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「初恋」 ~これは、私の虹色の恋の始まりの物語です~

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・・今日も、話しかけれなかった。


バスが到着するのを待ちながら、溜息が漏れた。

バス停には、自分を含めて2~3人の待ち人が並んでいる。下校時間から1~2時間程が過ぎているので、停留所に人の姿はまばら。

今は学校が終わってから直ぐに帰宅する人達の波も落ち着き、部活動に励む人達の帰宅時間にはまだ早い時間帯だ。車椅子に乗る身としては、混み合う時間帯は避けたかった。・・誰かの迷惑になんて、なりたくはなかった。

5月下旬のこの時間帯は夕暮れには早く、まだ空は赤く染まってはいない。ただ昼間の暑さは影を潜めて、涼しい風が心地いい・・。

ふと校門の方に視線を向けると、先程まで思い浮かべていた人の姿が目に留まり、ドキリとする。何度、目蓋をパチクリさせて見ても、少し足を引きながら歩くその姿は間違いなく彼。

彼が・・ こちらに気付く様子もなく、バス停の横を通り過ぎていく。

緊張した心臓がドキドキと音を立て、一瞬で喉がカラカラになった。


い、今だよ・・・

今・・声、かけなきゃ・・・っ!

そして金森かなもりいずみは震える手で車椅子の向きを変え、彼に向き直った。


           


         ― 約1カ月前 ―


「どうしたの、ベイビー?ボ~っとして?」

3時間目の休み時間、見るとは無しに彼のことを眺めていると話し掛けてきたのは、仲のいいクラスメイト達だ。

「べ、別にボ~っとなんてしてないし!」

トレードマークの頭の上のおだんごを揺らしながら、いずみは少し慌てる。

「ん~?さっきの視線の先には・・ おお?如月きさらぎじゃん!」

両手で双眼鏡を作りながら、その中を覗き込んでいるのは、BL大好きっ娘のしーちゃん。

「なんだなんだ~?とうとうベイビーにも春が来たのかな?君はトントのことには疎いからね~。どれどれお姉さん達に相談してみなさい」

いずみの肩に腕を回して顔を近付けてきたのは、彼氏持ちで、のことに詳しいハル。

「ち、ちがうよ!そんなんじゃないよ!ただ外の景色を観ていただけ・・!」

そして二人にベイビーと呼ばれているのは、金森いずみ。ここは城西高校じょうせいこうこうの2年E組、いずみ達の所属するクラスの教室だ。


「景色ね~ ・・まあベイビーに限って、男の絡みは無いか、ねえハル?」

「ん~そうだね。残念ながら、ね・・」

そう言って苦笑いを浮かべる二人の言い方に、いずみはムカッときた。だから顔を赤くして二人に抗議する。

「そ、そんなことないよ!私にだって恋バナの一つや二つね、あるかもだよ!?」

『・・・あるの?』

だが二人に同時に突っ込まれると、さっきまでの勢いが急激に冷めていく。

「な、ないけど・・」

だっていずみには生まれてこの方、男の子を好きになった記憶なんて無い。そんないずみには、もちろん浮いた話などある訳がないのだ。そんないずみの肩を、二人がドンマイとポンポンする。

「・・如月って言えばさ、あいつ交通事故で記憶を失くしてるって本当かな?」

落ち込むいずみに、声を小さくしたハルが話し掛けてきた。

「あ、私も聞いたことあるその話・・ だからあいつ、いつも独りでいるの?」

そしてしーちゃんも、それに合わせて声を小さくした。

「たぶん・・ね。でも最近、あいつ春日くんと仲良くない?」

その名前が出ると二人はチラリとその春日くん・・春日流かすがながれの姿を盗み見て、デレデレと顔を崩した。

「・・いや~相変わらずいいよね~春日くん。・・抱かれたい」

「いやいや、その発言ストレート過ぎませんかハルさん。でも春日くんと如月が、そういう関係になるってのも面白い~!」

ニヤニヤが止まらない顔でそんな話をしている二人を他所に、黙って話を聞いていた金森いずみの心臓は、ギュッと握られたみたいに苦しかった。

「ねえ・・しーちゃん、ハル・・如月くんは交通事故に遭ったの?記憶を失くしてるって、どう言うこと?」

「え? ああ、何かそうらしいよ。確か一月頃に車に撥ねられてさ、その時に記憶を失くしたって聞いたよ。・・どうしたのいずみ? 君、顔色が真っ青だよ?」


そ、そんなっ・・・

交通事故だけでも、あんなに苦しいのに・・

記憶まで・・?


自分の足を摩りながら、昔、車に撥ねられた時の自分を思い出して、いずみの心は恐怖で塗りつぶされていった。

二人の話を聞いた後から、身体の震えは止まらない。

でもそれは、自分に昔起こった事故を思い出して怖くなったから震えたんじゃない。あの優しかった彼に、そんな恐ろしい出来事が起こっていたなんて信じられなかったし、信じたくなかった。


「おい、春日。お前、どれだけ飯食うんだよ」

その時、どちらかといえば低くて落ち着いたその声が耳に届いて、いずみは耳を傾けた。昼休みの始まりを知らせるチャイムが鳴り、喧騒の中にある教室。その中でその声だけが、いつもいずみの胸にはハッキリと届いていた。

それが初めて彼と話をしたあの日から、ずっと続くいずみの日々だ。


「ん? これくらい普通だろ?」

「いや、普通ではないな・・」

そう言ってクラスメイトと笑い合う彼の声は、何時もいずみの胸を苦しくさせる。


・・何で、笑ったり出来るの?

涙が溢れてきそうになって、いずみは目に力を入れた。さっき二人から彼の事情を聞いたからなのか、胸の苦しみは一段と強かった。


・・私には、出来なかったの。

辛いことを経験すればさ。その分、人に優しく出来るってみんな言うけど・・

そんなの嘘だ。


私には、出来なかった。

私は優しくなんて ・・なれなかったんだよ?

それなのに何で、あなたは優しく出来るの?


・・笑顔でなんて、いられるの?






最近は、いつもそう・・

自宅にある自分の机の前に座りながら、いずみは物思いに耽っていた。その机の上には記憶喪失について書かれた本が何冊か置いてある。図書館で借りてきたのだ。

・・コンコン!

そんないずみを現実の世界へと連れ戻したのは、突然、響いた部屋をノックする音だった。

「いずみ~!入るよ」

そう声を掛けながら部屋に入ってきたのは、母だ。

「洗濯物、ここに置いとくから」

「・・あ、うん。ありがとう、お母さん」

「もう!あんた自分の服くらい、自分で持っていきなさいよ。あんた最近、変よ。なんか、いつもポ~っとしてるっていうか・・どうしたの?何か悩み事でもあるの?」

「・・うん。悩みって程じゃないけど、少し気になってる事があって」

「なになに?どうしたの?」

心配そうに顔を覗き込んでくる母から顔を背けながら、いずみは胸を抑えた。

「なんかね、最近胸が苦しくって・・」

「胸が、苦しい?」

「うん。ここ一ヶ月くらいだけど、苦しくって・・ 私、何か変な病気なのかな?」

「一ヶ月って・・馬鹿!何でもっと早く言わないの! どういう風に苦しいの?」

「どうって・・ なんかこう胸がギューって・・」

「心身症か何か、かしら?・・息は苦しくなったりするの?」

「う、うん。苦しくなる!上手く息が吸えなくなったりする!」

「じゃあ、何か学校で嫌なことでもあった?友達と上手くいってないとかさ?」

いずみは母の質問に横に首を振りながら、ううん・・特にはないよ、答えた。
学校は勉強以外は楽しかったし、友達との時間だって楽しい。ましてや絵を描いている時なんて、あっという間に時間が過ぎてしまう。クラスに行けば、・・彼にだって毎日逢えた。

・・彼?

その時、ふと思った。胸が苦しくなるのは、いつも彼のことを考えている時や、声が聞こえてきた時、そして彼の姿を見かけた時だった。


「・・そういえば、最近気になってる人がいるんだ」

いずみは彼の話を母に話すか少し迷ったが、胸の苦しさのことを相談した以上、話さない訳にはいかない。いずみはポツリポツリと、今の自分の気持ちについて母に話し始めた。




「なるほどね~ それであんた、記憶について調べてるんだ?」

そう言って、記憶喪失の本をパラパラとめくる母は、少し難しそうな顔をしている。

「・・うん。何か力になれれば、と思って」

「う~ん。でも、いずみ。なんで、その男の子・・ 如月君だっけ?如月君のことが、そんなに気になるの?あんたと同じ境遇だから、同情してるの?だって、その子と全然親しい訳じゃないんでしょう?」

「うん。親しくはないけど・・なんか気になるって言うか。 ・・同情、なのかな?
分かんないけど、何であんなに強いのかなって思う・・」

「確かに大した子ね。そんな事になってるのに、普通に学校に通ってるんでしょ?」

「うん!すごいよね!私じゃ絶対出来ないよ!」

「まあ、確かに凄いけど・・ でも、もし同情なんだとしたら止めときなさい。その人を傷付けることになるから・・」

「え?・・何で?」

「あんただって分かってるでしょ?同情で優しくされてたって知った時の、悔しさ」

母の言葉に、苦い思い出が幾つも蘇る。それは小学生で車椅子生活になってから何度も経験してきた事だったし、自分がその経験に今でも囚われていることも何となく分かっている。

「・・・・・・」

その苦くて悲しい思い出が、いずみの言葉を詰まらせる。

それに気付かない振りをして、ずっと生きてきた。明るく過ごすことで、それがいつか無くなると思っていたから。

きっと、・・ね。

私は私を、縛っちゃったんだと思う。



でも、でもね。違うよこの気持ちは・・

「でもね。でもお母さん、きっと違うと思う。私は如月くんのこと、尊敬してるんだと思う。憧れているんだと思うよ」

自分自身で口にした言葉なのに、いずみは自分の中から出てきたその言葉に驚いている。そしてその言葉が、悶々とした気持ちで過ごした、この約2カ月間の自分の出した答えなんだと知った。

そして母は、いずみが精一杯自分と向き合って出したその答えを受け止めてくれた。

「・・そう。それならいいんじゃない?力になってあげなさい。あんたなら、きっとそれが出来るわ。それから・・ね。
あんた如月君のこと、・・きっと好きなんだよ。彼に恋、してるんじゃない?」

そう言って、母は微笑んでくれたんだ。


・・そっか。

やっぱり、そうなんだ。

私は如月くんのこと、好きなんだね。

そしてそのことに気が付いた私は、自然と笑顔が浮かんだの。だってなんだか急に、そんな自分自身が愛おしくって仕方がなかったんだもん。

・・でもね。

その時のお母さんの笑顔がね。すごく嬉しそうなのに少しだけ寂しそうだったの。

       

         ― それから約1カ月後 ―



目の前を通り過ぎていくその人の動きは、スローモーションみたいにゆっくりと見えた。そしてその姿を見つめる自分の心臓の音が、異常に大きく聞こえる。

・・深呼吸を一つ。

そして少女は、震える手で車椅子の掴みをギュッと握り締めながら、持っている勇気の全部を振り絞って声を上げた。


「・・・如月くん!」


・・うん。もう知っているよね?

私はこの恋が、ね・・

私が私にかけてしまった呪いを解いてくれる鍵なんだって、もう知っているの。
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