邪神〜忘れられぬ君に〜

新川はじめ

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第一章

散歩

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「ねえカイリ、この人本当に天才の一人なの?」
 時之介ときのすけがこそっとカイリに耳打ちをする。

「うん……全霊ぜんりょうの術師のはずだけど」

 本人を目の前に、ずいぶんと失礼な会話だ。秀麗な外見とは裏腹に、少し抜けたところのある彼を本物の清流せいりゅうかと疑っているのだ。

「あっ!!」
 時之介は急に何か思いついたようで、ニヤニヤと顔を緩める。

「清流様! お金が必要ですよね!?」
「え、ええ……」

 詰め寄られてたじたじと後退る清流を見つめ、時之介は何やら良からぬ事を考えているようだ。その後、茶屋を出て無事に宿をとると、「ちょっと出かけてくる!!」とカイリに告げるや否や、清流を引っ張ってどこかへ行ってしまった。


 二人きりになってしまったカイリと小花こはる

「少し散歩でもする……か?」
「いいの!? うん! 行きたい!」
 二人はせっかく訪れた竜古町りゅうこちょうを楽しむことにした。



 ◇◇◇

 散歩に出かけたカイリと小花の間には、ほんの少し距離がある。

 それは、先ほど手を繋いでしまった恥ずかしさを、小花に悟られないように保たれた距離なのだが……

「ねえ、カイリ!!」
「う、うん……」

「あれ見てカイリ!」
「あ、ああ……」

「あっちに行ってみよう!」
「おう……」

 いつもどおりの小花を見ていたら『なんにも気にするな……気にするな……』と一生懸命念じていたカイリの気持ちも落ち着いてきたようだ。


 町の中では、小さな子どもたちが中央通りで頭上をなびいていたあの水色の布と同じ物を握りしめ、笑い声を響かせながら至る所で駆け回っている。

 その中の一人が、カイリと小花のそばを通り過ぎようかという時に、躓いて転んでしまった。握りしめた布にばかり気を取られていたせいだろう。
 ズサッと音を立ててかなり派手に転んだその子の体は、地面にへばりついたままひくひくと起伏し始めた。


(ああっ、泣くなよ!)

 二人は慌てて駆け寄ると、カイリは泣きだす前に子どもの体をサッと起こした。


「大丈夫か? 痛かったな、ケガはないか?」

 カイリが顔を覗き込むと、一瞬女の子は「わっ」と驚き、顔を真っ赤にしてこくんこくんと大きく上下に頭を振る。知らない男の人に急に抱き起こされて驚いたのだろう。涙が引っ込むと子どもたちの輪の中に脱兎のごとく走り去っていってしまった。


「えっと……大丈夫そうだな」
「うん……なんか、こっち見てるよ」

 カイリが先ほどの女の子が逃げ込んだ……混ざった子どもたちの輪に視線を向けると、

「キャー!!」
 奇声が上がる。

「…………」
(俺、そんなに怖かったか……? 確かにちょっと無愛想かもしれないけど……)

 少し傷ついたカイリの横で小花が子どもたちの様子をうかがい耳を澄ませてみれば、奇声は奇声なのだが、どうやら彼が想像していることとは少し違うようである。


「でしょ? あのお兄ちゃん、すっごくかっこいいの!!」
「どれ?」
「ほんとだ!! かっっこいいぃ!!」


 五、六歳の子どもとはいえ、すっかり乙女の顔だ。小さな女の子たちは、数人で固まってキャーキャーと盛り上がっている。

 カイリ本人はまったく気づいていないが、顔を赤らめてチラチラと見ているのは、ここにいる小さな女の子たちだけではない。町ですれ違う女性たちがカイリを目で追い振り向いているのだ。


 深く吸い込まれそうな漆黒の瞳に黒髪。黒衣を身につけて、パッと見ただけではいっさいの派手さはない。しかし、元々の顔立ちの良さや、少し冷たさを感じさせる雰囲気、少年の線の細さを残した長身の体は十分に目立ち、女性たちは目を奪われているのだった。


「どうかしたのか?」

 周りに気を取られて立ち止まっていた小花は、カイリに呼ばれ彼の顔をじっと見つめた。

「な、何?」

 目をそらして赤くなるカイリの姿に、小花の目尻が下がり表情がふわっと和らいだ。「なんでもない、ごめんね」と小走りで追いつき、再び二人は横に並んで歩きだした。


「カイリ、私こういうお祭りって初めて! ご祈祷は村の術師様が屋敷の中で執り行ってたし、屋台ってどんな感じなのかな。すっごくワクワクする!」

「明日になったら、きっとビックリするよ」
「ふふふっ、楽しみっ! ねえ、カイリの町にもお祭りがあるの?」


 そういえば、カイリはしばらく祭りに行っていない。最後に行ったのは何年前だろう。

「俺の町は四つの専門が春夏秋冬、それぞれの季節の祭りを担当するんだ」
「カイリの専門は?」
祓除ふつじょの担当は夏。泰土たいとの祭りにも連れてってやるよ」

「本当!? 絶対に約束だからね!」

 その弾けんばかりの笑顔を見た時、カイリは小花と自分との違いを強く感じた。

「嬉しそうだな……」

 この先、小花はいろいろな所に行ってたくさん感動するのだろう。自分とは違って小花の未来には自由がある……。そんな思いが頭をかすめた時、


 ――『羨ましい』

 嫉妬のような感情が、さざ波のようにカイリの心を乱した。

 今はこうして一緒にいても、いずれ小花は遠くへ旅立っていってしまう。そんな姿を想像すると、かすかに寂しさが湧き上がる。かつて逃げ出した過去を思い出して、ポツリと呟いた。


「自由になりたい……俺もたまに思う時がある」


 本当に『たまに』なのだろうか……考えないようにしているだけで、心の奥底ではもうずっと前から思っていたのではないか。

 小花は、急に飛び出したカイリの本音に驚きを見せたが、曇った表情が引っかかったのか心配そうに声をかけた。


「ねえ、もしもだよ? もしも、本当に自由になりたかったら……私と一緒に海を見に行こうよ」

 突然の誘いにカイリはうまく返事ができず、不安げに自分を見上げる小花の瞳をただ見つめ返す。

 家門、母、そして術師としての自分のすべてを投げ捨てて、逃げることなどできるだろうか。
 もちろん現実にはありえない。しかし、そんな未来を想像するくらいは許されるのではないかと、カイリの心はふっと軽くなった。


「そうだな、その時は一緒に海を見に行こう」


 小花は大きく見開いた――。


 初めて見る優しく微笑んだカイリの笑顔。

 瞬きさえも忘れるほどに深く惹きつけられた小花は、いつしかその笑顔につられてカイリに微笑み返していた。
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