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第95話 一蹴

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古来より魔王とはこの世に犇く魔物たちを統べる存在であり、その力を持ってして人間界を滅ぼす為だけにいると言われていた。
だが現在の魔王は自らが動き出すことはせず、ただただ機を待つかのように姿を現さない。
それが関係あるのかどうかは確定情報ではないのだが、悪魔族にしても魔竜族にしても行動範囲が人間の住む場所に出現を始めた。

過去、ハンドレッドの街に現れた悪魔族も、大戦によって弱まった魔防壁がある街の流れ玉だなんて言われていた。
悪魔族はそれほど頻繁に大勢の人間の前に姿を現さない上、魔物の本能に加え、魔人とまでは行かなくとも考える力を持っている為だ。人間の多いところには強い者たちもいる。そんな情報を身に染みて分かっているのかもしれない。

ハンドレッドの街を強襲した悪魔族がヘリオスの村の住人に消滅された出来事から1年後、悪魔族は新たな進化を遂げていた。
魔石による悪魔族の進化ーーシーラ王国が大々的に世間に公表したのはハンドレッドの街の一件より1年後のことだったという。

悪魔族の進化がいつどの過程で起きたのか。
明らかに悪魔族の特徴を持っていたようだがまるで形態が違っていたそうだ。大戦では確認されていなかったことからそれ以降、怪しいのはヘリオスの村の住人が悪魔族を消滅させたことで起きたのではないかと推測された。
鬼と差し違えるほどの強さを持つ可能性があると言われているが、それも確かな情報ではないようだ。

この悪魔族の進化の発見により、魔王と何らかの関係があると研究者たちの間では噂されていたようだが、実際は違ったと後々証明された。たとえ悪魔族が進化したとしても、魔王の力とはまるで比べものにならない。
魔王の一撃は大地を裂き揺らし、深淵の谷さえも作り出す。
こんな嘘か本当かどうかも分からない話をギルドで当時聞きはしたが、俺は魔王とは縁もゆかりもない人生を送ると思っていたからどうでもいいことだと聞き流していた。

だが、それも今となってはどうだ?
そんな魔王がいるとされる城に向かって旅をしている。もう怖いを通り越して笑いさえも起こらない。

そして同じくして悪魔族の進化及び、その可能性を秘める魔物の進化の阻止の為、世界各地で魔石の回収が始まった。
それでも魔物生息領域にある魔石の回収は困難を極め、未だ数多くの魔石が地上にあるという。
だが幸いなことに、魔物が体内に魔石を取り込むことによる一時的な強化の副作用を本能的に知っている多くの魔物は近寄ることすらしないそうだ。

副作用ーーつまり死。

ただ一部、悪魔族という種族のみが魔石を取り込むことによる進化に気づいているとされる。
ハンドレッドの街を強襲した悪魔族の大半を消滅させたヘリオスの村の住人が現れなければ、大惨事が目に見えてしまう。

それで話は戻るのだが、魔王自らが動き出さないこと、そして悪魔族と魔竜族の行動範囲の拡大による人里への出現。これがたまたまだなんてことはあるだろうか。

それが分かる顕著な事例。
魔王は魔物を支配下に置いており、叛逆すればたとえ同じ闇の側だとしても容赦はしない。
何でも一部の魔物が魔王に叛逆の意志を示したとされ、彼方にある空から街まで飛んで来たそうだ。
それが魔王によるものだと分かったのは、飛んで来た魔物の傷が尋常ではなかったからだった。
まだ正気が残っていた魔物のレベルは108。同じ魔物同士の争いで出来た傷だとも考えられた。
だが、108という高レベルの巨人ジャイアントボムを飛ばすほどの衝撃。そんな相手限られて来る。
さらに後押しするかのようにジャイアントボムに付けられた深く抉られた傷。
間も無くして傷の侵食により魔物は跡形もなく朽ちたそうだ。

「そんな魔王の匂いが残る袋を持つなんて、爺さんはいよいよ何者なんだ?」

「だからただのしがない木こりじゃて! 木切って薪組んでそれを売って生活する、独り身のただのじじいじゃよ」

「お爺さん、一人なの?」

セシルが目をまん丸くして爺さんにそう聞いた。

「……昔な、こんな儂にも女房はおったのじゃが、もうとっくに死んじまったよ」

「まさか魔物に!?」

「違う違う! ただの老衰じゃて! ーー大往生、90歳じゃったよ。ちなみに儂は85じゃ。もう時期迎えが来るかな? なんてな! ふぁっふぁっふぁ!」

爺さんの女房さん、こんな魔物時代に90歳まで生きたなんてそれだけで尊敬に値する。爺さんもよく85歳まで生きているな。素直に尊敬の念を感じる。

多くの人間は魔物に殺され、家族を失った者は時として理解不能の行動に出る。力もないのに自ら魔物のいる生息領域に行く。そんな狂気を平然と生み出すのは魔物が最も得意とすること。
それでも、大地にしっかりと足をつけてその命が尽きるまで戦うことをやめない者たちもいる。勇者でも兵士でもない人間。頼れるのは己が信念の行く心のみ。
国へ行く者、街へ行く者、そして爺さんやカリダ村の人々のように村に残る者。

「……爺さん、これ返すよ。いろいろ疑って悪かったな」

「そうじゃ、分かればいいんじゃ分かれば。儂は何も初めから嘘なんてついてはおらん。この小袋の中のものも変なものじゃなかったじゃろう?」

「確かにな。変なものというより、予想外のものだったけどな」

「そうね、まさか魔王の匂いが入っていたなんて……クン、やっぱり何も匂わないけれど、正真正銘魔王の匂いなのね」

爺さんが腕を組んで自信満々な様子で深く頷いた。

「して、お主ら急ぎじゃなかったら儂の村にでも寄って行かんか?」

「爺さんの村? 何があるって言うんだ?」

もし、何もないのなら骨折り損のくたびれもうけはもう御免だ。

「お主が勇者ならば来てもそんはせんわい。儂の村に来る他の勇者の連中もおおかた同じ理由じゃて」

「それは気になるな。メア、セシル、いいな?」

「……良いけどーー。」

メアと目が合うのだが、俺の後ろへと視界をずらした。

「来よったか」

一面銀世界のアイスベルク山脈の中に、一つの影が見える。
4つ脚を走らせて歩くエボルゼブラタイプⅡへと向かって来る。
レベル120の魔物に匹敵するエボルゼブラタイプⅡに向かって来る魔物ーー命知らずの魔物か。

このアイスベルク山脈ではレベル120近くになる魔物なんてまずおらず、エボルゼブラタイプⅡに向かっていくやつはそうはいないだろう。
それでも走る脚を止めようとしない魔物、どんなやつだ?

魔力1を消費、観察眼を発動した。


フェンリル
LV.89
ATK.130
DEF.90


一面銀世界の中、赤い眼をギラつかせ一直線にエボルゼブラタイプⅡの元へ向かって来る。
遠吠えを上げているのはさながら戦前の士気でも高めているといったところだろう。

エボルゼブラタイプⅡも気付いているのだろうが、身向きもしない。

「どうするの!? 戦う!?」

「まあ待て。こっちはこれだけの人数に、しかもエボルゼブラまでいる。この巨大馬がどうするか、特と拝見しようか」

「もうっ! またそんな呑気なこと言って!」

「フェンリルめ、奴も懲りない奴じゃ。敵わない相手だと知ってまだ挑むというのか」

爺さんのその言葉から察するに、何度もフェンリルはエボルゼブラに挑んでいるということか。

フェンリルは大きく向きを変え、エボルゼブラの真正面へと移動した。

「ブオオオオオオオオオ!!」

気づいたエボルゼブラは大きく鼻息を鳴らした。

「るせっ! なんて音出しやがるんだ!?」

乗客のスキンヘッドの男が耳元あたりを押さえてそう言った。
防寒服を着る前に目立つ頭だった為と、乗客の中でも人一倍大きく覚えていた。

足場が大きく揺れた。
それと同時に深く積もっていた雪が宙を舞った。
どうやらエボルゼブラが前脚を地面に下ろしたようだ。

さあ、どうするんだ? 

フェンリルは高く跳躍し、エボルゼブラの頭部の前に来る。
真っ黒な牙を剥き出しにしてエボルゼブラに正面から堂々と立ち向かう様は魔物ながら勇敢だ。

狙いは俺たち人間ではなくエボルゼブラか?

エボルゼブラは地面に前脚を下ろした以外何もしない。

そして鈍い音が辺に響いた。

フェンリルとエボルゼブラが頭突きをした衝撃は空気を振動させるほど。

「きゃああ!?」

「なんて衝撃!!」

メアが倒れ込み、乗客数人が大きく転がった。
セシルは衝撃に合わせるように飛んでバク転。
俺はなんとか持ち堪えた。

「ブオオオオオオオオオ!!」

再びエボルゼブラが大きく鳴いた。先程より強い声。

「なんだ? まさかやるのか?」

エボルゼブラとフェンリルの頭突きの衝撃で飛ばされたのは乗客だけではなかった。フェンリル自身がさらに上空へ飛んだ。
赤い血が飛び散っている。それほどの衝撃だったのだろう。
俺もフェンリルと戦ったことはあるが、かなり手強い魔物だ。勇者ランク5になる際、レベル51のフェンリルを討伐した。あの時のフェンリルに比べると随分体も大きい上、毛の色がさらに白い。白銀の世界の中で血のように染まった眼と飛び散った血だけが見える。

フェンリルはエボルゼブラーーではなく、次はその背中に乗る俺たちの方を見ているようだ。

「今度は何!?」

積雪の地面を踏み鳴らしたエボルゼブラは大きく旋回した。

瞬間、頭突きの音より大きい衝撃音が辺りの空気を震わせた。

「……一蹴だな」

あの巨体のフェンリルがアイスベルク山脈奥へと飛んでいく。
レベル89のフェンリルが頭突きと蹴りで終了。
エボルゼブラは何事も無かったかのように元の方角へ向き直して歩き始めた。

「し、死んだの?」

「どうかな、弱い魔物ってわけじゃないしな」

こればっかりは分からないとしか言いようがない。
レベル89の魔物、弱いわけがない。それでもエボルゼブラにとっては相手ではなかったのだろう。
大きく揺らす尾はまるで今の感情を表しているかのようだ。

その後はまるで何事もなかったかのように、エボルゼブラは目的地へと歩みを進めて行く。
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