暁に眠れ

雨宮未栞

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序章

02.朝焼けに焦がれ

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 起き抜けの頃は白い街並みを朱く染めようと瞬いていた曙光も鳴りを潜め、朝の白藍によって夜の紺青は西の空に追いやられていた。それでも、空気はまだ肌を刺すような冷気を纏っている。食事の際にダグラスが言っていたことだが、昨夜の通り雨で夜半の冷え込みが厳しかったようだ。
 宿酒場のドアを押し開けた途端、鋭い冷気に盛大な歓迎を受ける。その冷気が、目覚めてからずっと頭に燻っていた昏い熱をも冷ましてくれるようだった。
 一度静かに深呼吸して、肺一杯に湿り気を帯びた冷えた空気を取り込んで意識を切り替えたら、荷物を担ぎ直して街に繰り出した。

 街の中心区近くに位置し、大通りに面する宿酒場から更に街の中心部に足を向ければ、程なく市や祭事で利用される中央広場に行き着く。そこにはいつも通り、白い息を吐きながら朝市の用意をする商人達の姿が見えた。彼らの様子を眺めるでもなく、なんの気なしに見ながら広場を抜ける。広場を見渡せる場所に建つ、贅を凝らした領主の屋敷を素通りし、小綺麗な中心区を出ると、途端に脇道の増える入り組んだ一般に職人区と呼ばれる通りに出る。通りの左右には武具や細工品などを扱う工房や、大衆向けの食堂などが軒を連ねていて、雑多な印象を受ける。
 中心区と比べて、心做しか道幅の狭まったその通りを慣れた様子で歩いていく。今は早朝ということもあり、人影もなく槌音の類も聞こえない為、日中の人熱ひといきれを思うと一抹の寂しさを感じさせる。
 それからさらに歩き、職人区から庶民の居住区に差し掛かる辺りに目的地がある。
 緑地に白い鳥があしらわれた盾型の看板を掲げた建物だ。正面には両開きの扉があるが、そちらには向かわずにその裏口に回る。
 いつも通り鍵の掛かっているドアを手持ちの合鍵で開けて中に入り、ほぼ無意識的に内側から施錠する。
 入ってすぐは廊下になっていて、右に二つ、正面に一つドアがあり、左には上階へ続く階段が設けられている。外観から見て、正面の部屋が建物の半分ほどある形だ。
 向かうのはすぐそこにある右手前の部屋。
 ひとまずノックして様子を見る。

「…………」

 数秒待って、もう一度音高く同じリズムでノックする。
 また数秒置いて、返事なしと見るや遠慮なくドアノブを捻った。途中で止まることなくノブは回り、内鍵は掛けられるはずのドアが抵抗なく開く。相も変わらぬ不用心さに懸念を抱かない訳ではないが、そもそも建物自体には鍵が掛けられていたから良いのかと思い直す。建物の鍵を無視して入り込むような輩がいるなら、貧弱な内鍵だけのドアなどないも同然だろう。
 昨夜の冷え込みで暖炉に火を入れていたようで、乾いた暖気が香水らしき花の香りを含んで廊下に流れ出してきた。
 足を踏み入れたのは、手狭な故に質素ではあるものの女性らしい家財の設えられた部屋だ。調度の趣味は悪くないのだが、床に乱雑に脱ぎ散らかされた下着も含めた衣類が落ちているのはいただけない。
 眉一つ動かさずにそんなことを考えていると、ベッドの上で人ひとり分を包んでいる布団がもぞもぞと動く。さほど長くはない深紅の髪が布団の間から覗いていた。

「──なぁにい……? 今日はもお、店仕舞いよぉ……」

 婀娜あだを感じさせる掠れた女の声が、不埒な侵入者に向けられる。女の言葉と床の惨状から、この場面だけ切り取れば、まさに店に思えてしまう。
 その言葉には流石にひとつ溜め息を吐きたくなったが、あくまで淡々と声を掛ける。

「おい、いつの間に水商売の店になったんだ」
「んん……?」

 のそのそと起き上がろうとする女に、これまた床に落ちていたガウンを投げ付ける。視界に広がったガウンの練色と、捲れた布団の間から覗くのは、ある意味発言に相応しく艶美な曲線を描く小麦色の肌だけだった。

「ぁんっ……」

 投げ付けられたガウンを頭から被った女は妙に艶めいた声を漏らした。それにもルークは僅かに眼を眇めただけで他に反応らしい反応はしない。この手合いは下手に反応を見せると面白がる悪癖があるのが基本だ。

 ──最近入った純朴そうな少年なら、部屋に入った時点で慌てふためいただろうか。

 一連のやりとりでようやく目が覚めたらしい女は、投げつけられたガウンに律儀にも袖を通しながら不服そうな声を漏らした。菫色の垂れ目がちな瞳と右の目元で蠱惑さを演出する泣き黒子が印象的な女だ。

「……んもう。このいけずな反応はルークね? そんなんじゃお嫁さんもらえないわよ」
面倒なものそんなものはいらんし、物を投げられたくなければ服くらい着て寝ろ、メイラ」

 からかい混じりの言葉ににべもなく返せば、メイラと呼ばれた女は呆れたように溜め息を吐いた。

「相変わらずつれないわねぇ。……それで、こんな朝早くにどうしたのよ?」
「もう一の鐘は鳴ったぞ。明日にはここを立つ。何か御誂え向きの依頼はあるか?」

 率直に用件だけ告げると、メイラは髪を整えていた手の動きをぴたりと止めて、ルークの顔をまじまじと見詰める。

「ずいぶん突然ね? ……でも、いい依頼があるわ。今日の昼前に出発してロデルトまで移動する隊商の護衛よ。昨日の夕方にきた話だから、都合がつけばって事で保留していたんだけど、どうかしら?」

 隊商の護衛となれば数日前には決まっているものだが。それにロデルトと言うと、途中で広大な森を抜ける道を通る必要がある。早朝に出ればどうにか夜に到着するくらいの距離だが、昼前に出るならその手前で野宿することになるだろう。そうなると徒歩で都合二日ほど掛かる行程だ。
「それは確かに御誂え向きだが、なんだって隊商の護衛がそんな急拵えなんだ?」
「最近、ロデルト方面の街道で盗賊被害が増えてるって噂があるでしょう? それで、経費をケチって商工ギルドで護衛を雇ってなかったけれど、せめて一人くらい腕の立つ人間が欲しくなったそうよ」
「そういえば、そんな話があったか」

 たしかにここ数日はそういう話を聞く。なんでも、経費を抑えるために、商工ギルドが斡旋する護衛を雇わなかった商人が運悪く襲われたとかなんとか。
 商工ギルドで斡旋する護衛は雇用料の割に色々と質が悪いから、駆け出しの商人ほど嫌厭している。それなりに名が売れればもう少しまともなのが雇えるらしいが。

「……ふむ」
「どう? 興味あるでしょう?」

 断定口調で問い掛けるメイラを見てため息を吐く。ダグラスといいこの女といい、ルークをお人好しみたいに扱う。

「……わかった。ついでに調べればいいんだろう?」
「そう来なくっちゃ」

 満面の笑みを浮かべてベッドから立ち上がったメイラは、部屋の隅にある書棚から羊皮紙を取り出す。それをそのままルークに手渡した。どうやら契約書らしい。

「取り敢えず仮受注しておいたから、後は直接依頼人と話してちょうだい。朝は大通りの宿酒場にいるそうだから」
「ああ」

 手を振るメイラに見送られて建物を後にした。
 朝市で装備を整えたら依頼人の所へ向かおうと決める。

「と、その前に宿の荷物を纏めてダグラスに挨拶か」

 まだ起きているだろうか。挨拶もなしに出て行ったら、根に持ちやしないだろうが、次会ったときのネタにされそうだ。
 ルークはやや暖かくなった空気の中、来た道を戻って行った。
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