影の子より

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 第十二章 集結

 五話

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 軍用路閉鎖の報せを、ブロイエンは最前線で受けた。
 これでもう、後戻りはできない。
 北門の守りは鉄壁で、南軍の増援が、次から次へとやって来ている。風貌や使用している兵器から、北軍も加わっているのだろう。
 ノーディスにも、他のレジスタンス組織の協力はあった。が、圧倒的な数の差が明らかだ。元より、突破が目的ではないが、時間稼ぎにも限界が見えてくる。国内各地で起こしている暴動が収まれば、その戦力も、ここへ集まるはずだ。
「おい、銃撃がやむぞ──…」
 の役割をしていた猟兵が、スコープから顔を上げ、叫んだ。
 言葉通り、敵集団は左右に分かれ、橋を渡ってくる。
 銃弾が切れたとは、到底思えない。接近戦を選んだ理由は、一気に追い込むつもりか。それとも、補給が済むまでのつなぎか。
「一班から四班まで、付いてこい。後方援護は続けろ」
 ブロイエンは叫び、陣取っていた議事堂の陰を飛び出した。その手には、大鎌が握られていた。
 これは戦争だ。
 砲弾が飛び交い、一秒の間に、多くの人間が倒れていく。敵なのか味方なのか、確かめている暇はない。わずかにでも気を取られれば、生命が危ない。
 しかし、公国軍も反政府軍も、躊躇などなかった。誰もが雄叫びを上げ、心を奮い立たせて向かっていく。
 ぶつかってきた相手をなぎ倒し、ブロイエンは、さらに前線を押し上げる。流れ弾が額をかすめたが、痛みは気にならなかった。血がたぎると、脳は薬が効いたかのように、苦痛を無視してしまう。地面に転がった敵に、足を取られかけ、そのまま踏み越えた。
「兄貴──…ッ」
 後方で、悲痛な声が聞こえた。
 肩から腕を失い、横たわっている男に、青年が駆け寄る。
 戦場でやられた仲間は、放っておけ。──それが教えであり、当たり前の行動だ。たとえ、血を分けた家族であっても。しかし一体、何人の人間がそれを守れるだろうか。
 すぐ傍で手榴弾が爆発し、ブロイエンの鼓膜が揺れる。
 ──…親父。
 死の際に立って、いつだって思い出すのは、遥か旧い記憶。おそらく、走馬灯と呼ばれる類だ。
「ブロイエン。挟まれた──…北の連中だ」
 我に還り、示された方角に視線を移す。
 戦車だ。北の紋章が施された、重厚な装備を備えた兵器。軍用路を通り、北門まで進んできたのだ。
「くそ」
 ブロイエンは言葉を吐いた。対抗できる手は、残されていない。ここまでか──

 しかし戦車は、砲台を大橋の先へ向けると、勢いよく発射した。

 地面が揺れ、衝撃に耐え切れなかった者たちが、壊れた欄干から川へ落ちていく。
 銃撃戦ではびくともしなかった門に、大きな傷が入った。急襲を受けたことで、防衛に当たっていた兵士が、下がり始めた。
「どうだ、穴は開いたか?」
「無駄ですよ、頭。空襲にも耐えた、鉄壁の城門だ」
 ハッチを開き、初老の男が顔を覗かせる。
 歳を取り、衰えてはいるが──ブロイエンには、見覚えがはっきりとあった。
「グレンテ……」
 呆気に取られ、しばらく立ち尽くす。しかし、続いて起こった地響きに、慌てて横に飛び退いた。
 敵の判断は早い。劣勢と分かるや、接近戦を中断し、態勢を整える。
「よう、ガキども。オレのいねえ間に、老いちまったなあ」
 グレンテの豪快な笑いが、辺りに届いた。その間にも、砲撃手に合図を送り、二三度目の攻撃を仕掛けていく。
 昔からではあるが、彼ほど、好戦的な人間はいない。中途半端に済ませることは嫌いで、闘いに足を踏み込むと、とことん追い詰めるのだ。相手が、老人や子どもであっても同じ。戦闘不能に終わるまで、攻撃の手を止めることはない。
 かつて退陣を迫られた男が、まさか古巣に味方するとは。──ブロイエンの頭は、まだ混乱していた。
 それが、平然と戦車が前進し始めたことで、一気に正気へと戻る。
 ブロイエンは戦車の側方から、上部へと上った。
「グレンテ、待て──…」
「おう、カヤソンの倅よ。しっかり掴まってろ。このまま突っ込むぞ」
「待て、作戦があるんだ。ここに引き付けておくのが、俺たちの仕事だ」
「ああ? そんな小っせえこと言うな。なんのために、戦車これ、かっぱらってきたと思ってやがんだ」
 話が通じず、苛立ちが募る。再び動き出した戦車から、慌てて地面へと飛んだ。
「血が足りねえぞ──…」
 グレンテの咆哮の直後──届いた無数の銃弾に、戦車の砲身が歪んだ。予想外の衝撃に、顔を出していた二人は身を屈め、車体の動きが止まった。
 何がなんでも、橋は渡らせない構えだ。
 だから警告したんだ──…と、ブロイエンは深く息を吐く。あくまで、陽動と時間稼ぎ。目立つことは重要である一方、度が過ぎると、悪い結果を生む。
「ブロイエン」
 仲間の声が響いた。
 誰かに突き飛ばされ、地に身体が打ち付けられる。瞬時に起き上がると、今しがた立っていた場所が、炎に包まれた。
 火炎放射だ。
 慌てて転がりながら、戦車の陰に身を潜めた。そこは、ちょうどよい壁になっていた。
「いつまで前進せず、粘る気だ?」
「取りあえず、合図が来るまでだ。ジャックスが、忍び込んでいる」
 頭上から降ってきた問いに、無意識に答えてしまってから、はっと視線を上に向けた。
 ──イェリが、車体に腰を掛け、こちらを見下ろしている。
 まさかの再会に、ブロイエンの思考はまたも静止した。
 イェリの片頬は、赤く腫れたように、痛々しく見える。そしてその手には、使い慣れた長銃が構えられていた。拠点を去った後、何があったのかは知らない。しかしこうして、戦場へと舞い戻ってきたのだ。彼は、得物を肩に掛けると、首を傾けながら、口を開いた。
「最悪の場合を考えて、行動する。……そうだろ?」
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