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ばろろろ、と強い排気音を立てて走る黒い車。
こみつはもぞもぞとシートに背を預けながら、まだ個人で所有するにはめずらしい乗用車に感嘆する。


「五曜様って運転できたんですね」

「ああうん。母さんがあんな感じだから、早いうちから仕込まれたんだ」


大通りを抜け、車は覚えのある屋敷へと入っていく。
細かな意匠の格子窓や欄干が映える、趣きのある建物。灯りが燈されるといっそう雰囲気が出る。本家よりも小振りだが和の気配の残るこちらの屋敷も十分に大きい。

五曜の後に続いて、こみつはそわそわと屋敷に足を踏み入れた。見知った内装に帰ってきたと感じる。


「おかえりなさいませ、若様。若奥様」


奥から使用人が一人駆けてきた。
本家から一足先に移ってきた者だ。椿とこみつのやりとりをたくさん見てきたため、こみつにも朗らかに微笑みかけてくる。彼女をはじめ、使用人の半分が変わっていた。料理番と庭師はそのまま、多すぎた女中は数名で交代制になったとか。


本家と違って、こちらの屋敷ではこみつと五曜で過ごす。
なんだかとても静かだった。おかげでこみつは、五曜の一挙手一投足、話し出す直前の気配まで敏感に感じ取ってしまう。まるで世界に二人きりしかいないように。


「こみつ?」

「ひゃいっ!?」


急に声をかけられて、びく!と飛び上がった。
ひっくり返った声にこみつはじわりと頬を染める。五曜はちょっと目を丸くして、小さく笑う。

おつかれでしょうから、と女中がお茶を入れてくれて、居間で二人寛いでいるところだった。穏やかな表情で湯呑に口をつける五曜は今日も麗しい。


「な、なな、何ですか?」

「いや…。ああ、そういえば北辰からもらった品はこちらに置いていたんだってね。よかったの?」

「いや、普段から持ち歩いてるわけではないですから」

「そうなんだ」


ふうん、と頷いた五曜は「そうだ」と声を上げる。


「今度いっしょに買い物に行こうよ。私から何か贈らせて。髪飾りや首飾り、うーん、何がいいかな」

「えっ?宝飾品ですか?」


こみつは驚いて前のめりになる。


「そんな、わざわざいいですよ」

「そう言わないで。本家にいるときだって母さんとばかり出かけて、羨ましかったんだから。欲しい物があったら教えてね」


五曜は腕を伸ばして近づいたこみつの頬を親指ですりと撫でる。
甘い仕草に、ぱっとやわい肌に朱が散った。ふふ、と五曜は楽しそうに笑う。


「こみつ」


すっと顔を傾けて唇が重ねられる。
ほんの一瞬の、ただぬくもりを重ねただけのそれにこみつはかちんと固まり、そして五曜はその後ずっと上機嫌だった。


―――ずっと、一事が万事その調子。


いつだって五曜はこみつを見るとうれしそうにして、こみつはその視線を感じる度にそわそわ逃げ出したくなってしまう。何も言わないで逃してくれるときもあれば、いきなり抱きしめられたり、口づけられたりするときもある。おかげでこみつはますます五曜を気にしてしまい、気の休まる暇がない。

その上、夕食の後に二人で過ごす習慣は続いて、その後は抱かれても、抱かれなくても、夫婦の布団に連れて行かれるのが常。五曜がいない夜に当たり前のように二人の寝室に向かったこみつは、無意識だった自分に気づいて、かああっと赤面した。


いまの使用人たちには、そんなこみつを目にしても、いちいち指摘したり影で笑ったりする無作法者はいない。
おかげでこみつも、暇を持て余しているから五曜が気になるのだ、と積極的に使用人たちと関わるようになった。炊事や針仕事、庭の手入れに触れて、交流を持つ。


「なんだか屋敷の中が明るくなったね」


五曜も気付くくらい、屋敷の雰囲気もこみつの顔色も明るくなった。



***
五曜は普段外出するときは洋装だが、自宅で過ごす日は和装のこともある。

着流姿の五曜が庭に迷い込んだ野良猫と戯れていた。
長い指でちょいちょいと喉を掻き、穂のついた雑草を揺らして遊んでいる。しばらくその様子を眺めていたこみつは縁側から庭へと降り立った。


「五曜様」


五曜の注目がこみつに移ったからか、他者がやって来たからか、ぴゃっと猫が逃げ出す。


「あ」


行っちゃった、と名残惜しそうに見送った五曜が「どうしたの?」と今度はこみつに触れようとする。すっと一歩下がって避けた。


「やめてください。野良の子を触った手でなんて」


いやそうにするこみつの前で、ぱ!と顔色を明るくする五曜。
にこにこと蕩けた笑みを浮かべる夫に、いまのどこに喜ぶ要素が?と怪訝に思うが、指摘はしない。やぶ蛇だから。
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