影の子より

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 第七章:雨上がりの桟橋にて

 五話

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 ガラハン公国は、木枯らしの吹く季節を迎え、冬支度を始めていた。
 国内でもそこそこ栄えた町の一角に、開けているのか閉めているのか、やけに暗い店があった。客があまり寄り付かない理由は、初老の店主の偏屈さだ。気分次第で客を追い出し、陽の高いうちに店をしまうことがあり、時にはそのまま数日、開かない日が続いた。
 煙草店。同業の店と大きく異なる点は、扱う品だ。流行りの銘柄ではなく、昔から親しまれている種や、外国製の種がずらりと並ぶ。
 ──だから、訪れる人間もそれなりに、異色を放っていた。
「グラン製のやつ、二箱売ってくれ」
「……また珍しい注文だ。どいつだ?」
「もちろん、一番きっついのさ」
 カウンターに片肘を置き、体重を預けた体勢で、レオールは得意気に答えた。
 店主は老眼鏡の奥で、客を目利きする。特に何かを疑う様子はなく、すぐに後方の棚に向かった。軋む古い梯子を二段上り、指示された箱に手を伸ばした。
 時刻は正午前。普段よりも人通りが少ない訳は、昨夜から続く雨のにおいだ。それの所為で、朝の市は早々に切り上げられた。風が強く、しけった海からは恵みが得られない。さらに客足が遠いとなれば、自然な判断だろう。そして人々の予想は当たり、西の方から雨はやって来た。
 雨粒が壁に当たる音を聞き、レオールはちらりと、窓の外へと目をやる。急な本降りに、店の前を駆け抜けていく人の姿が、視界に入った。
「ほらよ。紙巻でいいな? ……というより、ここには葉巻はねえが」
 店主が、どんとカウンターに置く。
 レオールはにやりと笑い、紙幣を手渡した。
「ちょうどいいや。葉巻はごめんだ」
「あんた若いのに、ずいぶん、歳寄り臭い好みしてるな」
 思った通り、店主は食い付いてきた。それが彼の狙いだ。
「ここに来る奴は、どれもそうだろ? ……例えばそれ、下の一番端の」
 さっそく一本咥え、棚の下段を指す。
「オレの死んだじいさんが、好んで喫ってたな」
「……ああ、北の地域からしか手に入れられない、くせの強い代物だな。年に二度、行商人が運んでくるのさ」
「高いんだろ。そんなの、買う奴がいるのか?」
「はは、聞いて驚くなよ──」
 店主の声は、突如鳴ったドアベルに搔き消された。
 二人の視線を浴びながら、来客が店内に踏み入る。雨に少し濡れた、若い男だ。
 レオールは危うく、煙草を口から落としそうになった。動揺を悟られないよう、横に避けてカウンター前を空ける。
 若い男が軍人であることは、コートの下から覗く風貌から、すぐに判った。
 北ガラハン軍──かつて対立していた相手に、レオールの心臓は勝手に跳ねた。知らない男だ、男の方も彼を知らないはずだ。──そう言い聞かせる。
 背の高いその男は、客に目もくれず、まっすぐ店主と向き合う。
「突然で、すまないな。足取りを追っている人間がいる」
 懐から露わにしたのは、先ほど話題に挙がった、珍しい煙草の箱だった。
「今朝、こいつを買っていった男だ」
 あ、と言葉が出そうになり、レオールは堪えた。どうやら、自分と彼の目的は、同じのようだ。
 頬に黒子のある、若い軍人──グレハン少尉は、手にしていた箱を店主に渡した。冷えた眼差しが、意図なく相手を威圧する。
 しかし、店主は臆することなく、それを突き返した。
「いちいち、客の顔を憶えていませんでねえ」
「つい今日のことだ」
「見ての通り、歳寄りなもんで、忘れっぽくて。他を当たってくださいな」
「分かっているのか。迎え入れた客は、ノーディスの一人だぞ」
 さすがにこの言葉には、驚いたようだ。
 目を丸くする店主とは対照的に、レオールは、読みが当たっていたことに、内心ほっとしていた。
「銀髪の男だったか?」
「い、いや、片眼のない男でしたよ。無口な……」
 知っていて応対したとなれば、罪に問われるだろう。店主は必死に、無関係であることを弁明する。
「どこから訪ねてきたか、話していたか?」
「それはまったく……」
「どこへ行く、とは?」
「いえ……何しろ、早々に立ち去っていったもんで」
 情報はない。不用心に、残していくわけがない。それでも、後を追われることを分かっていて、敢えてこの地へ寄ったのだ。目当ては、ただ一種の煙草。
 グレハン少尉は、握った箱の奥に、姿を消した少年を見た。──ジャックス。いくら月日を経ても、憎い思いは薄れない。
 ──そこへ、同じ軍服の兵士が迎えに来た。
「少尉、どうかされましたか」
 別の要件で町を訪れていた彼らは、食事を済ませてきたようで、いなくなった上官を捜していたのだ。
 グレハン少尉は尋問をやめ、肩の力を抜いた。
「……客がいたのに、悪かったな」
 どうやら彼は、任務として動いていたのではなく、私情で探っていたようだ。箱をコートの内にしまい、店主に軽く詫びた。そして去り際に、レオールを一瞥し、兵士を連れて出ていった。
 その様子を黙って眺め、店主は深く息を吐く。
「お上には逆らえんなあ。……まったく、商売人も楽じゃねえよ」
 思わず口にした言葉に、レオールは苦笑いを向けた。
 相変わらず、雨は勢いのあるまま、降り続けていた。
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