その答えは恋文で

百川凛

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2通目:帰り道と寄り道

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「いらっしゃいませー」

 やる気のないアルバイトの聞き慣れた声が狭い店内に響いた。

 ここは大型書店とは違い、地域密着型の小さな書店である。手に入れにくい初回限定の本やマニアックな本を取り扱っていて、何気に品揃えが豊富だ。路地裏にひっそりと建っている立地も、隠れ家的な存在で気に入っている。

 そんな秘密の隠れ家に、結局平岡くんは付いてきてしまった。「送る」「別にいい」の押し問答がめんどくさくなって私が先に折れてしまったのだ。

 ここの存在を他の人に教えたくなかったのだが、まぁ仕方ない。

「すみません。新刊の予約をしていた成瀬ですけど」

 店名の入ったエプロンを着けてレジに立っていた顔見知りの店員さんに、控えの紙を渡す。

「あ、栞里ちゃんだ。予約のやつね。少々お待ちくださーい」

 平岡くんはレジの近くに「当店イチオシ本!」と設置された特設コーナーの本を眺めていた。一冊ずつ、その本の紹介文とイラストが書かれた手描きのPOPがよく目立つ。私も後でチェックしに行かなきゃ。

「お待たせしましたー。こちらでよろしいでしょうかぁ?」
「あ、はい」

 ブックカバーを付けてもらう間に財布からお金を取り出す。

「あれ? それって黒渕くろぶちたまきの新刊?」

 いつの間にか隣に来ていた平岡くんの声が頭上で聞こえた。

 同時に私は首が取れそうな勢いで平岡くんを見上げる。だって、だって今、平岡くんなんて言った!?

「ひ、平岡くん、この人知ってるの?」
「うん。俺もその人の本よく読むよ。いいよね。ストレートな言葉が胸に響く。結構好きだよ」

 あまりの嬉しさに場所も忘れて飛び上がりそうになった。

 だって、今までこの作者の本を知っている人間が私の周りにはいなかったのだ。しかも好きだって言った! 私の好きな作家を好きだって!

 あれだけよく分からない、いい印象は抱いていない、嘘つき村の住人め! なんて思っていた平岡くんに対して、急に親近感が湧いた。

「成瀬さんも好きなの?」
「好き! すごく! わぁ、今までこの人の事知ってる人周りにいなかったからすごく嬉しい!」

 私は今平岡くんに対してかつてないほどの饒舌である。だって嬉しい、実に嬉しい。例えるならそう、なくしたと思って諦めていた一万円札が部屋の片隅から突如見付かった時のような、そんな気分だ。

「千六百八十円になりまーす」

 そこに水を差すように聞こえてきた、やる気のない間延びした声。

「あれれー? なになに? もしかしてこのイケメンって栞里ちゃんの彼氏?」

 にやにやとからかい混じりの笑みを浮かべた店員、高田たかださんが興味津々で問いかける。この人仕事はやる気も興味もないくせに色恋沙汰にはうるさいんだから。仕事しろ。

 この場合、なんて答えるのが正解なんだろう。どう答えようか戸惑っていると、隣で平岡くんはさらりと言った。

「そうです」
「へぇーそうなんだ! せっかくこんな美少女なのに本が恋人なんてもったいないって思ってたけど、栞里ちゃんってば意外とやるじゃーん!」

 高田さんは楽しそうに笑みを深くした。これは次来た時色々聞かれるな。……めんどくさ。

「ありがとーございましたー」

 高田さんのだるそうな声を背に受けながら、足早に店内を後にする。私達は再び並んで歩き出した。チラリと横目で隣の様子を伺うと、平岡くんは真っ直ぐ前を向いていた。私は小さく口を開く。

「……ごめんね」
「え? 何が?」
「……本屋の店員さん。悪い人じゃないんだけど、あの人噂好きだから」
「ああ、気にしてないよ。俺は逆に彼氏宣言出来て満足だしね」

 フッと笑ったその顔に、校外では彼女の振りしなくてよかったんじゃなかったっけと眉間にシワを寄せる。が、今さらそんなこと気にしたって仕方ない。それより……。

「……平岡くんは、その……小説とか好きなの?」

 私が気になるのはそっちだった。平岡くんは私から話を振った事に驚いたのか、こちらを見て目をパチパチと二回瞬かせる。そしてすぐ、嬉しそうに答えた。

「まぁまぁ好きかなぁ。成瀬さんは?」
「私はすごく好き。だから沢山読むの」
「おお! さすが〝孤高の文学美少女〟」
「…………その名前で呼ぶのやめてくれる?」

 平岡くんは声を出して笑った。いや、本当にやめて下さいお願いだから。

 それから私の家に着くまでお薦めの作家や作品の話をして割と盛り上がった。平岡くんは様々はジャンルに精通していて、新しく読んでみたい作品も見付かり、楽しみが増えた。予想外の収穫に自然と顔も綻ぶ。

「私の家、ここだから。……今日は色々ありがとう」

 私は一応平岡くんにお礼を言って背を向けた。白く塗られた家の門を開けようと手を伸ばす。

「あのさ!」

 少し大きめな声で呼ばれ思わず振り返る。緊張しているような面持ちで私を見つめる平岡くんと目が合った。

「俺もありがと。あの……良かったらまた誘ってもいいかな?」

 それはつまりまた一緒に帰ってもいいか、ということだろうか。私は少し考えてからおもむろに口を開いた。

「……お薦めの本、教えてくれるなら」

 彼はその答えに呆気に取られたのか、目を丸くして私を見ていた。だが、その口元は楽しそうに弧を描く。

「ははっ、わかった。次はとっておきの教えるよ。じゃあ気を付けてな!」

 平岡くんは片手を挙げて笑うと、今来た道をゆっくりと引き返していった。

 気を付けろって言われたってあと数歩で家の中なんだから気を付けようがない。やっぱり平岡くんはよく分からない人だ。

 はぁ、と溜め息をついて、私は今度こそ家の門に手をかけた。
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