聖者の祈りに刃は沈む

はる

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1章

神殿滞在記 ぜファル

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一日目:沈黙の剣と、光の人

ゼファルの部屋は神殿の北棟、朝日が差す石造りの小部屋だった。
窓際には手入れされた草花の鉢植えが並び、木製の机には既に湯気を立てるハーブティーが置かれていた。

「……余計な気遣いだ」

口に出したつもりだったが、喉の奥に留まった。

ドアの外には、銀の髪が揺れていた。
手に持っていたカップを見せながら、リュシアンは笑う。

「ゼファル様は、身体が冷えやすそうでしたから。お好みでなければ、違うものをご用意しますよ」

「……必要ない。これでいい」

ただ、湯気を吸い込んだ瞬間、心の奥に積もった氷が少しだけきしんだ気がした。

それが、最初の“音”だった。



二日目:気づけば目が追っている

「リュシアン様!蜂に刺されたの!」

「すぐに見せてください。……怖くないですよ、大丈夫」

ゼファルはその様子を廊下から眺めていた。
リュシアンは子どもの手を取り、やさしく笑いかける。
彼の手から溢れた淡い光が、泣き腫らした頬を照らすと、少年の顔が少しずつ落ち着きを取り戻していく。

(なぜだ。あれは、単なる癒しの技ではない)

——見ていられないほど、まっすぐで、優しすぎる。
そして、目を離せないほどに。

夕方。ゼファルは思わず口にしていた。

「お前は、なぜそんなに他人に優しくできる」

「そうですね……“私がされたら嬉しいことを、誰かにも”って思うからでしょうか」

ゼファルは返す言葉を持たなかった。

その夜、彼はなぜかよく眠れなかった。



三日目:静かな対話と、音のない温度

「ゼファル様、お食事を——」

「要らん」

そう言いながらも、差し出された皿の香りに足を止める。
リュシアンの作る料理は、どこか懐かしい匂いがした。

静かに席につくと、リュシアンは小さな笑みを浮かべた。

「……野菜、ちゃんとお召し上がりくださいね」

「子ども扱いするな」

「そう思われるのが嫌なら、残さず食べてくださいね」

その言葉に、思わず噴き出しそうになる自分に気づく。
自分が“笑いそうになった”のは、いつぶりだったか。

その晩、ゼファルはリュシアンの書斎前で足を止めた。
ドアの隙間から漏れる灯りと、紙の擦れる音。
読経のように低く優しい声が、静かに響いていた。

(……この場所は、あまりにも静かで、温かすぎる)

彼はその場を離れたが、心には何かが残っていた。



四日目:剣が触れた、やわらかい手

朝、庭で剣を振るっていたゼファルに、リュシアンが歩み寄る。

「ゼファル様の剣は……まるで、誰も近寄らせないみたいですね」

「当然だ。これは、人を遠ざけるためのものだ」

「でも、私は……少しだけでも近づいてみたいと思いました」

その言葉と共に、彼はゼファルの手にそっと触れた。
剣を握る掌。傷跡のある、固く冷たい手。

リュシアンの指先は温かかった。
柔らかく、震えもせず、ただそこに“寄り添う”ように添えられた。

ゼファルは、それ以上なにも言えなかった。

その夜、ひとりの時間にふと気づく。

——あの温度が、ずっと手に残っている。



五日目:心が、ひらく音

「……明日、戻る」

静かな食後、ゼファルはぽつりとそう言った。

リュシアンは、ほんの一瞬だけまばたきし、やさしくうなずいた。

「……少し、寂しくなります」

ゼファルは言葉に詰まった。
なぜか、その言葉が、胸にしみて苦しかった。

「お前は、寂しいとき、どうする」

「祈ります。あなたが笑って過ごせるように、と」

その祈りの言葉に、ゼファルは初めて——
自分が誰かの幸せを願われているのだ、と知った。

そして気づいた。

(この数日間で、俺は……)

(お前の笑顔を、手を、言葉を、心を……確かに、好きになった)

彼は、もう昔のように剣だけでは生きられない。
光のような存在を見てしまったから。

翌朝。帰路に就くゼファルの背を、リュシアンが静かに見送る。
最後に、彼は振り返った。

「……また、来てもいいか」

リュシアンは、微笑んでうなずいた。

「何度でも。お帰りをお待ちしています」
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