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1st GAME
1st inning : STRIKEOUT SALE $10 EACH
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『三振 売ります』
その少女があらわれたのは、ひどく冷え込んだ日の昼下がりだった。
前日までのしぶとい雨は止んだものの、空はまだ陰湿なねずみ色に染まっていた。
妙な女だった。黒髪に丸っこい輪郭の小さな顔。東洋人は幼く見えるからよく分からないが、おそらく年齢は十代後半。
シュガーパインのようにもっさりと垂れ下がった前髪が両目をすっかり隠していて、不気味といえば不気味だった――と、クールボウは後に語っている。
ライアン・クールボウはアメリカメジャーリーグ、ピッツバーグ・アルゲニーズのスカウトマンである。スカウト一筋四十年。データ分析全盛のこの時代において、ほとんど業界でただ一人、手帳と鉛筆だけで全米の球場をめぐる昔気質の職人だ。
「おー。いい当たり」
ポール際に放たれた特大のファールボールに、ベンチの隣に腰掛けた後輩スカウト、ロバーツが感嘆の声をあげた。ノートPCのスコアブックに記された前二打席の成績は、本塁打と二塁打。いずれも速球に打ち負けない力強いスイングだった。
「当たりですね、こいつは。こんな新興リーグなんてどうかと思ったけど、いるとこにはいるもんだなぁ」
「だから言ったろうが。スカウトたるもの……」
「自分の目で見たものだけを信じろ、でしょ。耳にタコっすよ」
「だったら少しは学習しろ。ネットの情報だけで決めつけやがって。これだから若いヤツは」
はいはい、と流すスカウト二年目の青二才に、クールボウは舌打ちをかました。
カリフォルニア・ウィンターリーグは、メジャーへの登竜門として数年前に設立されたスカウティングリーグだ。一月から二月にかけて、プロリーグでスカウトの目に止まることを目的にアメリカはもとより中南米、アジアから若き星たちが集まる。
もうリーグの日程も終盤で、めぼしい選手はほとんどいなくなっていたはずだが、クールボウが持ち前のカンで「見に行くぞ、若造」と、グラウンドに後輩を連れ出したのだった。
「あーあー、ピッチャーのほう、完全にビビっちゃってますよ」
「三本目も固そうだな……ん?」
ふと、二人の目がマウンドに向かった。
女だ。珍妙な格好をした小柄な女が、ダイヤモンドの中央へと歩をすすめてゆくのだ。
念のため言うが、場面は五回のウラ一アウト一塁。ゲームの真っ最中だ。
「おいおい、ファンか?」
審判は慌ててタイムをかけ、駆け寄ってくる。女はそれをシカトし、マウンド上のピッチャーに対して何事かを話しかけている。
困ったように視線を投げるピッチャーに応えて、守備側の監督が面倒くさそうにベンチから出てきた。すると女は今度は彼に向かって何かを訴えだした。
女の奇妙な風体がクールボウの目を引いた。大きな襟の紺色のトップスに同じ色のスカート。
「なんで水兵服を着てるんだ、あの女」
「なんか、日本の女子校生のフォーマルらしいですよ、たしか」
「なんで日本の女子校生がここで出てくるんだ」
「知りませんよそんなの。んー? 何やってんだあれ?」
女はどこからか粗末な板の看板を取り出し、監督に見せつけていた。
ぎこちなくも、とにかく一生懸命に書いたということは伝わってくるブロック体の文字。
――STRIKEOUT SALE $10 EACH
「『三振売ります、一つにつき十ドル』……笑うトコですかねこれ」
「怒るとこだろ。さっさとつまみ出せばいいんだ、あんなの」
どうやら自分に代わりに投げさせろ。その代わり金くれ、ということらしい。
季節の変わり目になると、おかしなのが出てくるものだ。
グラウンドの選手たちも数少ない観客たちも、珍客の登場にブーイングを浴びせはじめた。全員がこぞって追い出そうとしているのだが、ガンとして聞かないようだ。変なところで水を差されて、クールボウはやれやれ、とベンチに身をあずけた。
ピッツバーグ・アルゲーニーズのスカウトマン、ライアン・クールボウのモットーは、「スカウトたるもの、自分の目で見たものだけを信じろ」である。
どんなにデータ分析が発達しようと、どれだけネットで情報を集めようと、野球は生身の人間がやるものだ。彼らがどれほどの力を秘めているのか、どんな選手になっていくのかは、同じ生身の人間が見てやらねば分かりようがない。
だからこそ、クールボウは自分の目には絶対の自信を持っている。どれだけ年をとろうと、目の前で起こるすべてのことを見誤るはずがない。
だから――自分の目が信じられなかったのは、それが生まれてはじめてだった。
問答がはじまって五分後、マウンドには例の東洋人少女の姿があった。
どういう話し合いの結果でそんな事態になったかは分からないが、おおかた彼女があまりにしつこかったので、適当に何球か投げさせておっぱらおうとしたのだろう。
セーラー服にスニーカーといういでたちでマウンドに上がり、少女はボールを投げ終えた後のフォームで、ホームベースに相対していた。
そして彼女の視線の先。人の形にへこんだバックネットと、その前で踏みつけられたカエルのごとく昏倒する二人の男――すなわち、キャッチャーと審判。
ミットからこぼれ落ちた白球からは、もうもうと白い煙が吹き出していた。
バッターボックスの有望株は、バットを持ったままカカシのように立ち尽くすだけ。
いや、彼だけではない。選手も観客も、その場にいた全ての人間が、目の前で起こったことを受け入れられず声を失っていた。宇宙人に誘拐されても、ここまで呆けはしないだろう。
少女はマウンドを降りると、ベンチ前で棒立ちになっていた監督に片手を差し出した。
「てん・だらぁ」
監督が放心したまま十ドル札を手渡すと、少女はぺこりと頭を下げ、去ってしまった。
どれくらい経っただろう。クールボウは、未だ隣で呆けていた相棒を肘でつついた。
「おっかけろ」
口を開いて見返す彼に、老スカウトは生涯最高のボリュームで怒鳴り声を上げた。
「追いかけて捕まえろ! 命に代えてもだ!」
その少女があらわれたのは、ひどく冷え込んだ日の昼下がりだった。
前日までのしぶとい雨は止んだものの、空はまだ陰湿なねずみ色に染まっていた。
妙な女だった。黒髪に丸っこい輪郭の小さな顔。東洋人は幼く見えるからよく分からないが、おそらく年齢は十代後半。
シュガーパインのようにもっさりと垂れ下がった前髪が両目をすっかり隠していて、不気味といえば不気味だった――と、クールボウは後に語っている。
ライアン・クールボウはアメリカメジャーリーグ、ピッツバーグ・アルゲニーズのスカウトマンである。スカウト一筋四十年。データ分析全盛のこの時代において、ほとんど業界でただ一人、手帳と鉛筆だけで全米の球場をめぐる昔気質の職人だ。
「おー。いい当たり」
ポール際に放たれた特大のファールボールに、ベンチの隣に腰掛けた後輩スカウト、ロバーツが感嘆の声をあげた。ノートPCのスコアブックに記された前二打席の成績は、本塁打と二塁打。いずれも速球に打ち負けない力強いスイングだった。
「当たりですね、こいつは。こんな新興リーグなんてどうかと思ったけど、いるとこにはいるもんだなぁ」
「だから言ったろうが。スカウトたるもの……」
「自分の目で見たものだけを信じろ、でしょ。耳にタコっすよ」
「だったら少しは学習しろ。ネットの情報だけで決めつけやがって。これだから若いヤツは」
はいはい、と流すスカウト二年目の青二才に、クールボウは舌打ちをかました。
カリフォルニア・ウィンターリーグは、メジャーへの登竜門として数年前に設立されたスカウティングリーグだ。一月から二月にかけて、プロリーグでスカウトの目に止まることを目的にアメリカはもとより中南米、アジアから若き星たちが集まる。
もうリーグの日程も終盤で、めぼしい選手はほとんどいなくなっていたはずだが、クールボウが持ち前のカンで「見に行くぞ、若造」と、グラウンドに後輩を連れ出したのだった。
「あーあー、ピッチャーのほう、完全にビビっちゃってますよ」
「三本目も固そうだな……ん?」
ふと、二人の目がマウンドに向かった。
女だ。珍妙な格好をした小柄な女が、ダイヤモンドの中央へと歩をすすめてゆくのだ。
念のため言うが、場面は五回のウラ一アウト一塁。ゲームの真っ最中だ。
「おいおい、ファンか?」
審判は慌ててタイムをかけ、駆け寄ってくる。女はそれをシカトし、マウンド上のピッチャーに対して何事かを話しかけている。
困ったように視線を投げるピッチャーに応えて、守備側の監督が面倒くさそうにベンチから出てきた。すると女は今度は彼に向かって何かを訴えだした。
女の奇妙な風体がクールボウの目を引いた。大きな襟の紺色のトップスに同じ色のスカート。
「なんで水兵服を着てるんだ、あの女」
「なんか、日本の女子校生のフォーマルらしいですよ、たしか」
「なんで日本の女子校生がここで出てくるんだ」
「知りませんよそんなの。んー? 何やってんだあれ?」
女はどこからか粗末な板の看板を取り出し、監督に見せつけていた。
ぎこちなくも、とにかく一生懸命に書いたということは伝わってくるブロック体の文字。
――STRIKEOUT SALE $10 EACH
「『三振売ります、一つにつき十ドル』……笑うトコですかねこれ」
「怒るとこだろ。さっさとつまみ出せばいいんだ、あんなの」
どうやら自分に代わりに投げさせろ。その代わり金くれ、ということらしい。
季節の変わり目になると、おかしなのが出てくるものだ。
グラウンドの選手たちも数少ない観客たちも、珍客の登場にブーイングを浴びせはじめた。全員がこぞって追い出そうとしているのだが、ガンとして聞かないようだ。変なところで水を差されて、クールボウはやれやれ、とベンチに身をあずけた。
ピッツバーグ・アルゲーニーズのスカウトマン、ライアン・クールボウのモットーは、「スカウトたるもの、自分の目で見たものだけを信じろ」である。
どんなにデータ分析が発達しようと、どれだけネットで情報を集めようと、野球は生身の人間がやるものだ。彼らがどれほどの力を秘めているのか、どんな選手になっていくのかは、同じ生身の人間が見てやらねば分かりようがない。
だからこそ、クールボウは自分の目には絶対の自信を持っている。どれだけ年をとろうと、目の前で起こるすべてのことを見誤るはずがない。
だから――自分の目が信じられなかったのは、それが生まれてはじめてだった。
問答がはじまって五分後、マウンドには例の東洋人少女の姿があった。
どういう話し合いの結果でそんな事態になったかは分からないが、おおかた彼女があまりにしつこかったので、適当に何球か投げさせておっぱらおうとしたのだろう。
セーラー服にスニーカーといういでたちでマウンドに上がり、少女はボールを投げ終えた後のフォームで、ホームベースに相対していた。
そして彼女の視線の先。人の形にへこんだバックネットと、その前で踏みつけられたカエルのごとく昏倒する二人の男――すなわち、キャッチャーと審判。
ミットからこぼれ落ちた白球からは、もうもうと白い煙が吹き出していた。
バッターボックスの有望株は、バットを持ったままカカシのように立ち尽くすだけ。
いや、彼だけではない。選手も観客も、その場にいた全ての人間が、目の前で起こったことを受け入れられず声を失っていた。宇宙人に誘拐されても、ここまで呆けはしないだろう。
少女はマウンドを降りると、ベンチ前で棒立ちになっていた監督に片手を差し出した。
「てん・だらぁ」
監督が放心したまま十ドル札を手渡すと、少女はぺこりと頭を下げ、去ってしまった。
どれくらい経っただろう。クールボウは、未だ隣で呆けていた相棒を肘でつついた。
「おっかけろ」
口を開いて見返す彼に、老スカウトは生涯最高のボリュームで怒鳴り声を上げた。
「追いかけて捕まえろ! 命に代えてもだ!」
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