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第十三章 真実の先
一話
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「痛ってえな、くそ。もっと丁重に扱えねえのか」
「会談が終わるまで、見張っておけと……」
「おい、聞いてんのかよ。んなことしなくても、逃げねえっての」
「後の指示は受けたのか?」
「だから、きついんだよ。乱暴に縛るな、痛えって」
報告を受ける間にも、捕虜は暴れ、耳障りな抵抗の声が室内に響く。
師団長である男は、部下の言葉を手で止め、捕虜に向き直った。軍帽を目深に被っており、口元だけが、迷惑そうに歪む。
「うるさいぞ、静かにしろ」
待機室に連れてこられた、捕虜──ジャックスは、抗議をぴたりとやめ、相手を視界に入れる。部屋の中央に置かれた椅子に座り、腕は背もたれの後ろで縛られた。敵は複数おり、逃げ道を捜すことは難しそうだ。しかし、悪態を吐くのをやめた理由は、諦めからではなかった。
「……アッシュか?」
男の名が、口を突いて出る。
師団長は罰が悪そうに、舌打ちを零した。まさかの再会だ。
「縄では足りないな」
「目隠しでもするか?」
「おい、口輪を持ってこい。うるさくて敵わない」
同等に話しかけてくる相手に、こめかみがぴくぴくとうずく。生け捕りという条件さえなければ、この場で始末してしまうほどだ。師団長アッシュは、ドアの傍にいた部下に命じた。
「待て待て」
指示を受けた青年が去っていくのを、ジャックスは焦り半分で見ていた。周りは敵だらけだが、話の通じる見知った顔に、わずかにも逃れる隙を探り当てた。
当時は新兵だった、アッシュ。
随分、恰幅がよくなった。──ジャックスはそう思いながら、懐かしさを振り払う。時間が限られている。
「……取引はしないぞ。お前のよく使う、卑怯な手だ」
「あらら、知ってんのかよ」
「巻き込まれて不幸になった人間が、数え切れないほどいるんだ。警戒するに決まっているだろう」
「そんなあんたに、朗報だぜ。オレは今、北軍の爆弾を握ってる。公になれば、国府にも飛び火するような、でかいやつだ」
情報の爆弾。アッシュは目で判るほど、嫌そうな表情をした。
「オレを殺すなって、言われてんだろ? 上に。それが証拠さ」
「取り乱すな、妄言だ」
動揺が広がる師団兵たちに、アッシュは平静を繕った。しかし本心では、次の手を考えあぐねている。相手の影響力を間近で知っているからこそ、下手に動けないのだ。
昔は違った。
まだ若かった頃は、一行動への責任は知れているもので、悩みも些細な内容だった。
──それが今では、不自由の中の自由を楽しむ余裕さえ、微塵もない。
「くそ──…」
妙に苛立ちは募り、アッシュはジャックスの胸倉を掴んだ。
「不必要に、周囲をかき乱すな」
「事実だ。このままいけば、取返しの付かねえことになる。現にもう、グレハンは動き出したぜ」
「……お前は、いつもそうだ」
薄ら笑いを浮かべる相手を、軽蔑の眼差しで睨み付ける。
自身以外の人間に対して、何の感情も抱かない。それがジャックスだ。信頼も、情でさえ。どのような手を使ってでも利用し、価値がないとみれば、躊躇なく払い棄てる。
そう分かっていて、手を貸してしまうのは──冷酷な思いの先に、常人にはない不思議な力が見えるからか。
「一度、ガラハンを去っただろうが。もうみんな、お前の敵なんだ。なぜ戻ってきた──…」
アッシュは、かつての悪友に、絞り出すような声で言った。
──その時だ。
「おやめください、大将に止められています……ッ」
何者かの制止の声。
直後──蹴破るような勢いで、ドアが開かれた。
現れた人物に、ジャックスは息を呑む。
「ローガス……」
最も会いたくない敵だった。
彼がやって来た理由は、おそらく一つだろう。私怨だ。憎い相手を始末する、ただそれだけのため。右手に握られている拳銃が、何よりの証拠だった。
立ち上がったアッシュが、素早く動く。
一発の銃声──
「少佐……気が狂いましたか──…」
彼に掴まれたローガスの腕は、まっすぐ天井へと向き、そこへ銃弾が撃ち込まれた。
「放せ」
「できません。こいつが、あなたの敵であっても、今は捕虜です」
「お前も、庇うんだな……」
わずかな間、ローガスの表情が穏やかになる。しかし──豹変はすぐだった。
空いた左手に、アッシュの手首を捕らえられる。軋むような力に、折れる瞬間を想像してしまい、思わず息を吸い込んだ。腕から解いた途端、軽い動作で身体が吹き飛ばされる。
まるで幼い子どもを扱うような、一瞬の出来事に、師団兵たちがどよめいた。
「ぐ……」
壁に頭を打ち付けたアッシュは、脳震盪を実感した。
「し、少佐……」
「邪魔をするからだ」
吐き捨て、ジャックスに向き直る。その瞳は、どこか虚ろだ。
「懺悔の言葉はあるか?」
「……んなもん、とっくに終わってら」
答えるが早いか、脱いだ片靴を足で蹴り上げる。
命中する軌道だったが、ローガスは軽く避けた。
一瞬の時間稼ぎには、十分だった。ジャックスは、既にナイフで縄を切り解いており、身を起こしながら、後ろ手に椅子の背を掴む。
彼がそのまま投げるのと、ローガスが引き金を引くのは、同時だった。古びた木製の椅子は、半壊し、音を立てて床に転がった。
続けざまに、二発。
間合いを詰める間に、ジャックスの額と肩を、銃弾が掠める。構わず、振り被ったナイフを、相手の胸に突き立てた。
──が、ローガスの身体は、びくともしなかった。
呆気に取られたジャックスは、隙を見せた。──そこへ、蹴りが飛んだ。レイゼルマンに殴られた頬に、再び強い衝撃を受ける。まるでゴムでできた球のように、身体が跳ねて、控えていた数人の兵士に衝突した。
普通ではない、恐ろしい力だ。
ジャックスは咳込み、痛みに耐えながら、臨戦態勢を整えた。
「てめえ……まさか、薬打って……」
「言い遺すことがないなら、これで終わりだ。ジャックス」
最悪の予想ほど、当たってしまう。ローガスの身体はもはや、彼本人のものではない。毒に侵された化け物へと変わっていた。
終わり。ジャックスの脳に、放たれた言葉が繰り返し響いた。
違う──
「会談が終わるまで、見張っておけと……」
「おい、聞いてんのかよ。んなことしなくても、逃げねえっての」
「後の指示は受けたのか?」
「だから、きついんだよ。乱暴に縛るな、痛えって」
報告を受ける間にも、捕虜は暴れ、耳障りな抵抗の声が室内に響く。
師団長である男は、部下の言葉を手で止め、捕虜に向き直った。軍帽を目深に被っており、口元だけが、迷惑そうに歪む。
「うるさいぞ、静かにしろ」
待機室に連れてこられた、捕虜──ジャックスは、抗議をぴたりとやめ、相手を視界に入れる。部屋の中央に置かれた椅子に座り、腕は背もたれの後ろで縛られた。敵は複数おり、逃げ道を捜すことは難しそうだ。しかし、悪態を吐くのをやめた理由は、諦めからではなかった。
「……アッシュか?」
男の名が、口を突いて出る。
師団長は罰が悪そうに、舌打ちを零した。まさかの再会だ。
「縄では足りないな」
「目隠しでもするか?」
「おい、口輪を持ってこい。うるさくて敵わない」
同等に話しかけてくる相手に、こめかみがぴくぴくとうずく。生け捕りという条件さえなければ、この場で始末してしまうほどだ。師団長アッシュは、ドアの傍にいた部下に命じた。
「待て待て」
指示を受けた青年が去っていくのを、ジャックスは焦り半分で見ていた。周りは敵だらけだが、話の通じる見知った顔に、わずかにも逃れる隙を探り当てた。
当時は新兵だった、アッシュ。
随分、恰幅がよくなった。──ジャックスはそう思いながら、懐かしさを振り払う。時間が限られている。
「……取引はしないぞ。お前のよく使う、卑怯な手だ」
「あらら、知ってんのかよ」
「巻き込まれて不幸になった人間が、数え切れないほどいるんだ。警戒するに決まっているだろう」
「そんなあんたに、朗報だぜ。オレは今、北軍の爆弾を握ってる。公になれば、国府にも飛び火するような、でかいやつだ」
情報の爆弾。アッシュは目で判るほど、嫌そうな表情をした。
「オレを殺すなって、言われてんだろ? 上に。それが証拠さ」
「取り乱すな、妄言だ」
動揺が広がる師団兵たちに、アッシュは平静を繕った。しかし本心では、次の手を考えあぐねている。相手の影響力を間近で知っているからこそ、下手に動けないのだ。
昔は違った。
まだ若かった頃は、一行動への責任は知れているもので、悩みも些細な内容だった。
──それが今では、不自由の中の自由を楽しむ余裕さえ、微塵もない。
「くそ──…」
妙に苛立ちは募り、アッシュはジャックスの胸倉を掴んだ。
「不必要に、周囲をかき乱すな」
「事実だ。このままいけば、取返しの付かねえことになる。現にもう、グレハンは動き出したぜ」
「……お前は、いつもそうだ」
薄ら笑いを浮かべる相手を、軽蔑の眼差しで睨み付ける。
自身以外の人間に対して、何の感情も抱かない。それがジャックスだ。信頼も、情でさえ。どのような手を使ってでも利用し、価値がないとみれば、躊躇なく払い棄てる。
そう分かっていて、手を貸してしまうのは──冷酷な思いの先に、常人にはない不思議な力が見えるからか。
「一度、ガラハンを去っただろうが。もうみんな、お前の敵なんだ。なぜ戻ってきた──…」
アッシュは、かつての悪友に、絞り出すような声で言った。
──その時だ。
「おやめください、大将に止められています……ッ」
何者かの制止の声。
直後──蹴破るような勢いで、ドアが開かれた。
現れた人物に、ジャックスは息を呑む。
「ローガス……」
最も会いたくない敵だった。
彼がやって来た理由は、おそらく一つだろう。私怨だ。憎い相手を始末する、ただそれだけのため。右手に握られている拳銃が、何よりの証拠だった。
立ち上がったアッシュが、素早く動く。
一発の銃声──
「少佐……気が狂いましたか──…」
彼に掴まれたローガスの腕は、まっすぐ天井へと向き、そこへ銃弾が撃ち込まれた。
「放せ」
「できません。こいつが、あなたの敵であっても、今は捕虜です」
「お前も、庇うんだな……」
わずかな間、ローガスの表情が穏やかになる。しかし──豹変はすぐだった。
空いた左手に、アッシュの手首を捕らえられる。軋むような力に、折れる瞬間を想像してしまい、思わず息を吸い込んだ。腕から解いた途端、軽い動作で身体が吹き飛ばされる。
まるで幼い子どもを扱うような、一瞬の出来事に、師団兵たちがどよめいた。
「ぐ……」
壁に頭を打ち付けたアッシュは、脳震盪を実感した。
「し、少佐……」
「邪魔をするからだ」
吐き捨て、ジャックスに向き直る。その瞳は、どこか虚ろだ。
「懺悔の言葉はあるか?」
「……んなもん、とっくに終わってら」
答えるが早いか、脱いだ片靴を足で蹴り上げる。
命中する軌道だったが、ローガスは軽く避けた。
一瞬の時間稼ぎには、十分だった。ジャックスは、既にナイフで縄を切り解いており、身を起こしながら、後ろ手に椅子の背を掴む。
彼がそのまま投げるのと、ローガスが引き金を引くのは、同時だった。古びた木製の椅子は、半壊し、音を立てて床に転がった。
続けざまに、二発。
間合いを詰める間に、ジャックスの額と肩を、銃弾が掠める。構わず、振り被ったナイフを、相手の胸に突き立てた。
──が、ローガスの身体は、びくともしなかった。
呆気に取られたジャックスは、隙を見せた。──そこへ、蹴りが飛んだ。レイゼルマンに殴られた頬に、再び強い衝撃を受ける。まるでゴムでできた球のように、身体が跳ねて、控えていた数人の兵士に衝突した。
普通ではない、恐ろしい力だ。
ジャックスは咳込み、痛みに耐えながら、臨戦態勢を整えた。
「てめえ……まさか、薬打って……」
「言い遺すことがないなら、これで終わりだ。ジャックス」
最悪の予想ほど、当たってしまう。ローガスの身体はもはや、彼本人のものではない。毒に侵された化け物へと変わっていた。
終わり。ジャックスの脳に、放たれた言葉が繰り返し響いた。
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