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1巻
1-2
***
実家に戻った桜は、真っ先に祖父のもとへ行った。リビングのソファに座って新聞を読んでいた祖父、鷹司源一郎は、桜を見て新聞を脇に置く。
羽織姿の彼は、白髪頭で顔が皺だらけになっても、眼光の鋭さは若い頃と変わらないと評判だ。
もっとも、今ここにいるのは、かつて役員達を一目で震え上がらせたという伝説を持つ厳しい会長ではなく、孫娘を溺愛している、麻奈曰くの『爺ばか』だ。
「桜。今日はどうしたんだ。ホテルから一体どこに行っていた?」
自分を心配そうに見上げる祖父を見て、罪悪感にも似た思いが桜の胸に込み上げる。その感情を振り切って、彼女は姿勢を正した。
「お祖父様」
息を吸って吐いた後、ゆっくりと口を開く。
「――結婚を延期してください。……私、就職します」
1.できるように、なりたい
爽やかな風が吹く五月。
黒の上着とタイトスカートを着た桜は、鷹司コーポレーション本社で、立ち並ぶ秘書課の面々に頭を下げた。
「鷹司桜です。よろしくお願いいたします」
彼女を見る皆の目は、必ずしも好意的なものではない。こそこそと彼女を見ながら話をする先輩秘書の顔には、ばかにしたような笑みが浮かんでいる。
「お嬢様が腰かけ気分でって、いい迷惑よね」
「彼女、働く必要なんてないんでしょ?」
「専務、可哀そうよね。我儘に振り回されて」
聞こえてくる悪意の声。桜はそれに気付かないフリをした。
先輩達の言葉が聞こえるせいか、桜の隣に並んでいる同期の女性達も、どこか余所余所しい態度になっている。
そんな雰囲気の中、この秘書課での上司となった安藤課長がこほんと咳払いをして口を開いた。恰幅のいい彼は、緊張しているのか、だらだらと流れる汗をハンカチで拭いている。
「今年は総勢五名の新人が入ってきました。皆でフォローして、彼らが一日でも早く業務に慣れるよう、取り計らってください。では、それぞれ指導担当を決めます」
新人の名が呼ばれた後、指導を担当する者が発表されていく。桜もじっと自分の順番を待った。
「鷹司さん」
「はい」
一歩前に出た桜に、安藤課長がどこか硬い笑顔で言う。
「あなたの指導担当は……富永さんになります」
(えっ)
桜が息を呑むと、すっと志穂が目の前にくる。桜よりも長身の彼女に、黒のパンツスーツはよく似合っていた。
彼女は桜を見下ろし、冷たい瞳で口もとに笑みを浮かべる。
「よろしく、鷹司さん。いずれあなたには三好専務の仕事を手伝ってもらいますから、そのつもりで」
(真也さんの⁉)
胸に重い衝撃が走ったが、桜は辛うじて笑顔を作った。
「は、い……よろしくご指導をお願いいたします」
桜と沙穂の二人を交互に見た安藤課長が、また汗を拭く。沙穂の後ろにいる、他の秘書達の視線が桜に突き刺さった。悪意があるとしか思えない厳しい視線だ。
「――どうせすぐに辞めるんじゃないの?」
その声にぐっと身体が強張った瞬間――耳元で優しい声が聞こえた。
『大丈夫。君ならできるよ』
(八神……課長)
温かい大きな手の感触を思い出す。そう、少なくとも彼は信じてくれた。桜はできると。
その信頼を裏切りたくない。桜は深く息を吸って、吐いた。
(頑張るって決めたもの。何を言われたって、逃げないんだ)
顔を上げて、前を向く。決意を込めて、真っ直ぐに沙穂を見た。その視線を受け止めた、沙穂の唇が歪む。彼女の視線も、桜を突き刺しそうなくらい鋭い。
「じゃあ、こちらに来てもらえる? 仕事の段取りを説明するわ」
そんな沙穂を見つめ返した桜は、「よろしくお願いいたします」と頭を下げたのだった。
***
あの時――桜が八神の前で大泣きした日とは違い、今日は穏やかに晴れている。屋上のベンチに座っていても、ぽかぽかと暖かい。
(秘書課に来て、一週間……)
膝の上に広げたお弁当を食べながら、桜はぼんやりとこれまでのことを考え込んでいた。
――結婚を延期して、就職する。
そう宣言した後、祖父も父も、何があったのだと大騒ぎした。
もちろん、真也が浮気していたと告げれば、婚約破棄となり結婚はなくなっただろう。だが、そうなると彼らの信頼を失った真也が失脚するかもしれない。沙穂もだ。特に祖父は桜に甘い。自分が孫娘に紹介した真也が彼の秘書と関係を持った、などと知ったら激怒する。真也達を首に、とでも言いかねない。
(そんなこと、でき、ない……)
婚約していた半年の間、真也は桜に優しかった。彼にとって偽りだったかもしれない。それでも心遣いが嬉しかったのだ。
家族以外で初めて優しくしてくれた男の人。食事や映画にも連れ出し、楽しい時間をくれた。
桜の心の中には、まだ彼が残っている。いっそ嫌いになれたのなら、良かったのに。
(何もできないお嬢様でなくなったら、私のことをちゃんと見てくれるかも……なんて、思ってしまうのだもの……)
胸が抉られるように痛くても、彼の笑顔や思い出までは忘れられない。
その彼から職を奪う――その覚悟はできない。
(未練がましいって分かってはいるけれど)
結局桜は、真也と沙穂のことを伏せて、皆を説得した。
『何も知らないまま、結婚するのが嫌なんです。就職して、自分の力を試したいの』
桜はあくまで自分の我儘だと押し通した。
大人しい桜がそこまで望むとはと、祖父はびっくりしていたが、『いつも何も言わないお前が言うのなら』と最後は折れたのだ。父も母も、突然の宣言に驚いたものの、最終的には桜の気持ちを優先してくれた。
突然結婚の延期を祖父から聞かされた真也には『何故だ⁉』と詰め寄られたが、桜は彼から目を逸らし『自分の力を試したい』と答える。今までになく強硬な態度の彼女に、真也は訝し気な表情になった。
納得はしていない様子だったが、祖父が認めてしまった以上、自分が反対しても無駄だと悟ったのか、それ以上何も言ってこない。
とはいえ、その時には、もうとっくの昔に就職活動の期間は終わっていた。アルバイトを探そうとしたところ大反対され、桜は祖父と父の縁故に縋り、鷹司コーポレーションに就職。
そして、新人研修期間中、『鷹司』という苗字からすぐに素性がバレた。同期や講師を務める先輩社員達に、『どうして社長の一人娘が』と一線を引いた扱いを受けたのだ。それでも、無理やり就職したのだから、と桜は何も言わずに淡々と研修をこなした。
そうして一ヶ月の研修を終えた今日、配属されたのは、よりによって秘書課だった。
秘書に選ばれた他の同期達は、パソコン技能や英会話関係の資格を持っていて、外交的な人ばかり。その中で、秘書として役に立ちそうな資格や資質を、何一つ持っていない桜の存在は異色だ。当然のように同期からも浮く。
『会長達が心配だとおっしゃったらしくてねえ。できるだけ役員に近い部署に、と保部長が采配したそうだよ』
安藤課長からこっそりそう教えてもらった桜は、苦い思いを胸に抱いていた。
保部長というのは、桜の従兄で人事部長の鷹司保のことだ。桜の配属には、おそらく祖父や父の圧力が掛かったのだろう。
祖父や父が自分を心配してくれているのは分かっている。秘書課は役員に接する機会が一番多く、見守りやすいと考えたに違いないことも。
(でも、真剣に秘書を目指している人から見たら、コネで秘書になった私は、良く思えないわよね……)
おまけに、指導担当が沙穂だ。
まずは社内業務からと、秘書課の社内メール当番や掃除当番を任されたものの、彼女の態度は丁寧ながら冷ややかだった。桜は引き攣った笑顔で受け答えしたが、親しく話すなんて到底できそうにない。
――人の恋人と婚約しておいて、結婚しないなんて、何考えてるの、このお嬢様は。
そんな声が聞こえてくる気がして、桜はぎゅっと唇を噛んだ。
周囲からの視線にも曝されて、彼女は午前中だけでぐったりと疲れてしまった。
そこまで思い出した桜は、ぶるぶると首を横に振り、ぱんと両手で頬を叩いた。
(だめ! せっかく仕事に就けたのに、こんなふうに落ち込んでいたら)
まず、仕事をできるようにならないと。そうでなければ、沙穂とも同期とも、対等に話せない。
「――鷹司さん?」
ふいに名前を呼ばれた。
「あ……八神課長」
顔を上げると、作業着を着た八神が目の前に立っている。左手にちり取りを持っているのが、あの日と同じだ。
ふわりと微笑んだ彼は、「お疲れさま」と桜の左隣に腰を下ろした。
「いい天気だね。ここでお弁当食べてるの?」
「は、はい……」
桜は中身が半分残っていたお弁当箱を、巾着袋に仕舞い込む。
同期達は社外にランチを食べに行っているそうだ。桜は研修の時から『私達が食べる物じゃ、鷹司さんのお口に合わないわよね』とやんわり同席を拒否されている。
社内食堂にも行ってみたが、『あの子、社長の娘さんだよね。こんなところで何してるの?』とこそこそ噂されて身の置きどころがない。仕方なくお弁当を作り、人気のない屋上で食べる、に落ち着いたのだ。
桜が一人で食事しているところを見ても、八神には何ら気にする様子がない。にこにこと笑っている。
「八神課長も、よくここに来られるんですか?」
そう聞くと、そうだねえと彼は大きく伸びをした。
逞しい二の腕に視線が吸い寄せられる。この腕に抱き上げられた時、しっかりと抱えてくれていたっけ、と桜はぼんやりと思い出した。
「昼食後に、ここで喫煙する社員がいてね。吸い殻が落ちたままになっていることがあるから、定期的に掃除してるんだよ」
「そう、なんですか」
(あの時もそうだったのね。あんな寒い中、掃除していたなんて)
「屋上が綺麗なのは、八神課長のお陰なんですね。ありがとうございます」
桜がぺこりと頭を下げるのを見た八神の口元が、ゆっくりと笑った。
「鷹司さんは素直だね。それは仕事をする上での美点だよ」
「えっ?」
桜が目を丸くすると、彼は微笑んだまま言葉を継いだ。
「仕事は最初に型を覚える。自分の考えやしたいやり方を試すのは、型をマスターしてからじゃないといけない」
「……はい」
「『私はこうしたほうがいいと思います!』と最初から主張して、教えたことを素直に受け取らない新人がいるけれど、結局あまり伸びない。仕事のやり方っていうのは、長年の経験でベストな方法に調整されているものが多くてね、ある意味効率化されてるんだ」
大きな右手が、あの時のように桜の頭を撫でた。
「君は今みたいに素直に礼を言えるし、真面目だ。型を覚えるのは地道な作業だけれど、きっとこつこつ頑張れると思うよ」
「八神課長……」
柔らかな彼の笑顔を見た桜の胸に、温かさがじわりと沁みる。
(この人は……私を特別扱いしないんだわ……)
『社長の娘だから』と一線を引いて接することはない。ちゃんと桜自身を見て話をしてくれる。
(そう言えば、麻奈さんもそうだった)
ちゃんと自分を見てくれる人がいる。それだけで……頑張れる気がした。さっきまで感じていた焦燥感がするりと解ける。
「ありがとうございます、八神課長。私、頑張ります」
笑顔でそう言うと、八神が「やっと笑ったね」と、ぽんぽんと彼女の肩を軽く叩いた。
***
「――桜。秘書課はどうだ。お前の指導担当は富永さんだったな。この一週間、何か不都合なことはなかったか」
「お祖父様……」
桜は深く溜息をついた。自宅に戻った彼女が食事をしているところに、源一郎が乱入してきたかと思ったら――これだ。
(不都合なんて、言えない)
婚約者の恋人が指導担当だなど、不都合以外の何物でもない。
けれども『三好専務の婚約者』であり、すぐに辞めると思われている桜が、他の役員の秘書になるのは難しいだろう。結婚までのちょっとした社会見学に付き合ってやってくれ、と真也の秘書である沙穂に依頼してあるのかもしれない。
桜は箸を置き、自分の右横に立つ祖父に向き直った。
「私は新入社員の一人にすぎないんですよ? 秘書に必要な資格も持っていないし、学ぶべきことが沢山あるんですから、不都合なんて言っている場合じゃないわ」
桜の言葉に、源一郎は皺だらけの右手で顎を擦った。
「しかしなあ……お前はほとんど男性と話したことがない。パーティーでも大勢の人は苦手だと逃げ回っているじゃないか。そんなお前がやっていけるのかと心配でならん」
「ひょっとして、お祖父様が保兄様に頼んだの? 私を秘書課にって」
そう聞くと、祖父は不自然なくらいに目を逸らした。
(やっぱり。後で兄様に謝らないと)
会長となり第一線を退いた後も変わらず、ビジネス界の巨星と言われている人物には、相応しくない振る舞いだ。
『会長の親ばか……いえ、爺ばかは今に始まったことじゃないし』
麻奈のセリフが心を過る。
本当に祖父は自分に甘い。けれど、祖父が保に頼んで桜を秘書課に入れるよう取り計らったのなら、すぐに部署を変えてくれとは言えない。
(真也さんと沙穂さんのことは、やっぱり伏せておいたほうがいいわね)
「お祖父様。私は新入社員として仕事を覚えたいの。心配してくれる気持ちはとても嬉しいし、我儘を言った私を就職させてくれたことも感謝してる。だけど、会社で特別扱いするのはやめてね」
桜がにっこり笑ってそう告げると、源一郎は「ううむ……」と呻きながらも頷く。
けれど、その後「成人式の写真を社員に見せるのもやめてほしい」と頼んだのには、「何を言うか。お前の写真は小学生の頃から自慢しておる」と返され、すでに手遅れだったと気付いた桜だった。
2.沙穂の企みと真也の真意
秘書課に配属されてから、一か月半後。
「――鷹司さん、会議用の資料三十部コピーお願い」
「はい、分かりました」
沙穂から書類の束を受け取った桜は、急いでコピー機の前に行った。コピーをしている間に、後ろから声が聞こえる。
「そろそろ真中さんも打ち合わせに出席して、資料管理を手伝ってもらえる?」
「はい! 分かりました!」
振り返ると、指導担当の先輩をキラキラした目で見ている同期の姿があった。
(真中さんも打ち合わせへの出席を許されたのね)
これで桜以外の新人は皆、担当の役員について会議や出張に出る――社外で仕事をするようになったのだ。
秘書を目指して入社した同期達と、就職するつもりのなかった桜との間には、まだ大きな差がある。分かってはいるものの、胸の奥がちくりと痛んだ。
秘書課に来て以来、桜は毎日必死に仕事を覚えている。
そんな中、真也の秘書である沙穂の外出が多く、細かく業務を教えてもらえないことは、逆にありがたかった。
指示と報告の確認だけで後は放置されているため、沙穂の顔を見る回数は少ない。お陰で、胸をナイフで突き刺されたような、あの痛みを感じることも少なかった。
(目の前にいなければ、落ち着いて対処できる。だって――)
桜は、安藤課長から秘書課についてのレクチャーを最初に受けた時のことを思い出した。
***
その日、安藤課長は桜の席で、ノートパソコンの画面にWeb掲示板を表示し、桜と交代した。パソコンに向かった彼女は、少し離れて右横に立つ課長の説明に耳を傾ける。
「秘書課のメンバーはこのWeb掲示板に予定を書き込むことになっているんだ。鷹司さんも記入してみて。今日の午後から説明会、と。私は自席から確認するよ」
「はい、分かりました」
安藤課長が立ち去った後、表示中のURLをブックマークし、改めて掲示板を見た。縦軸がメンバーの名前、横軸が時間帯になっている表には、各秘書達の予定が箇条書きで書かれている。
桜は自分の名前を探そうと画面をスクロールさせ――ある予定で指を止めた。
――富永沙穂 13:00-17:30 三神カンパニー、三好専務同行――
(真也さんと、外出……?)
心臓に重い衝撃が走る。息ができない。ひゅ、ひゅ、と短い音が桜の唇から漏れた。
黒いマウスを持つ右手が完全に強張る。あの日ドアの隙間から見えた、二人の抱き合う姿が、まざまざと甦った。
『彼女は何もできない、綺麗で可愛いお人形だ』
『……悪い人ね。結婚しても私とこんなこと、するつもりなんでしょう? 彼女が知ったら、どうなるかしらね?』
広い背中、細い指が白いワイシャツに食い込んで――
(あ……あ……)
「い……」
――嫌っ……!
「大丈夫」
桜が叫びそうになった瞬間、冷たくなった右手に温かい大きな手が重なった。
「え……?」
桜は重ねられた手を見る。
四角い爪の先は黒い。手首にかかる長袖の色は灰青色だ。
ゆっくりと振り向くと、もさっとした前髪の八神が桜の後ろに立っていた。
「ほら、ここだよ」
桜よりも太い指がマウスを操作する。するするとスクロールされた画面は、彼女の名前が載っている箇所に変わった。
「八……神課長……」
彼の左手が、桜の背中をゆっくりと擦る。
「ゆっくり息を吐いて」
「ふ、う……っ……」
ようやく吐けた息と共に、身体の力が抜けていく。パソコンの画面が少し滲んで見えた。
「八神君? 鷹司さんと知り合いだったのかい?」
その声とともに、すっと背中から八神の感触が消える。彼は桜の手からマウスを取り上げ、裏向きに持ち上げた。
「ちょっとマウスの動きがおかしかったので。ああ、電池が切れかかってるね」
上着のポケットから単三電池を取り出して、手際良くマウスの電池を交換する八神。桜はぼうっとしたまま、彼の指の動きを見ていた。
「はい、できたよ。これで大丈夫」
右手の近くに、マウスが置かれる。恐る恐る、彼女はマウスに右手を載せた。そっと動かしてみると、確かにさっきより反応が良くなっている。
「あ、りがとう……ございます……」
口籠もりながら礼を言うと、八神はぽんと右手を桜の頭に載せた。
「どういたしまして。頑張ってね、鷹司さん」
彼の目は前髪で見えないが、唇は弧を描いている。手をひらひらと振った後、彼は秘書室から出ていった。
その後ろ姿を見ていた桜は、はっと我に返って画面をもう一度見る。そこにはもう、沙穂の名前は映っていない。
(八神課長……)
『大丈夫』
じわりと胸の奥が温かくなる。自分を励ましてくれたあの言葉。それが今も、心に温かさを伝えていた。
(――私は、大丈夫)
桜は大きく息を吸い、そして吐き出す。ぱしんと両手で頬を叩いた後、自分のスケジュールに入力を始めたのだった。
***
(――あの時も、八神課長に助けられたのよね)
優しい声と温かい手に桜は救われた。『頑張って』と彼女を信じて応援してくれた彼に、立派にやり遂げたところを見てもらいたい。そう思うようになっている。
その後も、当然沙穂のスケジュールを見る機会はあった。真也は沙穂を連れての外出が多く、予定を目にする度にずきりと胸が痛む。それでも桜は逃げていない。
(辞めないって決めたもの)
そもそも、鷹司コーポレーションに就職した以上、あの二人が一緒にいるのを目撃することは避けられない。幸い、真也は秘書室には顔を出さないので、一緒にいるところをまだ直接見てはいなかった。
(私が、沙穂さんの代わりに同行できる秘書に成長すればいいのよ)
ただのお人形さんだなんて、もう絶対に言われたくない。そして八神課長の期待を裏切りたくない。それが原動力になっている。
(私って、結構意地っ張りだったのね……)
こんなに頑固だったなんて、自分でも知らなかった。
とにかく桜は、余計なことを考える暇がないよう仕事に集中した。書類の整備や資料の配付、他の秘書の手伝いなど、秘書課の外に出ない仕事ばかりでも、真面目に取り組み、雑用も率先して引き受けている。
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