陽の目をみないレクイエム

吉川知美

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第三楽章(前篇)

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                              (1)
  
    唐突な死という容赦ない別れを経て、あの日から、彼を想わない日はあっただろうか。
    健康維持の為に揚々と公園を歩く、血色の良い高齢者を見ると、彼は36で亡くなったんです、その歳なら、それ以上の望みはもういいじゃないですか、と思った。早世の彼を思うと、腹が立った。
    電車や駅構内で、キャリーバッグを引くスーツの男性がいると、出張の多かった、仕事に一途であった彼と重ねて見た。エンジニアとして志半ばで去った彼が、不憫に思えて仕方なかった。

    何より、私の心に重くのしかかったのは、彼は私と出合うことがなければ、死ぬことはなかったのでは、という思念。
    何も、わざわざ、東京と大阪を往き来する恋愛など、する必要はなかったのだ。そして、結婚の約束をして家を購入したことで、それらはきっと彼にとって、単なる負担になってしまった。際限なく、私は自分を責めた。責め過ぎて息苦しくなるので、時に、彼はどうあれ亡くなったのだと、苦い思いを宙に放りやった。
    怒り、憐れみ、苦痛、淋しさ……。
    胸をかきむしられるような負の感情ばかりで、あの人の語った真実は、ほんのひとかけらであるように思われた。
    暗闇の中で優しく光る月みたいに、レクイエムには、少しだけ、確かな明るさがあるのかもしれない。時を経て、段々に、闇はその光にのまれていくのだろうか。

    電車のシートに腰かけて、向かいの車窓に広がる景色を見やる。
    淀川沿いを走る京阪本線は、石清水八幡宮駅と淀駅との間で、最も美しい景観を乗客にみせてくれる。
    そこでは、私は必ず、本やスマホから顔をあげる。
    淀川水系である木津川と宇治川を、電車は続けて渡りゆく。その景観の広大さ、美しさは、これまで幾度、私の心を高揚させただろう。
    彼を喪ってから京都に通いたかった理由のひとつに、毎日川を越えゆく景色を眺めたいという思いも、確かに含まれていた。

   一言では言い尽くせない、この、負の感情たちを、どうにか越えていきたい。でもその一方で、乗り越えるというのは、彼を忘れてしまうことではないか、彼を前から完全に失ってしまうのではないか、という恐れも心のどこかにある。
    彼へのレクイエムを、どう成していくべきなのか、私には分からない。でもそれを、私は知っているはず。私だけに、その答えはあるのだから。
    
                               (2)

    淀駅に、いつもより2時間早く降り立つ。
    毎時7分発の、JR長岡京行きのバスに乗る。
    そこへ行けば、またあの人に会えるような気がした。自分と同じものを背負うあの人と、また話したいと思った。自分の中に、彼に伝えたい気持ちが湧いてくるように感じる。この気持ちに、恋愛感情はない。ただ、動かなければ、何も変わらない気がした。
    
    バスの中でスマホを手にして、もう何度も見た、インスタグラムの、ある投稿写真を見つめる。半年程前に私がフォローした『hiroyuki1985』による投稿。
    彼の写真の殆どが、長岡京市で撮影された花と空。撮り手の優しさが伝わってくるような温かなものばかりで、彼の写真を見る度に心が和む。
    いつもは、フォローする人等の新しい投稿写真を流れるように目にしていく。けれども昨日、『hiroyuki』の投稿だけを、何気なくさかのぼって見ていた。
    ツツジ、ツツジ、夕空、桜、桜。
    5つ前の、彼の投稿。どことなく淋しげな、五分咲きの桜。キャプションには、『勝竜寺城公園にて。兄が旅立ってから1か月。兄が見ることのできなかった、今年の桜』とある。日付を見たとき、大方願望である確信がうまれた。
   『hiroyuki』は、あの人である、と。

     2日前の、彼の投稿写真。
     晴天の眩しい蒼(あお)さえ跳ね返すような、鮮やかな紅(あか)を、みごとな構図で、美しく写している。花や自然をいとおしむ、撮り手の心が伝わってくる。
    長岡天満宮に咲く、キリシマツツジ。
    地元客やオーナーから、GWの頃に美しく咲き誇ると聞いていたので、4月の終わりを楽しみにしていた。ところが今年は、例年より少し早いらしい。
    急いで、この目でその美を見に行かなければ、と思っていた。そこに、昨日の確信。
   
    投稿のキャプションには、『リモートワークのため、咲き始めてから、毎日のように、ツツジ撮り散歩。忘れていたものを取り戻すような、貴重な時間』とある。
    行けば会えるだろうなんて、どれだけ自分は、舞い上がった恋する女のように、馬鹿なのか、と自嘲もした。けれど、彼を喪失した悲しみでうずくまっていた心が、少しずつ、動こうとしている。それに、素直に呼応したいと思った。

    いつもは『調子』で降りるのを、終点まで乗り、高鳴る気持ちに戸惑いながら、ステップを降りた。
    天神通りを西へ、西へ、まっすぐに。
    阪急の線路を越えた辺りから、人が増える。人のざわめきに微塵も動じない、厳かな空気が漂い始める
    彼は、いる。階段を上がった向こうに、彼はきっといる。
    ところで、彼の姿を私は見分けられるのだろうか。直前になって、間抜けな現実的思考が浮かび、頭がくらりとした。
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