地平線のかなたで

羽月蒔ノ零

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第五章

最期の時

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 残念なことに、ウイルスに感染したのは俺だけではなく、優莉、誠志郎、ミュー、玲子さんの5人全員だった。
 そのため、俺たちは引き続き入院生活を送ることとなった。

 幸いなことに、少なくとも現時点では、5人とも何の症状も現れていない。

 だが、この先もずっと無症状のままでいられるのか、あるいは今後発症するのか、発症するのであれば、一体どんな症状が現れるのか、潜伏期間はどの程度の長さであるのか、といったことや、現在存在する薬の中に、発症を抑える薬、あるいは発症した場合にその症状を抑えられる薬はあるのか、ないのであれば、新薬の製造は可能なのか、ワクチンの製造および感染の予防は可能なのか、などといった、このウイルスに関するあらゆることが、まだほとんど解明されていないようだ。

 そもそもこのウイルスは、まったくもって未知のウイルスであり、今までに発見されたどのウイルスとも異なる特徴を持っているらしい。だが、研究員の方々の並々ならぬ努力、執念、情熱によって、ほんの少しずつではあるものの、研究は着実に進展しているという。
 
 まず、どのようにして感染するかという点だが、実際に死の薔薇を見た5人が防護服を着ていたにも関わらず全員感染していたこと、死の薔薇の近くにいながら、花を見ていない研究員には1人も感染者が出ていないことから、仕組みはまだまったく解明されていないものの、『死の薔薇を見る』ことでウイルスに感染するという、『目視感染説』が広く支持されるようになった。

 そして、ヒトからヒトへの感染はしないことがわかった。おかげで俺たちは、比較的自由な暮らしを送れることになった。許可が下りれば、外出もできる――。


 俺は部屋のベッドに横たわり、ボーッと天井を眺めていた。

 「きっと、俺は発症まで持たない。発症するよりも先に死ぬ。何か別の理由で。……そうであってほしい。4人にはなんとしても助かってほしい。死ぬのは……、俺1人でいい」

 未来空間には相変わらずあの暗闇がじっと大きな口を開けてたたずんでいる。最期の日が、最期の時が、刻一刻と近づいてきた。

 おそらく、あと1週間ほどだろう。最期の日も、できる限り普段どおりに過ごすつもりだ。

 病院では、その後も普段どおりの生活が続いた。食事をし、雑談をし、テレビを見たり、パソコンをしたり、本を読んだりしながら、のんびりと暮らしていた。この先もこんな風に、みんなでのんびりと、何てことない毎日を過ごせればいいのだが、きっとそうはいかない。

 入院生活にもだいぶ慣れてきたある日の朝、いつもどおりの、のんびりした朝であったが、ふと目を閉じてみた俺は『それ』に気がついてしまった。
 遂にあの暗闇が、すぐ目の前にまでやってきたのである。

「今日だ……。遂にこの日が来た」

 死ぬなら1人がいい。みんなを巻き込むなんて絶対にごめんだ。最期に素敵な友達に出会えて本当によかった。本当に、幸せだった。

 玲子さんに頼んで、外出許可を貰った。

「ちょっと散歩でもしてこようかなと。すぐに帰ってきますので」

「お? おーい、咲翔、出掛けるのかい? それならお菓子買ってきておくれ~。ほい。これ、欲しいお菓子のメモね」
 優莉からおつかいを頼まれた。けれど残念ながら、その使命を果たすことはできそうにない。

「うん。わかった。買えたら買ってくるよ」
 できる限り平然を装い、外に出た。

 今日、遂に俺の人生が終わる。およそ10年前に突如現れた不気味な暗闇。それは10年の歳月をかけてどんどん巨大なものとなり、そして今日、遂に目の前の風景をほとんど覆ってしまうほど巨大なものとなってしまった。
 俺はあと少しで、あの暗闇に飲み込まれて消えてしまう。遂にその時が来てしまった。

 目を閉じ、未来を見ながら歩いた。あの暗闇のせいなのか、未来がたった数秒先までしか見えない。しかし、たとえ数秒先までしか見えないとしても、この空間は、誰にも見えない自分だけの世界だ。
 初めてこの未来空間が見えた頃が懐かしい。あれはまだ保育園に通っていた頃のことだった。      

 まだ幼かったのに、よく未来のことだと理解できたものだ。俺は意外と優秀なのかもしれない。

 今となってはもう遅いが、もっとこの力を有効活用できた気がする。
もっと頑張れば、もっと努力すれば、もっとたくさんの困った人たちを救えたかもしれない。
 なのに、俺は毎日だらだらとたいして何もせずに過ごしてきた。
 今となってはそれが大きな悔いとなっている。
 
 宝くじなんかも、もっと大金を当てて全額寄付するとか、そういうこともできたはずだ。もっといい人生を歩めたのかもしれないけれど、今となってはもうどうしようもない。

 俺は、ただひたすら歩いていた。いつもどおり。今までどおり。
 平和だ。なんてことない日常。こんな状況で、一体俺はどうやって死ぬんだろう。


「ああっ!」


 一瞬だった。自転車に乗った女の子が車に轢かれた。正面からこっちへ向かって走って来た自転車を、右側から交差点に突っ込んできた車が轢いた。スピードがかなり出ていて、女の子は自転車ごと吹き飛ばされてしまった。
――そんな『未来』が見えた。


「そういうことか!」俺は全速力で走った。

「止まって!!」
 腕を限界まで前に伸ばし、両手をパーの形に広げ、全力でそう叫んだ。
 俺の声が届いたらしく、女の子は急ブレーキをかけてギリギリのところで止まってくれた。

 でも、それだけじゃ駄目だ。道路を挟んだ向こう側の横断歩道に、イヤホンを装着した歩行者が何人もいる。俺の声は、まるっきり届いていないようだ。

 たとえあの自転車の子を助けられたとしても、車を止めない限り、横断歩道を渡っている別の誰かが死んでしまう。
それじゃあまるで、『あの時』と同じじゃないか!

 あの車を止めるしかない。俺があの車を止めるんだ。走れば間に合う。車が交差点に突っ込む前に、俺が飛び出して盾となれば、みんな助かる。

 今度こそ、今度こそ全員助けるんだ。そんなことができるのは俺だけだ。みんなを助けられるのは俺だけだ。


「俺には……、未来が見えるんだ!!」


「今度こそ、絶対に、絶対に……!」
 横断歩道へ飛び出した俺を見て、運転手は急ブレーキを踏んだ。しかし距離が足りない。間に合わない。今更ブレーキを踏んだって遅すぎる。

 けど、死ぬのは俺だけだ。みんな助かる。これでいい。これでいいんだ。仕方ないんだ。

 誰かを助けるためには、誰かが犠牲にならなければならない。その犠牲に、今度は俺がなるんだ。

 ずっと前から、10年も前から決まっていたことだ。

 その代わり、自転車に乗ったあの子は助かる。俺の代わりに、あの子が生きていってくれる。

 いや、あの子だけじゃない。横断歩道を渡っていた人たちもそうだ。

 もし、自分が誰かの盾になれるのなら、誰かを守れるのなら、たとえ自分が犠牲になろうとも、決してそこから逃げない。自ら進んで盾となる。俺はそう誓ったんだ。

 助かるのはあの子たち、そして死ぬのは俺。それでいい。それでいいんだ……。
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