未来への選択

するめ

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38.揺れる扉、まだ言葉にならない想い

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夕焼けが街をやわらかく染める頃、
流伽は家の玄関を開けた。

ほんのりと夕餉の香りが漂う中、
リビングから母・久美子の明るい声が響く。

「流伽、おかえりなさい! 実はね、ちょっとお話があるの」

その声に首を傾げながらリビングへ入ると、
そこには見覚えのある女性が座っていた。

ルミナスプロダクションの千堂真琴。
先日、校門前で声をかけてきた女性だった。

「こんばんは、流伽さん。突然お邪魔してごめんなさいね」

千堂はにこやかに微笑み、丁寧に頭を下げた。

流伽は驚きと戸惑いを隠せず、
思わず立ち止まったまま彼女を見つめた。

「私が流伽さんを知ったのは、偶然なの。
先日、この写真をお見せしたでしょう?」

千堂が取り出したのは、
あの日の地区大会決勝で、
流伽が淳平にボールを手渡す瞬間を捉えた一枚。

「は、はい……でも、どうして……?」

流伽の問いに、千堂は静かに頷いた。

「あの日は“次期スターの発掘”というイベントで、
新聞社や地元のケーブルテレビも来ていたの。
私も偶然その場にいてね。
あなたの姿を見た瞬間、思わずシャッターを切っていたの」

その声は穏やかで、
けれど真剣な熱を帯びていた。

「その後、どうしても一度お話ししたくて、
お母様にご連絡を差し上げました」

久美子がそっと微笑み、
「びっくりしたでしょ?」と声を添える。

流伽は、まだ現実感をつかめないまま、
ただ黙って話を聞いていた。

「流伽さん、芸能活動に興味はありませんか?」

千堂の言葉は、
決して軽い誘いではなかった。

そのまなざしには、
本気で彼女の可能性を信じている誠実さがあった。

けれど――

「芸能活動……私には、そんな特別なことをする自信なんてありませんし、
考えたこともないです」

流伽は、正直な気持ちを口にした。

千堂は、やわらかな表情で頷く。

「それは当然ですよね。
急にこんな話を聞いても、すぐに決められることではないと思います。
でもね、あなたの自然体の魅力が、今の時代にとても必要だと感じたの。
それを、もっとたくさんの人に知ってもらえたら素敵だと思ったの」

その言葉は、
流伽の心にそっと触れるようだった。

しばらく沈黙した後、
流伽は小さくうなずいた。

「私のことをそんなふうに思ってくれるのは、嬉しいです。
でも……まだよく分からないので、少し考える時間をもらえますか?」

「もちろんよ。焦らずに考えてかまわないわ。
もし何か質問や相談があれば、いつでも連絡してね」

千堂は名刺を差し出し、
丁寧に礼をして帰っていった。

リビングに残された流伽と久美子は、
そのままソファに腰を下ろし、
静かに話を続けた。

「どう思う? ママは、流伽がやりたいと思うことを応援するよ」

久美子の言葉は、
押しつけがましさのない、
ただ娘を信じる母の声だった。

流伽は、少し考え込むように視線を落とした。

その晩。

部屋の明かりを落とし、
ベッドに横たわった流伽は、
天井を見上げながら、
今日の出来事を何度も思い返していた。

頭の中には、
千堂の言葉、母のまなざし、
そして――淳平の顔が浮かんでいた。

「淳平君に、話すべきなのかな……」

ぽつりとつぶやきながら、
スマホを手に取る。

LINEのトーク画面を開くと、
そこには、いつも通りの淳平のアイコン。

(自分が、芸能界なんて……想像もしたことないよ)

指先が「新しいメッセージを入力」の欄にかかる。

けれど――

すぐに手を引っ込めた。

(こんな話、淳平君に話したら……どう思うかな)

スマホを握りしめたまま、
再びベッドに沈み込む。

画面は何度も消えては、
また点灯を繰り返す。

言葉にできない想いが、
胸の奥で静かに渦を巻いていた。

******

翌日の放課後。
図書館の一角では、淳平たち4人が、
明日から始まる期末試験に向けて、
最後の追い込みに励んでいた。

机の上には、参考書やノート、
カラフルなマーカーが散らばり、
ページをめくる音と、鉛筆の走る音だけが静かに響いている。

「流伽、ここの公式どうするんだっけ?……流伽?………………流伽?」

美咲の声が、何度か繰り返されてようやく、
流伽ははっと顔を上げた。

「……え? なに、美咲……」

「流伽、様子が変よ? 今日1日中、ぼーっとしてるよ?」

「え、そうかな?」

流伽は、気づかれたことに少し驚きながらも、
にこっと笑ってごまかすように答えた。

その笑顔はいつも通りに見えたけれど、
美咲の目には、どこか無理をしているように映った。

少し離れた席でその様子を見ていた健太郎が、
小声で淳平に耳打ちする。

「喧嘩でもしたのか?」

「え? いや……そんなことないと思うけど……」

淳平は首を傾げながらも、
心当たりがないことに、かえって胸がざわついた。

その日の帰り道。
夕暮れの街を、淳平と流伽は並んで歩いていた。

「ごめんね、流伽」

「毎日、僕たちの勉強につき合わせちゃって……疲れるよね?」

淳平の言葉に、
流伽は少し驚いたように目を丸くし、
すぐに笑顔で首を振った。

「そんなことないよ。
みんなと勉強するの、楽しいよ」

その笑顔は本心からのものだった。
けれど、どこかに影が差しているようにも見えた。

しばらく歩いた後、
流伽はふと立ち止まり、
少しだけ視線を落としたまま、口を開いた。

「淳平君、私も……秀明を受験しようと思う」

「え? 流伽なら、もっと上位の高校だって狙えるんじゃ……?」

驚き混じりに返す淳平に、
流伽は少しだけ笑って答えた。

「秀明だって、有名な進学校だし……
なにより、また4人で同じ高校に通えたら楽しいだろうし……」

その言葉に、
淳平はうなずきながらも、
どこか引っかかるものを感じていた。

流伽の笑顔の奥に、
何かを押し込めているような気配があった。

まるで、何か大切なことから目を背けているような――
そんな印象が、胸に残った。

3日間にわたる期末テストが、ようやく終わった。

最後のチャイムが鳴り響いた瞬間、
教室の空気がふっと軽くなる。

「やっと終わった……」

淳平が小さくつぶやくと、
隣の流伽も、ほっとしたように頷いた。

2人の間に交わされた笑顔には、
緊張から解き放たれた安堵の色がにじんでいた。

机の上には、まだ教科書やノートが散らばったまま。

普段ならすぐに片付けるところだが、
その手はしばらく止まり、
教室全体がゆったりとした空気に包まれていた。

「とりあえず、一息ついてもいいよね」

誰かがそうつぶやくと、
あちこちで椅子を引く音がして、
生徒たちが立ち上がり始めた。

友達同士で試験の感想を語り合い、
笑い声がぽつぽつと広がっていく。

あの数日間の、
必死に机に向かった時間を思い出しながら、
皆が少しずつ肩の力を抜いていく。

窓の外には、
夏の始まりを告げるような、
まぶしい光が差し込んでいた。

流伽は、教室の窓から外を見つめていた。

試験が終わったというのに、
心の中にはまだ、答えの出ない問いが残っていた。

芸能界のこと。
千堂の言葉。
母のまなざし。
そして、淳平の横顔。

(このまま、何も言わずに進んでいいのかな……)

けれど今は、
その想いを言葉にするには、
まだ少しだけ時間が必要だった。

教室のざわめきの中、
流伽はそっと目を閉じた。

夏休みが、すぐそこまで来ていた。
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