喫茶つむぎの見えないけど見えてる日常

石井はっ花

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リアリストとその”境界”1

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外観をリニューアルしたあとの喧騒から、落ち着きを取り戻した喫茶つむぎだった。

あの閑古鳥が鳴く状況とは違い、毎日通ってくれる常連さんがいたりと、着実に客足は戻ってきてはいた。

ひよりも今はバイトが楽しくて仕方がなかった。

相乗効果で学校の勉強の方もうまくいっているようだった。

わからなくなったら、しずに訊くという裏技も飛び出すようになっていた。

しずも先生のように聞かれたことには、ひよりにもわかりやすく根よく教えてくれていた。

紗和も、シュークリーム爆弾とクッキー事件があったあとは、仕事のほうが忙しくなったようで、週末訪れる頃には非常にぐったりとしていて、お菓子作りまで気が回らないようだ。

そんな時、マスター・山本つむぎの心がふと寂しさを何故か感じていた。

(この子たちに彼女が会ったら、なんていうかな。……ボクと同じように笑っていただろうな)

マスターはふと手挽きしているコーヒーミルの手を止めて、店内を見た。

店内の装飾は、裕子のいたときと大きく変わってはいない。

マスター、つむぎの心のなかにはただ、彼女、裕子のいない風景としか今でもないのだ。



マスターが、まだ、会社員山本つむぎとして、多忙な日々を送っていた頃のこと。

その日は、急な強い雨で傘がなかったつむぎは、喫茶店の赤いオーニングの下で雨宿りをしていた。

今どきに珍しく軒先には七夕の短冊が下がっている。

(へぇ、今どき、こんな短冊なんて喫茶店で珍しいな)

つむぎは何となく、その一枚一枚を見るともなしに見ていた。

カラン。ドアベルが鳴って、女性が顔を見せた。

「あら?お客様?」

つむぎは少し気まずい顔を見せた。

特に店内に入ろうとかそんなことは考えていなかったからだ。

何と言ってもこれから営業先に挨拶にいかなければという場面である。

喫茶店で休むという、時間的な余裕はない。

はずだった。

その意に反して、その10分後気がついたら空調の効いた店内で香りのいいコーヒーを頂いていた。

突然の雨で濡れてしまったスーツはハンガーに掛けられ、タオルで十分に乾かされている。

不意に壁掛け時計が午後四時を告げる。

ボーン、ボーン、ボーン、ボーン。

その音に、瞬間なぜだか背筋が寒くなった。

店内は、先程から給仕してくれている彼女と自分二人だけだ。

そのはずだか。

どこからか。いや、あちこちから視線を感じる。

自分のことをじっと見ている。

キョロキョロと見渡してみても、誰もいない。

入ってきた客も、その前にいた客もいない。

だから、いるはずがない。

でも、いる。

「お客様!」

給仕をしてくれた彼女が、カウンターに座った自分の前でニッコリと笑っている。

「よろしかったら、当店の自慢のパウンドケーキいかがですか?こちらはサービスです。どうぞ!」

薄暗い店の中で、彼女だけが光り輝いて見えている。

「ど、どうも」

つむぎは、皿の上に乗っているフォークを取り、一口恐る恐る口に入れた。

すこし香り付けに入っているのは、ブランデーか?

こういうお菓子は、あまり食べつけなかったつむぎにとっては、なんと言っていいかわからないけれど、ただただ、美味しくて口にあった。

気がついたら、完食していた。

コーヒーも空だ。

「……お口にあったようで何よりです。」

女性は、二カッと爽快な顔で笑っている。

いつの間にか、あの、痛いような視線はすべて消えていた。

辞去する時、パウンドケーキ代も払うと払うべきだと何度も力説するつむぎに女性はどうしても縦に振らなかった。

「……お母様にきつく言われていますので、今回はお代は結構なんですよ」

「母?なんの関係が?母はボクの高校生の時に亡くなっているけれど?」

「ええ。ですから。お母様が、コンビニ飯ばかりじゃ体を壊すって、たまにはきちんと滋養のあるものを食べなさいとおっしゃっていたので、お出ししたのです。もしよろしかったら、次はきちんと食事を召し上がるとお母様もご安心なさると思います」

つむぎは、一瞬首を傾げたが、彼女のことが少し、気味悪いと感じて、コーヒー代だけを置いて店を出た。

女性は、なんのこともなく一礼すると店内作業に戻った。



数日後、つむぎはあの喫茶店のことを考えていた。

母が言っていただと?バカバカしい。

そのまま、噛んでいたガムと共に包み紙に吐き捨てた。



その数日後、ある取引先から車で自社に戻る途中。

どの角を曲がっても、最終的にあの赤いオーニングの喫茶店の前に出てしまう。

そのオーニングには、喫茶はまゆうと白いブロック体で書いてあった。

つむぎは深い溜息をついて、そのそばにあるコインパーキングに車を止めて、喫茶店のドアを開いた。

ドアベルがカランとなる。

女性が何故かつむぎに向かって、爽快な笑顔で「おかえりなさい」と言った。

つむぎはまだ怪訝そうにしている。

無理もない。

二回目の来店だ。

しかも、ここ以外の面識はあるはずもない。

「また、来られると思っていました。前と同じブレンドでよろしいですか?」

「ああ、お願いします」

つむぎは、どことなく観念した気持ちもありつつも、疑念を持っていた。

ーー前回のこともある、どんなインチキ話が飛び出してきてもいいように、身構えた。

カウンターの横、レジのところに小さなショップカードがあるのを発見した。

喫茶はまゆうの店名、住所、店主の名前が書いてあった。

彼女は國枝 裕子というらしい。

席に戻り、お冷を一口。

ぼんやりと彼女 裕子の手さばきを見ていた。

「ここは、ずっとやられているんですか?」

「そうですね。去年、前の店主さんの代替わりで始めたんです。街なかなのに客足さっぱりで、困っちゃいますね」

裕子は困った笑顔で、つむぎにブレンドコーヒーを差し出した。

「へぇ」

興味なさげにコーヒーを一口。

その美味しさに、思わずカウンターの高い椅子からずり落ちそうになる。

「……どうして、こんなに美味しいコーヒーなのに?」

「ほんとに不思議ですよね」

裕子は快活に笑った。

「でも、あんまり、暇ってわけでもないんです。今回、お客様みたいに”縁”があって来てくださる方もいらっしゃいますから」

「縁ねぇ」

つむぎは再び、怪訝そうに返す。

「あ、前回、お母様の事。私、お話したと思うけど、信じていらっしゃいませんよね。無理もないですけど」

「当たり前です。信じられるわけはない」

「ですけど、お客様の太ももに火傷の跡があるってお母様言ってらっしゃいますよ」

裕子はにこりと笑うと、

「信じられないですよね。それでいいと思います。でも、前回お母様が心配されていた事だけは、気を使っていただければと思います」

「あの、食事のこと、ですか」

つむぎは右の太もも裏の火傷の跡をさすると、大きなため息をついた。

「その他になにか母は言ってますか?」

「体調面。このままだと、大きな病気になるってとても心配されてます。繰り返しになりますが、食事の面、三食とは言わないけど、きちんと栄養のあるものを取りなさいとおっしゃっていますね」

「そうですか……」

たしかに、朝、食欲がないために起きてすぐブラックのコーヒーを流し込むだけだし、昼も出先で、立ち食いそばで済ませ、残業終わりのコンビニ飯で一日が終わる。

体に良いわけがない。

わかってはいたけれど、それを知らない裕子に指摘されて、少し、混乱した。

納得しかけるものの、そのくらいなら、誰でも言える。

つむぎは、気を取り直して、コーヒーの代金を支払い、店を出た。

社に戻ると、なぜだか、山積みだった問題が次々とクリアになっており、その日は珍しく定時での帰宅となった。

なにかが、動いたのか?

その後も、社の問題点が次々とクリアになり、風通しのいい環境になった。

その、また数日後。

つむぎは、喫茶はまゆうに戻った。

ドアを開けて、開口一番。

「あんた、なにかしたのか?」

とつむぎは、裕子に疑問を投げかけた。

「いいえ?私にはそんな力はありません」

裕子はびっくりしていた。

つむぎは思った。

ここには、何かあると。

通うことで、何かがわかるかもしれない。

それを暴いてやると思い、通い出したのだ。

そして、つむぎと裕子が恋仲になるのは、そう遠くない未来だった。

それは、また、別のお話。
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