彼の呪は密やかに紡がれる

ちよこ

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酒呑童子⑦

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とっぷりと夜が更け、満ちた月が空に浮かぶと、篝火が一斉に焚かれた。
鬼踊りの殿を伊吹は務め上げた。

仏の教えで酒を飲むことは禁じられているが、今宵ばかりは許された。
場は盛り上がり、帝も最澄も皆上機嫌に酒を過ごし、伊吹も飲めない酒を注がれるまま喉の奥に流していく。

鬼面はつけたままで。 
口を覆う面をつけたままではやはり飲みづらく、何度か外そうとしたのだが周りに止められた。
面をつけた伊吹の風貌があまりに美しかったのだ。

その内酔いがまわり、伊吹は意識を手放した。
深い眠りの中、自分を呼ぶ声がする。



「…………誰?」



ふわふわとした心地のまま、体を起こした。
辺りを見回し、違和感に気付く。

音が、なかった。
 
それどころか、一人としていない。
さっきまで、皆囃し立て、杯を重ね合わせていたはずなのに。
置いていかれてしまったのだろうか。
清涼殿の広大な白洲にただ一人残され、不安にかられる。

不意に頭の中に響く、先ほど眠りの中で聞いた声。
それは、帝がいたはずの昼御座の方から聞こえた。
目を凝らすと、半ばまで下ろされた御簾の向こうに深紫こきむらさきの束帯が見える。
その姿を見付け、伊吹は安堵のため息をついた。



あぁ、帝だったのか。
このお方も人が悪い。
こんな手の込んだ悪戯をするなんて。 



砂を鳴らしながら階の下まで行く。
仰ぎ見ると、蒼白い手が手招きをしていた。
椅子の肘掛けにもたれた方の手には、伊吹がつけていた鬼面。
そこで初めて面を外していたことに気付いた。


「申し訳ありません。
酒が初めてだったもので正体をなくしてしまって」



眉を下げ、御簾の前まで来たときに思い出した。



帝の手はこんなに蒼白かっただろうか。

深紫の袍なんてお召しだっただろうか。

…………確か、黄櫨染ではなかったか。 




ぞくり、

ぞわり、



背を伝う冷ややかな汗。
息をのみ、御簾越しに顔を覗こうとした時には既に遅かった。
この世ならざる冷たさの手が固く伊吹の手首を掴んでいた。



「ご、ご冗談を……」



頬を歪ませ、震える唇で伊吹が言う。
伝う汗が止まらない。 


誰も触れていないの御簾が巻き上げられる。
露になる深紫を纏った者の顔。
声にならない悲鳴が喉の奥で鳴った。


髪は乱れ、大童になり、皮膚はただれ、腐り落ちていた。
何よりも恐ろしかったのはのはその瞳。
ぽっかりと全てを飲み込むような虚空がそこにあった。


逃げたくとも、強い力に阻まれ叶わない。
視線すら、虚空に囚われてそらせない。 

こんなことなら、経を真面目に読んでおけばよかった。
訓戒を聞いておけばよかった。

ボロボロと涙をこぼし、唇を噛み締める。



『そなたの舞は、美しかったなぁ』



目の前の者の唇は動いていないのに、語りかけてくる。



『本来なら我がここに座り、舞を眺めていたはずだった』



恐怖が占める頭で考えを巡らせる。
催事を盛大に行なった目的。
それは、怨霊を祓うため。

桓武帝が即位する際、廃太子にされた早良親王とその母が。
今の帝が東宮になる際にも伊予親王やその側近が陥れられ亡くなっている。

今の帝の地位は数えきれない血と怨みの上に成り立っているのだ。 



「でもっ……、俺には関係ないっ……!」



必死に腕を捩り、振り払おうとするがビクともしない。
肘掛けにもたれていた片方の手がゆっくりと伸びてきた。

鬼面が、迫り来る。

伊吹のものだったはずなのに、今さっきまでつけていたのに、鬼面が酷く恐ろしいものに感じる。 



『そなたも、我の仲間になるのだ』



伊吹は必死に顔をそむけ、声を張り上げた。



「嫌だッ!
誰があんたらの仲間になんかなるか!
伊吹は誰にも何にも怨みなんかないんだ!」

『怨みなど、些細な事から燃え上がるものだ』



吐き気をもよおしそうな笑い声が響き、体が力を失った刹那、伊吹は床に打ち付けられた。
顎を押さえられ身動きがとれぬまま、視界が赤く染まる。
高笑いを最後に聞き、伊吹は再び意識を手放した。 



意識が覚醒し、重い瞼を開くと広がったのはいつもの光景。
場所は清涼殿の白洲のままだが、皆がいる。
もっとも、酔い潰れて正体をなくしているものが殆どだったが。
伊吹は胸を撫で下ろした。



「酷い悪夢だ……」



ただ、酒を過ごしたのは変わらないようで、少し頭が痛い。
酔いを醒まそうと、掛樋かけひのある場所へと向かった。
そっと手を伸ばし、伊吹は水面に映り込んだ姿に息をのんだ。

面を、付けていた。
夢が蘇る。
けれど、つけたまま寝てしまったのだろうと、面の端に爪を忍び込ませた。

二度、三度、

力を込めるが取れない。
紐で後ろにくくりつけていただけのはずなのに。

後退り、伊吹は駆けた。
最澄の元へ。
空海と並び称され、随一と名高い最澄ならこの面を外すことが出来るかもしれない。 
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