黄昏のシャルロット

雨宮未栞

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09.リディアナ・オーフェンの願い

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 リディアナ・オーフェンは、とある辺境の伯爵領に屋敷を構える男爵家の一人娘だ。父に似て剣術に秀でた兄と違い、彼女は母親に似た心優しく愛らしい少女である。親しい者は彼女をリディと呼ぶ。
 愛する家族と、領主の子であり同い年の双子と過ごす、平穏な日々。辺境の地は、長閑で代わり映えしないが、外を知らない彼女には関係のないことだ。
 幼馴染みでそっくりな双子の兄妹は、病弱で儚げな兄とお転婆な妹という取り合わせで、正反対な二人と話しているだけで彼女は退屈を覚えたことはなかった。
 シエルと本の話をするのも、シャルロットと行儀作法やダンスのレッスンを受けるのも好きだ。
 三人一緒にいると大体、淑女らしからぬ行動をしているシャルロットの話を聞いて、シエルが窘めて、リディアナは共感したどちらかに肩入れするという流れがお約束だ。
 それだけでなく、一見真面目なシエルは存外悪戯好きで、シャルロットと共謀して入れ替わりを仕掛けることがあるし、無邪気なシャルロットはその実シエルの体調変化に敏感だ。
 そんな日々を過ごしていく中、両家の決定でシエルと婚約した。シエルのことは当然のように好きだが、まだ幼いリディアナには恋愛というものは理解できず、実感は湧かなかった。ただ、これからずっと一緒なのだという約束事は嬉しかった。この日々が失われることなどないと漫然と思っていた。
 だから、青天の霹靂とは正にこの日のことを言うのだろう。

 ──シエルが死んだ。

 それを知らされた全ての者は悲しみ、嘆いた。
 力ある者は、自身の不甲斐なさを呪い、憤った。

 当時八歳のリディアナにはシエルの死よりも、シャルロットの大怪我を負ったことの方が衝撃的だった。表沙汰にできず、既に埋葬されていた彼の死を、幼いリディアナは実感できなかったのだ。後になって、じわじわとそれを理解したが、この時は顔の半分を血の滲む包帯に覆われた彼女のことが意識を占めた。
 大人達は皆、痛々しい姿になったシャルロットを通して、瓜二つだったシエルを悼む。そして、シャルロットだけでも生きていて良かったと声を掛ける。
 事実を知るのは、家族ぐるみで付き合いのある両家と、家族同然の使用人達。それ故に彼女に掛けた言葉に偽りはない。
 しかし、それを受ける彼女の瞳は不自然なほど、凪いでいた。
 顔半分が見えないからということではない。
 現実を認識できていないというわけでも、惨劇に心神を喪ったわけでも、決してない。
 数え切れない負の感情が混沌と入り交じり、昏く沈み込んでいるのだ。好奇心旺盛で常にくるめき輝いていた瞳が、光を返さないものへと、一夜にして変わっていた。
 このとき、シャルロットを一番に見ていたのは、リディアナとその兄ロイだけだっただろう。

 それからまもなく、シャルロットは罪と知りながらシエルに成り代わることを決めた。その理由の全てを、リディアナは知らない。知っているのはシャルロットの父ルドガーと、家令のウェイン、それからリディアナの父ガリードだけだ。

 覚悟を決めてからの彼女はまるで別人だった。
 腰丈ほどあった茶髪を肩口で切り揃え、男装し、シエルそのものの振る舞いを見せる。更に伯爵家の令息として教育を受け、魔術の鍛練をし、怪我が治ってからはガリードに剣術を本格的に習いだした。シエルが病弱だったのは領民に知れていたから、徐々に体力を付けていった風を装ってまで。結果、一通りのことをそつなくこなす少年になった。
 顔の傷痕を消そうとしないのは、正体を疑われ難くするため、顔の印象をそれに集めてシャルロットに戻ったときに気付かれないようにするためだと言った。けれど、その理由は後付けだ。一番に、何よりも自分を責めているのは、目前でシエルを殺された彼女自身だとわかっているから。
 リディアナ達もそれを黙って見ていたわけではない。ロイは己に力がなかったことを呪っていた。だから、次こそは何があっても彼女を守れるように、と元々才能のあった剣術の腕を磨いた。
 リディアナには特出した才覚はなかった。それなら、正体を知る人間として、幼馴染みとして、できることをしようと考えた。それが婚約者として、立場も精神的にも最も近くにいることだと思った。
 沈む太陽が灼いた空のように、瞬く間に宵闇へ溶けて消えてしまいそうな幼馴染みの心を繋ぎ止めるために。

 今の彼女が何を求めて生きているのか知っている。
 どれだけ自分を、感情を殺しているか知っている。
 だからこれは、誰も失いたくないリディアナの我儘だ。

 あの日のシャルロットが帰って来るように。
 偏りなく、素直に笑える日が来るように。

 ひたすらそれを願って、祈りを込める。
 力がなくても、この祈りは無駄にならないと思うから。

 彼女が消えてしまわないように、壊れてしまわないように、願いを込めて糸を撚り合わせ、長く、長く、偏りなく解れないように紐を編んでいく。
 それを固定用の木枠から取り外して、房を長く取って結び、出来上がった組紐を検分する。歪みも解れもない、理想通りの仕上がりだ。

「……できた」

 何年も掛けて考え、図案を変え色を変え、遂に完成した。王都へ旅立つ彼女に、離れている間も繋がっていられるような何かを渡すために。
 それに、と彼女は以前作った刺繍入りのハンカチを取り出す。これは、共に旅立つ兄に渡すものだ。シャルロットにだけ何か渡すと面倒だから、と以前から準備していた。これを渡すついでに、奥手な兄には発破を掛けなくてはいけない。
 湖畔に咲く淡い色の可憐な花と、舞うように飛ぶ美しい蝶。いつか見た、遠い記憶だ。ここ最近で一番仕上がりの良い刺繍を撫でて呟く。

「シャルと姉妹になれるの、楽しみにしていますからね、お兄様」

 その期待で、ロイへの当たりが厳しいのはご愛嬌だ。
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