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18.旦那様を用意して
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パニックになったのは大哥だった。
父親が日本人と聞くと、さらに驚いた。
半島酒店の支配人には感謝しなくては。
彼は私と彼の事を誰にも黙っていてくれたの。
でもまさか、その後関係が続いていたとは思っていなかったようだけれど。
ママだけが大喜びで、また歌を歌ったりしてそれから暁子に電話をしたの。
赤ん坊が生まれると言われたって、何が必要なのかママはさっぱりわかっていなかったから。
だから結局、暁子頼みよね。
彼女は私と大哥の甥っ子、おじいちゃんとの子供なのだと思ったみたい。
お月様の旦那さんにも何か贈り物をしなくちゃね、そう言って。
私はちゃんと訂正しなくちゃと思って、暁子に夫は日本人の外務省の人間であることを告げた。
電話越しの暁子はちょっと黙ってから。
「大哥に変わって、お月様」と言ったの。
大哥は奪うように受話器を取ると、暁子に文句を言った。
「ほらみろ。日本人の男ってはなんて手が早いんだ。なんて礼儀知らずなんだろう。まあ確かに。お月さまはそれだけ可愛いということだけど。しかし、なんてことだ、最悪で最高だ。かわいいお月さまに小さいお月さまが生まれることになった。暁子、最高にいいものを揃えて来てくれ」
とまくし立てた。
それから、暁子が何か説明したようだった。
大哥は困ったような、悲しそうな顔をして、受話器を私に戻した。
「・・・お月様、ちょっと気になっただけなんだけど。彼は外務省の、何?」
暁子が何を気にしているのかよくわからなかった。
「外交官よ」
「・・・そう。あのね、日本の外交官は、現地の女性と結婚できない」
その後、なんと言って電話を切ったものだか。
私は全く知らなかった。
現地との女性と結婚はできない法律がある。
私、大学で英文学を専攻したの。
それこそシェークスピアからワーズワースまで。
なのに、私はすぐ隣の国から来た恋人の事情を全くと言っていいほど知らなかったの。
大哥は、その男の連絡先を教えろと迫った。
いや、日本の外務省に連絡だ。
この譚大哥のかわいいお月さまに手を出してただ乗りとは言語道断だとか何とか。
今にも、兄弟分を連れて乗り込んで行くような勢いで。
大哥だけではなく、実際に、大哥のお父様が知ったら大変なことになってしまう。
大哥のお父様は、香港の裏社会にも顔が利く方でしたから。
ああ、でもそんなに恐ろしげな団体ではないのよ。
そうね、組合のようなものです。
「・・・・私、結婚できないの・・・・?」
私、泣き出してしまった。
大哥が心配するな、だったらそいつが外交官をやめればいいんじゃないのか?とおろおろしていた。
いいえ。でもそれはダメ。だって彼がどのくらい苦労して外交官になったのかも聞いていたから。
やはり外交官だったお父様を戦争で亡くして、お母様がお一人の力で必死に育ててくれたそうなの。
彼は日本人だから。
きっと、日本人で生きて行くしかない。
でも私は香港人だから。
香港人のまま、いかようにも生きていける。
私には、そして香港人には、不思議ね、その自信があるの。
それは私と彼の違い。
確固たる別離を予感させる答えだった。
「・・・私、彼と別れるわ・・・」
大哥の方が今にも泣き崩れてしまいそうだった。
「・・・なんてことだ。なんで俺のかわいいお月さまがそんな・・・・。好きな男と結婚できないなんて」
・・・でも。おかしなものです。
私は、彼のその状況を知って、自分が好きでいることが彼の負担になるなら、お互いにとって不幸ならば、それはもう私にとって重要なことではなかった。
ママだけが、全く同じ調子で上機嫌だった。
さすがに唖然としていた大哥を優雅な仕草で押しのけて、メイドを呼びつけた。
「シャンパンを買ってきて!あとケーキもね!」
それから大哥ににっこりと微笑んで。
あんなに嬉しそうだったママは見たことがない。
いろんな役をやって、それこそ誰かの人生のいろんな笑顔をしていたママは数限りなく見てきたけれど。
あれは本当に、ママ自身の笑顔だった。
「さあ、急がなくちゃね」
ママが歌うように言ったのに、大哥が眉を寄せた。
「可愛い若奥様に、素晴らしいことに赤ちゃんまで用意されてる。どうして結婚式をしないのよ。旦那様がいればいいのでしょ?さあ、大哥、大急ぎで旦那様を用意しなくちゃ!」
それもそうか、と大哥が言って、準備に駆け出した。
そして私はその一週間後に、旦那様になる大哥の甥っ子と結婚式を挙げたの。
父親が日本人と聞くと、さらに驚いた。
半島酒店の支配人には感謝しなくては。
彼は私と彼の事を誰にも黙っていてくれたの。
でもまさか、その後関係が続いていたとは思っていなかったようだけれど。
ママだけが大喜びで、また歌を歌ったりしてそれから暁子に電話をしたの。
赤ん坊が生まれると言われたって、何が必要なのかママはさっぱりわかっていなかったから。
だから結局、暁子頼みよね。
彼女は私と大哥の甥っ子、おじいちゃんとの子供なのだと思ったみたい。
お月様の旦那さんにも何か贈り物をしなくちゃね、そう言って。
私はちゃんと訂正しなくちゃと思って、暁子に夫は日本人の外務省の人間であることを告げた。
電話越しの暁子はちょっと黙ってから。
「大哥に変わって、お月様」と言ったの。
大哥は奪うように受話器を取ると、暁子に文句を言った。
「ほらみろ。日本人の男ってはなんて手が早いんだ。なんて礼儀知らずなんだろう。まあ確かに。お月さまはそれだけ可愛いということだけど。しかし、なんてことだ、最悪で最高だ。かわいいお月さまに小さいお月さまが生まれることになった。暁子、最高にいいものを揃えて来てくれ」
とまくし立てた。
それから、暁子が何か説明したようだった。
大哥は困ったような、悲しそうな顔をして、受話器を私に戻した。
「・・・お月様、ちょっと気になっただけなんだけど。彼は外務省の、何?」
暁子が何を気にしているのかよくわからなかった。
「外交官よ」
「・・・そう。あのね、日本の外交官は、現地の女性と結婚できない」
その後、なんと言って電話を切ったものだか。
私は全く知らなかった。
現地との女性と結婚はできない法律がある。
私、大学で英文学を専攻したの。
それこそシェークスピアからワーズワースまで。
なのに、私はすぐ隣の国から来た恋人の事情を全くと言っていいほど知らなかったの。
大哥は、その男の連絡先を教えろと迫った。
いや、日本の外務省に連絡だ。
この譚大哥のかわいいお月さまに手を出してただ乗りとは言語道断だとか何とか。
今にも、兄弟分を連れて乗り込んで行くような勢いで。
大哥だけではなく、実際に、大哥のお父様が知ったら大変なことになってしまう。
大哥のお父様は、香港の裏社会にも顔が利く方でしたから。
ああ、でもそんなに恐ろしげな団体ではないのよ。
そうね、組合のようなものです。
「・・・・私、結婚できないの・・・・?」
私、泣き出してしまった。
大哥が心配するな、だったらそいつが外交官をやめればいいんじゃないのか?とおろおろしていた。
いいえ。でもそれはダメ。だって彼がどのくらい苦労して外交官になったのかも聞いていたから。
やはり外交官だったお父様を戦争で亡くして、お母様がお一人の力で必死に育ててくれたそうなの。
彼は日本人だから。
きっと、日本人で生きて行くしかない。
でも私は香港人だから。
香港人のまま、いかようにも生きていける。
私には、そして香港人には、不思議ね、その自信があるの。
それは私と彼の違い。
確固たる別離を予感させる答えだった。
「・・・私、彼と別れるわ・・・」
大哥の方が今にも泣き崩れてしまいそうだった。
「・・・なんてことだ。なんで俺のかわいいお月さまがそんな・・・・。好きな男と結婚できないなんて」
・・・でも。おかしなものです。
私は、彼のその状況を知って、自分が好きでいることが彼の負担になるなら、お互いにとって不幸ならば、それはもう私にとって重要なことではなかった。
ママだけが、全く同じ調子で上機嫌だった。
さすがに唖然としていた大哥を優雅な仕草で押しのけて、メイドを呼びつけた。
「シャンパンを買ってきて!あとケーキもね!」
それから大哥ににっこりと微笑んで。
あんなに嬉しそうだったママは見たことがない。
いろんな役をやって、それこそ誰かの人生のいろんな笑顔をしていたママは数限りなく見てきたけれど。
あれは本当に、ママ自身の笑顔だった。
「さあ、急がなくちゃね」
ママが歌うように言ったのに、大哥が眉を寄せた。
「可愛い若奥様に、素晴らしいことに赤ちゃんまで用意されてる。どうして結婚式をしないのよ。旦那様がいればいいのでしょ?さあ、大哥、大急ぎで旦那様を用意しなくちゃ!」
それもそうか、と大哥が言って、準備に駆け出した。
そして私はその一週間後に、旦那様になる大哥の甥っ子と結婚式を挙げたの。
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