不死身のボッカ

暁丸

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冬山の歩荷

運搬人と冬山登山 3

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 登山道の終点、拝殿を過ぎて二人は登り続ける。ここから先は獣道のような細い道しか無く、しかも積もった雪に埋もれている。強風が雪を吹き上げ、視界はあまり良くない。ボッカとエルルマークは腰をロープで結び付け、ボッカが先行して雪をかき分けかき分け道なき道を進む。絶対に足を踏み外す事はできない。エルルマークが滑落しても、ボッカなら支える事ができる。だが、逆の場合、エルルマークがボッカを支える事は、絶対にできない。
 ボッカは折り畳み式の円匙を伸ばすと猛烈な勢いで振り回し、「ラッセルラッセル」と呟きながら道を切り開いて行った。巻き込まれないよう少し後ろを歩くエルルマークは、疲れ知らずのボッカの背中…と言っても背負子で見えないが…を頼もしそうに見ていた。

 日暮れ近く、吹き溜まりを見つけたボッカは、身体と円匙使って雪を押しやって雪洞を掘った。風が強くなっていて、天幕は役に立たなくなっている。
 食事を取り、炭火に濡れた靴をかざすと、胡坐をかいて座ったボッカが手招きする。

 「エルルマークさん、こちらに」
 「はい」

 エルルマークが足の上に座ると、ボッカは背中に覆いかぶさって上から顔だけ出して毛布を巻き付ける。
 ボッカの体温は只人よりかなり高い。密着すると人間湯たんぽになる。

 「ほんとうに…すごく温かいですね。出たくなくなりそうです」
 「俺の故郷には「コタツ」っていう暖房がありましてね、それには負けます。あれは、一度入ると抜け出す事ができなくなりますから」
 「そんなものが…」
 「手袋と靴下を替えて、それから手足をよく揉んでほぐしてください。濡れたのは火で乾かしておきますが、ダメなら捨てます。とにかく、凍傷になったらお終いですから注意してください」
 「はい」

 エルルマークは毛布の中で濡れた靴下を脱ぐ。靴は既に脱いで炭火であぶっている。冬の高山に命がけで登山しているはずなのに、何故こんなに寛いでいられるのだろう……。
 場違いな気持ちに浸りそうになっていたエルルマークだが、不意に顔を上げるとキッと麓の方を睨み付けた。

 「……追手ですか?」
 「たぶん。……この勘だけで逃げ延びて、どうにかギルドまでたどり着けたんです。捲いたと思っていたんですが、一歩遅かったみたいです。申し訳ありません、ボッカさんを巻き込む事になってしまいました」
 「仕方ないですよ。俺がどうにかお引き取りを願ってきます」
 「やめてください、そんな話が通じる相手じゃありません」 
 「っても、俺を見逃すとも思えませんし、一本道ですから逃げようもありませんから。……まぁ、話し合いですよ、話し合い」

 ボッカは被っていた毛布でエルルマークをくるむと、背負子を漁って着替えと小さな箱を取り出した。

 「濡れた服は着替えておいてください。それからこれを」

 箱から取り出したのは鉄製の道具だった。短い鉄の筒に握りが付いている。

 「なんですか、これは?」
 「まぁ…魔法の発動体…って事にしておきますか。もし俺がしくじって刺客がここにたどり着いたら、この筒先を向けてここの爪みたいなのを指で思い切り引いてください。そうすると筒から魔法が飛び出ます。ただし、一直線にしか飛びませんし、1回しか使えません。反動があるので両手でしっかり握って、それから爪を引くときに筒先がつられて下を向く事が多いので、ギリギリまで引き着けてからが良いかな」
 「本当にこれを引くだけで魔法が発動するのですか?」
 「はい」
 「では、最後の最後まで指はかけていない方が良いですね。ボッカさんが戻った時に間違えないように、先に外から声をかけてください。他に注意はありますか?」
 (本当に賢い子だなぁ……)
 「そうですね…引くときに『エターナルフォースブリザード』と唱えてください」
 「それは…、どういう意味です?」
 「細かい事は気にしないでください、俺の故郷のおまじないみたいなものです。…じゃ、行ってきます」


 ボッカは雪洞を出て少し斜面を降りた。道の両側は上へ向かう急斜面と下に向かう急斜面になっている。囲まれる心配はないし食い止めるには好都合だ。

 (生か死かだな…。彼を守るには……やっぱり殺すしか無いか…)
 ボッカには刺客を殺さず無力化するような余裕は無いし、そもそも冬山で行動不能にしたらその後は凍死するだけだ。
 ボッカは長い事人殺しとは無縁の生活をしていたし、今でもできればしたく無いと思っている。だが、命の軽いこの世界ではそれが無理な事も多かった。今までも止む無く人を殺す事はあったし、結果として相手が死んだ事例は、その何倍もある。そして、今では殺しても罪悪感や忌避感をあまり感じなくなっている。それだけこの世界に馴染んだという事なのだろう。

 (「慣れて行くのね、自分でもわかる」…ってか…)
 それでも、自分から相手を殺しに向かうのはあまり無い経験だ。ボッカはこういう時はいつも一目散に逃げていた。歩きながらボッカは過去に人を殺した記憶を掘り返した。嫌な記憶だが、それを使って必死に自分の心を塗り替える。人の命を奪う事に躊躇しないように。どんな手段を取ろうともエルルマークを護るために。

 そのまま進むと、星明りの下に真っ白な服と覆面の男が三人居た。ボッカに気づくと、背嚢を降ろして身構える。

 「なんだぁ、てめぇは?」
 「登山に協力中の逓信ギルドの歩荷ですよ。あんまり真っ当な登山者には見えませんが、どちら様でしょう?」
 「お前の連れに用があるんだよ。仕事を早上がりにしてやるぜ」
 「貴方方のような胡散臭い恰好をした方を、お客様の所に案内できる訳ありませんよ」
 「……お前の恰好も似たり寄ったりじゃねぇか」

 刺客の一人に指摘されたボッカは、自分と刺客の恰好を見比べた。雪山だから、着ぶくれするほど着込んで、寒風と雪焼けを防ぐために覆面もしている。

 「……その通りでした。申し訳ありません、胡散臭いと言ったのは取り消します。雪山じゃ皆この恰好ですしね」

 ボッカは律儀に謝罪する。

 刺客達は困惑していた。コイツはこの状況でなんでこんなに落ち着き払っているのだ?。身のこなしは正直隙だらけで、素人もいい所だ。自分の実力を勘違いしているのか、それとも何か奥の手があるのか……。

 当のボッカといえば、実はノープランだった。

 (さて…プロの刺客相手にこの先どーしよ?どうにか相手を困惑させたけど、これで手が鈍ればいいんだけど…)
 どうにか捕まえれば、ボッカにもやりようはある。だが、相手は三人。呑気にやってたら、すぐにこちらの弱みは見抜かれてしまうだろう。二人通してしまったらゲームオーバーだ。とにかく煽り続けよう。言葉も武器の一つだ。まずは、エルルマークではなく、自分を標的にしてもらわなくては。

 「まぁ、それはそれ、これはこれ。やはりここは通せません。それに……どうせ目撃者は消すんでしょう?」
 「……あぁ、その通りだ。お前にも消えてもらおう」

 イライラしていた真ん中の一人が顎で指示すると、二人が同時に動いた。どうやら真ん中が頭目らしい。
 刺客は二人同時にボッカに襲い掛かる。目にも止まらぬ速さで踏み込むと、二人同時にボッカの脇腹と首に短剣を突き立てていた。

 『カッカッ』

 「なんだっ?」
 「下に鎧か?」

 短剣はボッカの甲殻に阻まれた。ボッカは、咄嗟に胸を突いた刺客の腕をがっちりと掴んだが、その隙に首を狙った男には間合いを取られてしまった。

 「やっぱり二人同時は無理か。さすが本職というか、情けないぞ俺というか……よっと」

 「ギャッ」

 言いながら力を籠めると、骨が軋み悲鳴を上げて男は短剣を落とした。

 「野郎っ!」
 「そいつに近づくな、先に小僧を殺れ!」
 「へ、へいっ」

 仲間を助けようとした刺客は、頭目に怒鳴られて慌てて急斜面を駆け上ると、ボッカを避けて雪洞へ向かった。

 「あっ!」
 (くっそー、『挑発』一発でヘイト取れたら楽だったのに……って俺タンクじゃないからそんなスキル無いけど)

 ボッカの注意が逸れた隙に、右腕を掴まれたままの刺客は、腰の後ろから短刀を抜いてボッカの手に切りつけた。だが、やはり固い音が響くだけで、刃は全く通らない。

 「な、なんだこいつ。ただの歩荷じゃないのか?」

 と、遠くで『パンッ』という破裂音が聞こえた。

 (うわ、「もし俺がしくじったら」なんてカッコ付けて、早々にしくじってるやん。ぶっつけ本番できちんと当たったかな…えぇい、ままよっ)

 「どうやら、先ほどの方は倒されたようですね」
 「なんだと?」
 「野営地には魔法を残してきました。今のはそれが発動した音です」
 「魔法だ?」
 「えぇ、エターナルフォースブリザード。相手は死にます」

 (当たったかどうか判らないが、とにかく攪乱し続けておこう。もし外してエルルマークが殺されていたら……笑ってごまかすさ)

 頭目が覆面の下で困惑しているのが、なんとなく伝わって来た。ここは、畳みかけるチャンスだ。

 「お一人は亡くなりました。もうお一人はこの通りです。で、相談なんですが…ここは引いてもらえませんか?できれば俺、これ以上『業』を積みたくないんですよ…」

 「強い台詞を使うと弱く見えるぞ」という故事に倣って、脅しをあえてオブラートに包んで提供してみた。
 だが、頭目は困惑を飲み下して剣を抜いた。

 「舌先で俺を殺す事はできんぞ」
 「わぁ……さすがプロ」
 
 手の内を見透かされたボッカは内心で舌を出す。さすがに頭目ともなると、コケおどしやブラフは通じないようだ。

 「じゃ仕方ないですね…恨まないでくださいね…」

 そう言って、右手を捕まえたままの刺客のベルトを右手で掴むと、頭上に軽々と持ち上げた。

 「えっ?!」
 「レッドフォールッ!」

 叫びながら刺客を崖の下に放り投げる

 「まさか、やめ…ぁあああああああああ」

 悲鳴を残して刺客は滑落していった。崖の下から断続的に鈍い音が聞こえる。命が助かったとしても重傷だろう。即死するのと凍死するのと、どっちが楽だろうか…。

 「てめぇ……」

 どうにか一対一に持ち込んで、しかも怒らせる事に成功した。相手は一番の手練れっぽいが、下っ端だろうと手練れだろうと、ボッカのやる事は変わらない。いや『できる事』は変わらない。
 戦闘勘の無いボッカが、追いかけたり倒したりは不可能なのだ。ボッカにできるのは、斬りつけてきた所を相打ちで捕まえてどうにかする事だけだ。剣が通用しないのと、怪力なのは見られてしまっているが、どんな使い手だろうと剣士ならボッカを斬るしかないから、近づいてくれるとは思うが……。怒りにまかせて雑な攻撃をしてくれればいいなぁ……

 「そんなふうに考えていた時期が俺にもありました」
 
 ボッカは茫然とした声でつぶやく。
 頭目は抜いた剣を顔の前に垂直に立てた。左手で印を切り真言を呟くと、ボッカの周りをドーム状に覆うように無数の魔力の剣が出現する。

 「嘘ぉ、魔法使いなの?!」

 どうりでエターナルフォースブリザードネタがスルーされる訳だ。そんな魔法が存在しないと知っていたのだ。

 「気づいた時にはもう遅い…ってな。俺は絶対近づかんよ、その馬鹿力に捕まりたくないからな。……死ね」

 呟かれた真言で、ボッカを取り囲んだ魔力の剣が降り注ぐ
 咄嗟に顔を庇ったが、剣は甲殻を貫通し、背中に、肩に、腕に、頭に突き刺さる。全身に剣が突き刺さり、ハリネズミのようになったボッカは、それでも倒れなかった。

 「まだ生きてんのか……だが、終いだ」

 真言と共に指をならすと、刺さった剣が一斉に白熱する。高熱に炙られたちまち防寒着が燃え上がった。

 「うあっ…」

 (あ、これは…火はちょっとマズイ……)
 炎に包まれたボッカが、助けを求めるように両手を前に伸ばした。 

 頭目が勝利を確信した瞬間、パンッ!パンッ!という音が響いた。

 「ぐっ!」

 胸と腹に突然衝撃を受けた頭目は、自分の体を見下ろした。胸から鮮血が噴出している。

 (なんだ?何が起きたのだ?これは魔法か?)

 「ガフッ」

 むせた頭目は大量の血を吐いてがっくりと膝を付いた。

 見れば、まっすぐこちらに延ばされたボッカの袖口から白い煙がたなびいている。あれが何かしたのか?武器なのか?。

 「今のがエターナルフォースブリザードです」

 炎に包まれたままのボッカに言われて、瀕死の頭目は目を見開く。

 なんでコイツは生きているんだ、確かに剣は刺さったはずだ。こんなに燃えているのに。俺の魔法が効いていないのか?

 「雪崩が怖いんで使う気は無かったんですが、あのままだと炎で暴発しそうだったので…すいません」

 まるで反則がバレたように、申し訳なさそうな声だった。それがおそろしく場違いに聞こえる。
 頭目には状況が理解できない。何が起きた?いったいコイツは何を言っているんだ?

 ボッカはまだ燃えている防寒着を引きちぎって捨てる。着ていた服は、上下とも完全に燃え尽きようとしていた。
 頭目が目にした歩荷の顔は巨大な虫の頭だった。全身の甲殻には魔法の剣が突き刺さった亀裂があちこちに残り、その周囲は高熱で黄色に変色し、焦げていた。だが、そんなボロボロの姿なのに、歩荷は全く痛みを感じる様子も無ければ、動きが滞る事も無い。

 「調子に乗って全身に仕込まなくてよかった~」

 声からは、全くダメージが感じられない。アレをまともに食らって無事なヤツなど…
 絶望に頭目の意識が沈んで行く。

 「バケ…モノ…め…」
 「えぇ……知ってます」

 ボッカは事切れた頭目の前でしばし合掌していたが、防寒着を頂戴すると遺体を崖下に放り投げた。
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