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「レイラ・モンタールド」
レイラはすこしドキドキとしながらホールの中央に向かった。かつ、かつ、と決して慌てず、優雅に、レディらしく。
貴賓席の正面で見上げると、精悍な顔の国王、柔らかく微笑む公爵様、にこりと甘い笑みを浮かべる父と三者三様の表情が目に入って、思わずくすりとしてしまった。
レディらしくを心がけたけど、どうだろう。すこし子供っぽいカーテシーになってしまったかもしれない。
腰を振って背中のリボンとドレスの裾を翻し、他の招待客へ向き直ると、もう一度ドレスを軽くつまみ右足を半歩後ろへ。背中を丸めないよう意識して腰を落とす。
伏せていた顔を上げたレイラは、甘く艶やかな表情でにこりと笑った。途端に会場からうっとりとした吐息が溢れる。
「彼女はまさに蝶のようだね」
「そうだよ、自慢の娘だよ」
サルヴァティーニ公爵の囁きに、モンタールド侯爵は嬉しそうに頷いた。
「ハンナ・クロフォード」
レイラが去り、次の名前が呼ばれる。
振り返ったレイラが見たのは、あのピンク色の髪の女の子だった。
「あ、あの子……」
彼女はちょっと心配になるくらい緊張しているようだった。
顔を青くさせ、ドレスをぎゅっと握り締めている。
ゆっくりとした足取りはそうとしか進めないからだ。スカートの下で小さな膝が震えているのだろう。
会場の空気が少し変わった。
けれど毎年、慣れない場で極度に緊張してしまう子は一定数いる。晴れ舞台を自分なりにどうやり過ごすか、それも重要な要素だ。社交界は戦場なのだから。
そしてもちろん、社交界への入口と評されるこの入学パーティーで悪い評価を得てしまう者もいるのだ。残念なことに――。
彼女はぎこちない動きで国王陛下にお辞儀をし、貴族たちにもお辞儀をした。
決して優雅とはいえないカーテシーだったが、それでもいいのだ。
無事に戻ることさえできれば。
「あ…っ!」
あと少し、というところで、彼女は運悪く躓いてしまった。
ざわりと空気が揺れる。
結果的に、彼女は醜態を晒すことはなかった。
比較的近くにいたルチアーノが咄嗟に彼女の腕を掴んでいたから。
「大丈夫?」
「え?あ、すみません…!」
彼女は驚きに目を瞠って、そして、まだおぼつかない足取りで立ち去る。
「…ルチアーノ様…?」
貴族は足りないものには寛容だが、持たざるものには残酷だ。彼女があの場で転んでいたら、ずっと社交界での笑い者だっただろう。
けれどあれでよかったとも思えない。
自分の実力を見せるのが目的のような場で、他人の手を借りるのは…。
ましてや国王陛下の御前である。
ルチアーノの父や、レイラの父もいた。
それはあの少女だけでなく、ルチアーノの評価も下げる可能性があった。
***
気分が悪くて到底あの場にいられなかった。
どうせ新入生紹介が終われば役目はない。
早々に帰ってしまおうと、エマたちに声をかけることもなく、マリーの待つ使用人控え室に向かっていた。
本当は誰かに伝言を頼めばいいのだろうが、それを待っている余裕すらなかった。だって。
レイラはくしゃりと顔を歪める。
「…ありえない」
どうしてルチアーノはあんなことしたのか。
レイラは決してあの子が転べばよかったとは思っていない。
でも、あの場は自分でどうにか耐えないといけなかったし、例え誰かが手を差し伸べたとしても、それがルチアーノである必要もなかった。
あのまま会場にいてもレイラは衆目に晒されていたことだろう。
「…もうやだ…」
婚約者であるレイラはエスコートの打診すら受けていないのに、初対面の令嬢には手を差しのべるのか。
「……いいのよ、わかってるわ。ルチアーノ様は殿下の護衛があったものね」
そう。ルチアーノには立派な大義名分がある。
悲しくて、胸が締め付けられるように痛くて、レイラは自分でもさすがに泣くかと思った。けれどやっぱり涙が出ない。
ブルーサファイアの瞳がどれだけ憂いに揺れていても、レイラの足取りは乱れない。だってそれが令嬢の矜持だから。
貴族の誇りと矜持をもって、みっともない姿は見せられない。
父の教えを思い出して、レイラは情けなく笑った。
―――ああ、なんだか迷子になりそうだわ。
レイラが黙々と足を進めていると、美しく整えられたトピアリーの下のベンチに一人の少女が座っている。
あのピンクの髪の女の子だった。
「…あなた…」
レイラの呟きに反応して顔を上げた彼女は、それは見事に泣き濡れていた。
「お隣、いいかしら?」
「はい…」
鼻声の返しに苦笑して隣に腰を下ろす。
「靴、どうしたの?」
少女はヒールを脱いで両手にぶら下げていた。
レイラが問いかけると、無言でそれを見せてくる。
「あら」
ピンク色の可愛らしいヒールは踵部分が弱くなっていた。
「靴が悪かったのね」
「あなたも、知ってるの?」
「だってわたくしあなたの直前だったし」
「ああ…あのきれいな人…」
ぼんやりとした声で言われてレイラは笑う。
それはやはり会場で見せた艶やかなものではなく、ひどく儚く切なげなものだった。
レイラはすこしドキドキとしながらホールの中央に向かった。かつ、かつ、と決して慌てず、優雅に、レディらしく。
貴賓席の正面で見上げると、精悍な顔の国王、柔らかく微笑む公爵様、にこりと甘い笑みを浮かべる父と三者三様の表情が目に入って、思わずくすりとしてしまった。
レディらしくを心がけたけど、どうだろう。すこし子供っぽいカーテシーになってしまったかもしれない。
腰を振って背中のリボンとドレスの裾を翻し、他の招待客へ向き直ると、もう一度ドレスを軽くつまみ右足を半歩後ろへ。背中を丸めないよう意識して腰を落とす。
伏せていた顔を上げたレイラは、甘く艶やかな表情でにこりと笑った。途端に会場からうっとりとした吐息が溢れる。
「彼女はまさに蝶のようだね」
「そうだよ、自慢の娘だよ」
サルヴァティーニ公爵の囁きに、モンタールド侯爵は嬉しそうに頷いた。
「ハンナ・クロフォード」
レイラが去り、次の名前が呼ばれる。
振り返ったレイラが見たのは、あのピンク色の髪の女の子だった。
「あ、あの子……」
彼女はちょっと心配になるくらい緊張しているようだった。
顔を青くさせ、ドレスをぎゅっと握り締めている。
ゆっくりとした足取りはそうとしか進めないからだ。スカートの下で小さな膝が震えているのだろう。
会場の空気が少し変わった。
けれど毎年、慣れない場で極度に緊張してしまう子は一定数いる。晴れ舞台を自分なりにどうやり過ごすか、それも重要な要素だ。社交界は戦場なのだから。
そしてもちろん、社交界への入口と評されるこの入学パーティーで悪い評価を得てしまう者もいるのだ。残念なことに――。
彼女はぎこちない動きで国王陛下にお辞儀をし、貴族たちにもお辞儀をした。
決して優雅とはいえないカーテシーだったが、それでもいいのだ。
無事に戻ることさえできれば。
「あ…っ!」
あと少し、というところで、彼女は運悪く躓いてしまった。
ざわりと空気が揺れる。
結果的に、彼女は醜態を晒すことはなかった。
比較的近くにいたルチアーノが咄嗟に彼女の腕を掴んでいたから。
「大丈夫?」
「え?あ、すみません…!」
彼女は驚きに目を瞠って、そして、まだおぼつかない足取りで立ち去る。
「…ルチアーノ様…?」
貴族は足りないものには寛容だが、持たざるものには残酷だ。彼女があの場で転んでいたら、ずっと社交界での笑い者だっただろう。
けれどあれでよかったとも思えない。
自分の実力を見せるのが目的のような場で、他人の手を借りるのは…。
ましてや国王陛下の御前である。
ルチアーノの父や、レイラの父もいた。
それはあの少女だけでなく、ルチアーノの評価も下げる可能性があった。
***
気分が悪くて到底あの場にいられなかった。
どうせ新入生紹介が終われば役目はない。
早々に帰ってしまおうと、エマたちに声をかけることもなく、マリーの待つ使用人控え室に向かっていた。
本当は誰かに伝言を頼めばいいのだろうが、それを待っている余裕すらなかった。だって。
レイラはくしゃりと顔を歪める。
「…ありえない」
どうしてルチアーノはあんなことしたのか。
レイラは決してあの子が転べばよかったとは思っていない。
でも、あの場は自分でどうにか耐えないといけなかったし、例え誰かが手を差し伸べたとしても、それがルチアーノである必要もなかった。
あのまま会場にいてもレイラは衆目に晒されていたことだろう。
「…もうやだ…」
婚約者であるレイラはエスコートの打診すら受けていないのに、初対面の令嬢には手を差しのべるのか。
「……いいのよ、わかってるわ。ルチアーノ様は殿下の護衛があったものね」
そう。ルチアーノには立派な大義名分がある。
悲しくて、胸が締め付けられるように痛くて、レイラは自分でもさすがに泣くかと思った。けれどやっぱり涙が出ない。
ブルーサファイアの瞳がどれだけ憂いに揺れていても、レイラの足取りは乱れない。だってそれが令嬢の矜持だから。
貴族の誇りと矜持をもって、みっともない姿は見せられない。
父の教えを思い出して、レイラは情けなく笑った。
―――ああ、なんだか迷子になりそうだわ。
レイラが黙々と足を進めていると、美しく整えられたトピアリーの下のベンチに一人の少女が座っている。
あのピンクの髪の女の子だった。
「…あなた…」
レイラの呟きに反応して顔を上げた彼女は、それは見事に泣き濡れていた。
「お隣、いいかしら?」
「はい…」
鼻声の返しに苦笑して隣に腰を下ろす。
「靴、どうしたの?」
少女はヒールを脱いで両手にぶら下げていた。
レイラが問いかけると、無言でそれを見せてくる。
「あら」
ピンク色の可愛らしいヒールは踵部分が弱くなっていた。
「靴が悪かったのね」
「あなたも、知ってるの?」
「だってわたくしあなたの直前だったし」
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