邪神〜忘れられぬ君に〜

新川はじめ

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第一章

誰も知らない昔話①

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 昔々、遥か昔……。

 ある国で疫病が蔓延していました。

 毎日たくさんの人の命が消えていきます。

 人々を苦しめ、多くの命を奪う疫病は、いつの間にか『神の祟り』だと言われるようになったのでした。

 ここは疫病によって誰もいなくなってしまった村。その村でぽつんと一人、夜空を見上げて立っている少年を、一人の少女が見つけました――。



 ◇◇◇

「あの……前にもあなたを見かけたことがあります。空を見つめて何をしているのですか?」


 少年は少女に顔を向けたが、虚ろな目は再び空を見上げた。

「魂をそらに還している」

「魂……ですか?」
 驚いた少女は、少年のか細い声を聞き取るために必死で耳を澄ました。

「もう一度この世に戻って来られるように、輪廻の輪へと導いている」

 少女は思わず周りを見回したが、そこにあるのは閑散とした村と美しい夜空だけだった。

 彼女は苦しむ人々を助けるためにこの村を訪れたのだが、最後の一人が息を引き取る前に辿り着けなかったことを悔やんでいたため、「亡くなった方たちの魂が無事天に還ることができたのなら、少し救われたような気がします」と少年に感謝を伝えた。

 しかし、少年は安堵する少女を否定するように首を横に振る。

「すべての魂が天に還れるわけじゃない」
 強い憎しみ、苦しみ、心残りによって妖になってしまったモノは、地上を彷徨い続けることになると言うのだ。

「そんな……死後も苦しみ続けるなんてつらいです。なんとか救うことはできませんか?」

 少年は嘆く少女に虚ろな目を向け、不思議そうに眺めた。

「……どうして君は、他人の死を悲しんで死後の心配までするの? 人は皆そうなの? 私は人ではないから、その気持ちがわからない……」


 ――『人ではない』?

 少女は息を呑んだ。だが、少年が答えを求めるように彼女を見続けているため、あくまでも冷静を装って話を続けることにした。


「では尋ねます。あなたは、大切な人を失ったことがありますか?」

 少年は頭を振る。
 
「そうですか……では、私の話を少しだけ。私には両親がいません。父は幼い時に事故で、母は少し前に病気を患い帰らぬ人となりました。幼すぎた私は父をまったく覚えていなかったけど、母は父を思い出してよく泣いていました」

 少女は下ろした両手を組んで、ぎゅっと力を込めた。

「私、人の死を甘く見ていたんです。人が亡くなっても全然泣けないって。でも、それは大きな間違いだった……母は私のすべてだったんです」


 彼女にとって母の死は、それまで経験したどんな気持ちともまったく別のものだった。

 一人きりの部屋の寂しさ、至る所に残る母との思い出。笑い合ったことも喧嘩したこともすべてが色濃く残り、鮮明に思い出すことができる。

 夢に見れば泣いて目覚め、母のあとを追いかけようかと何度迷ったことか……。

「大切な人の死を受け入れることは、とても苦しいことです。喪失感を拭い生きようと思うのは本当につらいことです……私は、やっとあの時の母の気持ちが理解できたんだと思います」


 少女の話を聞いて、涙で滲むその瞳を見ても、少年は少女の感じた心の痛みをまったく想像することができなかった。しかし、わからなくても最後まで話を聞こうと心に決めているのか、少女の口から次の言葉が出てくるのを黙って待ち続けている。


「私は、愛する人がいなくなる悲しみを知ってしまったから……それが他人だとしても誰かが死ぬのは嫌ですし、大切な人を失って悲しむ人の姿も見たくないんです。私が持つわずかな『治癒』の力で、苦しむ人たちの痛みを少しでも軽くできたらと思い、こうして旅を続けています」

 少女は『苦しむ人々を救いたい』という生きる目的を語ったあとに、ハッと何かを思いついたようだ。目の前の少年を、じっと見つめている。


「もし……、もしあなたに旅の目的がないのなら、私と一緒に行きませんか? 私と一緒に各地を巡り、人として、人のように生活してみるのはどうでしょう。生きるために働き、食事をとり、一日を終える。私が歳をとるのと同じように、あなたの姿も歳をとる。人の一生はとても短く儚いものです。私と共に過ごしたら、あなたが感じているさまざまな『なぜ』が解けるかもしれません。どうですか?」

 少年はその突拍子もない提案にきょとんとしたが、変わったことを言う少女に誘われるがまま、人として旅をすることにしたのだった。



 ◇◇◇

 少女の名は『紫花しか

 紫花が少年と旅を始めて最初に聞いたのは、彼の名前だった。

「名前はあるけど、私はその呼び名が好きじゃない……君の好きなように呼んで」
「そうですか…………」

 紫花は口元に手を置くと「うーん」と頭をひねりながら、しばらく考え込んでいる。なにしろ自分の考えた名前が、これから少年の名前となるのだ。責任重大である。
 あれでもないこれでもないと、眉間にしわを寄せて悩みに悩む彼女の表情が一気に晴れた。


「良い名が浮かびました! 『久遠くおん』様というのはどうでしょう。久遠とは『永遠』という意味です」


『輪廻』とは生死を繰り返すことを意味する。

 姿形を変えて魂が永遠に続いていくというのなら、その魂を輪廻の輪へ導く彼にぴったりの名だと紫花は思ったのだ。顔を強張らせて少年の返事を待つ。

「『久遠』……うん、それで構わない」

 紫花がホッと笑みをこぼす一方で、新しい名前を手に入れた久遠は、新しい自分をも手に入れたような不思議な気持ちになったのだった。


「それから、お礼を申し上げます。私の父と母の魂を導いてくださったはずですから」
「でも、もし――」
「いいえ、二人が妖になっているとは思いたくありません。久遠様、ありがとうございました」

 紫花は父と母、二人の魂が無事に輪廻の輪に導かれたと信じて、久遠に向かって微笑んだ。

「感謝されるのは初めてだ……これは私に与えられた定め。誰かのためなどと思ったことはない。それに……私は皆から忌み嫌われている……」

「いいえ、私はその『皆』には入っていません。久遠様を嫌ってはいません。さあ、行きましょう」

 久遠は今までずっと抱えていたものを否定してくれた彼女に、何か特別なものを感じたのだった。重かった足取りは自然と軽くなり、真っすぐ前を見て歩く紫花のあとを追いかけた。



 ◇◇◇

 久遠――彼は少年の姿をしているが、実は遥か長い時を生きてきた神である。

 彼は、命を救いたいと強く願う紫花のそばで、もがき苦しみながら必死に生きる人の姿、消えていく命とそれを悲しむ人々、また、新たに生まれる命を見ながら、自分に与えられた使命について考え始めていた。


『魂を天に還し、輪廻の輪へと導く』


 今まで何も考えず淡々と同じことを繰り返してきた彼は、自分がとても大きな役割を担っている気がしたのだった。



 ――紫花と出会い、旅を始めて一年。


 その日も久遠は夜空を見上げていた。
 広い野原に立つ彼の姿は、まるで影絵のようにくっきりと浮かび上がる。


「久遠様、こちらにいらしたのですね。あとで少しよろしいですか?」

 それだけ伝えて戻ろうとする紫花を「待って、今大丈夫」と久遠は引き止めた。話があると声をかけた紫花は、珍しくもじもじとしているようだ。

「では……久遠様……。お、お誕生日、おめでとうございます!」


「私の……誕生日……?」


「はい……ちょうど一年前、あなたと私が初めて言葉を交わし、共に旅をすると決めました。あの日から、久遠様は私と同じように成長すると約束されたので、勝手にこの日を誕生日に決めてしまいました、すみません……」

「ううん、謝らないで。君は自分の誕生日ではないのに、どうして嬉しそうなの?」

 その問いに、普段大人びて見える紫花は年相応の可愛らしい笑顔を見せた。

「人は、大切に想う人の誕生日をとても喜ばしく思うのです。私は久遠様がこの世に存在してくださることを心から嬉しく思っています」


『大切な人』


 なぜだろう。彼女の言ったこの一言が久遠の心に強く響いた。

 この一年、紫花と共に各地を巡り、多くの人たちと関わるなかで、大切な人と過ごす人々は彼の目にとても幸せそうに見えていた。


「君にとって、私は大切な人……」


「そうです! 私にとって久遠様は誰よりも大切な人です!」

 普段伏し目がちの久遠の瞳が、優しく笑う紫花を見つめ、月の光を浴びてキラキラと輝いた。
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