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逓信ギルドの特急運搬人
運搬人と迷宮と探索者 4
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「くそっ、あんなバケモノ聞いてねぇぞ」
「言ったわよ、あなたが聞いて無かっただけでしょうっ!」
5層から逃れたトリスとノノ達は、キャンプ地で口論を続けていた。
トリスは焦っている。ボッカが予想した通り、元々救出は適当にしかする気が無かった。正直に言えば、目障りなアニは見殺しにするつもりだったのだ。救出失敗したのは不可抗力…という筋書きにするつもりで、現状はその通りになっている。だが、今の状況はマズイ。ボッカを囮にしたのを二人に見られている。
「早く戻って!。アニとボッカを助けなきゃ」
「煩せぇっ、あんなバケモノに勝てる訳ねぇだろっ!。救出は無理だ、わざわざ死にに行くバカが居ると思うか?」
「そんな…仲間を囮にして逃げ帰って、この先ギルドでやって行けるとでも思ってるの!?」
「ボッカは逃げ遅れて死んだんだ。目撃者は居ないから問題ない…」
剣呑な声に、ノノとムーリヤの顔が恐怖に歪む。三人の下卑た笑いは、かつて見たあいつ等と同じ…
「あんたたち、まさか…最初から…」
「いぃや、本当に親切心のつもりだったんだぜ。カノンとアニが居なきゃ、お前達だけじゃ生きて行けないだろ?。だが…残念だが、こうなると生かしておく訳に行かなくなった。ま、その前に溜まったもん出させてもらうがな。あのボッカのせいで、だいぶ予定が狂っちまった」
「そりゃ、最初の計画が杜撰過ぎただけで、俺のせいじゃありませんよ」
あり得ない声に驚愕してトリスは振り向いた。
「あと、実力が足りないだけなのに、逆切れして女の子襲うってのは、あんまり関心できませんね…」
「てっ…テメェ、生きてたのか!?」
「皆さんもご無事で何よりです。でも、俺が殿を務めるのは契約外の仕事ですよ」
怒鳴られた訳でもないのにトリスが後ずさる。なんでコイツは…あのバケモノに襲われて、こんな平然としていられるのだ。
「トリス、いくらなんでもアレは酷過ぎやしないかい?」
ボッカの後ろからアニが現れた。額に汗が滲んでいる。ボッカは「ちょっと急ぎましょう」と言うや、物凄い速さで迷宮を走り抜けた。身体強化を発動しても着いていくのに苦労するほどだった。
「ア、アニ……仕方ねぇだろ。あ、あんなバケモノが居るって聞いて無かったんだよ!」
「救出依頼の時に、予想される敵の説明は必須のはずだ。それに…、ただの魔物にあのカノンが食われる訳無いだろ」
「そっ、それは…」
アニは言葉に詰まるトリスを無視するかのように通り過ぎ、仲間二人の肩を抱いた。
「アニ、無事でよかった」
「二人もな、助かったよ。ありがとう」
優し気な笑みで二人を抱きしめたアニは、表情を一変させるとトリスをにらみつけた。
「それに…全部聞こえてたぞ。もう少しマシな言い訳ができるってなら聞いてやるよ。聞くだけだがな…」
剣を抜きながらそう言われてたじろいだトリスが目で促すと、それまで無言だったサイデルは杖を振り上げて真言を呟く。気づかれぬうちに魔法を準備していたのだ。
「えっ?」
「しまっ…」
魔法が発動すると、女性3人が膝から崩れおちた。
同時に、ボーモンは一息にボッカに襲い掛かると、その腹に剣を突き立てていた。
……だが、上がったのは悲鳴でもうめき声でもなく、ボッカの場違いに呑気な声だった。
「おぉっ、眠りの雲だ。対人戦だと結構凶悪ですよね、これ」
ボーモンの必殺の一撃は、『カツッ』という乾いた音を立てて止まりそれ以上通らない。ボッカは刀身を掴むと力任せにボーモンの手からもぎ取った。ボーモンは慌てて後ろに下がる。
「お前っ、しくじってるんじゃねぇよっ!」
「こいつクソ堅てぇんだよ」
「妙に手馴れてますが、まさか常習じゃないですよね?。……ま、何にしろ明確に敵意を向けられた以上は……こっちも『覚悟完了』して良いって事ですよね?」
そう言いながらボーモンの剣を両手で握って力を籠める。撓んだ剣は『パシッ』という音とともに半ばで折れた。
「え?、あ、あぁ…」
「お、ちゃんと鋼の剣だ。結構いいの使ってますね。時々、酷いナマクラ…」
「うわーーーーーーーっ」
折れた断面をしげしげと見ていたボッカが全部言い終わらないうちに、三人は全速力で逃げ出していた。
「……」
「大丈夫ですか?」
「えっ?あっ」
ボッカが濡らした手拭で顔を拭くと、三人はしばらくして目を覚ました。
アニが跳ね起きて回りを見渡す。
「アイツらは?」
「ちょいと脅したら逃げていきました。でも、ボーモンさんの剣を折っちゃったし、地図無しでは出るのには苦労するでしょうね…」
全員が一度迷宮を出ない限り、一度倒された徘徊者が涌き出す事は無い。踏破済みの上層に戻れれば、時間はかかるが出られる可能性が高い。だが、この層にはまだ徘徊者が残っている。ろくな物資も持たず、地図も持たずでは、無事に迷宮を出られるかは五分五分以下かもしれない。
「そうか…ありがとう。また助けられたな」
「いえ、仕事ですので」
「あれだけされてもトリス達を殺さなかったのか」
「俺は歩荷ですよ…」
うっかり殺してしまったら事情聴取とかが面倒臭い…という本音は言わないでおいた。それに、なるべく人殺しなどしたくないから歩荷をやっているのも本当なのだ。
「アニさんこそ、連中がそっち向かないように俺がわざわざ煽ってたのに、追い込まないでくださいよ。危ないじゃないですか…」
「ちょっと腹に据えかねてね。どっちにしろ、あいつらはあたしたちを皆殺しにするしか無かっただろ」
「もう少し用心深くやってくださいってことです」
「あたしたちが死んでも、どうせあんたは生き残ってあいつらのやった事を報告するんだろ?」
「俺は嘘は報告しない…って最初から言ってますからね。そんな俺の目の前で後ろ暗い事するのが悪いんです」
アニは『生き残る』という事の方を指摘したのだが、ボッカはするりと躱してしまった。
「なぁ」
「なんでしょう?」
「あたし達と組んでくれないか?前衛でも…ダメなら歩荷でもいい」
アニがそう言うと、ノノとムーリヤは目を輝かせた。二人からアニに提案するつもりだったのだ。
「申し訳ありませんが、迷宮は大の苦手なんで無理です」
「あんたがそう言うと、なんか嫌味に聞こえるぞ」
「本当だから仕方ありませんよ。今回は四日間だけの臨時仕事で人命救助だってからご協力しましたが、こんな異常空間には、一燭時だって入っていたくないというのが本音です。……それに、若い女性が俺と組むのはあんまりお勧めできませんから」
そういうボッカの腕をノノが掴んだ。
「私達は全員、迷宮の中で…その…男に姦られてるんだ。だから男に頼らないで生きて行こうって、そういう皆で小隊を組んだんだ。だけど、二人も居なくなっちゃって……。今も男は信用できないけど、ボッカはずっと助けてくれたでしょ、すごく頼もしかった。もうしばらくでいいから助けてもらえないかな?」
ノノもムーリヤも、ずっと不寝番をしてくれたボッカをかなり信頼しているらしい。というか、その目は信頼を通り越そうとしているように見える。
「…俺の故郷に『吊り橋効果』って言葉がありましてね。物凄く揺れる吊り橋で、恐怖による極度の緊張状態を、近くに居る異性への恋愛感情と勘違いしてしまうという事です。で、現実を見せると…」
ボッカは覆面を取ると、外套のフードを上げた。そこにあるのは、文字通り巨大な虫の顔だった。ぬめっと輝く茶褐色の甲殻、大顎がギチギチと動き複眼が無表情に三人を見つめる。その姿に三人は「ヒッ」と悲鳴を上げた。
「ね?」
ボッカは覆面を被り直した。
「言ったでしょ?『巨大御器齧りが平気じゃなきゃ見るな』って。お互い気まずくなるから、関わらないようにしてるんですよ」
「あ、あの…ごめんなさい…」
「気になさらず。虫愛づる姫君なんてのはそうそう居ないって知ってます。蜥蜴人だって、只人の街に馴染むまで随分時間がかかったそうですしね」
「わたしは…わたしは、最低の人間です、命の恩人なのに…」
ムーリヤが泣きそうな声で言った。吊り橋効果は、そこそこイケメンじゃないと効果が薄い…という話を聞いていたのだが、彼女はそんな事は無かったようだ。今の自分の態度を相当に恥じているらしい。ノノも俯いてしまった。
「だからこそあたし達と…只人の女と組む意味はあると思わないかい。それで名が知れれば、あんた達は『紳士的でまっとうな人間な人間』だと世間に示せるだろ」
アニがそう言って食い下がるが、ボッカは首を振った。
「それはまだ時期尚早でしょうね」
「私も必ず、甲殻人はちゃんとした人間だって、皆に説明します、きっと、きっと…」
「ムーリヤさん、その時は「見た目はアレだけど」って付け足すのを忘れないでください」
「でも」
「人は、価値観の合わない人は排斥しちゃうんですよ。これはもう性質だからどうしようも無いんです。皆が皆『甲殻人はキモチワルイ』って言ってる中で『そんなことない』なんて言ってごらんなさいよ、『アイツ頭オカシイ』って避けられちいますから。あなた達みたいな真面目な苦労人にそんな目に合ってほしくないんですよ」
「自分に嘘をついて生きろと?」
アニが不満げに言った。
「嘘じゃないですよ、俺の顔怖いでしょ?」
「う……」
「そういうのが避けられないって判ってるから、俺たちは顔を隠しているんですよ。別に誰かに隠せって言われた訳じゃないんです。今の俺たちは、『見た目は怖いが、中身は普通だ』と思われるようになってきました。そして今日、そう思ってくれる只人が増えた。それで十分です」
(などとカッコ着けてみたけど…)
正直、今のはなるべく角を立てずに断るための口実だ。
実際の所、ノノとムーリヤは割と本気で申し訳なく思ってるようだけど、アニは自分達に手を出す心配がないボッカを取り込みたいだけなんだろうな…というのはボッカにも判る。
アニはリーダーとして二人欠けてしまった小隊を立て直さなければならない。しかも全員強姦された経験があるから、男を加える事はできない。女性でフリーの探索者は少ないし、カノンに匹敵する実力を兼ね備えた女性となれば尚更だ。只人の女性に欲情せず、殴られても丸呑みにされても平気なボッカなら男でもカノンの代りとして小隊に入れたい…そんな所だろう。気の毒だとは思うが、ボッカにはそこまで付き合う義理もメリットも無い。
そもそも、体力は無尽蔵なのに戦いがヘタクソなボッカにとって、運搬人の仕事は天職のようなものだ。しかも特急便の運搬人として、そこそこの給料をもらっている。なんでわざわざ大嫌いな迷宮に籠ってその日暮らしをしなきゃならないのだ。
確かに、さっきの巨大猫の落とした毛皮と魔石はとてつもないお宝なのかもしれない。だが、『一攫千金』はボッカが一番嫌いな言葉の一つだ。
「俺は仕事を変える気はありません。遅くとも明日には出発して支部に帰らなきゃなりませんので、残念ですがここまでです」
そう言って勧誘を断ると、ボッカは三人を促して上層に向かって歩き始めた。
トリス達は結局戻らなかった。
ボッカ達が脱出した後もしばらく粘っていたようだが、迷宮占有が解除されたのでその時点で力尽きたと判った。彼らの救援要請は、トリスの小隊の居残りメンバーからすら出なかった。
報告を聞いたボッカは合掌して黙祷していたが、小声で「テンプレ返し完了」と呟いていたのをアニは確かに聞いている。
迷宮の中で起きた事は、支部長に残らず報告した。アニはかなり厳しい言葉で支部長に詰め寄り、カイタル支部長は苦い顔をして人選を誤った事を詫びたものの、「できれば内密にしてくれ…」と要請してきた。交渉の結果、報告書以外に口外しないことを約束する代わりに、巨大猫からの戦利品はボッカが正式に貰える事になったが「亡くなった二人への見舞いと小隊を立て直す資金の足しにしてください」…とそっくりアニに譲ってしまった。
ボッカとしては「金に困っていないから探索者をやるつもりはありません」と、手切れ金の意味も込めて譲ったのだが、やはりというか初物にして下層の大物の戦利品を譲られた三人の好感度は爆上がりしてしまったようだった。
そんなこんなで、アニたち三人は素顔が不気味な以外は女性に対して無茶苦茶紳士的で頼りになるボッカをどうにか引き留めたいという意思があったのだが、面倒が嫌いなボッカはその日の夕暮れ、街の木戸が閉まる直前に『危険だ』と止める門衛を無視してさっさとヨウイの街を後にしてしまった。これ以上面倒なフラグはご免だ。
夜に街を出るはずがない…そう思っていたアニ達が翌朝街でボッカを探している頃、ボッカは既に遥か彼方の街道を走っていた。
「言ったわよ、あなたが聞いて無かっただけでしょうっ!」
5層から逃れたトリスとノノ達は、キャンプ地で口論を続けていた。
トリスは焦っている。ボッカが予想した通り、元々救出は適当にしかする気が無かった。正直に言えば、目障りなアニは見殺しにするつもりだったのだ。救出失敗したのは不可抗力…という筋書きにするつもりで、現状はその通りになっている。だが、今の状況はマズイ。ボッカを囮にしたのを二人に見られている。
「早く戻って!。アニとボッカを助けなきゃ」
「煩せぇっ、あんなバケモノに勝てる訳ねぇだろっ!。救出は無理だ、わざわざ死にに行くバカが居ると思うか?」
「そんな…仲間を囮にして逃げ帰って、この先ギルドでやって行けるとでも思ってるの!?」
「ボッカは逃げ遅れて死んだんだ。目撃者は居ないから問題ない…」
剣呑な声に、ノノとムーリヤの顔が恐怖に歪む。三人の下卑た笑いは、かつて見たあいつ等と同じ…
「あんたたち、まさか…最初から…」
「いぃや、本当に親切心のつもりだったんだぜ。カノンとアニが居なきゃ、お前達だけじゃ生きて行けないだろ?。だが…残念だが、こうなると生かしておく訳に行かなくなった。ま、その前に溜まったもん出させてもらうがな。あのボッカのせいで、だいぶ予定が狂っちまった」
「そりゃ、最初の計画が杜撰過ぎただけで、俺のせいじゃありませんよ」
あり得ない声に驚愕してトリスは振り向いた。
「あと、実力が足りないだけなのに、逆切れして女の子襲うってのは、あんまり関心できませんね…」
「てっ…テメェ、生きてたのか!?」
「皆さんもご無事で何よりです。でも、俺が殿を務めるのは契約外の仕事ですよ」
怒鳴られた訳でもないのにトリスが後ずさる。なんでコイツは…あのバケモノに襲われて、こんな平然としていられるのだ。
「トリス、いくらなんでもアレは酷過ぎやしないかい?」
ボッカの後ろからアニが現れた。額に汗が滲んでいる。ボッカは「ちょっと急ぎましょう」と言うや、物凄い速さで迷宮を走り抜けた。身体強化を発動しても着いていくのに苦労するほどだった。
「ア、アニ……仕方ねぇだろ。あ、あんなバケモノが居るって聞いて無かったんだよ!」
「救出依頼の時に、予想される敵の説明は必須のはずだ。それに…、ただの魔物にあのカノンが食われる訳無いだろ」
「そっ、それは…」
アニは言葉に詰まるトリスを無視するかのように通り過ぎ、仲間二人の肩を抱いた。
「アニ、無事でよかった」
「二人もな、助かったよ。ありがとう」
優し気な笑みで二人を抱きしめたアニは、表情を一変させるとトリスをにらみつけた。
「それに…全部聞こえてたぞ。もう少しマシな言い訳ができるってなら聞いてやるよ。聞くだけだがな…」
剣を抜きながらそう言われてたじろいだトリスが目で促すと、それまで無言だったサイデルは杖を振り上げて真言を呟く。気づかれぬうちに魔法を準備していたのだ。
「えっ?」
「しまっ…」
魔法が発動すると、女性3人が膝から崩れおちた。
同時に、ボーモンは一息にボッカに襲い掛かると、その腹に剣を突き立てていた。
……だが、上がったのは悲鳴でもうめき声でもなく、ボッカの場違いに呑気な声だった。
「おぉっ、眠りの雲だ。対人戦だと結構凶悪ですよね、これ」
ボーモンの必殺の一撃は、『カツッ』という乾いた音を立てて止まりそれ以上通らない。ボッカは刀身を掴むと力任せにボーモンの手からもぎ取った。ボーモンは慌てて後ろに下がる。
「お前っ、しくじってるんじゃねぇよっ!」
「こいつクソ堅てぇんだよ」
「妙に手馴れてますが、まさか常習じゃないですよね?。……ま、何にしろ明確に敵意を向けられた以上は……こっちも『覚悟完了』して良いって事ですよね?」
そう言いながらボーモンの剣を両手で握って力を籠める。撓んだ剣は『パシッ』という音とともに半ばで折れた。
「え?、あ、あぁ…」
「お、ちゃんと鋼の剣だ。結構いいの使ってますね。時々、酷いナマクラ…」
「うわーーーーーーーっ」
折れた断面をしげしげと見ていたボッカが全部言い終わらないうちに、三人は全速力で逃げ出していた。
「……」
「大丈夫ですか?」
「えっ?あっ」
ボッカが濡らした手拭で顔を拭くと、三人はしばらくして目を覚ました。
アニが跳ね起きて回りを見渡す。
「アイツらは?」
「ちょいと脅したら逃げていきました。でも、ボーモンさんの剣を折っちゃったし、地図無しでは出るのには苦労するでしょうね…」
全員が一度迷宮を出ない限り、一度倒された徘徊者が涌き出す事は無い。踏破済みの上層に戻れれば、時間はかかるが出られる可能性が高い。だが、この層にはまだ徘徊者が残っている。ろくな物資も持たず、地図も持たずでは、無事に迷宮を出られるかは五分五分以下かもしれない。
「そうか…ありがとう。また助けられたな」
「いえ、仕事ですので」
「あれだけされてもトリス達を殺さなかったのか」
「俺は歩荷ですよ…」
うっかり殺してしまったら事情聴取とかが面倒臭い…という本音は言わないでおいた。それに、なるべく人殺しなどしたくないから歩荷をやっているのも本当なのだ。
「アニさんこそ、連中がそっち向かないように俺がわざわざ煽ってたのに、追い込まないでくださいよ。危ないじゃないですか…」
「ちょっと腹に据えかねてね。どっちにしろ、あいつらはあたしたちを皆殺しにするしか無かっただろ」
「もう少し用心深くやってくださいってことです」
「あたしたちが死んでも、どうせあんたは生き残ってあいつらのやった事を報告するんだろ?」
「俺は嘘は報告しない…って最初から言ってますからね。そんな俺の目の前で後ろ暗い事するのが悪いんです」
アニは『生き残る』という事の方を指摘したのだが、ボッカはするりと躱してしまった。
「なぁ」
「なんでしょう?」
「あたし達と組んでくれないか?前衛でも…ダメなら歩荷でもいい」
アニがそう言うと、ノノとムーリヤは目を輝かせた。二人からアニに提案するつもりだったのだ。
「申し訳ありませんが、迷宮は大の苦手なんで無理です」
「あんたがそう言うと、なんか嫌味に聞こえるぞ」
「本当だから仕方ありませんよ。今回は四日間だけの臨時仕事で人命救助だってからご協力しましたが、こんな異常空間には、一燭時だって入っていたくないというのが本音です。……それに、若い女性が俺と組むのはあんまりお勧めできませんから」
そういうボッカの腕をノノが掴んだ。
「私達は全員、迷宮の中で…その…男に姦られてるんだ。だから男に頼らないで生きて行こうって、そういう皆で小隊を組んだんだ。だけど、二人も居なくなっちゃって……。今も男は信用できないけど、ボッカはずっと助けてくれたでしょ、すごく頼もしかった。もうしばらくでいいから助けてもらえないかな?」
ノノもムーリヤも、ずっと不寝番をしてくれたボッカをかなり信頼しているらしい。というか、その目は信頼を通り越そうとしているように見える。
「…俺の故郷に『吊り橋効果』って言葉がありましてね。物凄く揺れる吊り橋で、恐怖による極度の緊張状態を、近くに居る異性への恋愛感情と勘違いしてしまうという事です。で、現実を見せると…」
ボッカは覆面を取ると、外套のフードを上げた。そこにあるのは、文字通り巨大な虫の顔だった。ぬめっと輝く茶褐色の甲殻、大顎がギチギチと動き複眼が無表情に三人を見つめる。その姿に三人は「ヒッ」と悲鳴を上げた。
「ね?」
ボッカは覆面を被り直した。
「言ったでしょ?『巨大御器齧りが平気じゃなきゃ見るな』って。お互い気まずくなるから、関わらないようにしてるんですよ」
「あ、あの…ごめんなさい…」
「気になさらず。虫愛づる姫君なんてのはそうそう居ないって知ってます。蜥蜴人だって、只人の街に馴染むまで随分時間がかかったそうですしね」
「わたしは…わたしは、最低の人間です、命の恩人なのに…」
ムーリヤが泣きそうな声で言った。吊り橋効果は、そこそこイケメンじゃないと効果が薄い…という話を聞いていたのだが、彼女はそんな事は無かったようだ。今の自分の態度を相当に恥じているらしい。ノノも俯いてしまった。
「だからこそあたし達と…只人の女と組む意味はあると思わないかい。それで名が知れれば、あんた達は『紳士的でまっとうな人間な人間』だと世間に示せるだろ」
アニがそう言って食い下がるが、ボッカは首を振った。
「それはまだ時期尚早でしょうね」
「私も必ず、甲殻人はちゃんとした人間だって、皆に説明します、きっと、きっと…」
「ムーリヤさん、その時は「見た目はアレだけど」って付け足すのを忘れないでください」
「でも」
「人は、価値観の合わない人は排斥しちゃうんですよ。これはもう性質だからどうしようも無いんです。皆が皆『甲殻人はキモチワルイ』って言ってる中で『そんなことない』なんて言ってごらんなさいよ、『アイツ頭オカシイ』って避けられちいますから。あなた達みたいな真面目な苦労人にそんな目に合ってほしくないんですよ」
「自分に嘘をついて生きろと?」
アニが不満げに言った。
「嘘じゃないですよ、俺の顔怖いでしょ?」
「う……」
「そういうのが避けられないって判ってるから、俺たちは顔を隠しているんですよ。別に誰かに隠せって言われた訳じゃないんです。今の俺たちは、『見た目は怖いが、中身は普通だ』と思われるようになってきました。そして今日、そう思ってくれる只人が増えた。それで十分です」
(などとカッコ着けてみたけど…)
正直、今のはなるべく角を立てずに断るための口実だ。
実際の所、ノノとムーリヤは割と本気で申し訳なく思ってるようだけど、アニは自分達に手を出す心配がないボッカを取り込みたいだけなんだろうな…というのはボッカにも判る。
アニはリーダーとして二人欠けてしまった小隊を立て直さなければならない。しかも全員強姦された経験があるから、男を加える事はできない。女性でフリーの探索者は少ないし、カノンに匹敵する実力を兼ね備えた女性となれば尚更だ。只人の女性に欲情せず、殴られても丸呑みにされても平気なボッカなら男でもカノンの代りとして小隊に入れたい…そんな所だろう。気の毒だとは思うが、ボッカにはそこまで付き合う義理もメリットも無い。
そもそも、体力は無尽蔵なのに戦いがヘタクソなボッカにとって、運搬人の仕事は天職のようなものだ。しかも特急便の運搬人として、そこそこの給料をもらっている。なんでわざわざ大嫌いな迷宮に籠ってその日暮らしをしなきゃならないのだ。
確かに、さっきの巨大猫の落とした毛皮と魔石はとてつもないお宝なのかもしれない。だが、『一攫千金』はボッカが一番嫌いな言葉の一つだ。
「俺は仕事を変える気はありません。遅くとも明日には出発して支部に帰らなきゃなりませんので、残念ですがここまでです」
そう言って勧誘を断ると、ボッカは三人を促して上層に向かって歩き始めた。
トリス達は結局戻らなかった。
ボッカ達が脱出した後もしばらく粘っていたようだが、迷宮占有が解除されたのでその時点で力尽きたと判った。彼らの救援要請は、トリスの小隊の居残りメンバーからすら出なかった。
報告を聞いたボッカは合掌して黙祷していたが、小声で「テンプレ返し完了」と呟いていたのをアニは確かに聞いている。
迷宮の中で起きた事は、支部長に残らず報告した。アニはかなり厳しい言葉で支部長に詰め寄り、カイタル支部長は苦い顔をして人選を誤った事を詫びたものの、「できれば内密にしてくれ…」と要請してきた。交渉の結果、報告書以外に口外しないことを約束する代わりに、巨大猫からの戦利品はボッカが正式に貰える事になったが「亡くなった二人への見舞いと小隊を立て直す資金の足しにしてください」…とそっくりアニに譲ってしまった。
ボッカとしては「金に困っていないから探索者をやるつもりはありません」と、手切れ金の意味も込めて譲ったのだが、やはりというか初物にして下層の大物の戦利品を譲られた三人の好感度は爆上がりしてしまったようだった。
そんなこんなで、アニたち三人は素顔が不気味な以外は女性に対して無茶苦茶紳士的で頼りになるボッカをどうにか引き留めたいという意思があったのだが、面倒が嫌いなボッカはその日の夕暮れ、街の木戸が閉まる直前に『危険だ』と止める門衛を無視してさっさとヨウイの街を後にしてしまった。これ以上面倒なフラグはご免だ。
夜に街を出るはずがない…そう思っていたアニ達が翌朝街でボッカを探している頃、ボッカは既に遥か彼方の街道を走っていた。
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