材でも探すだけだから3級神の区画で十分だ。


「何を買うの?」


 露店や商店が並ぶ賑やかな通りで、スクルドが視線を動かしながら聞いてくる。私はちらりといろんな店を見回しつつ、短く答える。


「鉄、銅とかよ」


「そんなのつまらないじゃない」


 スクルドは不満げに言うが、私は必要な研究素材を買いに来ただけだ。神々の暮らすこの町は、食べ物や雑貨を売る店が多いけれど、私には興味が薄い。


 スクルドは甘い匂いが漂う方に足を引かれるようで、そのままフラフラとお菓子の店へ行ってしまった。私は自由になったつもりで、さっさと必要な物を探すことにする。


 すると、嫌な声が後ろから響いた。


「媚びるだけが取り柄の女神が、町に何の用だ?」


 どこか柄の悪い3柱の神が、私の背後にぴたりと立っていた。

 突然耳元で放たれた嘲るような声音に、一瞬だけ心臓が跳ねる。ごくり、と唾を飲み下す自分に気づき、私は苛立ちを覚えた。


 普段なら無視して通り過ぎるところだけれど、この男たちはわざと私の進路を塞ぐように立ちふさがってくる。


「上級神と仲良くしているお方は、3級神なんて目に入らないってか!」


 男のひとりが、私の正面を陣取って大げさに腕を広げる。あとの2柱は左右に回りこみ、私を囲むように配置した。通りを行き交う他の神々は、私たちから目をそらして遠巻きにしている。


 ちらりと視線を周囲に走らせる。誰も助けない――いつものことだ。目が合った店の主人さえ、すぐに視線を外した。


 私は浅く息を吐く。冷たい怒りが、胸の奥で小さく膨れあがっていくのがわかる。


(……斬るか)


 一瞬、手が刀の柄を掴みかける。もし私がここで殺意を解放すれば、この連中の首を落とすのは容易だ。視界の端がわずかに赤くなるような錯覚を覚える。


 だが、その感情と同時に、スクルドの顔が脳裏をよぎった。昨日、あれだけ口うるさく説教された。うんざりするほど『女神の心得』を叩き込まれたばかりだ。


 男の1柱がわざと私の肩を小突くようにして、ニヤリと笑う。


「どうした? えらく大人しいじゃないか。もしかして、ノルン様の庇護がなきゃ何もできないってことか?」


 後ろに立つもう1柱が、へらへら笑いながら背中側で何か動きを見せる。背後を取られている不快感が、首筋を焦がしていく。


 私は、そっと刀の鞘を握りしめた。ごく小さな「カチャ」という音が鳴る。


(いいかげん、うるさい。斬ろう――)


 次の瞬間、首を斬り落とすイメージが脳裏をかすめる。実行するまでほんの一瞬で済むだろう。けれど、その寸前で私は思いとどまった。


 ――なぜか。


 スクルドやヴェルザンディのあの面倒くさい説教顔が浮かんだからか。それとも、同じ3級神の身体をここで切り裂いたら、その後があまりにも煩わしくなるからか。


 苛立ちを抑えきれず、私は低く声を漏らす。


「どきなさい。私は素材を買いに来ただけなの」


「おっと、俺たちみたいな ‘下級神’ は目に入らないんだろう? ノルン様に気に入られてる特別製さんよ」


 嘲り交じりの声を背後で聞きながら、一歩足を踏み出す――しかし、男たちは動かない。道を開けるつもりはないらしい。


 瞬間、私は刀を抜こうとした。周囲の空気がぴりりと張りつめたように感じる。


(本当に斬ってやろうか?)


 思考が深く沈むより早く、男の1柱が今度はわざとらしい大声を張り上げた。


「ヴェルザンディ様、助けてください!」


 目を向けると、巡回中のヴェルザンディがいるのを見つけ、こちらへ駆け寄ってくる。やはり、最初から仕組まれていたのだ。私に刀を抜かせ、それを見咎めさせる算段に違いない。


「エリカ、またお前か。ちょっと詰所まできてもらおうか」


 ヴェルザンディの鋭い眼差しが、私と、私の腰の刀を交互に見つめる。男たちは勝ち誇った顔をして私から距離をとり、まるで被害者ぶっている。


 周囲の神々は興味本位でこちらを見ているが、誰も私を助けようとはしない。


 やられた。ハメられた。胸の奥に鋭い痛みを感じる。腹立たしさと虚しさとが入り混じって、頭の中がぐちゃぐちゃになる。


(こんな奴らに……)


 私は刀から手を離し、静かに諦めたようにため息をつく。

 そして、私は何も言わぬまま、ヴェルザンディたちに連行されていく。背後で聞こえる男たちの勝ち誇った笑いが、遠ざかるほどに耳を刺して痛かった。







 治安維持部隊の詰所。


 詰所は2級神と3級神の区画の間に建てられている。石壁に囲まれた室内は冷たく、古い木製のテーブルが真ん中に置かれている。


 ヴェルザンディと向き合って座らされると、彼女が溜息まじりに問いかけてきた。


「エリカ、これで何度目だ?」


「たしか……52回目くらいかしら」


「はあ」


 彼女は疲れ切ったように息をつく。その長い金髪が微かに揺れて、凛々しい鎧姿が一層硬い雰囲気を醸し出す。


「スクルドはちゃんと女神の心得を教えたんだろう?」


「ええ、しつこくね」


 私は頭の後ろで手を組むようにして椅子に持たれかかる。昨日の授業がどれほど退屈だったか、思い出すと頭が痛い。


「一応訊くが、何で他神を殺そうとしたんだ?」


「絡まれたからよ」


「普通の神は絡まれたくらいで、殺そうとはしないものなんだが」


 ヴェルザンディの呆れた声に、私も返す言葉がない。


「だって、あいつらに乱暴されそうになったから」


「確かにロクでもないやつらかもしれない。でも、だからといって命を奪うのはやり過ぎだ。殴るくらいで済ませても良かっただろう?」


 彼女の言葉は道理だけれど、私はつい殺意が先に立ってしまう。それが私という存在だ。


「全斬丸が血に飢えていたのよ」


「また訳の分からないことを。なあ、エリカ。他神を殺したら、どうなるかわかっているのか?」


「怒られる?」


「そんなわけないだろう!」


 ヴェルザンディの声が怒気を帯びる。治安維持部隊の長として、私の行動が洒落にならないというわけだ。


「重大な罪を犯せば、オーディン様によって裁かれることになる。最悪の場合、死刑になることだってあるんだぞ」


 オーディンの絶対的権威――私はその重みをどこか他人事のように感じていた。けれどヴェルザンディは本気で警告しているらしい。


「ねえ、今まで3級神が他神を殺した場合って、どうなったの?」


「私が知る限り、そんな事件は起こってないな。全てはオーディン様次第だ」


 彼女の声からは、警戒とも不安ともつかぬ色がうかがえる。


「試してみましょうか?」


「試さんでいい。お前は反省しろ」


 私が軽口を叩くと、ヴェルザンディは眉を寄せてテーブルを指で叩く。まるで言うことをきかない子供を叱る親のようだ。


「はいはい、反省しました。もう帰っていいかしら?」


「お前という奴は……。あとは、スクルドに任せるか」


 ヴェルザンディが入口へ視線をやると、ちょうどスクルドが現れた。手には大きな袋を下げ、口の端には食べかすがついている。


「あんた、こんな所でなにやってるのよ?」


 スクルドは苛立ち半分、呆れ半分といった表情で私を見やる。勝手にはぐれていたのはそっちなのに。


「またエリカが他神を殺そうとしたから捕まえたんだ。スクルド、ちゃんと教えたんだろうな?」


 ヴェルザンディの言葉に、スクルドは大げさに溜息をつく。


「ちゃんと教えたわよ。昨日あれだけ言ったのに、あんたはまたやったの?」


 私は目をそらしながら答える。


「か弱い私が身を守るために仕方なかったのよ」


「あんたなら、素手でも何とかなったでしょう? それか不壊丸を使いなさいよ」


 確かにその通りかもしれない。だが、私はそれを選ばなかった。


「つい殺したくなっちゃって」


「そんな人間界の殺人鬼みたいなこと言わないの! 女神の心得その2を思い出しなさい」


 スクルドは食べかけのお菓子を頬張りながらも、私を叱りつける。どうやら本気で怒っているようだ。


「……なるべく殺さないように努力する」


「それだと、場合によっては殺してもいいように聞こえるんだけど」


 スクルドの声には苛立ちと諦めが混ざっている。きっと彼女も私の性格をどうにもできないとわかっているのだろう。


「あんな奴らは死んだ方がいいと思うわ」


「そうやってすぐに安易な手段に走るのは、あんたの悪いクセよ。反省しなさい」


 その後もスクルド先生の説教は長々と続いたのだった。 



---



 帰り道。


 説教が終わって外に出ると、日が西に傾きはじめていた。夕方の赤い陽が城下町を染め、店じまいを始める露店の気配がどこか物寂しい。


「まったく、あんたには苦労させられるわ」


 スクルドが疲れたように言う。私は足元の石畳を眺めながら、心ここにあらずという態度をとる。


「私だって、面倒なことになりたくてやってるわけじゃないのよ」


「殺そうとしてる時点で説得力ないわよ」


 そんなスクルドの声を聞きながら、私は曖昧な笑みを浮かべるしかない。町の神々に嫌われ、差別されている。誰も手を貸してくれない。

 けれど、このスクルドとヴェルザンディだけは何かと気にかけてくれる。面倒くさいし、説教されるばかりだけど、それでも全く無視されるよりはマシかもしれない――なんて、ちょっとだけ思ってしまう。


「女神の心得、少しは頭に入れときなさいよ」


「はいはい」


 私が投げやりに答えると、スクルドがまた何か言いかけたが、結局黙った。

 空には茜色の光が散り、雲の端が黄金に染まっている。こんなに綺麗な夕暮れでも、私の気分は晴れやかにならない。また町に来れば、似たようなトラブルが起こるのだろうし、町の神々は私を嫌い続けるに違いない。


 それでも私は負けない。いつか必ず見返してやる。


 スクルドの溜息を背中に感じながら、私は家路をたどる。オレンジ色の陽射しは次第に薄れ、遠くの空に夜の気配が忍び寄っていた。
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