黄昏のシャルロット

雨宮未栞

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08.酒場にて

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 使用人のルシオとも合流して訪れた酒場は、露店通りとはまた違った賑わいを見せていた。呼び込みの掛け声に代わって、談笑する声が老若男女問わず聞こえる。労働者より、旅行者や仕事終わりの商人が割合多いため、粗野と言うより雑多な印象だ。
 料理を載せた盆とエールのジョッキを両手に持ったウェイトレスの一人が出迎えてくれる。振り返った女性は先刻会ったレネットさんだった。

「いらっしゃ……あ! よく来てくれたわね!」

 客が僕だと気付いたレネットさんが声を上げる。

「こんばんは。丁度、睡蓮亭に泊まるので伺いました」

 元気そうな様子に安堵して言うと、どこからともなく声が上がる。

「レネットー、こっちにもエール!」
「はーい! ……すぐに行くから、空いてるテーブルに座ってて!」

 注文に返事をして配膳に戻るレネットさんを見送り、僕達は手近な空席を探す。夕食時だから、既に殆どのテーブルが埋まっていた。随分繁盛しているようだ。

「うーん、忙しいタイミングに来ちゃったか」
「おーい、坊主! こっち空いてるぞ!」

 そんな呼び声が聞こえて見てみれば、数刻前に会った露天商のおじさんが赤ら顔で手を振っていた。流石商人、声が通る。つまり目立つ。というか、ジョッキを持った手をぶんぶん振っていて、そのままだと事故が起きそうだ。
 酔っ払いを無視すると碌なことがなさそうだし、他に三人で座れそうなところもなかったので、呼ばれるままにおじさんの元へ向かう。

「おじさん、さっきはどうも」
「おう、今後ともご贔屓に」

 にっ、と白い歯を見せて笑ったおじさんは豪快にジョッキを呷った。……中身、入っていたんだ。

「うん? また一人兄さんが増えてるな」

 後ろについて来ていたルシオを見て、おじさんは楽しそうに笑う。彼からすれば、顔を合わせる度に同行者が増えているのに面白みがあったんだろう。

「ええ、三人で手分けして買い出しをしていたんです。なのでもう増えませんよ」
「なんだ打ち止めか。ほら、突っ立ってないでさっさと座んな」
「それじゃ、遠慮なく」

 席に着いて間もなく注文を取りに来た店の男の子に、パンとスープ、それからおじさんにおすすめされた料理を頼む。おじさんはエールをおかわりしていた。男の子は小さく頷いて厨房に駆けて行く。レネットさんに比べれば、ちょっと愛想が足りないが、目鼻立ちがよく似ているしきっと弟だろう。

「にしても、坊主があんなに腕が立つたあな」

 おじさんがつまみの燻製肉を齧りながら言った。何の話であるかは明白だ。

「僕がどうこうっていうより、酔っ払いの油断に上手いこと付け込んだ、って感じですよ」
「言うねえ。ま、あの連中なら酔ってなくても油断しただろうけどよ」

 そうかもしれない、と思いつつも僕は違うことを口にした。

「それよりも、放っておけなくて手を出しちゃいましたけど、大丈夫でしたかね?」

 この地の人間でなく素性の知れていない僕が割って入るのが一番穏当だと思ったが、当事者のレネットさんはどうなるか。連中が僕に怒りの矛先を向けてくれるなら、今日と同じかもう少し痛い目に遭ってもらうだけだけど。
 そういう意図で問いを投げれば、おじさんは意味を違えず頷いた。

「それなら大丈夫だろう。あいつらは、この街メイゼンの領主のどら息子とその取り巻き連中でよ。金と領主の威光で威張るのが好きな奴らだ。最近は街の荒くれどもと繋がってるらしくて尚更扱いに困ってよ」

 金も権力もある相手に下手な手出しはできないというわけだ。

「領主様は横暴な人じゃないから、どら息子に乗せられたりはしないんだが、どうにも強く出られないらしくてな」

 放蕩息子を放任しているようだが、見放しているわけでもないらしい。なんでも一人息子で奥方も最近亡くされたそうだ。大事な跡取りだもんね。いやまあ、それなら寧ろちゃんと躾てもらいたいところだけど。
 因みに最初に殴り掛かってすっ転ばされた奴な、と言われて「ああ……」と溜め息混じりに相槌を打った。確かに他の二人より傲慢さが滲んでいたな。

「領主様は何か対策を講じていたりしないんですか?」

 放蕩息子は勿論どうにかしてほしいけれど、街の荒くれ連中とやらには対応があって然るべきだろう。

「あー、それがどうも弱腰でな……」

 そこまで言うと、おじさんはテーブルに身を乗り出して声を潜めた。内緒話の構えに倣って、僕も顔を寄せる。

「どことなく商会の目を気にしてるっぽいんだよ」
「商会の?」
「詳しいことはよくわからんがな」

 それで終わり、とおじさんは体を起こす。変わり身の早いことでにっと笑い、声の調子と共に話を戻した。

「そこを、坊主みたいなのが軽くあしらうもんだから、いい気分よ。それにあんな往来で清々しいくらいのやられっぷりだったからな。しばらく外に出られねえだろ」
「それなら良かったです」

 求められていないなら、僕も質問を重ねることはしない。とはいえ、隣の領地でもあるし気に留めて置いた方が良いか。と一瞬視線を外すと、おじさんが後ろ頭を掻いて、ただまあ……と歯切れ悪く繋いだ。

「坊主には突っかかって来るかもしれねえから、気を付けな」

 そこまで心配しちゃいないが、とも続いた。
 僕からしたら、他人に累が及ばなければそれ以外は瑣末事だ。瑣末、といっても甘んじて報復を受けるつもりは更々ない。

「ふふ、それなら望むところですよ。ご忠告ありがとうございます」
「……笑顔が物騒だぞ」

 にこり、と微笑んだはずが妙な評価をもらった。どういうことだろう。

「坊ちゃん……」

 ルシオが物言いたげにこちらを見る。どうやらロイが横で詳細を説明していたらしい。

「ルシオ待った待ったっ。お説教なら合流前にロイから散々もらったから」

 うちの使用人達は説教が長い。折角食事に来たのに冷めるまで手を出せなくなる。

「反省が見えない態度を取るからだろう」
「そう言われても……」

 ロイまで加わって顔を引き攣らせたところに助けが現れる。

「はーい、お待たせー!」

 レネットさんが料理を持ってやって来た。
 テーブルの上へと注文した料理が手際良く並べられていく。

「で、これは私からのサービス!」

 最後に置かれた皿には、香ばしく焼き上げた肉料理が盛り付けられていた。

「わ、いいんですか?」
「もちろん! 助けてくれたお礼よ」
「美味しそうです。ありがとうございます」

 と言うと、レネットさんは困ったように眉尻を下げて苦笑する。

「もう、お礼にお礼を言われたらよくわかんないわ」
「あはは、それもそうですね」
「さ、遠慮なく食べて」

 休憩でももらったのか、レネットさんはにこにこ笑ってテーブルを離れる様子はない。
 ──これは、なんとも。

「はい、いただきます」

 勧められるまま料理に手を伸ばす僕に、ロイとルシオは気が気でない様子だ。
 外側はカリッと焼き上げられていて、中は柔らかく熱々の肉汁が溢れる。

「ん、美味しいです」
「良かった! それ今度出す予定の新メニューなの」
「ほお。通りで見覚えがないと思った」

 おじさんが興味を唆られた様子で凝視する。

「ほら、二人も食べよ? ついでにおじさんも」
「ついでかよ」

 おじさんは反射的に文句を言いながら、新メニューは気になるらしく笑顔だ。

「ま、ご相伴に与らせてもらうとするかね」
「……ああ」
「いただきます」

 三人とも見掛けには遠慮なく料理に手を伸ばした。
 皆に料理を勧めて、僕はスープを口にする。豆類や根菜がたくさん入った、飲むというより食べるという表現が似合うスープ。味付けの基本は塩だけど、じっくり煮込まれた野菜の旨みも合わさって美味しい。
 意識を集中して、スープをゆっくり味わってから顔を上げる。肉料理は皆気に入ったらしく、口々に旨いとか酒が進むだとか言って食べていた。この分ならすぐに皿は空になるだろう。不自然にならない程度にその光景から眼を逸らして、こっそりと溜め息を吐いた。

「…………」

 実はあの肉料理、僕には味がわからなかった。

 ──味覚に倍する吐き気で。

 肉の焼ける臭いも、血の臭いも、身体が受け付けないのだ。ソースに血を使ったステーキなんてきょうされでもしたら、卒倒しそうになる。
 しかし、食べられないのを隠すのに菜食主義を自称したところで、周囲には関係ないこと。酒場に行けば肉料理が定番としてあるのが道理で、街を歩けばそこら中に匂いで客を誘う出店がある。
 これでは生活もままならない。それなら最低限食べられるように克服するしかないと、屋敷の料理人に謝りながら荒療治を施した。結果は現状の通り。鶏肉や煮込み料理の類いは比較的血臭が少なくて食べられなくもない部類、それ以外は少量なら耐えられる。……何かと我慢強くなってしまったものだ、と自嘲気味に思う。

「──そう言えば貴方の名前、聞いてなかったわ」

 回想という名の些か苦い現実逃避に沈んでいた僕は、レネットさんの言葉で現実に引き戻される。少しばかりの間を置いて、彼女に答えた。

「……申し遅れました。僕はシエル。シエル・アステリアムと言います」
「アステリアム? 隣のラクリエの領主様がそうじゃなかったか?」

 レネットさんより先におじさんが僕の家名に反応を示した。しがない田舎貴族とはいえ、近所の領主の名前くらいは知られているようだ。

「はい、父がラクリエの領主です」
「えっ、てことはお貴族様!?」

 レネットさんが愕然とした表情で声を上げる。おじさんもわずかに椅子から腰を浮かせた。

「ああ、そんなに身構えないでください。偉いのは父祖で、僕はその子供に過ぎませんから。そもそも、領地のお遣いに使われるような立場ですし」

 全然偉そうじゃないでしょう? と付け加えるとおじさんが椅子に座り直す。

「……おれはてっきり商家の坊々ぼんぼんだと思ってたぞ、ましたよ」

 おじさんが急に言葉遣いを改めて、額に浮いた汗を拭う。酔いも醒めてしまったようだ。

「さっきまでと同じで良いですよ」
「はあ、そういうなら……」
「ありがとうございます」

 そんなやりとりを交わしつつ、通りでの一件を見ていたらしい人々に声を掛けられながら、食事の時間は賑やかに過ぎていった。
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