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冬山の歩荷
運搬人と冬山登山 4
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「エルルマークさん、無事ですか?」
ボッカは打ち合わせた通り、雪洞の外から声をかけた。
「大丈夫です!。ボッカさんも無事だったんですね、戻りが遅いので心配しました」
元気そうなエルルマークの声に、ボッカは胸をなでおろした。ぶっつけ本番で刺客を撃ち倒したらしい。
「どうにか無事です。刺客は三人で二人は俺が倒しました。服を燃やされてしまったので、刺客の服を分捕って着てます。驚かないでくださいね」
「ええっ?、燃え…って、大丈夫なんですか?」
「はい、何せ俺はバケモノですから」
ボッカが雪洞に入ると、男がうつ伏せに倒れて事切れていた。エルルマークは雪洞の隅で毛布をかぶってうずくまっている。
「怪我はありませんか?」
「ちょっと耳鳴りがしますが、他は大丈夫です。すごいですね、刺客が一発で倒れました」
「あぁそうですね、大きな音が出るというのは注意しておくべきでした。申し訳ありません」
「ボッカさんこそ怪我は?火傷とかしてないでしょうか?」
「大した傷じゃないですが、夜目が利かなくなりました。これからは夜に作業するのは無理です、明るいうちに全て済ますようにします」
さすがに頭に直撃した魔力剣はダメージが大きく、暗視用の単眼が見えなくなってしまった。おかげで、戻るのにだいぶ時間がかかってしまった。
「だ、大丈夫なんですか」
「はい、命に別状はありません」
さすがにあれだけ穴だらけの姿を見せたら、頭目同様にドン引きされるだろう。だから分捕った服を着て戻った。傷は見せない。自分はちょっと頑丈で、食べなくても平気な自称バケモノの甲殻人。そういう事だ。
ボッカは男の両足を持って外に引っ張り出した。遺体をひっくり返すと、エターナル(略)は胸のど真ん中に命中している。本当に目の前まで引き着けて撃ったらしい。頭の回転の速さといい胆力といい、エルルマークは成人前とは思えない。長生きすれば、名を残す一廉の人間になれたかもしれないというのに……
「何があったんだろうね……」
ぽつりと呟くと、ボッカはこの男からも服を脱がし、崖下に投げ捨てた。
雪洞に戻ると、エルルマークはしげしげとエターナル(略)の筒を眺めていた。
「これ、お返しします。いったい、どうやって魔法を付与するんですか?」
「実は嘘をつきました。これは弩の一種ですよ」
「え、魔法じゃないんですか?」
「えぇ、説明する時間が無かったので、手に魔法の力を握っていると思った方が安心できるんじゃないかと思ったんです、騙して申し訳ありません」
そう言って詫びたボッカだが、エルルマークは怒りとも驚きとも納得とも違う表情をしていた。
「……ボッカさんが出てしばらくして、同じような音が聞こえました。ボッカさんもこれを?」
「えぇ……」
「魔法のような効果がある武器を、たくさん作れて魔力が無くても使えるんですね……」
「……」
(うわぁ…ホントにこの子未成年?)
ボッカは感嘆するのを通り越して引いていた。この歳の頃合いなら、威力に興奮してはしゃぐ事はあっても、一飛びにそっちに発想が行くことはまずないだろう。これを作ったシリオンなど、威力に興奮して、はしゃいで、すぐに飽きていた。エルルマークより遥かに年上なのに……
咄嗟に言葉に詰まったボッカに気付いたのだろう、エルルマークはにっこりと微笑んだ。
「すぐに墓の下に持っていきますから、ご心配なく」
(ホントにこの子未成年?:たった今ぶり2回目)
いろいろと他人を驚かす事の多いボッカだが、この少年には驚かされることの方が多かった。
……とはいえ、エルルマークが成人前の華奢な子供である事は変わりない。
「エルルマークさん…エルルマークさん」
非常識なボッカの体力と体温。それに引っ張られてどうにかここまで上がって来れた。だが、さすがに八合目を超えると、エルルマークの動きが目立って鈍くなってきた。
「エルルマークさん…」
膝をついたエルルマークに呼びかけても返事はない。息はあるがかなり朦朧としているようだった。ボッカは荷物から金属の筒を取り出して、懐で温めたあと、エルルマークの顔の前にかざした。
「これをどうぞ、調子を見ながらゆっくり吸ってください」
ボッカは、金属の筒が繋がったじょうごのようなものを顔にかざしていた、『シュー』という音がする。やがて、息苦しさが薄らいで来た。エルルマークが目を開ける。
「少し楽になりました。なんですか、これは?」
「高い所に登ると、息をするのに必要な空気が薄くなって苦しくなります。これは、空気の中にある息を継ぐ成分だけを集めたものですよ」
「こんなものがあるんですね、初めて見ました」
「知り合いの岩人に頼んで作ってもらいました。限りがあるので、本当に苦しい時に気付けに使います」
これも実家から持って来た。ボッカの最後の切り札、酸素ビンだ。シリオンの魔法で空気から酸素を分離して取り出して充填してある。酸素については、シリオンに説明してある。実を言えば、ボッカの目的に必要なので魔法抜きで量産できないか二人で実験中なのだが、まだ実現できていない。今回はシリオンの有り余る魔力にものを言わせて強引に抽出している。かなり大雑把な作りで、ネジを緩めて適当に放出するだけだが、多少は効果があるようだ。
「休みましょう。ゆっくり深く呼吸していてください、雪洞を掘ります」
高山もなんのそので、あっという間に雪洞を掘ると、ボッカはエルルマークを引き入れて自分の背中で入り口をふさいだ。どうにかエルルマークを胡坐の上に座らせて、毛布をかぶせて温める。
「高い場所は空気が薄いです。ですから、深く大きく息を吸って、胸全体にいきわたらせるつもりでゆっくり吐くように意識して、歩いている間もそういう呼吸を心がけてください」
「ボッカさんはいろいろな事を知っているんですね…うらやましいです」
(あなたももっと生きれば)……と言いかけてボッカは飲みこんだ。もう今更後戻りはできないし、それを口にすれば彼の決意を貶める事になってしまうだろう。
それでも…可能性が無限にある若者が老人より先立つ姿は、あまり見たいものでは無かった。たとえそれが、たった一つの冴えたやり方なのだとしても。
「頂上に着くまでに、ボッカさんに聞いておきたかった事があるんです」
「なんでしょう」
「最初は登山に強く反対していたのに、何故歩荷を引き受けてくださったんです?」
ボッカは咄嗟に答える事ができなかった。素性を詮索される事を嫌うボッカは、自分の事を他人に話さないようにしてきた。……だが彼は…この子は、心残りを無くそうとしているように見える。そして……
「俺も死にたいと願って、他人にいろいろ協力して貰っているからですよ。お恥ずかしい話ですが、中々計画が進まないので自分でも忘れかけてました。それを思い出したら、俺が何を言っても説得力皆無だと気が付いたんです」
「え?ど、どうして……」
「幸福の形は人それぞれって事です」
エルルマークの言葉を返すと、少し考えてから交換条件を持ちかけて来た。
「……僕の事を話したら教えてくれますか?」
「……いいですよ」
予想していたボッカは、即受け入れた。
(やはりこの子は限界が近い)
ボッカはそう確信した。だからこそ、心残りを無くそうとする。自分の事を知って欲しくなる、話したくなる。
もう一息、あと少しで頂上に達する。物資はもうギリギリだ。どうにか最後までエルルマークの気力を持たせなければならない。二人の身の上話で、少しでも彼の命が力を保てるのなら……。
「僕は……」
「はい」
「一人なんです。故国が滅ぼされ、一人残らず殺されました。僕が最後の一人です。遺産を引き継いだっていいましたよね。あのお金は母ときょうだいから受け継いだものなんです」
「どうやったら、国丸ごと皆殺しなんて可能なんですか?」
「国と言っても、小さな集落以下の人数しか居ない、名ばかりの国でしたから。とある王国の温情でどうにか自治を許されていましたが、宗主国にシラミ潰しにされました」
「なんでまた……」
「僕たちが開拓した土地が惜しくなったみたいですね」
「……それで高御座ですか」
「はい」
「ひょっとして、王家の方なんですか?」
「いえ、違いますよ」
「願いは復讐ですか?」
「どうでしょう?判らないんです」
「判らない?」
「はい。……どこの国の王だって、自国の国民の事を第一に考えます。国民を富ませよう、飢えないようにしようと。時には他国に侵略してでもそれを成し遂げるのが『良い王』ではないでしょうか。では、それをできなかった…国民を飢えさせ、守る事ができなかった僕達の王は『悪い王』じゃないのでしょうか?。僕たちの王は『天に恥じぬ行いをせよ』と常に言っていました。僕たちもそう在ろうと生きていました。でも、皆死んで一人生き残ってしまった時、僕にはそれが正しい事なのか判らなくなってしまったんです。だから、そうですね……その答えを得られればと思っています」
ボッカは心底驚いている。大人びた子だとは思っていたが、どうやったら彼の歳でこれほど達観できるものだろうか?故郷が滅び、ただ一人生き残るという絶望を味わったとき、復讐でなはなく、自分達の生き方が間違って居なかったかの答えを求める子供が居るだろうか。
彼に教えた師、彼を育てた親はいったいどんな人物だったのだろうか?。
「じゃ、ボッカさんの番です。どうして死にたいと思うんですか?」
考えを巡らせていたボッカは、好奇心の混じる声で問われて我に返った。
「俺は……実は、一度死んでます。死んでこの身体に生まれ変わりました。この身体は……えらく頑丈で、食べる必要も寝る必要もありません、二十四時間戦えます」
「え?、にじゅう…よ??」
「あぁ、俺の故郷の慣用句なので気にしなくて結構です。丸一日ぶっ通しで働いても平気っていうような意味ですね」
「あ、はい……。確かにボッカさんはそうですね。……でも……一度死んで生まれ変わる…そんな事があるんですか?」
「俺は特殊な例外みたいですよ。ですから…期待はされない方が良いと思います」
「そう、ですか……」
エルルマークは、肩を落とした。ボッカはこの世界にも輪廻転生はあると聞いているが、死した個人がそのまま生まれ変われる訳では無いらしい。ボッカがそのまま今の身体の中の人になったのは、特別な事情があっての事なのだ。気の毒だが、彼が長く生き延びたとしても今生で一族と再会できる事は無いだろう。
「でも、そんな便利な身体なのに、どうして死にたいだなんて…」
「食べる事も寝ることも『できない』んですよ。俺は<人間>なのに」
「あっ…」
「飢えはありません、疲れを感じる事もありません。そして、この身体だからこそ俺が今まで生きていられたというのは否定しません。でも…辛いんです」
エルルマークには何も言えなかった。常に飄々として恐れるものなど何もないように見えたボッカが、こんなにも苦し気に弱音を吐くなど、思いもよらない事だった。
そしてそれはボッカも同様だった。そこまで言うつもりは無かったのに、思わず口をついて弱音が出てしまった。……だが、もう今更だ。本音を隠す必要もないだろう。
「えぇ、贅沢だって判っています。だから今更、飢えないけれど食べられる、疲れ無いけど寝られる、そんな都合の良い身体が欲しいなんて事は言いません。ただ死にたいんです」
確かに、エルルマークは数日食べる事ができずに飢餓に苦しんだ事があった。寒さに震えて眠れぬ夜があった。飢えない、疲れない事を苦しむボッカと自分は、どちらが幸せなのだろうか。
いや、考えるまでもない。人にとって、食べる事も寝る事も『生きるために必要な欲求』だけでは無くなっている。最初からそれらが不要な身体で生まれたのなら耐えられたかもしれない。だが、ボッカは元は…いや今も<人間>なのだ。そして……『生きるために必要な欲求』が不要という事は、ボッカはきっと『死ねない』のだ。だからこそ死にたいと願っている。
「すいません。こんな泣き言、他人には話さないようにしているんですが、頂上が近づいて少し気が緩んだようです」
「きっと…僕には想像もできない苦しみなのでしょうね……」
「逆に、俺にもあなたのお気持ちを真に理解する事はできないと思います」
ボッカも親族の死に立ち会った事はある。だが、寿命だったにしろ病気だったにしろ、天寿を全うしたのであって、理不尽に殺された訳では無い。真に独りになった事も無い。エルルマークの苦しみを理解する事などできないだろう。
「でもまぁ、俺は今あなたの心を知り、あなたは俺の心を知ってくれました。真に理解はできなくとも、それで十分です。…俺の故郷には『袖振りあうも他生の縁』って言葉がありましてね。ここまで来たんです、あなたが答えを得られるように…俺があなたを必ず生きて頂上にお連れします」
その言葉は、ボッカの体温の温かさ以上にエルルマークを温めた。
ボッカは打ち合わせた通り、雪洞の外から声をかけた。
「大丈夫です!。ボッカさんも無事だったんですね、戻りが遅いので心配しました」
元気そうなエルルマークの声に、ボッカは胸をなでおろした。ぶっつけ本番で刺客を撃ち倒したらしい。
「どうにか無事です。刺客は三人で二人は俺が倒しました。服を燃やされてしまったので、刺客の服を分捕って着てます。驚かないでくださいね」
「ええっ?、燃え…って、大丈夫なんですか?」
「はい、何せ俺はバケモノですから」
ボッカが雪洞に入ると、男がうつ伏せに倒れて事切れていた。エルルマークは雪洞の隅で毛布をかぶってうずくまっている。
「怪我はありませんか?」
「ちょっと耳鳴りがしますが、他は大丈夫です。すごいですね、刺客が一発で倒れました」
「あぁそうですね、大きな音が出るというのは注意しておくべきでした。申し訳ありません」
「ボッカさんこそ怪我は?火傷とかしてないでしょうか?」
「大した傷じゃないですが、夜目が利かなくなりました。これからは夜に作業するのは無理です、明るいうちに全て済ますようにします」
さすがに頭に直撃した魔力剣はダメージが大きく、暗視用の単眼が見えなくなってしまった。おかげで、戻るのにだいぶ時間がかかってしまった。
「だ、大丈夫なんですか」
「はい、命に別状はありません」
さすがにあれだけ穴だらけの姿を見せたら、頭目同様にドン引きされるだろう。だから分捕った服を着て戻った。傷は見せない。自分はちょっと頑丈で、食べなくても平気な自称バケモノの甲殻人。そういう事だ。
ボッカは男の両足を持って外に引っ張り出した。遺体をひっくり返すと、エターナル(略)は胸のど真ん中に命中している。本当に目の前まで引き着けて撃ったらしい。頭の回転の速さといい胆力といい、エルルマークは成人前とは思えない。長生きすれば、名を残す一廉の人間になれたかもしれないというのに……
「何があったんだろうね……」
ぽつりと呟くと、ボッカはこの男からも服を脱がし、崖下に投げ捨てた。
雪洞に戻ると、エルルマークはしげしげとエターナル(略)の筒を眺めていた。
「これ、お返しします。いったい、どうやって魔法を付与するんですか?」
「実は嘘をつきました。これは弩の一種ですよ」
「え、魔法じゃないんですか?」
「えぇ、説明する時間が無かったので、手に魔法の力を握っていると思った方が安心できるんじゃないかと思ったんです、騙して申し訳ありません」
そう言って詫びたボッカだが、エルルマークは怒りとも驚きとも納得とも違う表情をしていた。
「……ボッカさんが出てしばらくして、同じような音が聞こえました。ボッカさんもこれを?」
「えぇ……」
「魔法のような効果がある武器を、たくさん作れて魔力が無くても使えるんですね……」
「……」
(うわぁ…ホントにこの子未成年?)
ボッカは感嘆するのを通り越して引いていた。この歳の頃合いなら、威力に興奮してはしゃぐ事はあっても、一飛びにそっちに発想が行くことはまずないだろう。これを作ったシリオンなど、威力に興奮して、はしゃいで、すぐに飽きていた。エルルマークより遥かに年上なのに……
咄嗟に言葉に詰まったボッカに気付いたのだろう、エルルマークはにっこりと微笑んだ。
「すぐに墓の下に持っていきますから、ご心配なく」
(ホントにこの子未成年?:たった今ぶり2回目)
いろいろと他人を驚かす事の多いボッカだが、この少年には驚かされることの方が多かった。
……とはいえ、エルルマークが成人前の華奢な子供である事は変わりない。
「エルルマークさん…エルルマークさん」
非常識なボッカの体力と体温。それに引っ張られてどうにかここまで上がって来れた。だが、さすがに八合目を超えると、エルルマークの動きが目立って鈍くなってきた。
「エルルマークさん…」
膝をついたエルルマークに呼びかけても返事はない。息はあるがかなり朦朧としているようだった。ボッカは荷物から金属の筒を取り出して、懐で温めたあと、エルルマークの顔の前にかざした。
「これをどうぞ、調子を見ながらゆっくり吸ってください」
ボッカは、金属の筒が繋がったじょうごのようなものを顔にかざしていた、『シュー』という音がする。やがて、息苦しさが薄らいで来た。エルルマークが目を開ける。
「少し楽になりました。なんですか、これは?」
「高い所に登ると、息をするのに必要な空気が薄くなって苦しくなります。これは、空気の中にある息を継ぐ成分だけを集めたものですよ」
「こんなものがあるんですね、初めて見ました」
「知り合いの岩人に頼んで作ってもらいました。限りがあるので、本当に苦しい時に気付けに使います」
これも実家から持って来た。ボッカの最後の切り札、酸素ビンだ。シリオンの魔法で空気から酸素を分離して取り出して充填してある。酸素については、シリオンに説明してある。実を言えば、ボッカの目的に必要なので魔法抜きで量産できないか二人で実験中なのだが、まだ実現できていない。今回はシリオンの有り余る魔力にものを言わせて強引に抽出している。かなり大雑把な作りで、ネジを緩めて適当に放出するだけだが、多少は効果があるようだ。
「休みましょう。ゆっくり深く呼吸していてください、雪洞を掘ります」
高山もなんのそので、あっという間に雪洞を掘ると、ボッカはエルルマークを引き入れて自分の背中で入り口をふさいだ。どうにかエルルマークを胡坐の上に座らせて、毛布をかぶせて温める。
「高い場所は空気が薄いです。ですから、深く大きく息を吸って、胸全体にいきわたらせるつもりでゆっくり吐くように意識して、歩いている間もそういう呼吸を心がけてください」
「ボッカさんはいろいろな事を知っているんですね…うらやましいです」
(あなたももっと生きれば)……と言いかけてボッカは飲みこんだ。もう今更後戻りはできないし、それを口にすれば彼の決意を貶める事になってしまうだろう。
それでも…可能性が無限にある若者が老人より先立つ姿は、あまり見たいものでは無かった。たとえそれが、たった一つの冴えたやり方なのだとしても。
「頂上に着くまでに、ボッカさんに聞いておきたかった事があるんです」
「なんでしょう」
「最初は登山に強く反対していたのに、何故歩荷を引き受けてくださったんです?」
ボッカは咄嗟に答える事ができなかった。素性を詮索される事を嫌うボッカは、自分の事を他人に話さないようにしてきた。……だが彼は…この子は、心残りを無くそうとしているように見える。そして……
「俺も死にたいと願って、他人にいろいろ協力して貰っているからですよ。お恥ずかしい話ですが、中々計画が進まないので自分でも忘れかけてました。それを思い出したら、俺が何を言っても説得力皆無だと気が付いたんです」
「え?ど、どうして……」
「幸福の形は人それぞれって事です」
エルルマークの言葉を返すと、少し考えてから交換条件を持ちかけて来た。
「……僕の事を話したら教えてくれますか?」
「……いいですよ」
予想していたボッカは、即受け入れた。
(やはりこの子は限界が近い)
ボッカはそう確信した。だからこそ、心残りを無くそうとする。自分の事を知って欲しくなる、話したくなる。
もう一息、あと少しで頂上に達する。物資はもうギリギリだ。どうにか最後までエルルマークの気力を持たせなければならない。二人の身の上話で、少しでも彼の命が力を保てるのなら……。
「僕は……」
「はい」
「一人なんです。故国が滅ぼされ、一人残らず殺されました。僕が最後の一人です。遺産を引き継いだっていいましたよね。あのお金は母ときょうだいから受け継いだものなんです」
「どうやったら、国丸ごと皆殺しなんて可能なんですか?」
「国と言っても、小さな集落以下の人数しか居ない、名ばかりの国でしたから。とある王国の温情でどうにか自治を許されていましたが、宗主国にシラミ潰しにされました」
「なんでまた……」
「僕たちが開拓した土地が惜しくなったみたいですね」
「……それで高御座ですか」
「はい」
「ひょっとして、王家の方なんですか?」
「いえ、違いますよ」
「願いは復讐ですか?」
「どうでしょう?判らないんです」
「判らない?」
「はい。……どこの国の王だって、自国の国民の事を第一に考えます。国民を富ませよう、飢えないようにしようと。時には他国に侵略してでもそれを成し遂げるのが『良い王』ではないでしょうか。では、それをできなかった…国民を飢えさせ、守る事ができなかった僕達の王は『悪い王』じゃないのでしょうか?。僕たちの王は『天に恥じぬ行いをせよ』と常に言っていました。僕たちもそう在ろうと生きていました。でも、皆死んで一人生き残ってしまった時、僕にはそれが正しい事なのか判らなくなってしまったんです。だから、そうですね……その答えを得られればと思っています」
ボッカは心底驚いている。大人びた子だとは思っていたが、どうやったら彼の歳でこれほど達観できるものだろうか?故郷が滅び、ただ一人生き残るという絶望を味わったとき、復讐でなはなく、自分達の生き方が間違って居なかったかの答えを求める子供が居るだろうか。
彼に教えた師、彼を育てた親はいったいどんな人物だったのだろうか?。
「じゃ、ボッカさんの番です。どうして死にたいと思うんですか?」
考えを巡らせていたボッカは、好奇心の混じる声で問われて我に返った。
「俺は……実は、一度死んでます。死んでこの身体に生まれ変わりました。この身体は……えらく頑丈で、食べる必要も寝る必要もありません、二十四時間戦えます」
「え?、にじゅう…よ??」
「あぁ、俺の故郷の慣用句なので気にしなくて結構です。丸一日ぶっ通しで働いても平気っていうような意味ですね」
「あ、はい……。確かにボッカさんはそうですね。……でも……一度死んで生まれ変わる…そんな事があるんですか?」
「俺は特殊な例外みたいですよ。ですから…期待はされない方が良いと思います」
「そう、ですか……」
エルルマークは、肩を落とした。ボッカはこの世界にも輪廻転生はあると聞いているが、死した個人がそのまま生まれ変われる訳では無いらしい。ボッカがそのまま今の身体の中の人になったのは、特別な事情があっての事なのだ。気の毒だが、彼が長く生き延びたとしても今生で一族と再会できる事は無いだろう。
「でも、そんな便利な身体なのに、どうして死にたいだなんて…」
「食べる事も寝ることも『できない』んですよ。俺は<人間>なのに」
「あっ…」
「飢えはありません、疲れを感じる事もありません。そして、この身体だからこそ俺が今まで生きていられたというのは否定しません。でも…辛いんです」
エルルマークには何も言えなかった。常に飄々として恐れるものなど何もないように見えたボッカが、こんなにも苦し気に弱音を吐くなど、思いもよらない事だった。
そしてそれはボッカも同様だった。そこまで言うつもりは無かったのに、思わず口をついて弱音が出てしまった。……だが、もう今更だ。本音を隠す必要もないだろう。
「えぇ、贅沢だって判っています。だから今更、飢えないけれど食べられる、疲れ無いけど寝られる、そんな都合の良い身体が欲しいなんて事は言いません。ただ死にたいんです」
確かに、エルルマークは数日食べる事ができずに飢餓に苦しんだ事があった。寒さに震えて眠れぬ夜があった。飢えない、疲れない事を苦しむボッカと自分は、どちらが幸せなのだろうか。
いや、考えるまでもない。人にとって、食べる事も寝る事も『生きるために必要な欲求』だけでは無くなっている。最初からそれらが不要な身体で生まれたのなら耐えられたかもしれない。だが、ボッカは元は…いや今も<人間>なのだ。そして……『生きるために必要な欲求』が不要という事は、ボッカはきっと『死ねない』のだ。だからこそ死にたいと願っている。
「すいません。こんな泣き言、他人には話さないようにしているんですが、頂上が近づいて少し気が緩んだようです」
「きっと…僕には想像もできない苦しみなのでしょうね……」
「逆に、俺にもあなたのお気持ちを真に理解する事はできないと思います」
ボッカも親族の死に立ち会った事はある。だが、寿命だったにしろ病気だったにしろ、天寿を全うしたのであって、理不尽に殺された訳では無い。真に独りになった事も無い。エルルマークの苦しみを理解する事などできないだろう。
「でもまぁ、俺は今あなたの心を知り、あなたは俺の心を知ってくれました。真に理解はできなくとも、それで十分です。…俺の故郷には『袖振りあうも他生の縁』って言葉がありましてね。ここまで来たんです、あなたが答えを得られるように…俺があなたを必ず生きて頂上にお連れします」
その言葉は、ボッカの体温の温かさ以上にエルルマークを温めた。
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