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王の手3
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カンフレー男爵夫人の娘が、自分の前に跪いている。
アルカレルは奇妙な因縁を感じていた。役目を退くきっかけとなった夫人の娘が、心残りであった不肖の弟子を倒し、鬼人となって自分に剣の技を請いに来ている。
この娘なら自分の疑問に答えてくれるのだろうか?
「旦那様」
アルカレルは、家令の声で現実に引き戻された。
「この鬼めは、よもや旦那様を…」
過去の記憶に耽っていた時間は、思っていたよりも長かったのだろうか短かったのだろうか。身じろぎもしない主を慮り、二人の間に割って入ろうとしてする家令を、アルカレルは片手で制した。
もし、この鬼人が母親の仇を狙って自分に近づこうとしたのなら、偽名を名乗っていただろう。この鬼人は怪しまれるのを承知で素性を隠し、名も名乗らなかった。今までの短いやり取りでも、この鬼人は隠し事はしても偽りは言っていない。偽名を名乗るのを良しとしなかったのだろう。
そも、鬼人がアルカレルを殺す気なら、こんな小細工は必要無い。闇夜に乗じれば、正面から乗り込んでもこの屋敷の住人は皆殺しにできる。仮に正々堂々戦ったとしても、老いた今、いかに技で上回ろうがアルカレルの勝ち目はそう多くない。しかも、鬼人はアルカレルの太刀筋を知っている。
「鬼に儂を討つ気はない」
確信をこめてそう告げると、家令はしぶしぶといった体で元の位置に戻った。そのまま、ステレの一挙手一投足も見逃すまいと、睨みつけている。ステレは僅かに首を傾げてアルカレルと家令を交互に見た。
「私は剣を学ぶために来ました。それ以外はありません」
『心底意外』という表情だった。
(母親を処刑した男に師事することに、なんの他意も無いというのか)
確かに、父を殺し母を捕らえたのも、母親に死を宣告したのもアルカレルではない。アルカレルは命じられ役目として斬っただけだ。だが、それをそのまま受け入れられる人間がそういるだろうか?。
カーラ・カンフレーを処刑した後、役目を退いたアルカレルは、それでも何かを期待してカンフレー家に関しての情報を集めていた。
隣国に逃れた王弟一党の情報は極端に減ってしまったが、かろうじていくつかの噂が流れて来た。その中の一つに『カンフレー家の娘は母親の処刑を聞いても、涙一つ見せず気丈に振る舞っている』というものがあった。
周りは亡命の王弟を支えようと付き従う、忠義の騎士ばかりだ。その中では、泣くことすら許されなかったのだろうか。残った自分がカンフレー家を再興すると決意し、必死に堪えていたのかもしれない。いずれにせよ、成人を過ぎたばかりの娘とは思えないと感心したものだった。
この娘は戦乱の時代の貴族のごとく、生死を割り切れる境地に達しているのだろうか?
だが、何故だろう?目の前の鬼人からは、奇妙な違和感を感じる。
それこそが、ドルトンも感じた不安の元だった。ドルトンはステレの傷に触れることを恐れ、それ以上問いただすことができなかった。しかし、事情を知らぬが故、ドルトンが避け続けたステレの傷を、アルカレルの言葉が抉ってしまった。
「お主の母親のこと、全く気にかけていないというのか?」
「……はは…おや?」
ステレは更に不思議そうな顔をして首をひねった。
「お主は、カンフレー男爵夫人の娘であろう?」
「娘?娘ですか?。確かに私にも親は居るはずですが……。私は鬼です、只人の親はおりません。……いえ、いたのかもしれませんが、私の咎で亡くしました。あなたに何か責がある訳ではありません」
アルカレルは目を見開いてステレを見る。先ほどまでのやり取りとは一転し、まったく辻褄の合わないことを言い出した。
「あなたは<王の手>ですから大勢斬ったのでしょう。ですが、私も命を受けて数えきれないほど殺しています。気に病むことは無いと思います」
ステレは、無表情のまま淡々と語り続ける。
ステレに同行してきた店員トネリは、口を挟むべきか迷っていた。二人の間の空気が不穏な気配になってきているのが判る。だが、館に入る前「対面したらその後は任せて欲しい」とステレに『お願い』されていた。商会からステレ付きとして送り出される時にも「万が一にもステレ様がアルカレル殿に手を上げたりせぬよう目を離すな」と言い聞かされて来たのみだった。
ステレの詳しい過去は、一部の者しか知らない。ただ「会長の恩人である。家族を亡くしているので、そういう話題は避けるように」と聞かされていただけなのだ。元は只人で、一度死んで鬼となったという話も今初めて聞いた。商会に来てからも、そんな過去があるようには全く見えなかった。
商会の店員はほとんどが家族を亡くし、商会が家族のようなものだった。だから同様に家族を亡くしているというステレにも同様に接してきた。今アルカレルの言っているのは、避けなければならないステレの家族についての話ではないのか。
迷った末、トネリは止めるべきと判断した。
「シュライサー様、ステレ様、どうか今日はそこまでに……」
「待て」
トネリを遮ったアルカレルは、ステレをじっと見る。
先の噂の後、だいぶ経って良くない噂が流れて来た。『ステレは異国を放浪する旅の途中で色と血に狂い、最後は傭兵隊長=ガランドと相討ちになって死んだ』のだという。
剣の腕は抜群だったガランドを、相討ちとはいえ倒す女が居ることに驚き、カンフレー家が本当に絶えてしまったことを悼んだ。
この鬼は『ガランドと闘って命を落とし、秘術で鬼になった』と言っていた。この娘は、過酷な旅の中で正気を失い、そのまま鬼となったのだろうか?。
だが先ほどまでは、明らかに理性ある只人と変わらぬやり取りをしていた。どちらだ?この鬼は正か狂か。
「お主は儂の剣の技を学びたいというが、只人でガランドを倒せる腕があるのならば十分ではないか」
そう指摘されたステレは呆気に取られた表情をしていたが、すぐに蒼白な顔色となった。
「わ、私一人で倒したわけではありません。私の……私の供の………が、彼を止め……」
必死に何かを思い出そうとしているのようだった。
……正気を失ってはいない。おそらくは……この娘は「思い出せない」のだ。
彼女は、突然の両親の死という事実に耐えきれなかったのではないか。
「自分が王弟に付いたことが、家の取り潰しと父親や家臣の死の原因」という噂を聞いてしまったのではないか。
母親が処刑されたとき、ステレは思い出をどこかに押し込めることで、事実から逃げることで、辛うじて平衡を得たのではないか。
ステレは「気丈に振る舞っていた」のではなく、その時既に「壊れ始めていた」のだろう。
「このまま何も無かったことにして去れぬか?」
この娘は、危ういバランスの上に立っている。自分が剣を教えるには、そのバランスを崩すことになる。アルカレルはそう推測した。
だが、ステレはゆっくりと首を振った。ここでアルカレルと話したことで、自分がどこかおかしい事が判った。何か大切なことを忘れていることが判った。それでも、あの広場で彼と約束したのだ。そのためにこの老人の技が要る。
「私には何もなく、ただ死ぬまで生きるだけでした。今は魔人との約束があります。せめてこの約束は果たしたいのです」
ステレは振り返りトネリを見た。トネリも不安を抱えながらうなずくしか無かった。
アルカレルは悲し気に首を振る。
これから恐ろしく酷なことを告げねばならない。
この言葉を正面からぶつけたとき、鬼人の娘は砕けてしまうかもしれない。
正気を失い、理性の無い鬼となって人に害を及ぼすかもしれない。
逆に、事実を克服して正気になったとしても、アルカレルを母親を斬った仇として狙うかもしれない。
だとしても。
鬼人がアルカレルの剣を学びたいと強く望むなら。
魔人との決闘を『何も無い自分の守るべき約束』と言う悲しい娘の望みに応えるには、それは避けて通れぬ道だった。
「…儂は<王の手>だ。役目を退いた今でも、儂の剣は王自身が振るうものと同義と自負している。故に儂の剣は人にしか教えらられん」
ステレに落胆の表情が浮かぶ。
(やはり鬼人は人とは認めてもらえないか)苦い表情で俯きかけた。
「勘違いするでない。獣だろうが鬼だろうが只人だろうが、人は人だ」
はっとしてステレは顔を上げた。
「だがお主に剣は教えられん。お主は人ではない」
ステレは困惑した顔でアルカレルを見る。
(鬼人も人だが、私は人ではない?それはいったい…?)
もし、今のステレにアルカレルの剣を学ぶに足る資格が無かったとしても、アルカレルはただ剣の師となることを拒むだけで良かった。
それは老人の独りよがりなのかもしれない。
事情を何も知らぬアルカレルが介入しても、せっかく得たステレの平衡を壊すだけの可能性が高い。この歳まで生きたアルカレルだ、忘れることで救われる事があることも知っている。あるいは、両親は娘がそうして生きる事を願っていたのかもしれない。
だが、それでも、アルカレルには今のこのままのステレを見すごすことはできなかった。
「ヤツも…ガランドもそうだった。あ奴は只人だが人では無かった。儂は剣を教えるべきでは無かった。お主もだ。今のお主は人ではない……死人だ」
その一言で、ステレの全身が硬直する。
何も知らないアルカレルにも、間違いなく判ることがある。カンフレー男爵と夫人は、娘のために命を捨てたのだ。そんな想いも何もかも忘れ、泣く事さえ忘れ、ただ「両親は自分の咎により死んだ」とだけしか思い出せないなど、あまりに悲しすぎる。忘却は生者からも死者からも生きた証を消してしまう。ステレは命があるだけで生きていない。死者に剣を教えることはできない。
このまま本当に壊れてしまった時は、全力で後見しよう。闘争から離れ、残りの生を穏やかに生きて欲しい。
理性を失って人に害を為すのなら、命と引き換えにしても止めよう。
もし、全てを思い出し、自分を母の仇と狙うのなら、それこそ重畳だ。老い先短い年寄の命なぞ、祝儀にくれてやってよい。
そして、思い出してなお<王の手>から剣の技を学びたいと言うなら、全てを伝えよう。
今日会ったばかりの鬼人の娘にそう思えるほどに、カーラの凛とした姿はアルカレルに強烈な印象を残していた。
「儂はお主の母、カーラ・カンフレー殿を殺した男だ。儂の前に立つなら、せめて母親のために泣いてから出直してこい」
ステレはただ愕然としたまま、アルカレルを見つめることしかできなかった。
アルカレルは奇妙な因縁を感じていた。役目を退くきっかけとなった夫人の娘が、心残りであった不肖の弟子を倒し、鬼人となって自分に剣の技を請いに来ている。
この娘なら自分の疑問に答えてくれるのだろうか?
「旦那様」
アルカレルは、家令の声で現実に引き戻された。
「この鬼めは、よもや旦那様を…」
過去の記憶に耽っていた時間は、思っていたよりも長かったのだろうか短かったのだろうか。身じろぎもしない主を慮り、二人の間に割って入ろうとしてする家令を、アルカレルは片手で制した。
もし、この鬼人が母親の仇を狙って自分に近づこうとしたのなら、偽名を名乗っていただろう。この鬼人は怪しまれるのを承知で素性を隠し、名も名乗らなかった。今までの短いやり取りでも、この鬼人は隠し事はしても偽りは言っていない。偽名を名乗るのを良しとしなかったのだろう。
そも、鬼人がアルカレルを殺す気なら、こんな小細工は必要無い。闇夜に乗じれば、正面から乗り込んでもこの屋敷の住人は皆殺しにできる。仮に正々堂々戦ったとしても、老いた今、いかに技で上回ろうがアルカレルの勝ち目はそう多くない。しかも、鬼人はアルカレルの太刀筋を知っている。
「鬼に儂を討つ気はない」
確信をこめてそう告げると、家令はしぶしぶといった体で元の位置に戻った。そのまま、ステレの一挙手一投足も見逃すまいと、睨みつけている。ステレは僅かに首を傾げてアルカレルと家令を交互に見た。
「私は剣を学ぶために来ました。それ以外はありません」
『心底意外』という表情だった。
(母親を処刑した男に師事することに、なんの他意も無いというのか)
確かに、父を殺し母を捕らえたのも、母親に死を宣告したのもアルカレルではない。アルカレルは命じられ役目として斬っただけだ。だが、それをそのまま受け入れられる人間がそういるだろうか?。
カーラ・カンフレーを処刑した後、役目を退いたアルカレルは、それでも何かを期待してカンフレー家に関しての情報を集めていた。
隣国に逃れた王弟一党の情報は極端に減ってしまったが、かろうじていくつかの噂が流れて来た。その中の一つに『カンフレー家の娘は母親の処刑を聞いても、涙一つ見せず気丈に振る舞っている』というものがあった。
周りは亡命の王弟を支えようと付き従う、忠義の騎士ばかりだ。その中では、泣くことすら許されなかったのだろうか。残った自分がカンフレー家を再興すると決意し、必死に堪えていたのかもしれない。いずれにせよ、成人を過ぎたばかりの娘とは思えないと感心したものだった。
この娘は戦乱の時代の貴族のごとく、生死を割り切れる境地に達しているのだろうか?
だが、何故だろう?目の前の鬼人からは、奇妙な違和感を感じる。
それこそが、ドルトンも感じた不安の元だった。ドルトンはステレの傷に触れることを恐れ、それ以上問いただすことができなかった。しかし、事情を知らぬが故、ドルトンが避け続けたステレの傷を、アルカレルの言葉が抉ってしまった。
「お主の母親のこと、全く気にかけていないというのか?」
「……はは…おや?」
ステレは更に不思議そうな顔をして首をひねった。
「お主は、カンフレー男爵夫人の娘であろう?」
「娘?娘ですか?。確かに私にも親は居るはずですが……。私は鬼です、只人の親はおりません。……いえ、いたのかもしれませんが、私の咎で亡くしました。あなたに何か責がある訳ではありません」
アルカレルは目を見開いてステレを見る。先ほどまでのやり取りとは一転し、まったく辻褄の合わないことを言い出した。
「あなたは<王の手>ですから大勢斬ったのでしょう。ですが、私も命を受けて数えきれないほど殺しています。気に病むことは無いと思います」
ステレは、無表情のまま淡々と語り続ける。
ステレに同行してきた店員トネリは、口を挟むべきか迷っていた。二人の間の空気が不穏な気配になってきているのが判る。だが、館に入る前「対面したらその後は任せて欲しい」とステレに『お願い』されていた。商会からステレ付きとして送り出される時にも「万が一にもステレ様がアルカレル殿に手を上げたりせぬよう目を離すな」と言い聞かされて来たのみだった。
ステレの詳しい過去は、一部の者しか知らない。ただ「会長の恩人である。家族を亡くしているので、そういう話題は避けるように」と聞かされていただけなのだ。元は只人で、一度死んで鬼となったという話も今初めて聞いた。商会に来てからも、そんな過去があるようには全く見えなかった。
商会の店員はほとんどが家族を亡くし、商会が家族のようなものだった。だから同様に家族を亡くしているというステレにも同様に接してきた。今アルカレルの言っているのは、避けなければならないステレの家族についての話ではないのか。
迷った末、トネリは止めるべきと判断した。
「シュライサー様、ステレ様、どうか今日はそこまでに……」
「待て」
トネリを遮ったアルカレルは、ステレをじっと見る。
先の噂の後、だいぶ経って良くない噂が流れて来た。『ステレは異国を放浪する旅の途中で色と血に狂い、最後は傭兵隊長=ガランドと相討ちになって死んだ』のだという。
剣の腕は抜群だったガランドを、相討ちとはいえ倒す女が居ることに驚き、カンフレー家が本当に絶えてしまったことを悼んだ。
この鬼は『ガランドと闘って命を落とし、秘術で鬼になった』と言っていた。この娘は、過酷な旅の中で正気を失い、そのまま鬼となったのだろうか?。
だが先ほどまでは、明らかに理性ある只人と変わらぬやり取りをしていた。どちらだ?この鬼は正か狂か。
「お主は儂の剣の技を学びたいというが、只人でガランドを倒せる腕があるのならば十分ではないか」
そう指摘されたステレは呆気に取られた表情をしていたが、すぐに蒼白な顔色となった。
「わ、私一人で倒したわけではありません。私の……私の供の………が、彼を止め……」
必死に何かを思い出そうとしているのようだった。
……正気を失ってはいない。おそらくは……この娘は「思い出せない」のだ。
彼女は、突然の両親の死という事実に耐えきれなかったのではないか。
「自分が王弟に付いたことが、家の取り潰しと父親や家臣の死の原因」という噂を聞いてしまったのではないか。
母親が処刑されたとき、ステレは思い出をどこかに押し込めることで、事実から逃げることで、辛うじて平衡を得たのではないか。
ステレは「気丈に振る舞っていた」のではなく、その時既に「壊れ始めていた」のだろう。
「このまま何も無かったことにして去れぬか?」
この娘は、危ういバランスの上に立っている。自分が剣を教えるには、そのバランスを崩すことになる。アルカレルはそう推測した。
だが、ステレはゆっくりと首を振った。ここでアルカレルと話したことで、自分がどこかおかしい事が判った。何か大切なことを忘れていることが判った。それでも、あの広場で彼と約束したのだ。そのためにこの老人の技が要る。
「私には何もなく、ただ死ぬまで生きるだけでした。今は魔人との約束があります。せめてこの約束は果たしたいのです」
ステレは振り返りトネリを見た。トネリも不安を抱えながらうなずくしか無かった。
アルカレルは悲し気に首を振る。
これから恐ろしく酷なことを告げねばならない。
この言葉を正面からぶつけたとき、鬼人の娘は砕けてしまうかもしれない。
正気を失い、理性の無い鬼となって人に害を及ぼすかもしれない。
逆に、事実を克服して正気になったとしても、アルカレルを母親を斬った仇として狙うかもしれない。
だとしても。
鬼人がアルカレルの剣を学びたいと強く望むなら。
魔人との決闘を『何も無い自分の守るべき約束』と言う悲しい娘の望みに応えるには、それは避けて通れぬ道だった。
「…儂は<王の手>だ。役目を退いた今でも、儂の剣は王自身が振るうものと同義と自負している。故に儂の剣は人にしか教えらられん」
ステレに落胆の表情が浮かぶ。
(やはり鬼人は人とは認めてもらえないか)苦い表情で俯きかけた。
「勘違いするでない。獣だろうが鬼だろうが只人だろうが、人は人だ」
はっとしてステレは顔を上げた。
「だがお主に剣は教えられん。お主は人ではない」
ステレは困惑した顔でアルカレルを見る。
(鬼人も人だが、私は人ではない?それはいったい…?)
もし、今のステレにアルカレルの剣を学ぶに足る資格が無かったとしても、アルカレルはただ剣の師となることを拒むだけで良かった。
それは老人の独りよがりなのかもしれない。
事情を何も知らぬアルカレルが介入しても、せっかく得たステレの平衡を壊すだけの可能性が高い。この歳まで生きたアルカレルだ、忘れることで救われる事があることも知っている。あるいは、両親は娘がそうして生きる事を願っていたのかもしれない。
だが、それでも、アルカレルには今のこのままのステレを見すごすことはできなかった。
「ヤツも…ガランドもそうだった。あ奴は只人だが人では無かった。儂は剣を教えるべきでは無かった。お主もだ。今のお主は人ではない……死人だ」
その一言で、ステレの全身が硬直する。
何も知らないアルカレルにも、間違いなく判ることがある。カンフレー男爵と夫人は、娘のために命を捨てたのだ。そんな想いも何もかも忘れ、泣く事さえ忘れ、ただ「両親は自分の咎により死んだ」とだけしか思い出せないなど、あまりに悲しすぎる。忘却は生者からも死者からも生きた証を消してしまう。ステレは命があるだけで生きていない。死者に剣を教えることはできない。
このまま本当に壊れてしまった時は、全力で後見しよう。闘争から離れ、残りの生を穏やかに生きて欲しい。
理性を失って人に害を為すのなら、命と引き換えにしても止めよう。
もし、全てを思い出し、自分を母の仇と狙うのなら、それこそ重畳だ。老い先短い年寄の命なぞ、祝儀にくれてやってよい。
そして、思い出してなお<王の手>から剣の技を学びたいと言うなら、全てを伝えよう。
今日会ったばかりの鬼人の娘にそう思えるほどに、カーラの凛とした姿はアルカレルに強烈な印象を残していた。
「儂はお主の母、カーラ・カンフレー殿を殺した男だ。儂の前に立つなら、せめて母親のために泣いてから出直してこい」
ステレはただ愕然としたまま、アルカレルを見つめることしかできなかった。
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---------
もし気に入っていただけたら、ブクマや評価、感想をいただけると大変励みになります!
#ヒラ俺
この度ついに完結しました。
1年以上書き続けた作品です。
途中迷走してました……。
今までありがとうございました!
---
追記:2025/09/20
再編、あるいは続編を書くか迷ってます。
もし気になる方は、
コメント頂けるとするかもしれないです。
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