喫茶つむぎの見えないけど見えてる日常

石井はっ花

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少年と最後の別れ

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「ねぇ。この頃、毎日来てるよね。何か用?」

しずが、喫茶つむぎ入口ドアに張り付いて中をうかがっていたランドセルを背負った小学生男子に、声をかけた。

「用なんて、ない」

「あっそ。じゃあ、そこ、避けてよ。中に入れないじゃない」

男の子は今気づいたように、はいと言ってからしずが通れるように道を譲った。

「お姉さん、ここ、お化け屋敷だよ?」

「違うよ。喫茶店。あたしはここの客」

「嘘だー。広山くんがここ、お化け屋敷って言ってたもん」

破けたオーニング、いくつかある鉢の植物はすべて枯れている。

「ここ、入ったら呪われるってみんないってるよ!」

「たしかに」しずが吹き出す。

「どうみても営業中の喫茶店には見えないよね。でも、本当にお店なんだ。入ってみる?」

そう誘うしずのことが、恐ろしくなったのか、少年は飛び上がった上、走り去っていった。

「なんだ、あれ」



その翌日も、彼は現れて喫茶つむぎの中をうかがっている。

そうまでして毎日現れるのであれば、堂々と入口ドアを開けて入ってくればいいんじゃないかと思う、しずだった。

しずは、実行に移すことにした。

しずに気づかず、中をうかがっている彼の肩をむんずと掴み、内開きのドアを開いたのだ。

「ーー!」

少年の声にならない悲鳴が聞こえた。

「ただいま。これ、客ね」

少年は、室内の雰囲気としずのために作られる日替わり定食の思わずお腹のすく香り、そして、しっかりと適温の空調に驚き、腰を抜かした。

思っていたおどろおどろしいお化け屋敷と内装が全く違っていたのだろう。

「うぉお、まほうか?てんいまほうか?」とありもしないことを口走っている。

「いらっしゃいませ」マスターはなんてこともなく小さな訪問客に丁寧に挨拶した。

ひよりは、驚きの中まだ挨拶できずにいたが、マスターの挨拶を聞いて、小声でいらっしゃいませと言った。

やがて、少年は驚きから回復すると、大人の男の人であるマスターに話しかけた。

「あの、ここって、お化け屋敷なんですか?」

「お化け屋敷、ですか。いいえ。ここは見ての通り喫茶店ですよ」

「え。だけど、広山くんは嘘はつかないもん」

マスターは少し笑う。

「そうなんですね」

「そう!だから、おれ、広山くんに聞いたんだ。また、あいつに会うのにはどうしたらいいかって」

「”あいつ”ですか」

マスターは思案げに首を傾げる。少年は一瞬たじろぐが続けた。

「そう!その時、広山くんに聞いたのはお化け屋敷でギシキしたら、また会えるって。おれ、そう聞いたもん。だから、来てみたってわけ!」

横からしずが割って入る。

「ねぇ。”あいつ”ってだれよ」

「あいつって、うさぎのぴょん。俺が生まれれる前からいて、この前死んじゃったんだ」

「……そうなんだ」しずの心がチクリと傷んだ。

「俺ね、広山くんに死んじゃった奴にどうしたら会えるのか、聞いたの。ぴょんにまたあって。ごめんなさいしたかったから」

少年はマスターをちらりと見上げた。
マスターは静かな笑みをたたえていた。

「ぴょん、死んじゃう前。お母さんもお父さんもぴょんにかかりっきりになって、つい言っちゃったんだ。ぴょんなんかいらないって。早く死んじゃえって。そしたら、死んじゃって」

少年の大きな瞳からボロボロと涙がこぼれる。

「俺、そんなつもりで言ったんじゃなくて。お母さんもお父さんも俺のことどうでもいいみたいになってたから。」

少年は大きくため息をついて

「ぴょん。ずっと友だちだったのに。俺、すごく苦しがっているときに、そんなこと言っちゃったから、本当に謝りたくて。だから、ぴょんに会うギシキの方法教えてください!!」

マスターは、カウンターから出ると少年の腰を落として肩にそっと手をおいた。

「それは、つらい経験をしましたね」

「うん。だから、ギシキの……」

マスターの眼は悼むような深い色をしていた。その眼をみた少年は、なにも言えなくなった。

「残念ながら、死者に会う儀式というものはこの世にはありません。もし有っても、この場にはありません」

つい……としずを見やってから、

「ここには、もう一度、家族と会いたい方もいます。でも、会えないのです。ぴょんちゃんでしたか、その子ともどんなことをしても会えないのが本当です」

少年は、マスターの言葉を深く噛みしめる。溢れ出る涙は、止まることを知らないかのようだった。

「だから、だからこそ、私達は、会う人、縁のあるもの一人ひとりを大事に、悔いの残らないように生きていくんです。それはどんな大人だって、子供だって変わりはありません」

「俺、本当にぴょん大事で、ずっと一緒でいっぱい食べるぴょんと大食い競争して、いっぱい笑って。でも、今、居なくて。すごく淋しくて」

新しい涙がボロボロと次々溢れてくる。

「ぴょん。俺、ぴょんに会いたいよ。ごめんって。ずっとそばに居てって、それだけ、ずっと言いたかったんだ。本当にごめんなさいって」

ひよりがボックスティッシュを少年に差し出して、その小さな背中をゆっくりとさする。

マスターはその場をそっと離れると、カウンターに戻る。

少しして、泣き止んだ少年の鼻腔にホッとするような香りが届いた。

「さあ、お客様。笑顔になれる、特別なココアです。元気になる魔法入りです。召し上がれ」

カウンターにはマグカップに入った湯気の立つココアが置かれた。

ココアの上には、たっぷりのクリームが乗っている。

少年はなんとか、カウンターの背の高い椅子に座ると、慎重にマグカップを口に運ぶ。

ふうふうふう。息を吹きかけて口にそのココアを含む。

電流が走ったようにビクッとすると、まだ熱いのも構わずに、少年はココアを飲み干した。

「……え。美味しかったんだけど。すぐ、無くなっちゃった」

「美味しかったですか。それは良かったです」

マスターは、いつもの通りひょうひょうと応える。

「……今なら、きっと、あなたにもぴょんちゃんの気持ち、届いていると思います」

少年はゆっくりと頷く。

「本当か、わかんないけど、ぴょん。俺を怒ってないって。ずっと一緒に居てくれてありがとうって言ってくれてると思う」

「そうですね。そう、思えたなら、大丈夫です。そのぴょんちゃんの思いを忘れないでいてあげてください。それがこれからを生きていく私達の一番にできる彼らへの報いですから」

少年はありがとうございますと言って、帰っていった。

ココア代と言って、彼の手持ちの全財産50円だけがカウンターに置かれた。



後日、少年とその両親が喫茶つむぎに現れた。

両親は、料理が運ばれてくるまで終始怪訝そうな顔をしていたが、一口口に運ぶと、顔をほころばせた。

絶対、ここ通うと三人が笑っていた。
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