11 / 13
エピローグ ×××日目 ゆな
しおりを挟む
おとうさんは、おうちをでていきました。
わたしと、おかあさんの、ふたりぼっちになりました。
おかあさんは、あかるくわらっていいました。
めいいっぱい『しあわせ』になってやるんだから、って。
わたしもそれにさんせいで、ふたりでいっぱいわらいました。
だから、おかあさんは、いっぱいいっぱいはたらきました。
たくさんのところにつれていって、くれました。とてもとてもたのしかったです。
いっぱい、一杯、働いて。
一杯、一杯、私のためにたくさんのことをしてくれました。
でもそうしているたびに、お母さんは、どこか辛そうで痛そうな顔をしていました。
多分、やりすぎたのです。頑張りすぎたのです。私の、私達の、幸せのためにと。
昇進してから残業が多くなりました。私のためにとお金のやり繰りや、習い事の管理に必死になって話すことも少なくなりました。
思い描く理想に届くようにと、頑張りすぎてしまったのです。
だから、一度、「お母さん、頑張んないでいいよ」って言ったら。
叩かれました。
そして「そんなこと言わないで」と泣き伏せてしまいました。
なんででしょう。
そんな辛そうな顔をしていたら、幸せになんて到底なれないと想うのだけど。
どうしてでしょう。
私は間違えてしまったのでしょうか。
それとも私の方がおかしいのでしょうか。
勉強よりも、友達と騒いでいることの方が楽しいです。
習い事や英会話よりも、誰かと笑い合っている方が幸せです。
でも、お母さんは勉強に身が入ってないと、怒ります。そんなんじゃあ、幸せになれないと叩きます。
なんでなんでしょう。
私は今、幸せなのに、それじゃあダメなんですか。幸せって、なんなんですか。
お母さんと喧嘩をすることが多くなりました。叩かれることも多くなりました。
私のことを無条件に信じていた瞳は、気付けば疑いの色で真っ黒です。
習い事にちゃんといったかを、嫌味を言いながら確認します。成績の上がり下がりを愚痴交じりに、見定めます。
友人関係の話を聞いてきては、あの子はいい、あの子はダメだ。付き合うのはよしなさいと口を挟んできます。そんなことされたくなんて、ないのに。
意見が合わないと、叩きます。睨み返したら、もっと、叩きます。
そうして、学校の先生に殴られていることを相談したことがありました。
ただ、私が思ったより大事になって、校長先生や児童相談員、精神科のお医者さんなんかも出てきて大変なことになりました。
てんやわんやのまま、みんながみんなしてお母さんにあれこれいって。
みんながみんなして、どことなくお母さんを責めていました。
あなたがやっていたことは違ったんだ。あなたがやっていたことは間違えだったんだ。
それは、その通りだと思うのです。
きっと、お母さんは私の幸せを間違えていたのです。
でも、そんな言い方をされたら傷ついてしまうのではないでしょうか。
腹の立つ人ではあったけど、頑張っていたのはずっと見てきたんです。
そこまで言わないで、と止めようと思いましたが、担任の先生にそっと制されました。
そうして言葉を上手く伝えられないまま、思った以上に大事になったそのやり取りを終えた後で。
お母さんは私を睨んでいました。
『どうして、私は、あんたなんかを産んじゃったの』。
そんな言葉を添えられて。
それから、しばらくしてぼーっと空を眺めていた屋上で私はそっと飛び降りました。
多分、私は生まれてこないほうがよかったのです。
そうすれば、お父さんと別れることも、あの人があんなに傷つくことも、頑張ることもなかったのでしょう。
これが、私の、城ケ崎 ゆなの自殺に至るまでの記憶です。
※
目を覚ましたのは、暗いオフィスの一室だった。その隅にある古ぼけたソファの上で、私はどことなく眼まいを感じながら顔を上げた。
なんだか、覚えがある感覚だ。これは、そう、最初に死神として目覚めたときの感覚にちか――――――。
「まゆ!!」
思わず叫んで目を回したけれど、周囲にまゆの姿は見当たらない。
慌てて何か手がかりがないか探していて、ふと気づく。あれ、私、なんで制服姿だ?
まゆと旅していた間は、というか死神になってからはパーカーとかの私服姿だったはずなのに。
いやに見覚えのある制服が違和感を頭に目一杯、鳴らしてくる。
違う、ただ、制服じゃない、これ、私の通ってる高校の—————。
「お、おかえり。思ったより早かったな」
オフィスの奥から、聞き慣れた低い声が飛んできた。目を向けると、声の主はパソコンの向こうからゆっくりと立ち上がると、机に置いてあった缶コーヒーとまんじゅうを持ちながら、えっちらおっちらと歩いてくる。
クソ上司は、私を見るとニヤッと笑った。
「なんで……いるんすか。ていうか、私は————」
「俺がここに来たんじゃなくて、お前が帰ってきたんだけどな。まあ、落ち着けよ、自分の名前は思い出せるか?」
「————ゆな。……城ケ崎 ゆな」
そういえば、苗字は———死神になったとき、存在を覚えてすらいなかった。
そんな私の答えを聞いて、クソ上司は軽く笑う。それから、私の前と自身の前にそれぞれ缶コーヒーとまんじゅうをいそいそと並べた。
私の向かいのソファに座って、カシっと音を立てて缶コーヒーの栓を開けると、私の目の前に缶をすっと差し出した。
「死神退任、おめでとう、ゆな。これからちょっとした退任式だ」
そう言って、私に乾杯でもするように缶を軽くかたむけた。
常にめんどくさそうで、だるそうなやり取りばかりしていた上司の、初めて聞く労わるような優しい声だった。
※
上司のいうことは、正直、なにもわからない。ただ、とりあえず、最優先で確認したいことだけは確認する。
「まゆは……どうなったんですか?」
「ああ別に、あの後、普通に生きてるよ。最近はどうも再就職して、どこぞで写真を撮ってるみたいだが」
「……はあ?」
「まあ、そこも含めて説明してやるよ。今が、というか、お前が飛び降りたのは何年の何時かわかるか?」
一瞬、呆けかけた。そんなのわかるわけがない、でも同時に答えられる自分に気が付いた。
「……2022年の10月」
「そう、まあ、そういうことだ。今、この部屋はお前がさっきまでいた場所から、ざっと一年が経ってる」
わけはわからない、わからないけど、死神は時間軸が別にある。今までだって何度も、時間を行ったり来たりしていたんだ。そこに違和感はない。もとより、私の時間は今、ここだったんだ。ただ、それより大事なのは———。
「なんで想いだせるんですか?」
死神になったとき、私はまっさらな存在だった。それを想いだすとまずいから想いだせないようになっている、と、言っていたのはほかでもないこの上司自身だったはずだ。
だけど、上司は軽く笑うと自分の缶コーヒーをすすった。
「お前の仕事が終わったからだよ」
缶コーヒーがかたんと机に置かれる。
「そもそも死神ってのは子どもに自殺を思いとどまらせるために作られたもんだ」
それから、とうとうとそんなことを話しだした。
「親より先に逝くと、子どもは賽の河原って場所に行くんだ。だが、そこも最近じゃ常に満杯でな。親も長生きするし、子どもは自殺なんかするしで、お陰で俺も休む暇がなかった」
「そこでまあ、ダメ元だけど。自殺寸前の子どもの魂を捕まえて、おんなじ境遇のやつを見届けさせることにした。どうせそのままほっといたら終わる命だ、助かる可能性があるならめっけものってな」
「理由? 単純だよ。お前らみたいな奴らは、色々あって自分が生きてていいのかわからなくなってる。だから、一番分かりやすい意味を見つけるチャンスを見せてみようって、それだけだ」
「人間が生きる一番分かりやすい意味がなにかって? そんなの、誰かの人生を救うことに決まってるだろ」
「『あなたが生きていたから、救われました』これ以上、手っ取り早い生きる意味はないさ」
「でも、まあ、本当はそんな大層なことしなくてもいいんだ。ちょっと人を助けて、ちょっと声をかけるくらいで十分なんだ。でも思い詰めた奴らは、それじゃあどうにも気づけない」
「てなわけで、本当はお前らが、自分の意思でクライアントを助けるのを待っていた。そしてお前は、ちゃんと浅上まゆの命を救い切った。伝えてなかったが、死神ルールの7は『ルール1を破棄した場合のみ死神は解放される』なんだよ」
「え? そんなもん、最初っから言っとけ? ははは、昔はそうしてたんだが、なんでかこっちの方がクライアントが助かる率も、その後ちゃんと生き残る率も高かったんだよ。なんでだろうな」
「まあ、でも最初の3人をお前が無理矢理助けてたら、多分もっとひどいことになってたよ。気にするな元々、潰える命だった。さっきも言っただろ。お前と浅上が拾えただけめっけもんだ」
「……てなわけで、お前はこれで晴れて自由だ。生きるも死ぬも、あとは結局お前次第だ」
「質問はないか? そうか。あ? そんなことよりさっさと戻して浅上を探させろ? あとなにかと、説明が足りないだと? へーへー、悪かった。こっちも衆生全部を救うんで忙しいんだよ。寝不足で最近まともに寝てもない、ちょっとくらい勘弁してくれ」
「……そんじゃあ、これで本当に最後だ。戻ったら死ぬ直前だからな、そこそこやばいと思うが、ま、がんばれ。あとは全部、お前のやりたいようにやればいい」
「じゃあな、ゆな。息災でやれ」
「あと、そうだ。たまには缶コーヒーくらい、供えにこいよ」
※
バチンと音がした。
ぱっと目を開けて振り返ると、身体がゆっくりと傾き始めていた。
自分が今、何処にいるか、不思議と落ち着いて理解する。
通っている高校の3階。
誰もいない放課後の窓際。
どこか遠くの方で部活をする声が響いてくる。
秋の夕暮れは晴れ渡っていて、頰を撫でる風がどことなく心地いい。
風が吹くたび、木々が揺れる音がする。
ざあざあという音が私の耳元を過ぎていく。
そんな中、窓枠を乗り越えたところに腰掛けて、私は足をふらふらと揺らしていた。
まゆと一緒に海岸の崖で過ごしたのと同じように。体感ではさっきのことだけど、時間としては一年も前の時間のことを思い出す。
まゆは、私がいなくなってどうしたかな。
寂しがってくれたかな、ちょっとくらい泣いてくれたかな。
嫌になって、死んじゃったりしてないかな、それは大丈夫って言ってたっけ。
ひょっとして、私を探してくれてたり、しないかな。
身体がゆらりと傾いてる。
時間にしたら、ほんの数秒。
この時間はあくまで私が死ぬ直前だ。
いつかの私が意思を決めて、身体を傾けたその瞬間だ。
両手は胸の手前できつく握られて、震えてる。何かを掴めそうにはとてもない。それどころか、身体の中心はもう宙に浮いていて、私の意識だけがゆっくりとその光景を眺めている状態だ。
あーあ、こんなに震えて縮こまっちゃって、いつかの我ながら、そんなにビビってるなら死ななきゃいいのにと想ってしまう。
でも、ま、死ぬしかなかったんだね。
生きてちゃいけないと想っちゃったんだもんね。
死にたくなんてなかったけど、どうしようもなく怖かったけど。
それでも落ちるしかなかったんだね。
そうだね、辛かったね。
でも、ごめんね。
今から私は生きるから。
望み通り死んであげることはできないんだ。
まだ、まゆがこの空の下のどこかで生きてるから。
まだ、生きてていたいから。
落下の最中に校舎の壁を思いっきり蹴った。
このまま落ちてコンクリートにぶつかったら助からない。
だから、木がクッションになってくれるところまで思いっきり自分を蹴っ飛ばす。
風が何かを切るような音がする。
心臓が冷たくなったみたいに強く縮む。全身が硬くなって、思わず目を閉じて身体をギュッと丸めた。
バキッと音がする。
痛い。
バキッ。
痛い。
痛い。
痛い。
息が止まった。
身体が木の根元に転がった。
口から何かが飛び散った。
目を開けたけど、視界は赤と黒の点滅で染まってた。
全身が腫れたみたいな痺れた感覚が、脳味噌を揺らしてくる。痛いのもあるけれど、全身がただただ熱くて仕方がない。
いや、いったあ。これ本当に生きてる?
あの上司、戻すならもっとマシなタイミングなかったのかな。それかトランポリンでも置いといてほしかった。
まあ、昔の私が飛び降りたんだから、仕方ないんだけどさあ。
立ち上がろうとするけれど、足に力が入らない。
足どころか手も、身体も、全身に力が入らない。力を込めようとすると、その部分一帯が、悲鳴を上げるみたいに痛みを訴えてくる。
どう考えてもやばいから動かすんじゃねえよって、怒られてるみたいだ。はいはいごめんね。でも、助けを呼ばないと、ほらそっちのがやばいじゃん。
声を出そうとしたけれど、うまく喉が動かない。
遠くの方で人のざわめく声が聞こえるけど、あれ、ちゃんと私に気づいてるかな。
気づかれてなかったら、私このまま死んじゃうんだけど。
くそう、嫌だぞ。あの上司に、せっかく戻ったのに、また会うなんて。もうあと80年はあの顔を見たくない。
ああ、ちくしょう。嫌だ。死にたくない。
だって死んだら探せない。だって死んだら見つけられない。
会うんだ、まゆに。探すんだ、あの人を。
今もこの空の何処かいるあなたのことを。
ブログを見れば何処いるか手がかりはある。連絡だってきっと取れる。
だから、だから、こんなとこで死んでなんてやれないんだ。こんなとこで死にかけてる場合じゃないんだ。
終わってなんかやれないんだから。
上げろ、声を。
呼べ、助けを。
私はここだと、訴えろ。
言え。
言え、言え。
声を、声を、声を。
「ーーーて」
上手くでない、ちくしょう。死んじゃう。嫌だ。嫌だ。
嫌だ。
そんなの、嫌だ。
「ーーーたすけて」
会いたいよ。
「ーーーまゆ」
「ーーーいるよ」
「ーーーここにいるよ」
私の頬にポツリと一つ雫が落ちた。
少し目線を上げるとそこで、あなたはぼたぼた泣きながら笑ってた。
「生きててよかった」
そうして泣きながらそっと、私の手を握ってた。
ああ、ああ、ああ。
そうだね、本当に。
生きてて、よかったな。
ゆっくりと眼を閉じたら、眠気がすっと私の意識を薙いでいく。
大丈夫、もう大丈夫だから。
遠くの方で私を呼ぶ声を聴きながら、私はそっと眠りに落ちた。
わたしと、おかあさんの、ふたりぼっちになりました。
おかあさんは、あかるくわらっていいました。
めいいっぱい『しあわせ』になってやるんだから、って。
わたしもそれにさんせいで、ふたりでいっぱいわらいました。
だから、おかあさんは、いっぱいいっぱいはたらきました。
たくさんのところにつれていって、くれました。とてもとてもたのしかったです。
いっぱい、一杯、働いて。
一杯、一杯、私のためにたくさんのことをしてくれました。
でもそうしているたびに、お母さんは、どこか辛そうで痛そうな顔をしていました。
多分、やりすぎたのです。頑張りすぎたのです。私の、私達の、幸せのためにと。
昇進してから残業が多くなりました。私のためにとお金のやり繰りや、習い事の管理に必死になって話すことも少なくなりました。
思い描く理想に届くようにと、頑張りすぎてしまったのです。
だから、一度、「お母さん、頑張んないでいいよ」って言ったら。
叩かれました。
そして「そんなこと言わないで」と泣き伏せてしまいました。
なんででしょう。
そんな辛そうな顔をしていたら、幸せになんて到底なれないと想うのだけど。
どうしてでしょう。
私は間違えてしまったのでしょうか。
それとも私の方がおかしいのでしょうか。
勉強よりも、友達と騒いでいることの方が楽しいです。
習い事や英会話よりも、誰かと笑い合っている方が幸せです。
でも、お母さんは勉強に身が入ってないと、怒ります。そんなんじゃあ、幸せになれないと叩きます。
なんでなんでしょう。
私は今、幸せなのに、それじゃあダメなんですか。幸せって、なんなんですか。
お母さんと喧嘩をすることが多くなりました。叩かれることも多くなりました。
私のことを無条件に信じていた瞳は、気付けば疑いの色で真っ黒です。
習い事にちゃんといったかを、嫌味を言いながら確認します。成績の上がり下がりを愚痴交じりに、見定めます。
友人関係の話を聞いてきては、あの子はいい、あの子はダメだ。付き合うのはよしなさいと口を挟んできます。そんなことされたくなんて、ないのに。
意見が合わないと、叩きます。睨み返したら、もっと、叩きます。
そうして、学校の先生に殴られていることを相談したことがありました。
ただ、私が思ったより大事になって、校長先生や児童相談員、精神科のお医者さんなんかも出てきて大変なことになりました。
てんやわんやのまま、みんながみんなしてお母さんにあれこれいって。
みんながみんなして、どことなくお母さんを責めていました。
あなたがやっていたことは違ったんだ。あなたがやっていたことは間違えだったんだ。
それは、その通りだと思うのです。
きっと、お母さんは私の幸せを間違えていたのです。
でも、そんな言い方をされたら傷ついてしまうのではないでしょうか。
腹の立つ人ではあったけど、頑張っていたのはずっと見てきたんです。
そこまで言わないで、と止めようと思いましたが、担任の先生にそっと制されました。
そうして言葉を上手く伝えられないまま、思った以上に大事になったそのやり取りを終えた後で。
お母さんは私を睨んでいました。
『どうして、私は、あんたなんかを産んじゃったの』。
そんな言葉を添えられて。
それから、しばらくしてぼーっと空を眺めていた屋上で私はそっと飛び降りました。
多分、私は生まれてこないほうがよかったのです。
そうすれば、お父さんと別れることも、あの人があんなに傷つくことも、頑張ることもなかったのでしょう。
これが、私の、城ケ崎 ゆなの自殺に至るまでの記憶です。
※
目を覚ましたのは、暗いオフィスの一室だった。その隅にある古ぼけたソファの上で、私はどことなく眼まいを感じながら顔を上げた。
なんだか、覚えがある感覚だ。これは、そう、最初に死神として目覚めたときの感覚にちか――――――。
「まゆ!!」
思わず叫んで目を回したけれど、周囲にまゆの姿は見当たらない。
慌てて何か手がかりがないか探していて、ふと気づく。あれ、私、なんで制服姿だ?
まゆと旅していた間は、というか死神になってからはパーカーとかの私服姿だったはずなのに。
いやに見覚えのある制服が違和感を頭に目一杯、鳴らしてくる。
違う、ただ、制服じゃない、これ、私の通ってる高校の—————。
「お、おかえり。思ったより早かったな」
オフィスの奥から、聞き慣れた低い声が飛んできた。目を向けると、声の主はパソコンの向こうからゆっくりと立ち上がると、机に置いてあった缶コーヒーとまんじゅうを持ちながら、えっちらおっちらと歩いてくる。
クソ上司は、私を見るとニヤッと笑った。
「なんで……いるんすか。ていうか、私は————」
「俺がここに来たんじゃなくて、お前が帰ってきたんだけどな。まあ、落ち着けよ、自分の名前は思い出せるか?」
「————ゆな。……城ケ崎 ゆな」
そういえば、苗字は———死神になったとき、存在を覚えてすらいなかった。
そんな私の答えを聞いて、クソ上司は軽く笑う。それから、私の前と自身の前にそれぞれ缶コーヒーとまんじゅうをいそいそと並べた。
私の向かいのソファに座って、カシっと音を立てて缶コーヒーの栓を開けると、私の目の前に缶をすっと差し出した。
「死神退任、おめでとう、ゆな。これからちょっとした退任式だ」
そう言って、私に乾杯でもするように缶を軽くかたむけた。
常にめんどくさそうで、だるそうなやり取りばかりしていた上司の、初めて聞く労わるような優しい声だった。
※
上司のいうことは、正直、なにもわからない。ただ、とりあえず、最優先で確認したいことだけは確認する。
「まゆは……どうなったんですか?」
「ああ別に、あの後、普通に生きてるよ。最近はどうも再就職して、どこぞで写真を撮ってるみたいだが」
「……はあ?」
「まあ、そこも含めて説明してやるよ。今が、というか、お前が飛び降りたのは何年の何時かわかるか?」
一瞬、呆けかけた。そんなのわかるわけがない、でも同時に答えられる自分に気が付いた。
「……2022年の10月」
「そう、まあ、そういうことだ。今、この部屋はお前がさっきまでいた場所から、ざっと一年が経ってる」
わけはわからない、わからないけど、死神は時間軸が別にある。今までだって何度も、時間を行ったり来たりしていたんだ。そこに違和感はない。もとより、私の時間は今、ここだったんだ。ただ、それより大事なのは———。
「なんで想いだせるんですか?」
死神になったとき、私はまっさらな存在だった。それを想いだすとまずいから想いだせないようになっている、と、言っていたのはほかでもないこの上司自身だったはずだ。
だけど、上司は軽く笑うと自分の缶コーヒーをすすった。
「お前の仕事が終わったからだよ」
缶コーヒーがかたんと机に置かれる。
「そもそも死神ってのは子どもに自殺を思いとどまらせるために作られたもんだ」
それから、とうとうとそんなことを話しだした。
「親より先に逝くと、子どもは賽の河原って場所に行くんだ。だが、そこも最近じゃ常に満杯でな。親も長生きするし、子どもは自殺なんかするしで、お陰で俺も休む暇がなかった」
「そこでまあ、ダメ元だけど。自殺寸前の子どもの魂を捕まえて、おんなじ境遇のやつを見届けさせることにした。どうせそのままほっといたら終わる命だ、助かる可能性があるならめっけものってな」
「理由? 単純だよ。お前らみたいな奴らは、色々あって自分が生きてていいのかわからなくなってる。だから、一番分かりやすい意味を見つけるチャンスを見せてみようって、それだけだ」
「人間が生きる一番分かりやすい意味がなにかって? そんなの、誰かの人生を救うことに決まってるだろ」
「『あなたが生きていたから、救われました』これ以上、手っ取り早い生きる意味はないさ」
「でも、まあ、本当はそんな大層なことしなくてもいいんだ。ちょっと人を助けて、ちょっと声をかけるくらいで十分なんだ。でも思い詰めた奴らは、それじゃあどうにも気づけない」
「てなわけで、本当はお前らが、自分の意思でクライアントを助けるのを待っていた。そしてお前は、ちゃんと浅上まゆの命を救い切った。伝えてなかったが、死神ルールの7は『ルール1を破棄した場合のみ死神は解放される』なんだよ」
「え? そんなもん、最初っから言っとけ? ははは、昔はそうしてたんだが、なんでかこっちの方がクライアントが助かる率も、その後ちゃんと生き残る率も高かったんだよ。なんでだろうな」
「まあ、でも最初の3人をお前が無理矢理助けてたら、多分もっとひどいことになってたよ。気にするな元々、潰える命だった。さっきも言っただろ。お前と浅上が拾えただけめっけもんだ」
「……てなわけで、お前はこれで晴れて自由だ。生きるも死ぬも、あとは結局お前次第だ」
「質問はないか? そうか。あ? そんなことよりさっさと戻して浅上を探させろ? あとなにかと、説明が足りないだと? へーへー、悪かった。こっちも衆生全部を救うんで忙しいんだよ。寝不足で最近まともに寝てもない、ちょっとくらい勘弁してくれ」
「……そんじゃあ、これで本当に最後だ。戻ったら死ぬ直前だからな、そこそこやばいと思うが、ま、がんばれ。あとは全部、お前のやりたいようにやればいい」
「じゃあな、ゆな。息災でやれ」
「あと、そうだ。たまには缶コーヒーくらい、供えにこいよ」
※
バチンと音がした。
ぱっと目を開けて振り返ると、身体がゆっくりと傾き始めていた。
自分が今、何処にいるか、不思議と落ち着いて理解する。
通っている高校の3階。
誰もいない放課後の窓際。
どこか遠くの方で部活をする声が響いてくる。
秋の夕暮れは晴れ渡っていて、頰を撫でる風がどことなく心地いい。
風が吹くたび、木々が揺れる音がする。
ざあざあという音が私の耳元を過ぎていく。
そんな中、窓枠を乗り越えたところに腰掛けて、私は足をふらふらと揺らしていた。
まゆと一緒に海岸の崖で過ごしたのと同じように。体感ではさっきのことだけど、時間としては一年も前の時間のことを思い出す。
まゆは、私がいなくなってどうしたかな。
寂しがってくれたかな、ちょっとくらい泣いてくれたかな。
嫌になって、死んじゃったりしてないかな、それは大丈夫って言ってたっけ。
ひょっとして、私を探してくれてたり、しないかな。
身体がゆらりと傾いてる。
時間にしたら、ほんの数秒。
この時間はあくまで私が死ぬ直前だ。
いつかの私が意思を決めて、身体を傾けたその瞬間だ。
両手は胸の手前できつく握られて、震えてる。何かを掴めそうにはとてもない。それどころか、身体の中心はもう宙に浮いていて、私の意識だけがゆっくりとその光景を眺めている状態だ。
あーあ、こんなに震えて縮こまっちゃって、いつかの我ながら、そんなにビビってるなら死ななきゃいいのにと想ってしまう。
でも、ま、死ぬしかなかったんだね。
生きてちゃいけないと想っちゃったんだもんね。
死にたくなんてなかったけど、どうしようもなく怖かったけど。
それでも落ちるしかなかったんだね。
そうだね、辛かったね。
でも、ごめんね。
今から私は生きるから。
望み通り死んであげることはできないんだ。
まだ、まゆがこの空の下のどこかで生きてるから。
まだ、生きてていたいから。
落下の最中に校舎の壁を思いっきり蹴った。
このまま落ちてコンクリートにぶつかったら助からない。
だから、木がクッションになってくれるところまで思いっきり自分を蹴っ飛ばす。
風が何かを切るような音がする。
心臓が冷たくなったみたいに強く縮む。全身が硬くなって、思わず目を閉じて身体をギュッと丸めた。
バキッと音がする。
痛い。
バキッ。
痛い。
痛い。
痛い。
息が止まった。
身体が木の根元に転がった。
口から何かが飛び散った。
目を開けたけど、視界は赤と黒の点滅で染まってた。
全身が腫れたみたいな痺れた感覚が、脳味噌を揺らしてくる。痛いのもあるけれど、全身がただただ熱くて仕方がない。
いや、いったあ。これ本当に生きてる?
あの上司、戻すならもっとマシなタイミングなかったのかな。それかトランポリンでも置いといてほしかった。
まあ、昔の私が飛び降りたんだから、仕方ないんだけどさあ。
立ち上がろうとするけれど、足に力が入らない。
足どころか手も、身体も、全身に力が入らない。力を込めようとすると、その部分一帯が、悲鳴を上げるみたいに痛みを訴えてくる。
どう考えてもやばいから動かすんじゃねえよって、怒られてるみたいだ。はいはいごめんね。でも、助けを呼ばないと、ほらそっちのがやばいじゃん。
声を出そうとしたけれど、うまく喉が動かない。
遠くの方で人のざわめく声が聞こえるけど、あれ、ちゃんと私に気づいてるかな。
気づかれてなかったら、私このまま死んじゃうんだけど。
くそう、嫌だぞ。あの上司に、せっかく戻ったのに、また会うなんて。もうあと80年はあの顔を見たくない。
ああ、ちくしょう。嫌だ。死にたくない。
だって死んだら探せない。だって死んだら見つけられない。
会うんだ、まゆに。探すんだ、あの人を。
今もこの空の何処かいるあなたのことを。
ブログを見れば何処いるか手がかりはある。連絡だってきっと取れる。
だから、だから、こんなとこで死んでなんてやれないんだ。こんなとこで死にかけてる場合じゃないんだ。
終わってなんかやれないんだから。
上げろ、声を。
呼べ、助けを。
私はここだと、訴えろ。
言え。
言え、言え。
声を、声を、声を。
「ーーーて」
上手くでない、ちくしょう。死んじゃう。嫌だ。嫌だ。
嫌だ。
そんなの、嫌だ。
「ーーーたすけて」
会いたいよ。
「ーーーまゆ」
「ーーーいるよ」
「ーーーここにいるよ」
私の頬にポツリと一つ雫が落ちた。
少し目線を上げるとそこで、あなたはぼたぼた泣きながら笑ってた。
「生きててよかった」
そうして泣きながらそっと、私の手を握ってた。
ああ、ああ、ああ。
そうだね、本当に。
生きてて、よかったな。
ゆっくりと眼を閉じたら、眠気がすっと私の意識を薙いでいく。
大丈夫、もう大丈夫だから。
遠くの方で私を呼ぶ声を聴きながら、私はそっと眠りに落ちた。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
**俺、東大院生の実験対象にされてた。**同居している美人家庭教師のやばい秘密
まさき
青春
俺は今、東大院生の実験対象になっている。
ある雨の夜、アパートの前にずぶ濡れの美女が立っていた。
「家庭教師です。住まわせてください」
突然すぎる申し出に困惑しながらも、なぜか断れなかった。
桐島咲楽、東大大学院生。成績は天才、料理は壊滅的、距離感はおかしい。毎日転ぶ、焦がす、なぜか距離が近い。そのくせ授業は鬼のように丁寧で、俺のことを誰よりもよく見ていた。
偏差値42だった俺の成績は、気づけば上がっていた。でも、それより気になることがある。
咲楽さんが、研究ノートに何かを書いている。「被験者」という文字が、見えた気がした。
距離が近いのは、データのためか。褒めてくれるのは、実験のためか。でも、あの顔は。あの声は。
「データじゃなくて、私がそう思っています」
嘘をついているような顔じゃなかった。
偏差値42の俺に、東大院生の美女が押しかけてきた。ドタバタな毎日の中で、俺の心臓が休まる暇がない。これはドキドキなのか、心配なのか。それとも、もう恋なのか。
不器用な天才と、鈍感な高校生の、やばい同居生活。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる