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4 102号室 住人 光井慎
33.
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「慎、2番の個室に頼む、礼子さんらしいぞ」
スパークリングワインのボトルとカプレーゼを先輩シェフの是川さんに指示された。
今日は土曜日、勤め先のトラットリアは満席で相変わらず慌ただしい。バイトのひとりが体調不良で急遽休んだので、ホールの手伝いをしていたのだがその間に来店があったらしい。
礼子さんは自分と同じアパートに住む住人だ。個室で予約ということは定期的に開催されているいつもの女子会なのだろう。ほぼ毎月女子会を開催しているらしく、自分がしゃんけ荘に住み始めてここで仕事をしていると教えてからは時々この店も利用してくれている。
「あー、なんで個室なんだろう。こっちのテーブル席なら早紀さんの姿が見えるのになぁ」
是川さんがぼやきながら前菜を準備している。
『28歳の誕生日を昨日ひとり寂しく迎えたんだ』と。先日、店の定休日明けに悲しそうに言われたので思わず『来年は定休日じゃないから大丈夫です、スタッフが祝ってくれますよ』と返しておいた。
早紀さんは礼子さんの友人でとんでもなく可愛い人だ。かれこれ3年ほど彼女さんがいないらしい是川さんが密かに(スタッフ内ではおおっぴらに)想いを寄せている人だ。早紀さんには何のアピールもできてはいないが。
「食事中に声かけられるのが嫌みたいですよ」
これは嘘ではない。人目の多いところで食事をしてると暇な御仁から度々声をかけられるらしい。『ナンパヤロー共から早紀を隔離しとかないと女子会ができない!』と礼子さんは言っていたが、3人揃って華のある人たちだ。早紀さんだけが目当てではないはずだ。まぁ、この店ではそういったお客様は比較的少ないのだが……とりあえずゆっくり話をしたいときにはウチの店を利用してくれてるようだ。
廊下を進み、個室の前に着くと珍しく部屋の中が何やら騒がしい。聞こえないかもしれないけれど一応ノックすると中から返事が聞こえた。
入室すると笑いすぎて涙目の礼子さんが目に入った。今日の話題は何なんだろうと、少しだけ気になりつつ声をかける。
「お待たせしました」
「あー、みっちゃん、久しぶり!」
ケラケラと笑いながら礼子さんが手を振るが……まだアルコール入ってないはずだ。テーブルの上には何も乗っていないのだから。
基本、休日がほとんど被らないので礼子さんを含めアパートの住人とはなかなか会うことはない。出会うとしたら管理人のいつきさんか長期休みがある高校生の伊織くんくらいだ。ただ礼子さんは時々店に来てくれるので他の人よりは顔を合わせることが多い。
「そうですね」
ワインをテーブルに置くと、すかさず礼子さんが是川さんの想い人である早紀さんに渡す。
「さぁ、今日は祭りよ、祭り。おめでとう!早紀」
「やーん、礼子ちゃんありがとう」
テンション高めの礼子さんと早紀さんにちょっと驚いていると、京子さんと目が合った。この人はなかなか冷静な人だ。
昨年、自分が成人式を迎えた時にも「あら?まだ未成年だったの?」と自分の見た目とのギャップにさほど驚くことなく対応された。自分を怖がることなく接してくれる貴重な人だ。ちなみに早紀さんも受付嬢で培ったにこやかポーカーフェイスで臆することなく話しかけてくれるのだから……礼子さんの友人は皆肝が据わっている。
「早紀がね、結婚するのよ」
ふと早紀さんの手元を見るとキラキラと輝く指輪が薬指にはまっていた。これ見よがしの立派な婚約指輪だ。
「それはおめでとうございます」
いつもの如く表情筋はあまり動かせないが、心を込めて祝いの気持ちを伝えた。
「ありがとうー」
ふにゃりと早紀さんが照れ笑う。
実に幸せそうだ。……来年の是川さんの誕生日には忘れずにお祝いの言葉をかけてあげよう。
その後、パンナコッタの追加注文を受けて足早に部屋を後にした。是川さんに早紀さんの結婚を伝えるべきか否か、悩むところだが……まぁいいだろう。お客様のプライベートだから自分が言いふらすわけにもいかないし。
厨房に戻り、忙しく腕を振るっているオーナーシェフの梅本さんの元へ静に近寄り小声で声をかける。
「ウメさん、ちょっとスミマセン」
ここに初めて面接に訪れたときのこと。あらかたやりとりを終えた後、彼から従業員には自分の事を「ウメさん」と呼んで欲しいのだと言われた。どう反応すればよいのかわからず「はい(?)」と一応答えはしたのだが、突然大声で「はい、今呼んで!」と言われて思わず大きな声で「ウメさん!」とはっきり答え、採用になった。とりあえずとても風変わりな人だと思う。
「なんだぁ?」
同じく小声で返してくるウメさんは自分と同じくちょっとコワオモテな50歳手前のナイスミドルだ。自分と違うのは表情豊かなために、親しみやすさが醸し出されている点か。
「今知り合いのお客様が来店中なんですけど、ちょっと祝い事があるんですよ。自分が支払いしますのでデザートプレートをサービスしてもいいですか?」
「祝い事?」
「結婚されるそうで」
「結婚?……三姫か?」
三姫とはつまり礼子さん達のことだ。礼子さんに言うとひかれそうなので伝えてはいないが、外見と外面(と言ったら怒られそうだが)から店ではそう呼ばれている。個人的には実際の礼子さんはとても男前だと思っている。
「ええ」
「誰が泣くんだか」
梅本さんはニヤリと笑う。是川さん以外にも3人に淡い想いを寄せてるスタッフがチラホラいる。ちなみに梅本さんは立派な既婚者で大変美しい奥さんがいるのでニヤリですんでいる。
「まぁいいぞ。お得意さんだしな。慎、お前好きなようにやれ」
「いいんですか?」
「いいさ」
「ありがとうございます」
精一杯、感謝の気持ちを伝えるべく、言葉に想いを乗せる。梅本さんは「まぁ頑張れ」と笑いながら言葉を返してくれた。
スパークリングワインのボトルとカプレーゼを先輩シェフの是川さんに指示された。
今日は土曜日、勤め先のトラットリアは満席で相変わらず慌ただしい。バイトのひとりが体調不良で急遽休んだので、ホールの手伝いをしていたのだがその間に来店があったらしい。
礼子さんは自分と同じアパートに住む住人だ。個室で予約ということは定期的に開催されているいつもの女子会なのだろう。ほぼ毎月女子会を開催しているらしく、自分がしゃんけ荘に住み始めてここで仕事をしていると教えてからは時々この店も利用してくれている。
「あー、なんで個室なんだろう。こっちのテーブル席なら早紀さんの姿が見えるのになぁ」
是川さんがぼやきながら前菜を準備している。
『28歳の誕生日を昨日ひとり寂しく迎えたんだ』と。先日、店の定休日明けに悲しそうに言われたので思わず『来年は定休日じゃないから大丈夫です、スタッフが祝ってくれますよ』と返しておいた。
早紀さんは礼子さんの友人でとんでもなく可愛い人だ。かれこれ3年ほど彼女さんがいないらしい是川さんが密かに(スタッフ内ではおおっぴらに)想いを寄せている人だ。早紀さんには何のアピールもできてはいないが。
「食事中に声かけられるのが嫌みたいですよ」
これは嘘ではない。人目の多いところで食事をしてると暇な御仁から度々声をかけられるらしい。『ナンパヤロー共から早紀を隔離しとかないと女子会ができない!』と礼子さんは言っていたが、3人揃って華のある人たちだ。早紀さんだけが目当てではないはずだ。まぁ、この店ではそういったお客様は比較的少ないのだが……とりあえずゆっくり話をしたいときにはウチの店を利用してくれてるようだ。
廊下を進み、個室の前に着くと珍しく部屋の中が何やら騒がしい。聞こえないかもしれないけれど一応ノックすると中から返事が聞こえた。
入室すると笑いすぎて涙目の礼子さんが目に入った。今日の話題は何なんだろうと、少しだけ気になりつつ声をかける。
「お待たせしました」
「あー、みっちゃん、久しぶり!」
ケラケラと笑いながら礼子さんが手を振るが……まだアルコール入ってないはずだ。テーブルの上には何も乗っていないのだから。
基本、休日がほとんど被らないので礼子さんを含めアパートの住人とはなかなか会うことはない。出会うとしたら管理人のいつきさんか長期休みがある高校生の伊織くんくらいだ。ただ礼子さんは時々店に来てくれるので他の人よりは顔を合わせることが多い。
「そうですね」
ワインをテーブルに置くと、すかさず礼子さんが是川さんの想い人である早紀さんに渡す。
「さぁ、今日は祭りよ、祭り。おめでとう!早紀」
「やーん、礼子ちゃんありがとう」
テンション高めの礼子さんと早紀さんにちょっと驚いていると、京子さんと目が合った。この人はなかなか冷静な人だ。
昨年、自分が成人式を迎えた時にも「あら?まだ未成年だったの?」と自分の見た目とのギャップにさほど驚くことなく対応された。自分を怖がることなく接してくれる貴重な人だ。ちなみに早紀さんも受付嬢で培ったにこやかポーカーフェイスで臆することなく話しかけてくれるのだから……礼子さんの友人は皆肝が据わっている。
「早紀がね、結婚するのよ」
ふと早紀さんの手元を見るとキラキラと輝く指輪が薬指にはまっていた。これ見よがしの立派な婚約指輪だ。
「それはおめでとうございます」
いつもの如く表情筋はあまり動かせないが、心を込めて祝いの気持ちを伝えた。
「ありがとうー」
ふにゃりと早紀さんが照れ笑う。
実に幸せそうだ。……来年の是川さんの誕生日には忘れずにお祝いの言葉をかけてあげよう。
その後、パンナコッタの追加注文を受けて足早に部屋を後にした。是川さんに早紀さんの結婚を伝えるべきか否か、悩むところだが……まぁいいだろう。お客様のプライベートだから自分が言いふらすわけにもいかないし。
厨房に戻り、忙しく腕を振るっているオーナーシェフの梅本さんの元へ静に近寄り小声で声をかける。
「ウメさん、ちょっとスミマセン」
ここに初めて面接に訪れたときのこと。あらかたやりとりを終えた後、彼から従業員には自分の事を「ウメさん」と呼んで欲しいのだと言われた。どう反応すればよいのかわからず「はい(?)」と一応答えはしたのだが、突然大声で「はい、今呼んで!」と言われて思わず大きな声で「ウメさん!」とはっきり答え、採用になった。とりあえずとても風変わりな人だと思う。
「なんだぁ?」
同じく小声で返してくるウメさんは自分と同じくちょっとコワオモテな50歳手前のナイスミドルだ。自分と違うのは表情豊かなために、親しみやすさが醸し出されている点か。
「今知り合いのお客様が来店中なんですけど、ちょっと祝い事があるんですよ。自分が支払いしますのでデザートプレートをサービスしてもいいですか?」
「祝い事?」
「結婚されるそうで」
「結婚?……三姫か?」
三姫とはつまり礼子さん達のことだ。礼子さんに言うとひかれそうなので伝えてはいないが、外見と外面(と言ったら怒られそうだが)から店ではそう呼ばれている。個人的には実際の礼子さんはとても男前だと思っている。
「ええ」
「誰が泣くんだか」
梅本さんはニヤリと笑う。是川さん以外にも3人に淡い想いを寄せてるスタッフがチラホラいる。ちなみに梅本さんは立派な既婚者で大変美しい奥さんがいるのでニヤリですんでいる。
「まぁいいぞ。お得意さんだしな。慎、お前好きなようにやれ」
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