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[27] 焚火
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度重なる水弾により星角鹿の体はぬれそぼっている。あれだけの肉の層があるのだからそう簡単には――かちり、頭の中で何かのピースがはまった気がした。
「そのまま攻撃つづけて」
りっちゃんに指示を飛ばす。威勢よく了解の返事が返ってくる。難しいことじゃなかった。
「風よ」
私は短く呪文を唱える。魔力を集中させる時間がない分をそれで補う。
木々の間を風が吹き抜けていく。葉と葉がこすれあってざわざわと音をたてる。鹿を押しとどめるほどの強さはないが――寒い、流れる風が皮膚の表面から熱を奪う。
通常の状態なら毛皮と肉に覆われた向こうの方が寒さに強いだろう。けれども今は違う。星角鹿の体表面は大量の水にまみれている。その状態で強風をあびせかけられたら、体温は急速に低下していく。
低くうなり声をあげる。彼もまた状況を理解できたのかもしれない。
逆転。長引けば長引くほど私たちに有利になる。
いちかばちか最後に一暴れしてみるか? だがしかし――その迷いが致命傷となる。迷いは隙を生む。その隙を逃すりっちゃんではない。
「アイスショット!」
短く唱える。威力の調整は必要ない。凝縮された氷の矢は直線で飛翔する。動きの鈍った獣にそれを避ける余裕はない。星角鹿のこめかみをずぶりと貫いた。
静かに天を仰いだ。前足が体重を支え切れずに崩れる。ついで後ろ足。どしんと重低音を響かせて、星角鹿の巨体は地面に落ちた。
◆
ぱちぱちと音を立てて火の粉が上がる。川べり、森の中をのんびりと水が流れていく。
突然の星角鹿との遭遇に予定が狂ったため、街の外で野宿。そのぐらいの準備はやってきたので問題ない。
兎と鹿の肉を捌いてざっと処理する。肉屋にそのまま持ち込んでもいいがこっちで形をつけておけば多少色をつけて引き取ってくれるという。もちろん雑な仕事では逆に価値を下げることになるけど。
そのあたり院長はさすがのベテランで刃物の扱いはまったく見事なものだった。思い出せば孤児院で暮らしていた頃から包丁さばきは様になっていたように思える。
相手がどれだけすぐれているのか、こちらにもある程度の知識がないと見極められないものだ。少しだけわかるようになってはきたものの、きっと今でもわからないことだらけなのだろう。
肉の保存については気にする必要はない。りっちゃんの冷凍魔法がある。ほどよく凍らせることで鮮度を保っている。
それにしても院長が来てくれて本当によかった。
私たち2人だけだったら鹿肉持って帰るだけでも相当な工夫がいりようだったと思う。院長がいるおかげでなんとかかんとか往復なしに処理した肉を持って帰れる。
脂がしたたり落ちる。炎が少しだけ勢いを増す。
鹿肉のうち一番おいしい部分を選んで食す。それが狩人の特権というものだ。肉の塊を棒に刺して焼く、味付けは塩と非常にシンプル。
熱い肉をかみしめた。うまい。自然と脳裏に彼の顔が思い浮かんだ。ぎりぎりの戦いだった。その場の思いつきがなければどう転んだかわからない。
院長が後ろにいたから命の保証はあったとはいえ、できれば自分たちの力だけで勝ちたかった、勝つことができた。その記憶が肉の味を一層濃くしている、ような気がする。
命に感謝する。それにどれほどの意味があるかは知らない。
自分たちの心のためかもしれない。そうした思考は今は不要なものだろう。全力で肉を味わうことに集中できればそれでいい。
「今日覚えたことを確実に自分のものにしろ。強さというのは蓄積だ。追い詰められた時、それまでにどれだけ積み重ねてきたかがカギになる。いくら才能があったとしても関係がない。そうやって少しずつ地道に積み重ねていくしかないんだ」
院長の話を聞くともなしに聞いていた。
言葉がはっきり記憶に残っている以上、いい感じに集中できていたということなんだろう。
話しながらちらりと院長がりっちゃんの腰に差している短剣に視線を移したことにも気づけた。そんなに気になるなら話してしまえばいいのに。
危険を数値化して考えてみる。
例えば知っていても知っていなくてもその短剣を持っていれば1/100の確率でなんらかの災難にでくわすとしよう。その不利益は知ってる場合なら500、知らない場合なら1000の数値で表される。また知っている場合に限って1/5で10の不利益を被る可能性がでてくる。
この時、教えられた時と教えられなかった時、どちらの不利益が大きいのか?
知ってる場合は合計不利益7、知らない場合は合計不利益10。知らない場合の方が不利益が大きくなってしまった。数値設定を間違えた。
現実にはすべてを上手に数値化することはできない。当人が感覚に基づいて判断するしかないだろう。ともかく院長は教えないことを選んだ。
私にできることは何だろうか? 簡単だ、もっと強くなればいいだけのことだ。
自分が最強だと思っていた。確かに規格外の存在である。大抵のことには対処できる応用力もある、と思う。
けれども実際のところおおざっぱに過ぎる、りっちゃん以上に。究極的な対処として一定範囲内に存在するものを敵味方構わず風化させることしかできない。
やっぱり最強と言っていいかもしれない、まあそれはそれとして。
問題は急場。今日のような場合。速度が足りない。別のもので埋めあわせる必要がある。
肉は食い終わっていた。舞い上がる火の粉を眺める。それは暗闇に溶けて消えていく。
私はそれを視界に映しながら自分にできることをひとつひとつ頭の中で並べ立てていった。
「そのまま攻撃つづけて」
りっちゃんに指示を飛ばす。威勢よく了解の返事が返ってくる。難しいことじゃなかった。
「風よ」
私は短く呪文を唱える。魔力を集中させる時間がない分をそれで補う。
木々の間を風が吹き抜けていく。葉と葉がこすれあってざわざわと音をたてる。鹿を押しとどめるほどの強さはないが――寒い、流れる風が皮膚の表面から熱を奪う。
通常の状態なら毛皮と肉に覆われた向こうの方が寒さに強いだろう。けれども今は違う。星角鹿の体表面は大量の水にまみれている。その状態で強風をあびせかけられたら、体温は急速に低下していく。
低くうなり声をあげる。彼もまた状況を理解できたのかもしれない。
逆転。長引けば長引くほど私たちに有利になる。
いちかばちか最後に一暴れしてみるか? だがしかし――その迷いが致命傷となる。迷いは隙を生む。その隙を逃すりっちゃんではない。
「アイスショット!」
短く唱える。威力の調整は必要ない。凝縮された氷の矢は直線で飛翔する。動きの鈍った獣にそれを避ける余裕はない。星角鹿のこめかみをずぶりと貫いた。
静かに天を仰いだ。前足が体重を支え切れずに崩れる。ついで後ろ足。どしんと重低音を響かせて、星角鹿の巨体は地面に落ちた。
◆
ぱちぱちと音を立てて火の粉が上がる。川べり、森の中をのんびりと水が流れていく。
突然の星角鹿との遭遇に予定が狂ったため、街の外で野宿。そのぐらいの準備はやってきたので問題ない。
兎と鹿の肉を捌いてざっと処理する。肉屋にそのまま持ち込んでもいいがこっちで形をつけておけば多少色をつけて引き取ってくれるという。もちろん雑な仕事では逆に価値を下げることになるけど。
そのあたり院長はさすがのベテランで刃物の扱いはまったく見事なものだった。思い出せば孤児院で暮らしていた頃から包丁さばきは様になっていたように思える。
相手がどれだけすぐれているのか、こちらにもある程度の知識がないと見極められないものだ。少しだけわかるようになってはきたものの、きっと今でもわからないことだらけなのだろう。
肉の保存については気にする必要はない。りっちゃんの冷凍魔法がある。ほどよく凍らせることで鮮度を保っている。
それにしても院長が来てくれて本当によかった。
私たち2人だけだったら鹿肉持って帰るだけでも相当な工夫がいりようだったと思う。院長がいるおかげでなんとかかんとか往復なしに処理した肉を持って帰れる。
脂がしたたり落ちる。炎が少しだけ勢いを増す。
鹿肉のうち一番おいしい部分を選んで食す。それが狩人の特権というものだ。肉の塊を棒に刺して焼く、味付けは塩と非常にシンプル。
熱い肉をかみしめた。うまい。自然と脳裏に彼の顔が思い浮かんだ。ぎりぎりの戦いだった。その場の思いつきがなければどう転んだかわからない。
院長が後ろにいたから命の保証はあったとはいえ、できれば自分たちの力だけで勝ちたかった、勝つことができた。その記憶が肉の味を一層濃くしている、ような気がする。
命に感謝する。それにどれほどの意味があるかは知らない。
自分たちの心のためかもしれない。そうした思考は今は不要なものだろう。全力で肉を味わうことに集中できればそれでいい。
「今日覚えたことを確実に自分のものにしろ。強さというのは蓄積だ。追い詰められた時、それまでにどれだけ積み重ねてきたかがカギになる。いくら才能があったとしても関係がない。そうやって少しずつ地道に積み重ねていくしかないんだ」
院長の話を聞くともなしに聞いていた。
言葉がはっきり記憶に残っている以上、いい感じに集中できていたということなんだろう。
話しながらちらりと院長がりっちゃんの腰に差している短剣に視線を移したことにも気づけた。そんなに気になるなら話してしまえばいいのに。
危険を数値化して考えてみる。
例えば知っていても知っていなくてもその短剣を持っていれば1/100の確率でなんらかの災難にでくわすとしよう。その不利益は知ってる場合なら500、知らない場合なら1000の数値で表される。また知っている場合に限って1/5で10の不利益を被る可能性がでてくる。
この時、教えられた時と教えられなかった時、どちらの不利益が大きいのか?
知ってる場合は合計不利益7、知らない場合は合計不利益10。知らない場合の方が不利益が大きくなってしまった。数値設定を間違えた。
現実にはすべてを上手に数値化することはできない。当人が感覚に基づいて判断するしかないだろう。ともかく院長は教えないことを選んだ。
私にできることは何だろうか? 簡単だ、もっと強くなればいいだけのことだ。
自分が最強だと思っていた。確かに規格外の存在である。大抵のことには対処できる応用力もある、と思う。
けれども実際のところおおざっぱに過ぎる、りっちゃん以上に。究極的な対処として一定範囲内に存在するものを敵味方構わず風化させることしかできない。
やっぱり最強と言っていいかもしれない、まあそれはそれとして。
問題は急場。今日のような場合。速度が足りない。別のもので埋めあわせる必要がある。
肉は食い終わっていた。舞い上がる火の粉を眺める。それは暗闇に溶けて消えていく。
私はそれを視界に映しながら自分にできることをひとつひとつ頭の中で並べ立てていった。
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