金蘭大夜総会 GoldenOrchidClub

ましら佳

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8.薔薇と月の母子

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  ぴかぴかの黒いパッカードはそのまま、半島酒店ペニンシュラホテルへと入りました。
丸いケーキみたいな帽子をかぶったベルボーイが会釈をしてガラスのドアを開けました。
ポーターがとても苦労をしてママの大きなトランクを運んでいたを覚えてます。
私はママがぎゅうぎゅうに物を詰め込んだので、トランクが弾け飛んでキツネの毛皮や真珠のネックレスが飛び出してくるんじゃないかとハラハラしていました。
ママは私の手をそっと握り、当然のように大哥タァコーの腕に手を回すと、支配人に案内されてロビーを横切って。
とても背の高いイギリス人だというその支配人は、ママと大哥と女王様の英語クィーンズイングリッシュで楽しげに話していました。
「お久しぶりです。レディ、お元気でいらして良かった」
「お久しぶりね。また度々お世話になるわ。ああ、すてき。私ね、娘とお茶が頂きたいの。日本はなんでもあるけれど、このホテルはないんですもの」
支配人は、小さなレディ、ご機嫌いかがですか、と私に微笑みかけてくれた。
「そうそう。暁子はいつも手紙にここのフルーツケーキを食べたいと三回は書いてきたよ」
「ありがとうございます。御用意させて頂きます」
「そうだわ、暁子が貴方によろしくって」
「そうでしたか。随分お会いしておりません。お変わりありませんか」
支配人は目を細めた。
「私もお月さまも香港に戻ってきたんだもの。暁子も今後はちょくちょく来るはずよ!それが暁子ったら、すっかりアメリカ言葉を話すのよ。息子がいるんだけどね、その子はもっとすごいアメリカ英語。暁子におチビちゃんご挨拶なさいと言われて、その子ったら、ヘイ、マムアンギャァル。アワユ?ですもの」
日本語でいうと「よう、おカミさん、おネエちゃん、調子はどうだい?」くらいのニュアンス。
弾かれたように三人は笑い出した。
私も流行りの三つ揃いのイタリアンスーツを着て気取ったボルサリーノをかぶった男の子が突然聞いたこともない言葉で挨拶をしてびっくりしたもの。
でもまあ、関西弁で怒鳴りつけた私にも太郎はぎょっとしていたからおあいこですね。
「ああ。なんてことだ」
支配人は目に涙を浮かべて笑っていた。
それから、私とママと大哥はロビーでお茶を頂きました。
三段並んだ皿の上においしいサンドイッチやスコーン、可愛らしい小さなケーキ、色とりどりのフルーツがたっぷり。
ママが、これこれ!暁子が羨ましがるわ!とドライフルーツたっぷりのケーキを見て微笑みました。
そうそう。大哥ターコー
彼のことをご紹介しなくちゃね。
彼は、ママの兄弟子に当たる人で。彼もまた俳優。
譚如海タム ユゥホイという名前でした。
おばあちゃんのママの時代には、お芝居とか俳優さんというのはとても厳しい修行をしてなったものなの。
広東オペラというのは、歌、踊り、所作がとても魅力的でね。燕京の京劇ほどではないけど、立ち回りもあるのね。
ママも大哥ももとは上海で、宮廷仕込みの師匠から指導を受けた。
とても小さい時から厳しく仕込まれるものなの。
その中で一緒に育ったのが、私のママと大哥。
彼はみんなに大きいお兄ちゃんと呼ばれていたの。
だから私も彼をそう呼びました。
彼のファンですら、彼をそう呼んで慕ったのですもの。
そして。どうやら神戸での生活費は、ママのお金と、それから大哥も送ってくれたみたいなの。
日本にお嫁に行った、正しくは結婚していなかったんだけれど、海を越えた妹弟子をずっと心配していたみたい。
一度、大哥に、ママの他に兄弟弟子はいないのかと聞きました。
大哥はとても悲しそうな顔をしました。「だいぶ、死んでしまったんだ」と言いました。
戦争や動乱が多くて、同じ子供時代を過ごした他の仲間達の多くは命を落としたり、行方不明になっていたようでした。
ああ、桜子ちゃんにはちょっと辛いお話になります。
この香港でも、日本人はひどいことをした人がいるんですよ。
日本軍はクリスマスに香港に上陸したの。
だから、今でもクリスマスにはちょっと暗くなるの。せっかくのクリスマスなのにね。
その頃の日本人はクリスマスなんて知らなかったでしょうけど、香港人にとっては家族やお友達とお祝いするとっても大切な日だったから。
さて。大哥もまた人気のある俳優でしたが、そもそもこのお店は、大哥のお父様のものだったの。
大哥は三男だったの。
上にお兄さんが二人いてね。
香港では三男坊というのはとっても自由で不幸せなのよ。
上の子は家業を、下の子はその補佐を。では三番目は?あぶれてしまうの。
"小鳥と三男坊"とは言ったものよ。
仕事をしなくても食べて行けるから時間はあるし、父や兄達からのお小遣いはたっぷりあるから、鳥籠に小鳥を入れて公園や茶荘で日がな一日過ごしている。それが三男坊なの。
おかしな事業に手を出して損をしたり、悪い遊びを覚えてしまうなら、ある程度のお小遣いを与えて自由にさせておこうというお家が多いのね。
ところが大哥はお家を飛び出して上海に行って俳優になってしまったの。
もちろん反対されたけど、お父様も自分もお芝居を観るのが好きだったのね。
だから仕方なく応援することにした。
お坊ちゃんがいきなり厳しい徒弟の世界に入ったのですもの、苦労も沢山したのですって。
でも、才能があったのね。
あれよあれよと出世して、スターになった。
ほら、この写真。
このちょっと気取って椅子に座ってポーズを取っている、これが大哥。
ねえ、ちょっとすてきでしょ。
女性からとっても人気があって。
物心つくくらいのおチビちゃんの女の子から、今夜が峠ですと言われているようなおばあちゃんまで、皆、大哥に夢中だったの。
男の人だって、大哥に憧れているひとはいっぱいいたわ。
大哥はとてもおしゃれな人だった。
スーツは必ず半島酒店ペニンシュラのテイラーで誂えていたし。素晴らしい品揃えなんだけど、それでも気に入らないと生地を持ち込んでいたの。
暁子が日本やイタリアやフランスから買い付けてくるもの。
その点、ママは結構無頓着。
ママに似合う服を暁子が仕立てさせて、それをよく見もせずに全部買って着ていたというのですもの。この写真を見て。どれもこれもとっても素敵でしょう。
そう、暁子はちょっとないくらいセンスが良かった。その役目は、大哥が引き継ぐことになったのだけど。
「おばあちゃん。おばあちゃんのママは、どうして女優さんになったの?」
桜が何気なく聞いた。
昔の女性も、今の女の子達が、タレントやモデルに憧れるようにして、その道を目指したりスカウトされてなるものなのだろうか。
ところが怜月は少し悲しげに首を振った。
ママは、ちょっと可哀想なの。
もとは北京のお役人のお家のお嬢様だったのですって。でもおじいちゃんが失脚して、亡くなった。おばあちゃん、私のママのママね。が洟太々イータイタイ・・・ええと、お妾さんだったのね。それで、お家を追い出されてしまったの。
その後、おばあちゃんと二人で知人を頼って上海に行ったのですって。そこで、おばあちゃんと知り合いだった京劇のお師匠さんに預けられた。
でも京劇は女の子は出来ないから、香港まで来たらしいの。それで、香港で広東オペラの修行をして、女優になったのね。ママはもともと上海で京劇の派手な立ち回りを男の子に混じって練習していたから、若い頃は派手な事ができたんですって。
歌もうまいし、踊りも上手。
だって、上海に来たばかりの頃の大哥ったら、小さな私がくるんと階段から後ろ向きに宙返りをして見せたら、あんぐり口を開けて見ていたのよ。
上海では、皆宙返りくらい出来たんだもの。
出来ないとご飯抜きだし叩かれたからだけど。と、ママは事もなげに言いました。
子供時代のママはきっと沢山泣いたのでしょうね。でももともとが明るいので、たいした根にも持つこともなくただ舞台のことだけを考えていたのだと思います。
ママは苦労をしたの?と昔聞いたことがあります。
いいえ?だって、ママと同じ年頃の女の子は、ご飯が食べれない女の子もいっぱいた。親に売られた子だっていっぱいた。ママだって半分そうだけど。でも、ママは舞台に出れば誰よりも上手で幸せだったし、ご飯もお腹いっぱい食べれたの。ドレスやダイヤモンドだって沢山持っていたもの。
なんの後悔も不幸せもないのだとあっけらかんと言うの。
物が手に入りづらい時代だってね、宝石にドレス、イタリアのハイヒール、日本のシルクや、フランスの口紅、香水、甘いお菓子は、暁子に言えば一番良いもので私に合うものを持ってきてくれた。
ほら、あの大哥のぴかぴかのパッカード。
あれだって、暁子が大哥の為にアメリカから持って来させたのよ。
それどころか、暁子はイタリアの飛行機だって持っていたの。暁子が塗らせたという特注の深緑にゴールドのラインが効いたすてきなデザイン。よくわからないけれど、上半分が山羊、下半身が魚のへんてこりんな動物が、飛行機の尻尾に描かれていた。
暁子は飛行機乗りだと言ったでしょ。日本軍に徴収された時はがっかりしてねえ。しかもそれが、くすんだ灰色に塗り直されてしまったの。
それを見た時はひっくり返って手足をバタバタしてわんわん泣いていたけど。・・・ああおかしい。あのいつも取り澄ました暁子が、そこら中の物を投げまくってびーびー泣いていたのよ。
そしてママは思い出したらしくて大笑い。
ああ、おかしい。・・・私、飛行機なんて恐ろしいものいらないわ。
ママはそう言ったけど、私はちょっといいな、と思ったの。だって、もし、飛行機があったら、いつでも好きなところにいけるものね。
そうそう。支配人だってね、暁子には助けられたと言っていたの。戦争中、マラリアになってしまったのですって。でも当時は戦争中で薬が無くて。暁子がどこからかキニーネを手に入れて、日本人の医者を連れてきて、助かったと言っていたわ。
ねえ、桜子ちゃん。ママは本当にきれいだった。
一番きれいな頃のママの美貌ときたら、ネイザンロードを半島酒店までたった一区画を歩くだけで、道行く運転手が見惚れて交通事故を起こしたくらい。
ふふ、嘘じゃないんですよ。桜子ちゃん。
だって私はその時、左手でママと手をつなぎ、右手にアイスクリームを持って舐めていたんですから。そう、目撃者です。
ええ。もちろん、私の指にはショーメの指輪が輝いていました。
考えても見て。ほら、この写真の女優さんが、きれいに髪を結って、宝石のついたハチドリの髪飾りをつけて、ちょっと襟の高い、明るい水色のシルクに紫色と黄色の蘭が大きく描かれた生地、それにとても凝った紫色の蘭の花のボタンを胸で留めたチャイナドレスを着て、自分と同じ格好をしたおさげ髪の小さな女の子の手を引いてあの大通りをハイヒールで歩っているの。
そりゃあ、見惚れると思わない?
そう。そうね、この写真も。
ママの隣にいる全くお揃いの服をいつも着ているおさげの女の子は、おばあちゃんですよ。
大哥はママに新しい服を仕立てる時、必ず私にも同じお揃いの服を仕立てさせたの。
さあ、薔薇の花とお月様が一番見栄えがする服を用意しなくちゃ、と言って。
それを、大哥は楽しみで、そして自分の仕事だと思っていたみたい。
だから私は十六歳になるまで、ママと違う服というものを持っていなかったの。
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