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十章 化身覚醒
行方知れず
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それから五ヶ月後の冬のある朝だった。ばたばたと忙しない音で紗英は目を開いた。枕元の目覚ましを手探りで探し当て、寝ぼけ眼で覗けば、まだ五時を回ったところだ。
父や祖父の船は、普段ならば四時には出港しているはずだった。
「寝坊でもしたのかな……」
そう呟きながら、紗英は再び微睡んでいく。
昨夜は幹太と遅くまで電話で愛を囁き合った。これでもか、これでもかというほど、好き、好きと言い合い、言葉で戯れ遊び疲れて、眠ったのだ。眠る直前まで聴こえていた幹太の声が未だ、耳に残っているようで、紗英は微睡みの中で微笑む……その時だ。
突然、部屋のドアをダンダンと勢いをつけて叩く者があった。大きな音に驚いて、紗英はベッドを跳ね起きる。心臓はうるさく鳴った。
「だ、誰」
羽毛布団を抱き締めて、ドアの向こうに言う。部屋の中だというのに息は白く濁っていた。
「紗英、起きてんの」
母の恵子だった。紗英は安堵して、恵子に呼び掛ける。
「母ちゃん?びっくりするべさ、何如したのよ」
「大塩の兄ちゃんの船と、山上のじっちゃんの船がレーダーから消えたんだとや。無線も通じねえんだと」
紗英の心臓が縮み上がる。氏神の祟り……ついに来た。まっさきに頭に浮かぶ。指が震え始めた。懸命に震える声で言葉を絞り出す。
「え……え、今日海、荒れっこさしてんの?」
「こん辺はそうでもねえけど沖のほは……、どんなぐなってんだか。こいなぐなっと、おばばの海視の力、恋しくなっちゃな」
ドアの向こうで恵子は力なく、言った。その言葉が突き刺さる。静香が死んだ今、海視をしなければならないのは、後を任された紗英なのだ。
「大塩の嫁ちゃんパニックなんだ。母ちゃんちっくら行ってくっから、朝飯、適当に食べてな」
紗英は、恵子の言葉に返事が出来ない。声が出なかった。ひゅー、ひゅーと喉の奥から音がする気がした。恐い。自分のせいで人が死ぬかもしれないのだ。紗英の全身から汗が吹き出る。
「紗英、わかったの?」
返事のなくなった紗英に恵子が語りかける。紗英はまるで酸欠の金魚のように、ぱくぱくと口を開いては閉じ、よくやく言葉を絞った。
「うん……わかった」
紗英の返事を聞くと恵子は、廊下を走っていった。足音で、恵子が勝手口から外へ出たことを悟ると、紗英は充電器に刺さったスマホを手にした。
震える手で幹太へのリダイアルをタップする。時間など気にしていられなかった。いつもは、あっという間の呼び出し音。今日ばかりはとてつもなく長く感じる。
「……っかんちゃん、早く、早く出て」
「……ん、だれ」
眠ったまま、電話を受けたのだろう。掠れた幹太の声が紗英の耳に届いた。
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