影の子より

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 第四章:千切れた鎖飾り

 四話

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「そんなはずはない」
 無意識に、そう言葉が放たれた。言ってしまってから、グレハンははっとして、口元を押さえる。
 歳老いた鑑定士が、その様子を訝しげにうかがった。
 深呼吸を二度、すぐに落ち着きを取り戻す。動揺はしていたが、ここで目立ってはいけない。グレハンはを受け取り、料金を支払った。
 店を出ると、既にうっすらと闇が近付いていた。結果を待つまでに、時間が掛かってしまったようだ。
 ストールで顔を半分隠し、路地裏を行く。
 人目を避けるように、ひっそりと建つ骨董屋。そこに居を構える老人は、国内外問わず、多種多様な品の目利きを行っている。すがる思いで依頼をしたが、無駄足に終わったのだ。遠くまで足を運んだだけに、落胆ぶりは大きかった。次の手を考えなくてはならない。しばらく、これの繰り返しだった。
 グレハンは頭を掻きながら、建物の角を曲がった。その先は大通りだ。
 ──しかし、歩みが止まった。
「ゆっくり、下がれ」
 背後から、静かな声が聞こえた。
 背に当てられたのはおそらく銃口で、確実に心臓の位置を捉えている。声の主には憶えがあり、グレハンは、ポケットに入れていた両手を抜く。
「挙げるな、目立つ」
 すぐに、次の指摘が飛んだ。
 やはり──ジャックスだ。
「おいおい……養成兵の次は、強盗か?」
「これでも、あんたを撃ちたくはないんだぜ、グレハン」
 ぴたりと付いていた気配が、間合いを取った。
 グレハンは大人しく、路地裏へと歩を戻す。命じられるまま、人気のない空間へと進んだ。
「とにかく、下ろしてくれ。敵じゃない間に、面と向かって話をしないか」
「いいや、しばらくこれだ」
 間髪を入れず、ジャックスは答えを出す。
「……分かった。用件はなんだ?」
 相手を刺激しないように、グレハンは努めた。誰が見ても、不利な状況である。嫌な汗を浮かばせながら、最悪の事態だけは避けようとした。
 追及されている件には、心当たりがある。そしてジャックスが、グレハンのコートのポケットを漁り始めると、それは確信へと変わった。
 手にしたのは、旧いライターだ。
「これは?」
「ああそうか、お前に借りていたやつだな。すまない、忘れていたよ」
「へえ。ご丁寧に、鑑定書まで付けて、返してくれる気だったんだな」
 ジャックスを相手に、冗談は効かない。下手な芝居も、その場凌ぎの言い訳も。徹底的に追い詰め、吐かせる気だろう。
 もっと警戒しておけばよかったと、グレハンは自身の気の緩みを悔いた。
「……それで、何が知りたい? 僕が嗅ぎ回っていること、前から知っていたんだろう。今更じゃないか」
 ジャックスはおそらく、骨董屋と接触する以前から、後を尾けていたはずだ。
 ──たった、ライター一つに?
 そこで、グレハンは背筋が冷えるのを感じた。まさか、泳がされていたのは、自分の方だったのか。ジャックスの正体を探ろうとして、ライターの出所を調べることまで、見透かされていたというのか。
 そうであれば、鑑定結果にも頷けた。何の特徴もない、国内で大量に生産されている型だったのだ。
「期待しちゃいねえさ。ただ、笑ってやろうと思ってな。残念だが、ライターそれは拾い物だ」
「僕が、何を期待していると?」
「オレが反乱分子である証拠を、どうにかして、作りたかったんだろ」
「それは誤解だ。ただ、確かめたかっただけさ。お前に、外部の人間とのつながりがないか、な」
 嘘は口にしていない。
「忠告しただろう。疑り深い人間は、どこにだっているんだよ。公妃だけじゃなく、お前の身近にだって」
「その疑り深い奴から、頼まれたのか?」
「さあ。公妃が僕に、依頼をしたのかもしれない」
「……いや、違うな」
 安全装置を外すと、ジャックスは、銃口を背から後頭部にずらした。
「話を持ち掛けたのは、あんたの兄貴だろ」
 グレハンの肩が、ぴくりと反応する。
 ──冷たい風が流れ、二人の間を抜けていく。
 聞こえるはずのない心臓の鼓動が、血液を通って、耳元まで届くような気がした。死の淵が傍に迫っていることを、否が応でも実感する。
 しかし次の間に、ジャックスはすっと銃を下げた。
「時間切れだな」
 冗談めかして言う。
「屯所に戻るんだろ? 遅れると、疑われるぜ」
「……ジャックス」
 緊張が解け、グレハンは振り返った。
 薄暗さの中にいたジャックスは、そこでも分かるほど、鋭い眼光を向けていた。既に得物はしまっていたが、殺気までは消えない。
「兄貴に聞かれたら、ありのままを伝えてやれよ。殺られかけたことも、だ」
「ローガス……少尉は、僕がここまでしたことは、知らない」
 ジャックスが肌身離さず持ち歩いている物を、一つ、手に入れてこい。──頼まれていたことは、それだけだ。グレハンは自らの判断で、鑑定士に持ち出した。
「だが、伝えておくよ。お前への目はもっと、厳しくなるだろうな」
「それでいい。隠れてこそこそされるより、遠慮ねえ方が、オレも楽だ」
「これからどうする? 一緒に屯所へ行くか?」
「いや……別件のついでに、あんたを追いかけたんだ。青年師団オレたちはこれから、仕事さ」
 彼らも裏で、忙しないようだ。最近は出動続きのため、公都にいても、会う機会はなかった。
 忘れ物だと言い、ジャックスがライターを投げ渡した。
 今となっては何の価値もない、薄汚れたライター。確かにそれは、どこにでも売ってあるような、変哲のない品物だった。
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