金魚の記憶

ましら佳

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52.クリスマスの知らせ

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桃は大家さんにビーフシチューをお裾分けに行き、お茶とお菓子をご馳走になり2時間ほどで部屋に戻った。
そろそろクリスマスで街の様子も華やかになって来ていた。
今年のクリスマスは母がアメリカに来てと言っていたが、欧米人のクリスマスに対する本気度は並大抵ではなく、その中を移動するのを考えると億劫だった。
かと言って、スウェーデンも遠い。
祖父を一人でクリスマスと新年を迎えさせるのはちょっと悲しいが、ZOOMでやりとりをすれば良いんですよと祖父はあまり気にしていないようだった。祖父は今、日本の文学をスウェーデン語に、スウェーデンの文学を日本語に翻訳して出版する仕事に取り組んでいて、そっちに集中したいのもあるのだろう。

桃は赤ワインにスパイスと蜂蜜を入れてホットワインを作って温まった。
黒猫のみりんが桃の足にすり寄って来た。

大家さんの家で猫達と触れ合って来たから、匂いがするのかもしれない。


「・・・お前もそろそろご飯の時間だねえ。ササミ茹でてあげようかな・・・」

言いながら、PCのメールを開いた。
友人とのやりとりはSNSが中心になって、メールは減って来たけれど。
いくつかのネットショップのダイレクトメールに紛れて、気になるものが二つ。
クリスマスを祝う一文から始まる少々格式ばった長い文面だった。
それは、桃を大学に招きたいと言う旨のメールだった。



公太郎が、出張の帰りに実家にも寄ったと言って、大家と桃に土産を持ってやって来た。
蒸籠せいろに入った蒸し寿司と、竹の皮に包まれた鯖鮨。
それに実家の造り酒屋の日本酒と酒粕。
「わー、すごい。おいしいやつ。・・・大家さん喜んでたでしょ?」

足の痛む彼女は、最近旅行にも行けずに居たから、土産を喜んだだろう。

「父さん、また桃と教授に来て欲しいって言ってた」

以前、公太郎の父は造り酒屋の廃業をするか悩んだ時、ヴィゴと出会った事がきっかけで再び再出発を果たし、恩人だと思っているらしい。

「おじいちゃん連れて行ったら、樽全部飲まれちゃいますよ」

桃が笑った。
北欧人はアルコール耐性が強い人間が多いが、ヴィゴもまた酒豪。

「食い過ぎたって消化薬代わりに蒸留酒飲んでまた飲み食い始めたりするもんな。ヨーロッパの民って肝臓も胃腸も丈夫すぎ無いか?」

ウォッカのような強い蒸留酒であるアクアヴィットを消化薬の代わりに飲む習慣がある。
そして、桃もハイパー酵素の持ち主だ。

「今年のガンマGTPさあ、40超しちゃってさ・・・。桃、いくつだった?」
「え?確か、8?」
「8?!そんな値あんの?!」

公太郎は自分の体質が恨めしいと文句を言った。

土産の寿司と豚肉とりんごの煮込みと粟ぜんざいをテーブルに出して、酒まで開けた。
公太郎は黒猫をかまっていた手を止めてテーブルについた。
猫の世話もあいまって、こうして桃の部屋を訪れる機会が増えていた。
大家の老婦人も何かと気にかけてくれていた。
以前のような関係になっていないけれど。
桃というのは何というか、居心地の良いタイプで。
こうして来れば、飯は出てくるし。
しかし、男にとって都合の良い女にならないのは、マイペースすぎるからだろうな、と思う。
例えば「お腹減ってない?すぐ何か作ろうか?」では無く。
「食べたいから煮込み作るから5時間かかるけど待てるなら食べる?」というタイプ。
大抵の男は、「いや、じゃ、結構です」と言って去っていく事だろう。
しかし、中には、待っちゃうタイプもいるわけで。
と公太郎は苦笑いした。

「すごい美味しい・・・・。京都混んでた?」
「混んでて墓参りも一苦労ひとくろうだわ。インバウンドってやつだな」
「あー、スウェーデンから友達来た時も言ってた」

秋に、ヨハンが新婚旅行で日本に来たのだ。
配偶者となった彼氏と共に有名どころのラーメン屋巡りをしたらしいのだが、ラーメン屋、外国人ばっかり!と驚いていた。
桃は、食後のお茶を出すと、公太郎に話を切り出した。

「・・・あのね、ついこの間、連絡が来て。私、大学戻れそうなの」

突然の話に、公太郎が驚いた。

「え?!何で、なんか実績上げたっけ?!報告上がってないけど?」

なかなか失礼だが、当然の指摘。

「・・・それが、タヌキ」
「タヌキで・・・?」
「そう、タヌキで」

確かに、桃は、受賞されたわけであるが。
実際、専攻と関係の無い彼女の個人的な活動の結果の実績であり、会社側もどう評価すべきか困惑していた程だった。
それは、その話を聞いた陸教授も、同じ研究室の同僚達も首を傾げたらしいが、とにかくその内容を国の機関に報告してみたらしい。
それが認められて、会社にも連絡が行き、評価とあいなったそうだ。
スウェーデンとアメリカの政府系の研究所から会社に表彰状が届き、会社側も何かを認定しないわけにはいかなかったのだろう。

「仕事と関係無いし・・・。実際、何の貢献にもなってよな・・・?そんな事あんの?」
「うん、それを言われると返す言葉がないです・・・でも、あるみたいね・・・」
「だって、専攻と違う上にさ、スウェーデンにタヌキいないよな?今後、タヌキ博士になんの?」
「いやあ・・・。私、そこまでタヌキの事知らないし・・・。動物学者でも獣医さんでも無いし・・・」

そういうわけにも行くまいし、実際、そうでなくてもいいらしい。

「とにかく何かしら面白そうな実績のある人間が欲しいっちゅうことか。・・・まあ、何にせよ、希望が叶ったわけだからな」

公太郎は頷いた。
もともと自分も研究者の端くれである。
こういう話が回って来たら、飛びつかなければならない事はわかっている。

「でも、前の大学は空きが無いのね。だから、アメリカのシアトルと、スウェーデンのルンドから声かけて貰って・・・」

そうか、と公太郎はまた頷いた。
ほっとしつつ、何だかガックリも来た。

「・・・じゃ、みりんどうすんだよ?」
「みりんちゃんは連れて行く!農水省に問い合わせて調べたの。連れて行くには輸出検疫を受けなきゃならなくて、健康診断して、マイクロチップもあった方がいいって・・・」
「・・・検疫なあ・・・。勾留長くなるからな・・・。みりん、ちょっと腎臓弱いみたいだしな・・・・」

桃がじゃれついて来た黒猫を抱き上げた。

「・・・獣医さんに相談してみるけど・・・」

桃も心配そうに言った。

「でも、なんとか戻れそう。・・・本当にお世話になりました」

桃が頭を下げた。
公太郎が少し迷ってから口を開いた。

「・・・なあ、桃、行かないって選択はないのか」
「え?」

そう言われるとは思って居なかったという顔。

「・・・桃、あのな。・・・みりんの事、あの時、ダメになった子供のようとだと思う時があって。手前勝手の都合のいい話だけど。・・・あー、つまり・・・だから、また桃とやり直すきっかけにもなったのかな、とかさ・・・」

正直、桃もあの小さな命を思い出し、重ねる事は合ったけれど。

「・・・でも・・・自分の子供じゃないかもしれないのに?」
「ああ、そうだよ」

それでも。
本当に、勝手な話だけど。
あの喪失は自分に取って、一つのきっかけであった。
あの出来事は、負い目にも生きる根拠にもなった。
だから、桃からお前の子じゃ無いと言われるのを全力で否定したい程には、寄り掛かっている自覚はある。
桃と別れて、結婚もして。
忙しい事を言い訳に、どんどん元妻と気持ちが離れて行った時も。
自分は平気だったのだ。
自分だけが平気だった。
桃と再会した時も。
ああ、やっぱりこれはあの子が作ってくれたきっかけだとすら思った。
月子に好意を告げられた夜も、ありがたく思いながらも、それを退けた程に。

「・・・あの、・・・私・・・」

しばらく黙って考えていたらしい桃が頷きそうになるのを察して、公太郎が手を振った。

「・・・ああ、もういい。嘘。半分嘘だから気にするな」
「・・・え?」
「前は、お前になんか責任取ってもらわなくて結構と言う態度だったのに、猫1匹人質にとられてお前は身売りすんのか。バカ!・・・そうやって他人の思惑を簡単に受け入れんな。いいか・・・?」
「・・・うん・・・」
「・・・みりんを連れて行くのはリスクが高い。賛成できない。置いていけ。何とかするから」
「・・・嫌だ!」
「桃、ちょっと考えればわかるだろ?新しい環境で近くに獣医はいるのか?しばらく生活もきちんと落ち着かないのに、具合悪くなったみりんの面倒見れるのか?いいか。・・・新しい研究室の一年目だぞ。死ぬ気でやって、実績出して、死ぬ訳には行かないって事だぞ」


桃は困り果ててしまって、抱いていた猫の背中に顔を埋めた。
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